チリチリリン

風にゆれる風鈴のように
こころ休まる音を届けたい

ロックミュージックとヒデキ

2018年07月30日 | 西城秀樹

 

またまた西城秀樹です。

生まれた時から周囲にロックが溢れ、好きなように聞いたり歌ったりできる今の若者には「お茶の間にロックニュージックを届けたのは西城秀樹だ」という認識が無いし、ロックとヒデキ?何の関係?とさえ思っている。

日本にも古くからロックミュージシャンはいたが、彼らは大衆から離れ、どこか遠くでロックをやっていて、それがカッコイイと思っていたようだ。その態度にメディアは彼らを不良、彼らのロックは不良の音楽と決めつけ、一般大衆のテレビから締め出してしまった。その時代に西城秀樹は登場した。

彼自身は幼少から洋楽に親しみロックが好きだったが、ロックではテレビに出るようなメジャーな歌手にはなれないから、歌謡POPのアイドルとしてデビューした。テレビでは歌えないロックを自分の野外ライブなどで歌い続けた。

彼が一躍人気スターになって、メインの歌番組では歌えないロックをヤングの番組や「8時だよ全員集合」などのバラエティで歌えるようになり、カッコイイヒデキが歌うカッコイイロックがだんだんと子供たちにも浸透してきた。(この子供達が後のロックミュージシャンになる。)

それでも本当に歌番組にロックが出られるようになったのは、ヒデキがヘビメタロックをカバーした「ナイトゲーム」がテレビ歌謡祭のグランプリ候補になってからで、デビューから10年が経っていた。西城秀樹がテレビ歌謡界にロックを認めさせた。

 

そしてライブを、聴くだけではない一大エンターテイメントにしたのも西城秀樹だ。宙吊りや花火やレザー光線など派手な演出で観客が一緒に楽しめるショーに仕立て上げたのだ。

西城秀樹がいなかったら、XJAPAN やLUNASEAもテレビに出ることはなくどこか地下のライブハウスで細々歌っていたかもしれないし、B’zやサザンはギターをボロロンと弾きながら地味〜にライブをやっていたかもしれない。いや、そもそも彼らは現れなかったかもしれない。

 

西城秀樹と日本のロックは切っても切れない関係にある、それを今の若者にわかってほしいと思うが、彼らにはロックがダメだった時代があったなんて想像もできないのだ。人は死ねば人々の記憶からだんだん遠くなってしまうが、少なくともロックをやる人間は、西城秀樹という一人の青年が日本のロック界に果たした役割を忘れないでほしいし、後の世に伝えていってほしいと願っている。西城秀樹のファンだから。

 


コメントを投稿