後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

今日は春爛漫の日より、ユキヤナギも満開になりました

2010年03月20日 | 写真

今日の東京地方の気温は20度です。春爛漫の陽光の中を近所の武蔵野公園を、家内と散歩しながら花々の写真を撮ってきました。今年はじめてウグイスの鳴く声を聞きました。ユキヤナギの写真をお楽しみ頂ければ嬉しく思います。(終り)

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木村 汎氏による書評、「眼からうろこの独創的な体制転換論」

2010年03月20日 | うんちく・小ネタ

「ドナウの四季」第6号(20104月刊)掲載の書評

眼からうろこの独創的な体制転換論

木村 汎

盛田常夫氏の最新刊を読んだ。『ポスト社会主義の政治経済学―体制転換20年のハンガリー:旧体制の変化と継続―』(東京・日本評論社、2010年、3800円)である。まる3日間かかった。中身が余りに濃いので、速読傾向のある私ですら、途中で咀嚼するために暫し書物を閉じて思索する時間が必要不可欠だったからだ。なにしろ、ヤーノシュ・コルナイ、ジョン・ナッシュといったノーベル経済学賞に輝くハンガリーの天才たちの業績の解説に正面から取り組んでいるのだから、堪らない。経済学にまったくの素人である私は、そう簡単にページ数を繰れなかった。

 もっとも、盛田氏の文章は明晰で、実に分かりやすい。おそらくその理由のひとつは、本書の大部分がまず外国語(ハンガリー語)で書かれたからだろう。日本語独特の曖昧模糊として結局何をいっているのか皆目分からない文章は、只の一つもなかった。

 また、最近の日本人の若手経済学者にありがちな統計、グラフ、図表ばかりを頻用する一方、そのポイントを文章で説明する作業をおろそかにする類の過度の数字依存癖は、本書に全く見られない。もとより氏は2~3数表を挙げている。しかし、それは本文で述べたことの傍証として掲載されているにすぎない。旧文学青年と自称する私は、この点にもすっかり好感を抱いた。

 私が最も感心したのは、盛田氏の独創的なネーミング能力である。例えば、ハンガリー経済を「借り物経済」または「他力本願経済」と断じ、その「キリギリス化現象」、「ゲストワーカー現象」を指摘し、「国庫資本主義」とみなす…などなど。

 私は、ロシア政治を専攻する日本人である。上記のような卓抜なネーミングを用いて行なう盛田氏のハンガリーにおける配分から交換への体制転換の分析は、同じく転換期にあるロシアはもちろんのこと、部分的には自民党から民主党への政権交代を行った現日本にすら適用可能な普遍性をもつと思った。

 以下、ロシア専攻の私が膝を叩いて同感した点を1~2、記す。

 第1に、盛田氏は、社会主義経済が「計画経済」であり、体制転換を「計画から市場への移行」と説く通説に疑義を唱える。私は経済学にかんしては無知な人間であるが、何千万点以上におよぶ物価や複雑な国民経済の仕組みをどうすれば中央政府が合理的に決定したり管理したりできるのだろうか、との疑問を長年いだいていた。したがって、盛田氏の次のような文章を見出したときに、快哉を叫んだ。「コンピュータもない時代に、(そのようなことは)不可能である」。社会主義経済と称するものの実態は、「第2次世界大戦で各国が利用した戦時的配給システムと本質的に変わらない」。

 第2に、盛田氏は通説を批判するだけに止まらず、それに代る自らの見解を提起する。氏によれば、社会主義社会の自己崩壊は、計画システムの放棄というよりも分配(配給)システムの放棄だった。したがって体制転換とは、国民経済の基本的機能を「配分から交換」システムへと転換することにある。

第3に、盛田氏は、政治、経済、社会を現実に担う者が生身(なまみ)の人間であることを充分理解している。どうやら氏においては文学、映画、美術、音楽の鑑賞はたんなる趣味程度のものではなく、人間にたいする深い好奇心にもとづいているようだ。たとえ社会体制は一晩で変わろうとも、人々の意識、思考、行動様式は一夜にしては変わらない。徐々にしか変化しない。つまり、制度の転換とそれを担う人間の転換との間には、タイムラグが生じる。そこに、変化と継続という問題が生じる。

 盛田氏が本書で述べていることは、たんにハンガリーばかりではなく、中・東欧のほとんどすべての国、そしてソ連/ロシアに当てはまる。もとより、ロシア経済が中・東欧諸国と異なるのは、ロシアが世界1~2位のエネルギー資源大国であること。国際的な原油価格の高騰の追い風をうけて、プーチン主義下のロシアは約8~10年間にわたって奇蹟的な経済発展に浴しえた。ところが、2008年末以来の世界的な金融・経済危機に直面して、ロシアは経済的に最も深刻な打撃を受けた国となった。それらの諸点にかんがみ、盛田氏の分析のひとつひとつはロシア専攻の私にとり実に有益であった。

 例えば、プーチン‐メドベージェフの両人からなるタンデム(双頭)政権は、ロシア産業構造を資源一元主義から多様化することを唱導しているものの、一向に成功していない。私が思わず膝を打ち、下線を引いた本書の21頁の次の一文を、彼らは熟読すべきだろう。「単純化への転換は比較的速く達成できるが、複雑化への転換は比較にならないほどの時間がかかる」。

 とりわけメドベージェフ大統領が昨年秋以来唱えているロシア経済の近代化のスローガンは、その達成方法としてイノベーション(技術革新)を掲げ、それが自国では到底期待薄なので先進西欧諸国から「カネ、知識、テクノロジー」(メドベージェフ)の導入に求めるべし、と公然と説く。これこそは、盛田氏がハンガリーについて批判する「他力本願」思想または「借り物」経済に他ならない。先進西欧諸国からの技術移入はたしかに即時効果こそあげうるかもしれない。しかしそれが国民経済にしっかりと根付くためには、その技術を生み出すにいたった発想自体を学び、それを我が物にしようとする地道な努力が伴わなければならない。さもなければ、ロシアもハンガリーも、何時まで経っても資金と技術の輸入国に止まり、自国の近代化を完成しえないこととなろう。

 もし盛田氏の本書に只1つ瑕疵、あるいは正確にいって読者からの希望があるとするならば、それは本書が論文集であること。もちろん過去にハンガリー語で書かれたものを単に日本語へと翻訳したものではない。日本の読者向けに立派に再編成されている。とはいえ、各章には文章の固さ、柔らかさにかんして若干の差がみられるし、似たような小見出し(例―社会転換のアポリア、体制転換のアポリア)もある。また、経済、政治、社会の章が一貫して整理されていず、扱っている時期も前後することがある。著者の百科事典的な博識、何よりも精力的な知的能力を十分熟知しているだけに、これまでの書物同様次作は是非全文書き下ろしの書物にしていただきたいと思う。

(きむらひろし、北海道大学名誉教授、国際日本文化研究センター名誉教授、拓殖大学客員教授)

補足:「ドナウの四季」という雑誌は盛田氏がハンガリーで発行している日本語の雑誌です。その詳細は下記へご連絡下さい。
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立山科学グループ
ハンガリー研究所、
盛田 常夫
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Tsuneo Morita
Managing Director
Tateyama Kagaku Group
Tateyama Laboratory Hungary Ltd.
1125 Budapest, Zsolna u.35/A, Hungary
TEL: +36-1-201-8683 FAX:+36-1-201-8757
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http://morita.tateyama.hu (Homepage of Morita)
http://www.tateyama.hu (Homepage of Tateyama Hungary)

悲しみや不幸をそっとして生きる方法(2)悲劇や不幸の原因を考えない事が鉄則

2010年03月20日 | うんちく・小ネタ

1990年、アメリカで不幸な人々を35人程集めて、「それ以上不幸にならないようにする講習会」へ3日間出席しました。以下はその様子を描いた小文です。

○喋る美人タレント

場所はオハイオの淋しい田舎町の公民館。話をするのは利発そうな若い女性。綺麗な声と魅力的な語りかけ調で喋りまくる。神様は「喋るタレント」をこの人に与えたなという印象。参加者は貧しそうな白人約25名とインド人約10名という集団である。

美人タレントが始める。「よく参加してくれました。これから三日間、私だけが喋ります。ただ、皆さんへ質問したり、電話を掛けなさいと言います。気持ちを開いて率直に従ってください。ここで出る話は全て個人的なことばかりなので、他言しないで、秘密を守ってくださいね」

はじめから秘密結社的な雰囲気である。しかし、結論を先に言えば、実に気楽で楽しい三日間であった。「フジヤマさん、なぜ参加したのですか?」「ここにいるジャイ君がしつっこいので面倒になっただけです」「そうですか。でも三日間だけですから真面目に聞いてくださいね」

教えの内容は、仏教でいう色即是空・空即是色を中心にした抽象的な部分と、アメリカ社会特有の離婚の悲劇や親子の断絶をどのように考えると楽になるかといった具体的な部分がバランスよく整理、配置してある。参加者全員による発表もあり、緊張した雰囲気でもある。

         ○仏教的教えを話す

「この世の雑多なことに執着するから幸福になれないのです。人生は無意味です。人生は大変危険でもありますが、全く無意味です。物質的誘惑や人間関係にこだわってはいけません。親子関係も夫婦関係も執着心を離れて考えて見ましょうね」

色即是空・空即是色という観念を具体的な例を使って説明する。

最後に、「不幸になった原因をあれこれ考えることが執着心なのですね。原因を考えると、自分も他人も傷付ける結果になります。あるがままに受け入れなさい」そして続ける、「どちらにしても空虚なのが人生の本質なのです」

話をしているタレントは決してお釈迦様やヒンズー教の話をしない。宗教抜きの生活術として説明している。そうすると、一応キリスト教徒ということになっているアメリカ人に受け入れやすい。このセミナーは宗教と一切関係ないと言う。皆が感心して聞いている。質問の時間には宗教がらみの質問はしない。話をしているタレントは仏教の教義をかなり深く研究している感じがする。確信を持って話している。しかしお釈迦さまの名前すら出さない。

          ○悲劇の解消作業

「皆さんのセミナー参加の理由で多かったのは、親子関係と夫婦関係で困っていることですね。親子関係は修復が可能です。夫婦関係はすぐに離婚して忘れることです。この会場の外の廊下に四十個の電話ブースが用意してあります。これから一時間休憩にしますから、困っている関係の相手に電話をしてください。親子の場合は愛しているから会いたいと。離婚しそうな夫婦なら感謝しているけど綺麗に別れようと言ってください」

「そんなこと急に言われても電話番号も分かりません」「電話局に聞いてください。どんな長距離電話でもその費用は主催者側で払いますよ。これは宿題なので、一時間後にどんな会話をして、その結果どうなったか皆の前で発表してもらいます」

三日目の最後は各自がセミナー参加の感想を喋る時間であった。異口同音にタレント先生への感謝の気持ちを喋る。つきものが落ちたように晴れ晴れした表情で解散となる。しかし、人生は無意味でも複雑で危険に満ちている。もとの生活に戻ればどうなるかは参加者一人一人の決心次第である。

「人生は無意味だ。不幸の原因を考えると自分も他人も傷付ける」―忘れられないフレーズである。オハイオの田舎町で聞いたので特に印象深く、一生忘れられない。陽気で社交的な人の多いアメリカでも、悩みの原因は圧倒的に人間関係にあるという。このような生活術を教える仏教的セミナーが彼方此方で開催されている。そんなアメリカの事情は日本ではあまり知られていない。

私はこのセミナーで覚えた教訓を現在でも大切にしています。悲しいことが起きたら、その原因を絶対に考えません。不幸な事態になってもその原因も絶対に考えないのです。あるがままに受け入れることにしています。そうすると不思議にも悲しさが消えて失くなります。不幸がそれ以上不幸になりません。このような対応の仕方は少し訓練をすると簡単に身につきます。皆様も試みに実行されることを心からお薦めいたします。(終り)

今日も皆様のご健康と平和をお祈り申し上げます。藤山杜人

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