後藤和弘のブログ

写真付きで趣味の話や国際関係や日本の社会時評を毎日書いています。
中央が甲斐駒岳で山麓に私の小屋があります。

キリスト教徒は偽善者が多いから嫌いです。しかし・・・・

2010年03月23日 | うんちく・小ネタ

このブログではキリスト教の話題を時々取り上げます。しかし一度も信者になったほうが良いですと勧誘したことはありません。信仰の道は他人に勧められて入るものではないと思っているからです。昔の友人の多くは私が中年になってからカトリックの洗礼を受けたことを知りません。久しぶりに会ってビールなどを一緒に飲むとキリスト教の悪口を言う人が時々います。

「クリスチャンは猫なで声で親切そうに話す偽善者ばかりなので大嫌いです。第一、ヨーロッパの連中は宗教が原因で殺し合ったり、戦争をして来たではありませんか?宗教は人間へ害毒を流します。無宗教が一番良いのです!」ーーーまあ、このような論旨です。納得しますとあいづちを打ち、反論をしません。しかし偽善者のクリスチャンにしか会ったことのない友人の不運へ深い同情を覚えます。

”ヨーロッパの連中は宗教が原因で殺し合ってきた”という話も歴史的な事実です。反論の余地はありません。昔の友人は私へ宗教が原因で他人と争ってはいけませんと忠告してくれているのです。とても有難い話として静かに聞くべきで、声を大きくして反論をするのは愚かなことです。

日本人の多くは無宗教が良いとよく言います。それは一つの考えであり尊重すべきことと思っています。しかし時々、キリスト教のことを勉強したいので適当な本を数冊教えて下さいという依頼を受けます。あるいはチョット教会へ行ってみたいのですが何処が良いでしょうかとも聞かれることがあります。本のほうは簡単に答えられます。文庫本の「教養としてのキリスト教」とか「聖書入門書」とかを3冊ぐらい上げます。それから遠藤周作の本を2、3冊教えます。「沈黙」という小説は少し難しい内容なので後で教えます。

何処の教会へ行けば良いのですか?この質問は難問です。しかし一般論的には次の段階を経てキリスト教へ近づくと自然な気持ちで入ることが出来ると思います。

(1)自宅から便利に行ける所の、なるべく大きな教会の日曜日のミサや礼拝に試験的に出て見る。例えば東京のJR中央線沿線にお住まいの方なら四谷駅前の上智大学の入り口にある聖イグナチオ教会へ行く。あるいはお茶の水駅のそばの日本正教会のニコライ堂へ行きます。大きな教会は人数も多いので初めての人々も多く、不審がられないからです。そして急にいろいろ干渉されない自由さが有難いのです。

(2)その大きな教会の掲示板を見て、「聖書の勉強会」の日時を調べ、毎週、1、2回出席してみます。大体、神父様や牧師様が教えてくれますが、運が良ければ素晴らしい指導者に巡り合えます。そしたら何回も勉強会へ出て、「いずれ洗礼を受けたいのですが」と相談をします。

(3)その相談のあとは指導者も本気でいろいろな話をしてくれます。そんな期間が数カ月過ぎたら洗礼を受けるか、延期して一休みするかを気軽に考えるのです。無理は一番いけません。気軽に考えてイエス様に呼ばれていると思ったら洗礼を受ければ良いし、まだ呼ばれていなければ延期するだけです。その時、洗礼をせっつくような指導者なら止めた方が良いのです。

(4)さて洗礼について日本人は抵抗感を持つのが普通です。一千年以上にわたって日本は仏教国だったので洗礼へ抵抗感を持つのが当たり前です。それを感じないようでしたなら日本人として育っていなかったのでしょう。さてこの抵抗感の解決方法はあるのでしょうか?

(5)簡単です。従来通りお寺へ行って墓参りもする。神社では家内安全の御祈りもする。神式でも佛式でもお葬式へは義理堅く参列することに決めれば良いのです。そんな事をしたら破門だという教会があったらこちらからご縁を切れば良いだけの話しです。この辺を日本人は誤解をしていて、クリスチャンになったら先祖代々の墓参りも出来なくなると狭量に考えている人がいます。家族や親類に不快感を与えるような愚か者をイエス様が喜ばれる筈が無いのです。

(6)キリスト教のある宗派で洗礼を受けたら他の宗派に変わることが出来ますか?これも簡単です。たとえばプロテスタントからカトリックへ、またその逆もできます。このブログで昨年11月に何回かの記事でご紹介した日本正教会のニコライ堂の伝教師の金田一豊さんはカトリックの聖職者から正教会へ変わった方です。その理由も11月のこのブログの記事でご紹介いたしました。

(7)洗礼をうけたが数年して教会へ行くのを止めてしまったのですが、それで良いでしょうか?こういう場合はそのまま自然にしていれば良いのです。イエス様が呼びもどしてくれるのを待っていれば良いのです。信仰を持てば、「完全な自由な境地」に入ることが出来るかもしれません。

(8)信者は聖書に書いてあることを皆本当のこととして信じているのでしょうか?答えは簡単です。疑う時があります。四六時中信じている訳ではありません。しかし確信を持って信じることの出来る瞬間があるのです。それが信者というものです。

以上は思いつくままに書いたものです。ご参考になれば嬉しくおもいます。下の挿絵の写真の白鳥の一家のように思い煩わないで全てを神様にまかせてしまえば楽になります。(終り)

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ヒンズー教のインド人がキリスト教のマザー・テレサを国葬にした!

2010年03月23日 | 日記・エッセイ・コラム

ここでマザー・テレサのインド政府による国葬の様子を書くのはある目的があるからです。外国人の人情や考え方を本気で理解しようとしない日本の政治家の考えを早急に変えて貰いたいからです。そうしないと日本の国益が害されるからです。

マザー・テレサはインドの路上で孤独に死にそうな人を家に連れて来て温かく世話をして、見送ってあげたのです。その事を根気よく何十年も続けたのです。はじめは余計なことをすると感じていたインド人もやがて感動し、マザー・テレサを支援するようになったのです。

そして日本人は以下のことを忘れない方が良いと思います。

(1)ヒンズー教のインド人がキリスト教徒のマザー・テレサをインド人の誇りとして国葬にしたこと。

(2)マザー・テレサの行為は7つの宗教の壁を打ち壊すほど、宗教界へ大きな影響を与えたのです。宗教の対立が戦争を起こさせてきた歴史を振り返る時、マザー・テレサは偉大な変革を起こしたと思います。

(3)このマザー・テレサのインド政府による国葬のように世界的に重要な行事へ日本政府の代表が見えないのは残念です。日本の政治家が外国人の人情を理解できない偏狭さを早く直して貰いたいと思います。そうしないと外交上、日本の国益を害する事態が起きる可能性があるのです。

======マザー・テレサの国葬の様子=======

マザー・テレサは1910年にバルカン半島のマケドニアの首都、スコピエで生まれ、1997年9月6日にインド、カルカッタで亡くなりました。満87歳でした。亡くなる前の日まで元気に働いていたのです。葬儀は遺言通り質素に行う予定でしたが、弔問客があまりにも多いので遺骸を聖トマス教会へ移し、記帳を受け付けました。ヒンズー教徒の弔問者が長蛇の列をつくり、記帳を終えるのに6時間もかかったそうです。ただちにインド政府は国葬にすることを決定し、9月13日にマザー・テレサの遺骸は、インド独立の父マハトマ・ガンジーやネール初代首相の国葬で使われた砲車に乗せられ、5キロ離れた室内競技場へ向かったのです。その様子はBBCやCNNテレビによって世界中へ生中継されました。沿道には100万人のヒンズー教徒のインド人がマザー・テレサとの最後の別れを惜しんだのです。

国葬はカトリックの告別ミサとしてヨハネ・パウロ2世から派遣された枢機卿の司式で開始されます。参列者はインドの大統領をはじめ各国の大統領夫人や首相夫人など15000人でした。ヨハネ・パウロ2世のメッセージが代読され、その後の献花は、ヒンズー教、イスラム教、佛教など7つの宗教の代表者が行いました。その後で各国の元首、大統領などが行い、最後にインドの大統領が献花しました。閉会のあいさつはカルカッタ大司教がしました。「マザーへ感謝します。そしてマザーを生んだ貧しい人々に感謝します」と涙で声を詰まらせたのです。マザーが貧しい人々へ奉仕するなかで、マザー自身が目覚めていき、ますますイエスの愛を実感し、イエスの教えを確信するようになったのです。

(以上の国葬の様子は神渡良平著「マザー・テレサへの旅路」サンマーク文庫2001年初版の、p281からp291を参考にしました。記して神渡良平さんへ深い感謝の意を表します。)

==========日本へ来た時のマザーの写真======

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マザーが、長崎・聖母の騎士修道院を訪問した時の写真。出典は、

http://www.seibonokishi-sha.or.jp/in20.htm です。 
1982年(昭和57年)4月26日、マザー・テレサは2度目の来日で長崎を訪れ、聖母の騎士修道院をご訪問なさいました。前年に長崎を訪問したヨハネ・パウロ2世に勧められ、マザーの強い希望が叶えられての長崎訪問となりました。長崎訪問では爆心地で平和の祈りを捧げ、「母と子の大集会」、「修道女との集い」に出席しました。また三ツ山町の恵の丘老人ホームを訪問し、大歓迎を受け、恵の丘の純心聖母会に宿泊しました。27日に長崎をあとにし、翌日に大阪からカルカッタへと帰途につきました