チリチリリン

風にゆれる風鈴のように
こころ休まる音を届けたい

合宿のご案内

2018年07月31日 | マレットゴルフ

 

マレットゴルフは18ホールを持つミニゴフル場で、マレット(槌)と呼ばれるスティックと大きなボールを使うスポーツで、長野県が発祥と言われています。ボールもスティックも重くて飛ばないので、狭いゴルフ場でもドライバーを振る醍醐味が味わえるのですが、専用ゴルフ場が少なくて、一般には知られていません。舗装道路を一人で歩いて運動するよりいいかと「マレットゴルフを楽しむ会」に籍を置いています。メンバーの年齢層は高くてもやたら元気です。

スマホに万歩計アプリを入れています。このアプリが毎朝8時半になると、ブーと鳴って「歩数を確認してください」、今日は歩いてないよ! さっさと歩きなさい! と言わんばかりに催促します。グズグズイヤイヤゴルフ場に行くと70代80代の人が15、6人集まりプレーを始めています。

「えーー!この暑さでムリっしょ!」と思っても、クーラーの効いた部屋でテレビ見ているよりずっといいそうです。風のない日は幾ら下が緑の芝生とはいえ照り返しがきつくて目が回りそうになります。その中で東コース西コースと2ラウンド回るのです。早く上がると「もう半ラウンド回ろうか」というツワモノもいます。私は1ラウンド回ったところで、用事があるようなフリをして帰ってきます。とてもかないません!

そんな不真面目な私にも「今年は参加してね」と合宿の案内が回ってきました。長野県佐久市で一泊二日の合宿です。「10月1日ですが、今週中に参加費を添えて申し込んでください.....」

参加費をもって今日は行かなくちゃ、と思っていたけれど、夜更かしして朝起きたのが7時、すでに室内気温は30℃、外は太陽がカーッと照っている。それでも日焼け止め塗って支度を始めたが、赤いパンツに黄色の小花Tシャツ、紺のソックスが信号機みたいだと気づいたらまた椅子に座り込んでしまった。明日にしよう......

 

マレット仲間からもらって育てていた鈴虫が昨晩から鳴き始めた。体長1センチくらいしかないのに、羽を広げて鳴いている。スマホで鳴き声を録音して子供たちに送った。

「鈴虫とゴキブリとどこが違う?」と宣う長女は無言返信、長男は、うじゃうじゃいるのを見ているので、一斉に泣き出したら大変!と心配してくれる。実は少しずつ庭に放して数を減らしているんだけどね。

 

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ロックミュージックとヒデキ

2018年07月30日 | 西城秀樹

 

またまた西城秀樹です。

生まれた時から周囲にロックが溢れ、好きなように聞いたり歌ったりできる今の若者には「お茶の間にロックニュージックを届けたのは西城秀樹だ」という認識が無いし、ロックとヒデキ?何の関係?とさえ思っている。

日本にも古くからロックミュージシャンはいたが、彼らは大衆から離れ、どこか遠くでロックをやっていて、それがカッコイイと思っていたようだ。その態度にメディアは彼らを不良、彼らのロックは不良の音楽と決めつけ、一般大衆のテレビから締め出してしまった。その時代に西城秀樹は登場した。

彼自身は幼少から洋楽に親しみロックが好きだったが、ロックではテレビに出るようなメジャーな歌手にはなれないから、歌謡POPのアイドルとしてデビューした。テレビでは歌えないロックを自分の野外ライブなどで歌い続けた。

彼が一躍人気スターになって、メインの歌番組では歌えないロックをヤングの番組や「8時だよ全員集合」などのバラエティで歌えるようになり、カッコイイヒデキが歌うカッコイイロックがだんだんと子供たちにも浸透してきた。(この子供達が後のロックミュージシャンになる。)

それでも本当に歌番組にロックが出られるようになったのは、ヒデキがヘビメタロックをカバーした「ナイトゲーム」がテレビ歌謡祭のグランプリ候補になってからで、デビューから10年が経っていた。西城秀樹がテレビ歌謡界にロックを認めさせた。

 

そしてライブを、聴くだけではない一大エンターテイメントにしたのも西城秀樹だ。宙吊りや花火やレザー光線など派手な演出で観客が一緒に楽しめるショーに仕立て上げたのだ。

西城秀樹がいなかったら、XJAPAN やLUNASEAもテレビに出ることはなくどこか地下のライブハウスで細々歌っていたかもしれないし、B’zやサザンはギターをボロロンと弾きながら地味〜にライブをやっていたかもしれない。いや、そもそも彼らは現れなかったかもしれない。

 

西城秀樹と日本のロックは切っても切れない関係にある、それを今の若者にわかってほしいと思うが、彼らにはロックがダメだった時代があったなんて想像もできないのだ。人は死ねば人々の記憶からだんだん遠くなってしまうが、少なくともロックをやる人間は、西城秀樹という一人の青年が日本のロック界に果たした役割を忘れないでほしいし、後の世に伝えていってほしいと願っている。西城秀樹のファンだから。

 

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フジロックと西城秀樹

2018年07月30日 | 西城秀樹

 

今日も西城秀樹です。

週末に「フジロック」というロックフェスティバルが開かれた。その場に「西城秀樹も来ているぞ〜」というノリで、星条旗をまとった骸骨が置かれたという。

それに一人の評論家が噛みついた。この人は普段は安倍政権などに独自の見解を表し、それをネットに流しているのだが、本人が過去、生きていくのも辛い時にヒデキの歌で立ち直れてからのファンだと明言していて、追悼の言葉などを述べていた。「このオブジェはあまりにチープで醜悪、ヒデキに対する敬意が感じられないどころか死者に対する冒涜である。」の言葉にヒデキファンが反応した。

私もフジロックに殴り込みをかけようと、投稿文を考え始めた。ツイッターは前に試しにやってみたという程度の初心者同然なので、フジロックに行く前に自分のページで試した。この人の評論文も参照に載せようか、それともヒデキのロックを歌っている画像がいいかなどと幾つかツィートしてみた。

私のツイッターは住所録にも電話番号にも紐付けしてないから誰も知らないし、新聞社とかNHKくらいしかフォローしてないので、未だかって誰も来た人がなくて、一人で勝手につぶやいているページなのだが......

こんなもんかなと考える間もなく一人の読者が現れた。これは練習用なのだが、と思いながら、返信を一つ入れた。それが、私の投稿を参照にして、どこかにリツィートされたらしい。直後から「いいね」のピンポンが鳴り響き始めた。

『ロックを愛するなら西城秀樹を知ってほしい。日本のロックを表舞台に出した人です。グループでもなく複数のアーティストでもなく20歳の若者が一人で成し遂げたことです。』

『西城秀樹のファンの多くがまだ彼の死を受け止められていない。YOUTUBEや写真集にしがみついて彼のぬくもりを探し求めている。それなのに骸骨だなんて......涙が止まらない......』

これらの幾つかのツィートに一日中ピンポンはなり続けた。私はこの対応にオタオタして状況が飲み込めてなかったが、この話題はフジロックページや西城秀樹ページで炎上していたらしい。

一日で250件を超す「いいね」が来て、開くたびに『涙が止まらない』の自分の言葉に涙して、目が腫れてしまった。

フジロックの観客は思う存分ロックミュージックを楽しみ滞りなくフェスは終わったようだ。

ヒデキがどんなにロックが好きだったかを、当時不良の音楽と言われてテレビでは歌えないロックをライブで歌い続けたことを、そのロック色を警戒されて紅白出場が見送られたと言われていることを、ついには世間に風穴を開けてロックを公然のものにして後塵に道を切り開いたということを知り尽くしているファン層と、身の回りにロックが溢れ何の苦労もなくロックを楽しめる世代とのギャップの大きさを思い知らされた一日でした。

 

 

 

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西城秀樹追悼番組

2018年07月24日 | 西城秀樹

 

西城秀樹の人気が再沸騰している。昔から親衛隊並みに好きだった人、結婚子育てで一時離れていた人、私のように闘病中の姿を見れなくてあえて見なかった人ばかりでなく、現在の若者にも大人気なのだ。画面にコメントが出る動画サイトでは「可愛い」「カッコイイ」「キレイ」「王子様」「好き好き」など、若い直接的なコメントがシャワーのように流れ、ヒデキの顔が見えないほどだ。ツイッターにもヒデキ愛があふれている。

きっかけはやはりYOUTUBEにある。各家庭にビデオが普及し録画が一般的になったのは1980年代からで、それ以前の姿はテレビ会社が放出しなければ見ることができなかったのだが、実は個人でもかなりの番組を録画していた人たちがいて、それこそ怒涛のようにネットに流れ出したのだ。

70年代、毎日テレビに顔を出していたはずのヒデキの姿がテレビ会社から放出されないことに不満を抱いた人たちがYOUTUBEにアップロードする。有識者は、西城秀樹の尋常でない歌唱力、1曲1曲がひとつの映画を見たように語られる歌の世界観、叫んでいても音を外さない絶対音感などを語り始める。それがヒデキを知らなかった人の心に火をつけた。

事実70年代のヒデキは、今の若手タレントが束になってもかなわない足の長いスタイル、カッコ良さを持っていた。ジーンズにTシャツだって、ぴらぴらフリルのド・ピンクの衣装だって板についていた。そしてあのハスキーボイスと歌のうまさだ、目にした若者が飛びつかないわけがない!

NHKはヤングの歌番組を持っていたが、自社で編集してレコード会社を介して売っているので、一般放送には出さない。他局もヒデキの経歴を語るものの、肝心の歌う画像は出し惜しんでいる。ヒデキファンの不満は募るばかりで、連日YOUTUBEのサーフィンに明け暮れている。

ここへきて、やっとTBSが76年のヒデキの90分のワンマンショーの映像を出したが、なんとCS局、有料番組だ。ヒデキのためにCS契約をした人も多いだろうが、大方は誰か親切な人がYOUTUBEに録画をアップしてくれるのを待ち望んでいた。はたして、番組終了後4時間ほどで番組丸ごとアップされた。私も登録チャンネルからアップの連絡が入るのを待ちながら、スマホを握りしめて寝ていた一人だ。未明に飛び起きて観た。

急ぐのには訳がある。番組の丸ごとアップは著作権に触れるとかで、すぐに削除されてしまうからだ。ファンの中にも、みんながYOUTUBEで見て販売品を買わねければ、遺族が損害を被ると考え人もいて、アップー消すーアップー消す、の攻防が続いている。

私の意見としては、今、ヒデキに多くの若者から関心が集まっているときは画像を大放出して、ファンの底辺を広げた方が良いと思っている。お金は後からついてくると思う。今やらなければ、半年後に関心が薄れてからでは間に合わないと思うのだが、考え方はいろいろで、今日また市販の映像作品を丸ごとアップしていた人のアカウントが消されている。

若いファンは貪欲だから、YOUTUBEで知った人が改めてCDやDVDを買っているし、YOUTUBEは売り上げに貢献していると思うのだけどね。

西城秀樹は歌のうまさは定評があるけれど、じっくり歌を聴くというよりか、奇抜な衣装、派手な譜付けなど見て楽しむ歌手なので、ビデオが発達してYOUTUBEがこんなに盛んな時でよかった、自分は幸せ者だと思いながら映像を見続け、Hideki Lossを癒している。(一日中モニターの前から動けないという弊害は確かにある。)

 

 

 

 

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ごぼうを掘りました

2018年07月23日 | 菜園日記

 

30度以上の高温がもう十日も続いています。夕方5時前に畑に出て、「もう5時半になりました」の有線放送まで草刈りをしていますが、好天気に伸びきった草は刈っても刈っても追っ付きません。反対に野菜の方は暑さで息も絶え絶えです。

今日はごぼうを掘りました。サラダ牛蒡だから、もっと早いうちに掘らなければいけなかったのに、暑さで遅れました。太くなった牛蒡を1本掘るのに15分もかかりました。

農家では大きな鉄製のキリのようなものを牛蒡のそばに差し込み、グラグラ揺すって土をくずして収穫します。前に貸してあげますと言われましたが、遅い時間に借りに行くのも気が引けて、シャベルで掘りました。10本もあるから毎日1本ずつ気長に収穫しましょう。

白瓜のように大きくなりすぎたキュウリや毎日たくさん獲れるナスは、浅漬けにしてマレットゴルフの休憩時間にみんなで食べています。一人じゃ食べきれないからね。

 

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