竹取翁と万葉集のお勉強

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和歌の世界、キリギリスはコオロギか、

2024年01月20日 | 万葉集 雑記
和歌の世界、キリギリスはコオロギか、

 従来、和歌の世界では、キリギリスは朝から夕方まで鳴き、コオロギは夜に鳴くという虫の習性から和歌に詠われる「キリギリス」とは現代で言う「コオロギ」であると解釈します。その根拠に江戸時代前期の歌人北村季吟が編んだ俳文集『山の井』に「つゞりさせとなくこほろぎの音にわび」と書かれており、また、明治時代以降の昆虫学発展から命名されたツヅレサセコオロギというコオロギの種類があることをその証拠として示し主張するようです。ただ、江戸期や明治期以降を根拠に平安時代の和歌の世界を語る、実に奇妙な話ではあります。それで平安時代までに和歌の世界を遡ると、どうも、和歌に詠われる「キリギリス」とは現代で言う「コオロギ」であるとは言い切ることが難しいようなので、現代では昭和時代までの定説を維持する形で、「キリギリス」を「コオロギ」という呼び名への変化は鎌倉時代から室町時代にかけて起きたと推定するようです。
 ちなみに万葉集の世界では歌では「蟋蟀」の表記で記載してあり、これを「こほろき」と読みます。ただ、飛鳥から奈良時代の漢語の「蟋蟀」は当時の漢字辞典でさる『説文解字』で「蟋蟀也、從虫悉聲」と解説するように、虫全体を示す言葉です。現代で言う昆虫の「コオロギ」を特定して示すものではありません。ちなみに平安時代の『和名類聚鈔』では漢語の「蜻蛚」を「文字集略云蜻蛚、和名古保呂木(こほろき)」と読ませています。また、昆虫の「コオロギ」に当たる「蜻蛚」は『説文解字』では「蜻蛚也。従虫靑聲」とし、この「靑」は「音鶄」と説明して「クワァクワァ」と鳴く鳥のゴイサギの鳴き声に似たものと説明します。その『和名類聚鈔』では「兼名苑云蟋蟀、和名木里木里須(きりきりす)」と解説します。ちなみに『兼名苑』は中国の類語辞典と思われますが、現在、中国にも日本にも伝存していなくて不明なものですし、『文字集略』は同じく中国の字書ですが、紹介したように『説文解字』、『中国字書』と『兼名苑』とでは違う内容のものを示しています。さらに矛盾するのですが『和名類聚鈔』では『兼名苑』解説の「螽蟴」と言う虫を紹介していて、漢語かするとこれが現代の昆虫の「キリギリス」です。結局、『和名類聚鈔』を編んだ源順は昆虫そのものを観察しての名前の認定ではなく、あくまでも中国の書物に出て来る単語の解説をしたと思われます。それで、相互に語源や語の解説を確認すると一致しないのでしょう。結果、『和名類聚鈔』からの虫の名前の判定は参考にしかならないようです。
 補足参考として、昭和時代までの通説として、昆虫のキリギリスは朝から夕方まで鳴き、昆虫のコオロギは夜に鳴く。ここで、和歌でキリギリスを歌う世界観は夜であるから、そのキリギリスとは夜に鳴く昆虫のコオロギを示すとします。しかしながら、昆虫学からするとキリギリスは夜行性昆虫で夜に鳴かないと決めて掛かれないと言う弱点があり、昆虫としての解説では朝から夜まで鳴くとします。他方、コオロギは夜行性昆虫でもっぱら夕方から夜に鳴く習性があると説明します。つまり、昆虫学から見た場合、和歌で歌われる情景が夜だからとして、和歌に詠われるキリギリスが現代で言う昆虫のコオロギだとは、直ちには決められないのです。まず、歌人がその鳴き声をどのように聞いたかを確認して、虫の種別を確認しなければいけないのです。
 ここで余り有名な歌集ではありませんが、平安時代初頭の奈良の帝(平城天皇)の和歌を集めた歌集『奈良帝御集』があり、そこではキリギリスを詠う歌があります。

奈良帝御集
和歌 きりぎりす つづりさせとぞ 鳴めれど むらぎぬもたる われはききおはず
解釈 キリギリスが「ほころびを繕い縫え」と鳴くけれど、私は一むら(疋)の衣を持っているので、私に、その鳴き声はふさわしくない。

 この「きりぎりす つづりさせとぞ」の歌の発想の背景は、当時の人々が聞いたキリギリスは鳴き声が「ギース・チョン」で、ここから機織りの動作を感じ、キリギリスのことを「機織り虫」や「機織り女(め)」と別称します。現代でもキリギリスをその鳴き声から東日本の地域では「ギッチョ」や「ギリッチョ」など鳴き声からの名前で呼ぶそうです。つまり、その「機織り虫」からの連想で「布を綴り刺せ」です。古語や和歌の世界では「機織り虫」とはキリギリスであってコオロギではないのです。
 この発想と同じくする歌が、ほんのちょっと時代が下った平安時代初期の和歌集ですが、寛平御時皇后宮歌合と言うものがあり、そこで「キリギリス」が詠われています。そしてこの歌は古今和歌集の歌番号1020としても載せられています。和歌としてはこちらの方が有名な部類となります。同じ寛平御時皇后宮歌合では「機織り女」の名前でキリギリスを詠います。

寛平御時皇后宮歌合 秋九番 左  在原棟梁
歌番94
原歌 あきかせに ほころひぬらむ ふちはかま つつりさせてふ きりきりすなく
和歌 秋風に ほころびぬらむ 藤袴 つづりさせてふ きりぎりす鳴く
解釈 秋風に花が開いてきたようだ、藤袴よ、その藤袴の言葉の響きではありませんが、袴の裾が綻びているから、綴り刺せと、キリギリスが鳴いています。

秋十二番 左
歌番100
原歌 かりかねは かせをさむみや はたおりめ くたまくおとの きりきりとする
和歌 雁がねは 風を寒みや 機織り女 管まく音の きりきりとする
解釈 雁がねの姿は風を寒いと思うのか、機織り女の異名を持つキリギリスが機織りの管巻に糸を巻く音のようにキリキリと鳴いている。

 また、「機織り虫」の名前で和歌を詠ったものに同時代の紀貫之集にあります。

紀貫之集
和歌 秋くれば はたおるむしの あるなへに 唐錦にも みゆる野辺かな
解釈 秋がくれば機織る虫(キリギリス)がいるためか、唐錦を織ったようにも見える美しい野原の景色です。

 このように紹介しましたが、虫の鳴き声から考えますと、奈良時代後半から平安時代初頭のキリギリスは現在と同じ昆虫のキリギリスです。まず、鳴き声からするとキリギリスはコオロギだったとの名前交代説は成り立ちません。結局、当時の和歌を鑑賞すると「蟋蟀也、從虫悉聲」と虫全般を示し、また、「文字集略云蜻蛚、和名古保呂木(こほろき)」の解説が正しいとなります。
 近畿地方で虫の鳴き声からすると、「ギース・チョン」と鳴くキリギリスは他の虫と特徴的に独自の種として切り出しが容易だったようで、それ以外の鳴く虫の区分では大まかに「虫」である蟋蟀(こほろき)だったようです。その後、漢語知識の増加から鳴く虫は蟋蟀から「チン・チロリン」と特徴的に鳴く松虫や「リ…ンリ…ンと」と鳴く鈴虫が切り出され、残ったものの区分が「虫」であり「こほろき」だったようです。なお、昆虫学では松虫も鈴虫もコオロギ類に分類され、キリギリス類に分類されるキリギリスとは別区分です。和歌の歴史からも、最初に鳴く虫の中からキリギリスが分離され、次に松虫、その後に鈴虫が分離されたのは、歌人たちの自然観察力の成果なのでしょう。
 ただ、近畿地方で鳴く虫のコオロギ類は、多数、いますので、特定の虫をコオロギと名を付けるのではなく、区分して切り出した虫以外の鳴く虫すべてを和歌の世界では「虫」と呼んだようです。同じコオロギの名を持ちますが畿内の野原で「コロコロリリリー」と鳴くエンマコオロギ、「チッ・チッ」と短く鳴くクマコオロギ、「リリリリリリ」と短く鳴くツヅレサセコオロギ、「チャッ・チャッ」または「ピッピッ」と断続に鳴くタンボコオロギ、「キ・キ・キ・キ」と鳴くミツカドコオロギ、「リ・リ・リ・リ」と弱く鳴くハラオカメコオロギなどの姿や色が似るものたちを個々にそれぞれのコオロギの種類として区別出来たかです。それが出来なければ「虫」、「秋の虫」の括りです。多分、平安時代初期の歌人たちは、しっかりと秋に鳴く虫たちを観察していたのでしょう。それで、外見と鳴き声で大きくは四種類に分けて認識していたと思いますし、逆に姿や色が似るコオロギ類を分類することは無理と判断したと思います。
 さて、それでは飛鳥・奈良時代に「虫」を意味する漢語の蟋蟀に古保呂木(こほろき)の読みを当てたことを考えると、古代語の「こほろき」は「こ+ほろ+き」の可能性があります。「こ」は「小さい、僅か、ちょっとしたもの」の意味合いで、「ほろ」は「ばらばら、ちりぢり」の状況を示し、「き」は「けはい、そんざい」を示す言葉かもしれません。つまり、野原に小さいものがばらばらに気配を持って確かに存在するもの、それが「虫」なのでしょう。古代、天皇を「すめらき」と呼び、これは「すめら+き」と考えられています。「すめら」は「澄んだもの、清いもの」の意味合いで、「き」は「けはい、そんざい」を示す言葉ですと、天皇とは神道における特別に清浄な存在を意味し、それで常に穢れをを忌諱し、禊が必要な直でしょう。このように推定しますと、古代語の「こほろき」が「野原に小さいものがばらばらに気配を持って確かに存在するもの」の意味合いなら実に納得ではないでしょう。
 おまけですが、万葉集の時代には昆虫を示すもので蟋蟀、虫、夏虫の区別があり、蟋蟀は鳴く虫全般、虫は足を持つ爬虫類を含めての虫全般、夏虫は蛾や蝶を意味していたようです。ただ、平安時代には先に示したように鳴く虫を意味する場合と、前後の文章で様子を示して特定させる木に穴を開けて巣を作る虫、海のフナ虫などを意味する場合などが現れます。これも作歌作業での自然観察のち密さなのでしょう。
 このように見て来ますと、江戸時代初期の歌人北村季吟の詠う俳句「つゞりさせとなくこほろぎの音にわび」は、古語の「つゞり」は綴り縫うであり、歌で扱う場合は「機織り虫」であるべきことを理解出来ていなかったことで、作歌での大きな誤解が生んだ作品なのでしょう。北村季吟が奈良帝や在原棟梁の和歌と機織虫の言葉に気付いていたら、キリギリスの方を採用したと思います。すると、和歌に詠われる「キリギリス」とは現代で言う「コオロギ」であると解釈の根拠に北村季吟の詠う俳句を採用することが困難になりますから、さて、何を根拠にしましょうか。先に紹介しましたように矛盾の解説となっている『和名類聚鈔』を根拠には出来ません。
行きつ戻りつ、結局、奈良時代に鳴く虫の分類自体が無い時代、鳴く虫全般は「こほろき」と呼ばれています。しかしながらだからと言って、それはコオロギ類を特定して意味しません。平安時代初頭までには鳴く虫全般の「こほろき」からキリギリスが最初に区分され、次に松虫、さらに鈴虫が虫の中から特別に区分されて行きます。鳴く虫全般は「こほろき」がコオロギ類を特定して意味しだすのは、自然観察をしっかりして歌を詠う伝統が廃れた平安末期から鎌倉時代なのでしょう。
 古今和歌集の歌の表記は、本来、一字一音の借音漢字で表記しますが、鎌倉時代初頭に藤原定家たちが伝承されてきた歌本の写本を行う時、その定家たちは自分たちの解釈で一字一音の借音漢字で表記されていた歌本を漢字交じりひらがなの表記に変更をしています。この表記が変更になったことに注目して確認していますと次のようなものがあります。

古今和歌集 歌番号 196
資料1.古今和歌集復元推定
詞書 比止乃毛止尓末可礼利个留与幾利/\寸乃奈幾个留遠幾々天与女留
読下 人のもとにまかれりける夜きり/\すのなきけるをきゝてよめる
原文 幾利/\寸 以多久奈々幾曽 安幾乃与乃 奈可幾於毛日八 和礼曽万佐礼留
和歌 きり/\す いたくなゝきそ あきのよの なかきおもひは われそまされる

 これに対して、「古今和歌集 全訳注 久曾神昇 講談社学術文庫」や「古今和歌集 窪田章一郎 校注 角川ソフィア文庫」で示す藤原定家筆伊達本の歌は、次の資料2のものになっています。

資料2.藤原定家筆伊達本
和歌 蟋蟀 いたくななきそ 秋の夜の 長き思ひは 我ぞまされる

 推定で、蟋蟀(こほろき)を蟋蟀(キリギリス)に変え、それを後の人が漢字表記から蟋蟀(コオロギ)と読んだ事件の発端の容疑者は藤原定家と思われます。そして、この藤原定家の写本した古今和歌集がその後の和歌のバイブルとなりますから、彼が事件を作ったのでしょう。
 付帯して、「古今和歌集 新日本古典文学大系 岩波書店」は為定系の「詁訓和歌集」を底本にしていて、そこでのものは次の資料3の通りです。蟋蟀の漢語表記を用いていませんし「キリギリス」です。つまり、定家筆伊達本の歌に特徴的に事件の原因があったと思われるのです。古今和歌集の歌も、詠った時の調べの感覚が悪ければ、手を入れてもいいと思っていた藤原定家の写本が完全に正しいと思っていると、学問的には、ちょっと、ひどい目に遭います。それが平成後期以降の古今和歌集の高野切本復元研究からの指摘です。

資料3.詁訓和歌集
和歌 きり/\す いたくな鳴きそ 秋の夜の ながきおもひは 我ぞまされる

 参考資料として、以下に秋の虫を詠った和歌を紹介します。このように古今和歌集、後撰和歌集、拾遺和歌集、万葉集のほぼすべての「虫」に関わる歌を眺めますと、従来の解説が都合の良い一部の歌の切り取りを根拠にしているとか、その情報操作の様子が見えて来る場合があります。まぁ、外部の素人が業界の事情を斟酌しないで今回のような酔論を垂れ流すと、迷惑でしょうがご勘弁下さい。

古今和歌集
歌番号 196 キリギリス
和歌 きりぎりすいたくな鳴きそ秋の夜の長き思ひは我ぞまされる
歌番号 198
和歌 秋萩も色づきぬればきりぎりす我が寝ぬごとや夜は悲しき
歌番号 244
和歌 我のみやあはれと思はむきりぎりす鳴く夕影の大和撫子
歌番号 385 宴会
和歌 もろともに鳴きて留めよきりぎりす秋の別れは惜しくやはあらぬ
歌番号 432
和歌 秋は来ぬ今や籬のきりぎりす夜な夜な鳴かむ風の寒さに
歌番号 1020
和歌 秋風にほころびぬらし藤袴つづりさせてふきりぎりす鳴く

歌番号 200 松虫
和歌 君忍ぶ草にやつるる古里は松虫の音ぞ悲しかりける
歌番号201
和歌 秋の野に道もまどひぬ松虫の声する方に宿やからまし
歌番号 202
和歌 秋の野に人松虫の声すなり我かと行きていざ訪はむ
歌番号 203
和歌 みぢ葉の散りて積もれる我が宿に誰れを松虫ここら鳴くらん

歌番号 186 虫
和歌 我がために来る秋にしもあらなくに虫の音聞けばまづぞ悲しき
歌番号 197
和歌 秋の夜の明くるも知らず鳴く虫は我がごと物や悲しかるらむ
歌番号 199
和歌 秋の夜は露こそことに寒からし草むらごとに虫の侘ぶれば
歌番号 451
和歌 命とて露を頼むにかたければ物侘びしらに鳴く野辺の虫
歌番号 581
和歌 虫のごと声に立てては鳴かねども涙のみこそ下に流るれ
歌番号 853
和歌 君が植ゑし一群すすき虫の音のしげき野辺ともなりにけるかな

歌番号 544 夏虫
和歌 夏虫の身をいたづらになすことも一つ思ひによりてなりけり
歌番号 561
和歌 宵の間もはかなく見ゆる夏虫にまどひまされる恋もするかな
歌番号 600
和歌 夏虫を何か言ひけむ心から我も思ひに燃えぬべらなり


後撰和歌集
歌番号257 キリギリス
和歌 秋風の吹きくるよひはきりぎりす草のねことにこゑみたれけり
歌番号258
和歌 わかことく物やかなしききりきりす草のやとりにこゑたえすなく

歌番号251 松虫
和歌 松虫のはつこゑさそふ秋風はおとは山よりふきそめにけり
歌番号255
和歌 ひくらしのこゑきくからに松虫の名にのみ人を思ふころかな
歌番号259
和歌 こむといひしほとやすきぬる秋ののに誰松虫そこゑのかなしき
歌番号260
和歌 秋ののにきやとる人もおもほえすたれを松虫ここらなくらん
歌番号261
和歌 あき風のややふきしけはのをさむみわひしき声に松虫そ鳴く
歌番号339
和歌 をみなへし草むらことにむれたつは誰松虫の声に迷ふそ
歌番号346
和歌 をみなへし色にもあるかな松虫をもとにやとして誰をまつらん

歌番号1287 鈴虫
和歌 鈴虫におとらぬねこそなかれけれ昔の秋を思ひやりつつ

歌番号262 虫
和歌 秋くれは野もせに虫のおりみたるこゑのあやをはたれかきるらん
歌番号263
和歌 風さむみなく秋虫の涙こそくさは色とるつゆとおくらめ

歌番号194 夏虫
和歌 やへむくらしけきやとには夏虫の声より外に問ふ人もなし
歌番号209
和歌 つつめともかくれぬ物は夏虫の身よりあまれる思ひなりけり
歌番号213
和歌 夏虫の身をたきすてて玉しあらは我とまねはむ人めもる身そ
歌番号968
和歌 夏虫のしるしる迷ふおもひをはこりぬかなしとたれかみさらん


拾遺和歌集
歌番号 180 キリギリス
和歌 秋くれははたおる虫のあるなへに唐錦にも見ゆるのへかな

歌番号 181 松虫
和歌 契りけん程や過きぬる秋ののに人松虫の声のたえせぬ
歌番号 205
和歌 とふ人も今はあらしの山かせに人松虫のこゑそかなしき
歌番号 295
和歌 ちとせとそ草むらことにきこゆなるこや松虫のこゑにはあるらん

歌番号 179 鈴虫
和歌 いつこにも草の枕を鈴虫はここをたひとも思はさらなん

歌番号 178 虫
和歌 おほつかないつこなるらん虫の音をたつねは草の露やみたれん
歌番号 366
和歌 秋の野に花てふ花を折りつれはわひしらにこそ虫もなきけれ
歌番号 751
和歌 風さむみ声よわり行く虫よりもいはて物思ふ我そまされる
歌番号 986 
和歌 きみを猶怨みつるかな海人の刈る藻にすむ虫の名を忘れつつ
歌番号 987 
和歌 海人の刈る藻にすむ虫の名は聞けとたた我からのつらきなりけり
歌番号 1109 
和歌 虫ならぬ人もおとせぬわかやとに秋の野辺とて君はきにけり
歌番号 1237 
和歌 むもれ木は中虫はむといふめれは久米路の橋は心してゆけ


万葉集
歌番号1552 蟋蟀
和歌 夕月夜心もしのに白露の置くこの庭に蟋蟀(こほろぎ)鳴くも
歌番号2158
和歌 秋風の寒く吹くなへ吾がやどの浅茅がもとに蟋蟀(こほろぎ)鳴くも
歌番号2159
和歌 かげくさの生ひたるやどの夕影に鳴く蟋蟀(こほろぎ)は聞けど飽かぬかも
歌番号2160
和歌 庭草に村雨降りて蟋蟀(こほろぎ)の鳴く声聞けば秋づきにけり
歌番号2264
和歌 蟋蟀(こほろぎ)の待ち喜ぶる秋の夜を寝るしるしなし枕と吾は
歌番号2271
和歌 草深み蟋蟀(こほろぎ)さはに鳴くやどの萩見に君はいつか来まさむ
歌番号2310
和歌 蟋蟀(こほろぎ)の吾が床のへに鳴きつつもとな置きいつつ君に恋ふるにいねかてなくに

集歌348 虫
和歌 この世にし楽しくあらば来む世には虫に鳥にも吾はなりなむ

集歌1807 夏虫
詠勝鹿真間娘子謌一首より(夏蟲乃 入火之如)
和歌 夏虫の 火に入るがごと
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