6月14日、『イスラエル首相 非武装パレスチナ「容認」』というニュースが流れました。
一見「とうとうイスラエルも譲歩する気になったか。。。」と思える様に聞こえるが、例によっての<大ペテン>。
曰く。
▶首相は、「パレスチナ人がイスラエルをユダヤ人の国であると認めるのであれば、イスラエルに隣接する非武装化されたパレスチナ国家という解決策にたどり着くことができる」と語ったうえで、国際社会が事前にこれらの条件を保証する必要があると強調。ヨルダン川西岸でのユダヤ人入植地建設凍結については、人口増加に伴う既存入植地の拡張は続けるとし
「無条件の即時交渉再開」を呼びかけたが、パレスチナ側が将来のパレスチナ国家の首都と位置づける東エルサレムの分割やパレスチナ難民の帰還についても改めて拒否。パレスチナの国境管轄権や制空権もイスラエルの手にとどまるとした。(産經新聞より抜粋)
先ず、冒頭の地図をご覧下さい。
左上の小さな囲みの地図の、グレーがイスラエル、黄色が<残された>パレスティナです。
CISJと有る所が、俗にいう『ヨルダン川西岸』で、左端の飛び地が『ガザ地区』です。
第二次大戦終戦迄<イギリス委任統治領>だったパレスティナの大部分に、突然1948年5月14日、『イスラエル』という<国家>が無理矢理建国されました。
イギリスの3枚舌が、パレスティナ人、国連、一部を委任統治していたフランス、を欺いて、世界中が寝耳に水の出来事でした。
その結果、パレスティナ人の手に残された土地が、大きい方の地図で見る通り、東側の<ヨルダン川>と<死海>以外、イスラエルに囲まれた地域で、国境はイスラエル軍により厳しく武装管理されています。
イスラエルになってしまった土地に住んでいた<パレスティナ人>は、2級市民待遇で<敵国>イスラエルに留まるか、国外退去させられるか、の選択しか有りませんでした。
数十万のパレスティナ人達が、先祖代々住み続けて来た土地を奪われ、<強制収容所なみの難民キャンプ>になだれ込んで行ったのです。
『阪神淡路大震災』の際、仮設住宅が沢山造られました。
パレスティナ人を収容した<難民キャンプ>は、砂ほこりの舞う荒れ地に、形だけのテントを張っただけのものです。
そこで暮らす事を強制された彼等は、以来60年以上、2世代目はそのキャンプで生まれ育ち、さらに3世代目も出現して、祖国を知らない世代が大部分を占める迄に至ってしまっています。
その後、イスラエルは、定められた国境からドンドン外に(パレスティナ人居留地に)攻め込んでは<占領地>を増やし、地域住民(パレスティナ人)を強制排除しては、自国民を入植させて行きます。
大きい方の地図<パレスティナ>の東側に1/3くらいの黄色い所がそうです。
その後は、泥沼でした。
その後、総ての国境線が、イスラエルが勝手に築いた高さ12メートルのコンクリートの壁で、囲まれてしまいました。
想像出来ますか?
壁から出られないのですよ。
赤い四角の点は、検問所です。
生活物資の輸送すら、大多数の場合<拒否>されているのですよ。
<国連救援物資>すら、通さない。
黄色く塗られてるイスラエルの非合法占領地には、パレスティナ人は自由に通行出来ません。
辛うじて生きて行く為に、膨大な苦労と、人間としての尊厳を失うくらいの非人間的審査を経て、やっと手に入れた<通行許可証>を持ったパレスティナ人だけは、壁を出入りして<仕事に>行けるだけ。
ここ数年来、『パレスティナ暫定政府』なる物が辛うじて存在していますが、物理的にも精神的にもズタズタに引き裂かれた国土を、まともに<統治>できる訳が無い。
当然、パレスティナ人達は、あまりにも多くの物を奪われて、民族としての誇りのみが残された状態では、残された事は自爆テロしか有りません。
昨年暮れ、イスラム教祝日にその聖地を<ナタニヤフ首相>がわざと挑発的に訪れて起こった抗議活動を、戦車部隊で鎮圧した事から、ハマスのロケット攻撃と、イスラエルの近代兵器による過剰報復とで、22日間も争乱状態が続きました。
結果。
パレスティナ側死者1300名。
その内一般市民が大多数。
その内子供が400名。
負傷者5300名以上。
イスラエル側死者13名。
その内一般市民3名。
イスラエル軍兵士10名。
その10名の内、混乱による同士討ちによる死亡が5名。
ハマス(パレスティナ・ゲリラ軍)の発射したロケット弾と(粗末な)手投げ弾778発。
イスラエル軍による報復爆撃地2500カ所。
ガザ地区で破壊された一般住宅4000棟。
再建に要する費用見積もり10億2千万ユーロ。
(以上、レクスプレス誌より)
イスラエル建国以来の61年間、常に<イスラエル側>から実力行使がなされ、挑発されたパレスティナ人がゲリラ活動で報復を試みて、の繰り返しでした。
圧倒的な軍事力と軽装ゲリラ行動との力の差は、パレスティナ人をくじけさせるどころか、増々過激派に支持が集まるわけです。
詐欺まがいでの建国以来、イスラエルは常に<圧倒的軍事力>でパレスティナ人の抵抗を排除しようとして来ましたが、どんな強い北風も、民族のプライドのコートは脱がせられない事が、証明されているのです。
そこへ持って来て、今回の<ネタニヤフ首相>の発言。
パレスティナが<非武装>を受け入れれば、<パレスティナ人国家>を受け入れるだと。
「国境管理権も制空権も与え無い、占領地も返さない、だから武器を捨てろ」だと。
ユダヤ人って頭のいい人間が多い、と言うイメージが有るけれど、歴史的に欧米で今日に至る迄嫌われ続けている理由が、解る気がする。
(拙ブロブのバックナンバー『イスラエルのやっている事はナチスと同じだ』も読んでみてくださると幸いです。)
一見「とうとうイスラエルも譲歩する気になったか。。。」と思える様に聞こえるが、例によっての<大ペテン>。
曰く。
▶首相は、「パレスチナ人がイスラエルをユダヤ人の国であると認めるのであれば、イスラエルに隣接する非武装化されたパレスチナ国家という解決策にたどり着くことができる」と語ったうえで、国際社会が事前にこれらの条件を保証する必要があると強調。ヨルダン川西岸でのユダヤ人入植地建設凍結については、人口増加に伴う既存入植地の拡張は続けるとし
「無条件の即時交渉再開」を呼びかけたが、パレスチナ側が将来のパレスチナ国家の首都と位置づける東エルサレムの分割やパレスチナ難民の帰還についても改めて拒否。パレスチナの国境管轄権や制空権もイスラエルの手にとどまるとした。(産經新聞より抜粋)
先ず、冒頭の地図をご覧下さい。
左上の小さな囲みの地図の、グレーがイスラエル、黄色が<残された>パレスティナです。
CISJと有る所が、俗にいう『ヨルダン川西岸』で、左端の飛び地が『ガザ地区』です。
第二次大戦終戦迄<イギリス委任統治領>だったパレスティナの大部分に、突然1948年5月14日、『イスラエル』という<国家>が無理矢理建国されました。
イギリスの3枚舌が、パレスティナ人、国連、一部を委任統治していたフランス、を欺いて、世界中が寝耳に水の出来事でした。
その結果、パレスティナ人の手に残された土地が、大きい方の地図で見る通り、東側の<ヨルダン川>と<死海>以外、イスラエルに囲まれた地域で、国境はイスラエル軍により厳しく武装管理されています。
イスラエルになってしまった土地に住んでいた<パレスティナ人>は、2級市民待遇で<敵国>イスラエルに留まるか、国外退去させられるか、の選択しか有りませんでした。
数十万のパレスティナ人達が、先祖代々住み続けて来た土地を奪われ、<強制収容所なみの難民キャンプ>になだれ込んで行ったのです。
『阪神淡路大震災』の際、仮設住宅が沢山造られました。
パレスティナ人を収容した<難民キャンプ>は、砂ほこりの舞う荒れ地に、形だけのテントを張っただけのものです。
そこで暮らす事を強制された彼等は、以来60年以上、2世代目はそのキャンプで生まれ育ち、さらに3世代目も出現して、祖国を知らない世代が大部分を占める迄に至ってしまっています。
その後、イスラエルは、定められた国境からドンドン外に(パレスティナ人居留地に)攻め込んでは<占領地>を増やし、地域住民(パレスティナ人)を強制排除しては、自国民を入植させて行きます。
大きい方の地図<パレスティナ>の東側に1/3くらいの黄色い所がそうです。
その後は、泥沼でした。
その後、総ての国境線が、イスラエルが勝手に築いた高さ12メートルのコンクリートの壁で、囲まれてしまいました。
想像出来ますか?
壁から出られないのですよ。
赤い四角の点は、検問所です。
生活物資の輸送すら、大多数の場合<拒否>されているのですよ。
<国連救援物資>すら、通さない。
黄色く塗られてるイスラエルの非合法占領地には、パレスティナ人は自由に通行出来ません。
辛うじて生きて行く為に、膨大な苦労と、人間としての尊厳を失うくらいの非人間的審査を経て、やっと手に入れた<通行許可証>を持ったパレスティナ人だけは、壁を出入りして<仕事に>行けるだけ。
ここ数年来、『パレスティナ暫定政府』なる物が辛うじて存在していますが、物理的にも精神的にもズタズタに引き裂かれた国土を、まともに<統治>できる訳が無い。
当然、パレスティナ人達は、あまりにも多くの物を奪われて、民族としての誇りのみが残された状態では、残された事は自爆テロしか有りません。
昨年暮れ、イスラム教祝日にその聖地を<ナタニヤフ首相>がわざと挑発的に訪れて起こった抗議活動を、戦車部隊で鎮圧した事から、ハマスのロケット攻撃と、イスラエルの近代兵器による過剰報復とで、22日間も争乱状態が続きました。
結果。
パレスティナ側死者1300名。
その内一般市民が大多数。
その内子供が400名。
負傷者5300名以上。
イスラエル側死者13名。
その内一般市民3名。
イスラエル軍兵士10名。
その10名の内、混乱による同士討ちによる死亡が5名。
ハマス(パレスティナ・ゲリラ軍)の発射したロケット弾と(粗末な)手投げ弾778発。
イスラエル軍による報復爆撃地2500カ所。
ガザ地区で破壊された一般住宅4000棟。
再建に要する費用見積もり10億2千万ユーロ。
(以上、レクスプレス誌より)
イスラエル建国以来の61年間、常に<イスラエル側>から実力行使がなされ、挑発されたパレスティナ人がゲリラ活動で報復を試みて、の繰り返しでした。
圧倒的な軍事力と軽装ゲリラ行動との力の差は、パレスティナ人をくじけさせるどころか、増々過激派に支持が集まるわけです。
詐欺まがいでの建国以来、イスラエルは常に<圧倒的軍事力>でパレスティナ人の抵抗を排除しようとして来ましたが、どんな強い北風も、民族のプライドのコートは脱がせられない事が、証明されているのです。
そこへ持って来て、今回の<ネタニヤフ首相>の発言。
パレスティナが<非武装>を受け入れれば、<パレスティナ人国家>を受け入れるだと。
「国境管理権も制空権も与え無い、占領地も返さない、だから武器を捨てろ」だと。
ユダヤ人って頭のいい人間が多い、と言うイメージが有るけれど、歴史的に欧米で今日に至る迄嫌われ続けている理由が、解る気がする。
(拙ブロブのバックナンバー『イスラエルのやっている事はナチスと同じだ』も読んでみてくださると幸いです。)