年金受給者の日々へ 悪戦苦闘の記録から

自分のXデーに向かってまっすぐに走る日々
   年金受給前の悪戦苦闘の日々より

次男夫婦

2008-09-20 00:00:00 | Weblog
 北海道からやって来た。次男がお嫁さんを連れてやってきた。早速空港までお出迎えをしようと妻と二人で自宅を出るもいつものパターン。○時頃には着陸し、荷物を受け取るのに○分待たないといけないから、二人は○時に出口に出るであろうと計算した。自宅から空港まで行くのに○分かかり差し引き計算すると結局家を出るのは○時○分、と決めたにもかかわらず結局、ついたよ~と次男から電話があったのは行く途中の車の中であった。    
 4人でお墓参りをする。お墓から見える瀬戸内海は静かな穏やかな光があたっている。次男が釣りをしたいという。久しぶりの竿にジャミカゴをつけて垂らすとゼンゴの予定が小さなハギが数匹上がった。それでも夜の食卓には手巻き寿司といっしょにお汁となって胃の中に入ってしまった。手のひらに収まるくらいの小さなハギであったけれど・・・
 下の子供は兄が帰っているにもかかわらず塾へ行き夜遅く帰宅した。

4畳半でのお付き合い

2008-09-19 22:35:16 | Weblog
 昨日までの空はうっとうしい雨雲が東側から飛ぶように次々と飛んできていたけれど、南を台風が通り過ぎると今日の夜空はくっきりすっきりとした空の中にお月さんが見える。秋の夜空らしくなった。明日は札幌の次男夫婦が来る予定になっているけれど、台風が東に端っているだけに、果たして航空機は新千歳を出発できるだろうか、と思う。
 T君とドトールコーヒー屋でお茶をする。T君とは定期的に会うようにしている。今日はI市のライオンズクラブから依頼を受けた講演をしてきて予想外の謝礼を頂いたなどとまんざらでもない顔をしてしゃべっていた。ふと彼が一枚の名刺を取り出して私に見せて、知っているか、と聞いた。ナヌッ、愛ワークのOさんの名刺ではないか。いつ出会ったのか、と尋ねるとベンチャー協会の委員会で会ったよ、と答えてくれた。なんじゃい、みんな狭い所でウロウロしてるんだなぁ・・・そこでOさんに電話すると7時になっているにもかかわらず、仕事中とか、わけを話すとOさんはナンデェ~Tさんとは友達だったの!と笑われた。ついでに今度は、OさんがS大のSさんに会って私の話題が出ましたよ・・などと言われる始末、結局私は狭い狭い人の絡み合いの中で今を生きておると実感した次第。時間とともに色が変わるフヨウの花、今はピンク。

台風

2008-09-18 22:04:52 | Weblog
 雨がよく降っている。当地においては恵みの雨の範囲であるけれど、今後どうなるのだろう。台風の季節になればいつも思い出す光景あり。1つは私の小学生時に住んでいた郵便局舎、田舎の特定郵便局の裏にあった自宅は局と居住室が廊下でつながれておりいつも台風が来ると大雨によって渡り廊下が水にぷかぷか浮かんでいる様子。二つ目は前の現職時代に高知出張時台風に会い、その時見た雨粒の太さはパチンコ玉大の大きさであったこと、三つ目は屋久島・宮之浦岳登山時に台風に出くわして、足止めをくった折、しょうがなく連泊した海に突き出た国民宿舎から見た波の大きさと空を見上げた時に見えた台風の目。今回の台風はあまり被害がなければよいが・・・大風が吹く時期は、せっかく実り頭を垂れた稲も倒れてしまう。

火事

2008-09-16 21:46:42 | Weblog
 先日の休日のこと。義母と妻と3人で雑談した後私は出かけた。私が出かけた後母娘の久しぶりの会話が弾んでいると思い、出先から自宅に電話をすると義母が出てきた。妻は職場から至急出てくるようにと緊急の連絡があった、と言った。夜帰宅した彼女に何があったかを尋ねた。すると事務所のビルの7階の老人の1人居住している部屋がタバコの不始末により火事があったのだそうだ。消防署からはしご車が着く頃には、事務所に1人出社していた若い30歳過ぎの事務長が火災報知機の知らせと同時に消火器を持って燃えている床を消したのだそうだ。老人は車椅子で逃げていて無事であったけれど、消火活動にがんばった若い事務長が煙を吸って意識不明になり救急車で病院に運ばれたそうだ。けれどすぐに回復し事務所に戻ったとか。あの時朝雑談せずに事務所に出ていれば私が救急車に運ばれているところであった、などと話していた。ところで3台駆けつけてきた消防署の人が妻に言うのに、一応火は消えているが、外から部屋にホースを入れさせて欲しいとお願いされたとか、それでハシゴをスルスルと伸ばしてホースを窓から入れたらしい。わけを聞くとホースを出せば報告書に消火活動の記録として記入することが出来る、と消防署員が答えてくれた・・・などと妻が詳細に話してくれた。 用心用心。
 今日は血糖値を測るためにS病院へ。食後4時間経過して200オーバーしていた。最悪の結果。

剪定作業

2008-09-15 21:17:46 | Weblog
 天気予報では午後に雨が降るはずなのに早くも8時過ぎにはポツリポツリと降り始めた。3連休最後の今日はモチノキ、樫の木、サンゴ樹など庭木の剪定をする計画であった。先月から早くやらねばと思いながら今日までズルズルといつもの如く引き伸ばしていた。妻も溜めているお仕事をやっつけるために8時過ぎ職場へ行き、下の子供も東予方面へ試合のために6時50分に家を出た。つまり私一人家にいる。ヨシ雨に濡れながら剪定しよう、となった。脚立を立てて恐る恐る滑らないように上がりノコとはさみを交互に持ち替えながら徒長枝を切っていく、上を向くと雨が顔に容赦なく降り注ぐ。上のほうの届かない所は、よじ登ってバシンバシン切っていく。モチノキは既に実をたくさんつけている。今は黄色の実も赤く熟れる頃にはヒヨやメジロなど小鳥がやって来るはづである。てっぺんに延びた枝も切り終えると1時間経過していた。次に樫の木も切ろうとおもったが、雨が激しくなり、これで終了とする。
 しかし今日は雨がよく降る。段々少なくなっているダムに、これで少しは貯水量が回復されるであろうか。

孤室から見えるもの

2008-09-14 00:00:00 | Weblog
 若いとき、20才前後の、誰でも経験し通過するものの1つに、これからどうやって生きていけばよいのだろうか、どのようにすれば生活することが出来ようか・・・自分の将来の見通しがまったくつかず、ついつい狭い場所で膝を抱えうずくまってしまうような経験がきっと誰にでもあるに違いない。私の場合はどうであったか、忘れてしまったけれど、こうすれば、とか、こう考えればなんとかなるとか、もがいていたように思う。ジェット戦闘機が滑走路の真中にいてエンジンをフル回転しつつブレーキをかけて機体が揺れながらも停止している状態、スクランブル状態。誰にでもあるようなこれらの体験がその後の自分の生きかたに決定的に影響を与えてくれると思う。自分の場合は、デラシネであるという自己認識からなんとか地域にあるいは人に根をだしてゆけば生き長らえることが出来ると信じた。大きな主根ではなく小さなひげ根を数多く出すことによって命をつないでゆこうと考えたのが22歳であった。
 今月末にはMセンター長のサポステ主催でのニートフリーターフォーラムが開催される。ちょっと気になっていることがある。ニートやフリーターを問題視する側は彼ら彼女達を問題児・異端者として決めていることに対してである。この問題の本質はなんなのであろうか。この前はジョブカフェやらポリテクの人たちとの雑談であったからゆっくり話が出来なかったけれど、近々Mセンター長とゆっくり話してみようと思う
 (写真)ゴーヤが生っていた、隣りの畑に。

引き上げ

2008-09-13 20:57:39 | Weblog
 義母と妻と3人で朝食後の果物を前にしておしゃべりタイム。義母の青春時代の話を聞く。台北のカショウ女学校を卒業後20歳まで台北軍司令部で事務員として働いていた義母は、将校の人たちに囲まれて同じ軍服を着てガンバッていたとか、周りにいたエリート青年将校の人たちはかっこよかった、などと懐かしそうにしゃべっておった。しかし父親は台湾電力の職を、兄は台湾総督府の職を、弟は台湾帝大医学の道を敗戦によって失い内地に引き上げてきた・・・そのような話を聞きながらつい先日私の母親から聞かされた内地引き上げの話と同様、戦争によって戦後家族が味わった苦労を平然と話す80歳台の人の強さを思った。 
 午後は実家へ。実家のそばの浜辺に出てみれば先月にはたくさんの海水浴客がいたけれど秋風が吹く月になるとほとんど人がいなくなった。若い二人連れが数組とお子さんを交えた家族が1組くらい。これからこの浜辺は、冬に向かって北風が吹き、波が大きく砂浜を襲ってくる。ザッブ~ンザッブ~ンの音だけが聞こえる浜辺になる。

正札

2008-09-12 00:00:00 | Weblog
 今朝の起床時間は3時40分。近頃、寝ている最中に足が引きつってその痛さから飛び起きることが多い。今朝も右足が強烈に引きつり横になるより立っている方が引きつりを起こさないために布団の上で電気もつけず立っていた。この光景が自分でもおかしくなりエ~イとばかり起きてしまったのである。暗闇のなか1人で夢遊病者のごとくぽつんと突っ立ている光景に。
 本日ジョブカード講習のために相談員が数名抜けている。厚生労働省能力開発局がニートフリーター対策の切り札として位置付けしたジョブカードである。一方、今週に入って求職者数が増えているので今日は相談員が少ない中、一息入れる時間を取ることなく次から次へと人を呼び入れることになった。当然アイムベリータイヤード、眼がかすみ頭の中はこんがらがってきて、しかもPCが重く入力に時間がかかりイライラ感がグッと上がってくる。また、求職者の中には私を指名してくる人も多くいたりしてまたまた、受付からはお叱りを私が受けることになる。イライラ感がさらに上昇。そう、ここは個人商店ではないので求職者が相談相手を自ら選択することを許可してはくれないのだ。求職者にとってこの人と相談をしたいというワガママを許してはくれない役所である。全体でさまざまな問題をカバーし解決するイメージ。
 私は、私の前に座る求職者がこの地方経済での労働市場の中で自分の市場価値、自分の正札をどれほど正確につけることが出来るのか、を常に質問している。たとえば肩書きのない、地縁血縁にない自分がサラの市場でナンボのものか、を問っている。がヘラヘラ笑ってごまかす人あり正直にうつむき加減にして考え込む人多くいる。そのような人たちを鏡にして私も自分に詰問している。自分の生き様のトータルはナンボももんじゃい、と。

副委員長さん

2008-09-11 00:00:00 | Weblog
 人の話を聞くのに聞き飽きた時間帯、ちょっと頭が混乱してきた(もともと朦朧としてはいるが)終業まじかの5時前にひょこんとSさんがやってきた。Sさんはこの3月まで市内の人材派遣会社Kで経理の責任者をしていた。そのK社の社長Mさんはキャリコン研究会のメンバーでもあり、Mさんの先代S社長も旧知の人だからなんとなく身近に感じている会社である。M社長が代表を降りると同時にSさんも定年でK社を去った。現在求職中のSさんは雇用保険受給中であるけれどまもなく支給終了を迎える。それで慌てて仕事探しに私の前に現れた。まずは求人票の見方から説明、正社員の事務の求人票を数枚持ってくるのに、私はこりゃまずダメだわ、と言った。理由を説明する。この会社は定年60歳となっており雇用延長なしとしているから60歳を過ぎている人は面接すら行くことが出来ないと思うよ、だから定年なしの求人を選んでよ、と。60歳を過ぎてもまだまだ若いし仕事もバリバリやれると思っているんだろうけれど・・・と私が優しく言うと、彼女は、だったらあんたが探してよ、と言われてしまった。同級生のSさんは昔中学3年間でなぜか私がクラス委員長をしている時は毎回副委員長を引き受けてくれていて私を補佐してくれていた恩がある。しかもお父さんは田舎の警察署長さんだったから何かとSさんには逆らえない心理が働いているのか、60歳を過ぎても当時のスリコミが生きておるのだろう、今日の最後の相談には、誰にも言っていること、ハイハイサラにより良い職業生活が送れますように精一杯支援させていただきます・・・と口を滑らせてしまった。

トムヤムクン

2008-09-10 00:00:00 | Weblog
 電車内で県職員のNさんとIさんにあった。久しぶりに会うお二人に近頃の様子をお伺いするとIさんは先日隣国の韓国ソウルに2泊3日で旅行をしてきましたと話された。幹部にあたる職員は次から次へと公費ならず自費にて韓国に行かねばならないなどとあまり楽しそうでもない表情で話をされていた。一方Nさんは私の下の子供と小学校時代のサッカークラブでいっしょの子供を持っている。今年の夏の様子を聞けば、福島にあるサッカービレッジでのFCユースの試合を見に行ってきたとか、今度は埼玉で試合があるけれどそれは奥様が参加するなどと話をされておった。みなさん今年の夏は西や東に暑い夏と闘うが如くがんばっている様子である。
 私はちょっと夏ばて気味である。しかし食欲はいつも通り、睡眠もいつも通りであるから心配はないとしても秋を迎えるにあたって身体をリフレッシュしなければならない、と思い先日予約していたベトナム料理の店にF君とYさんを呼んで男3人での夏ばて対策会を開いた。初めてのお店である。雰囲気的には隠れ家のようなスポット。世界三大スープの1つといわれるトムヤムクンスープをすすり生春巻きを食べてはゴーや茶を飲みパパイヤのサラダをつまみバーバーバービールを飲んで、ベトナム混ぜご飯を食う。この対策会議の3人で出した結論は、来月に船を出して太刀魚釣りに行くことが参加者一同、イギナ~シと決まった。とにかく10月の後半にならないと各自時間が取れないことで船の係りをYさんが受け持ち、船の運転係りはF君がやるという役割分担が決まった。私はなにの係りをするべきかは、当日言い渡されるらしい。本日のナツバテ対策会議は充実した内容であった。