KOfyの「倍行く」人生

バイクで人生を“2倍”楽しみたい。勝手気ままな日記代わりの備忘録。

「分析まひ症候群」

2007年06月05日 | 世の中あれこれ
『日本企業に蔓延する「分析まひ症候群」傍観者はリーダーではない』
野中 郁次郎:NBonline(日経ビジネス オンライン)

の記事が素晴らしい。
一部を抜粋したが、全文は無駄な表現が無く示唆されることが凝縮されている。

【一部抜粋】
創造は全人格を懸けた事業であり、分析からイノベーションは生まれない。
暗黙知を継承し、共通善に基づいて現実的な判断を下せる真のリーダーが必要。

経営は主観的で経験がものを言うアートなのか、あるいは分析的で数値で測れるサイエンスなのか。単純な二者択一では語れないでしょう。(中略)
サイエンスの部分が強くなりすぎて、アートを切り離していった反動で、経営が現場から乖離して傍観者になっていく。悪貨が良貨を駆逐する現象が、まさに日本企業の現場で起きている。

イノベーションの本質は、人間が自分の主体的な思いを貫いて実現するために、全人格を懸けてあらゆる障害を越えていく、そんな全人的なコミットメントにあるのではないでしょうか。いくらきれいな資料を作って見事な分析をやったところで、だから何なんだ、何をやりたいんだ。こう申し上げたいんですね。

イノベーションを生む組織は、形式知と暗黙知がダイナミックなスパイラル運動を繰り返し、組織の中で知を増幅していく機能を持っている。最近の日本企業は、このバランスを崩してしまったのではないか。そう危惧されてならないのです。

最後に戦局を分けるのは、実践的な知恵に裏づけられたリーダーシップの優劣なんですね。古代ギリシャの哲学者、アリストテレスはこの実践的な知恵を「フロネシス」と名づけました。フロネシスを備えていないリーダーは、組織を間違った方向に導いてしまう。

倫理観や審美眼の伴う判断力を発揮できるのは、美徳のある職人と言いますか、優れたアーティストに限られる。経営者も職人もアーティストでなければ務まらないのです。

日本企業の問題は、本来の強みだった暗黙知の継承を忘れ、米国流の数量的な形式知に舵を切りすぎた点にあるのではないでしょうか。財務分析が典型ですが、社内で企画部門や人事部門が肥大化したり、財務部門が発言権を増してきたりなど、組織の中でも論理派、分析派が増殖しているのが実情なんでしょう。

いくら詳細に分析したとしても、経営にとって一番大事な未来は分からないんですよね。共通の理想や理念を掲げながら、日々の実践の中でエクセレンスを追求していく以外に現実的な解はありません。21世紀の経営は、このような「理想主義的リアリズム」に基づいた形になっていくのではないでしょうか。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする