風速の浦に舶泊し夜に作れる歌二首
可能性として神亀元年九月中旬 大使は従五位上土師宿禰豊麻呂
集歌3615や集歌3616の歌で詠うように風速の浦に海霧が流れています。備後國の水調郡の長井の浦や風速浦は今でも海霧で有名だそうで、長井の浦では、現在の地名では広島県三原市ですが、晩秋に発生する海霧の写真コンテストが毎年開催されています。風速の浦を晩秋に通過する可能性のある遣新羅使の一行は神亀元年の土師宿禰豊麻呂を遣新羅大使とする一行です。
なお、同じ海霧を詠いますが集歌3580の歌の海霧は比喩で、ここでのは写実と考えています。女が詠う集歌3580の歌の海霧に対し、集歌3581の歌で海霧が立つ前に帰って来るとしていますので、集歌3615の歌との関連を見ることは必要ないと思います。
風速浦舶泊之夜作歌二首
標訓 風速の浦に舶(ふな)泊(はて)し夜に作れる歌二首
集歌3615 和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利
訓読 吾(あ)がゆゑに妹嘆くらし風早(かざはや)の浦の沖(おき)辺(へ)に霧たなびけり
私訳 私のために貴女は逢えない悲しみに嘆くらしい、風早の浦の沖合に霧が立ち込め流れて逝く。
集歌3616 於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎
訓読 沖つ風いたく吹きせば吾妹子が嘆きの霧に飽かましものを
私訳 沖に吹く風がもし強く吹くと、私の愛しい貴女の嘆きの霧に飽きるほどしっとり包まれてしまいたい。
安藝國の長門の嶋に舶泊して礒邊に作れる歌五首
可能性として天平四年七月上旬 大使は従五位下角朝臣家主
ヒグラシの蝉の鳴き声を集歌3617と集歌3620の歌は詠います。また、集歌3619の歌では「またも相見む秋かたまけて」と詠います。新羅使を送って行く天平四年の遣新羅使は九月頃に帰京することになっていますから、これら全ての歌の世界にピッタリです。
安藝國長門嶋舶泊礒邊作歌五首
標訓 安藝國の長門の嶋に舶(ふな)泊(はて)して礒邊(いそへ)に作れる歌五首
集歌3617 伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由
訓読 石(いは)走る瀧(たき)もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば京し思ほゆ
私訳 巌を流れ落ちる瀧の音がとどくのに、それを越えるように鳴く蝉の声を聞くと奈良の京が思い出されます。
右一首、大石蓑麿
左注 右の一首は、大石蓑麿
集歌3618 夜麻河伯能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母
訓読 山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
私訳 山からの川の清い川瀬に風流を楽しんでも奈良の京が忘れられません。
集歌3619 伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖
訓読 石(いそ)の間(ま)ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋片巻けて
私訳 石の間に激しく流れる山からの川の水が絶えないのなら、また再び見ましょう。秋が中盤になるころ。
集歌3620 故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母
訓読 恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島(しま)蔭(かげ)に廬(いほ)りするかも
私訳 貴女を想う恋心が激しいのを慰めることが出来ず、ひぐらしの鳴く島蔭に宿りするでしょう。
集歌3621 和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流
訓読 吾(あ)が命を長門の島の小松原(こまつはら)幾代(いくよ)を経てか神さびわたる
私訳 わが命を長くと思う。長門の島の小松原は、どれほどの年月でこれほど神々しくなったのか。
長門の浦より舶出し夜に月の光を仰ぎ觀て作れる歌三首
可能性として天平四年七月上旬 大使は従五位下角朝臣家主
集歌3623の歌の月は夕方から夜半前に西の空から沈みます。月齢は五日ぐらいでしょうか。奈良の京からここまでで十日の行程としますと、遣新羅使一行は前月の二十五日頃に出発したことが推定出来ます。すると、一番可能性があるのが、天平四年六月二十六日に奈良の京を出発した角朝臣家主を遣新羅大使とする一行です。ただ、七夕の日ではなかったようです。
従長門浦舶出之夜仰觀月光作歌三首
標訓 長門の浦より舶出し夜に月の光を仰ぎ觀て作れる歌三首
集歌3622 月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良末許具可聞
訓読 月読(つくよ)みの光りを清み夕なぎに水手(かこ)の声呼び浦廻(うらま)漕ぐかも
私訳 月の光が清らかなので、夕方の凪の中を水手の声を合わせて湊の付近を漕ぐらしい。
集歌3623 山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布
訓読 山の端(は)に月傾けば漁りする海人(あま)の燈火(ともしび)沖になづさふ
私訳 山の端に月が傾くと漁をする海人の灯火が沖の波間に見え隠れする。
集歌3624 和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里
訓読 吾(あ)れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖(おき)辺(へ)の方に楫の音すなり
私訳 我々だけが夜に船を漕ぐと思っていると、沖合に船を漕ぐ楫の音がした。
可能性として神亀元年九月中旬 大使は従五位上土師宿禰豊麻呂
集歌3615や集歌3616の歌で詠うように風速の浦に海霧が流れています。備後國の水調郡の長井の浦や風速浦は今でも海霧で有名だそうで、長井の浦では、現在の地名では広島県三原市ですが、晩秋に発生する海霧の写真コンテストが毎年開催されています。風速の浦を晩秋に通過する可能性のある遣新羅使の一行は神亀元年の土師宿禰豊麻呂を遣新羅大使とする一行です。
なお、同じ海霧を詠いますが集歌3580の歌の海霧は比喩で、ここでのは写実と考えています。女が詠う集歌3580の歌の海霧に対し、集歌3581の歌で海霧が立つ前に帰って来るとしていますので、集歌3615の歌との関連を見ることは必要ないと思います。
風速浦舶泊之夜作歌二首
標訓 風速の浦に舶(ふな)泊(はて)し夜に作れる歌二首
集歌3615 和我由恵仁 妹奈氣久良之 風早能 宇良能於伎敝尓 奇里多奈妣家利
訓読 吾(あ)がゆゑに妹嘆くらし風早(かざはや)の浦の沖(おき)辺(へ)に霧たなびけり
私訳 私のために貴女は逢えない悲しみに嘆くらしい、風早の浦の沖合に霧が立ち込め流れて逝く。
集歌3616 於伎都加是 伊多久布伎勢波 和伎毛故我 奈氣伎能奇里尓 安可麻之母能乎
訓読 沖つ風いたく吹きせば吾妹子が嘆きの霧に飽かましものを
私訳 沖に吹く風がもし強く吹くと、私の愛しい貴女の嘆きの霧に飽きるほどしっとり包まれてしまいたい。
安藝國の長門の嶋に舶泊して礒邊に作れる歌五首
可能性として天平四年七月上旬 大使は従五位下角朝臣家主
ヒグラシの蝉の鳴き声を集歌3617と集歌3620の歌は詠います。また、集歌3619の歌では「またも相見む秋かたまけて」と詠います。新羅使を送って行く天平四年の遣新羅使は九月頃に帰京することになっていますから、これら全ての歌の世界にピッタリです。
安藝國長門嶋舶泊礒邊作歌五首
標訓 安藝國の長門の嶋に舶(ふな)泊(はて)して礒邊(いそへ)に作れる歌五首
集歌3617 伊波婆之流 多伎毛登杼呂尓 鳴蝉乃 許恵乎之伎氣婆 京師之於毛保由
訓読 石(いは)走る瀧(たき)もとどろに鳴く蝉の声をし聞けば京し思ほゆ
私訳 巌を流れ落ちる瀧の音がとどくのに、それを越えるように鳴く蝉の声を聞くと奈良の京が思い出されます。
右一首、大石蓑麿
左注 右の一首は、大石蓑麿
集歌3618 夜麻河伯能 伎欲吉可波世尓 安蘇倍杼母 奈良能美夜故波 和須礼可祢都母
訓読 山川の清き川瀬に遊べども奈良の都は忘れかねつも
私訳 山からの川の清い川瀬に風流を楽しんでも奈良の京が忘れられません。
集歌3619 伊蘇乃麻由 多藝都山河 多延受安良婆 麻多母安比見牟 秋加多麻氣弖
訓読 石(いそ)の間(ま)ゆたぎつ山川絶えずあらばまたも相見む秋片巻けて
私訳 石の間に激しく流れる山からの川の水が絶えないのなら、また再び見ましょう。秋が中盤になるころ。
集歌3620 故悲思氣美 奈具左米可祢弖 比具良之能 奈久之麻可氣尓 伊保利須流可母
訓読 恋繁み慰めかねてひぐらしの鳴く島(しま)蔭(かげ)に廬(いほ)りするかも
私訳 貴女を想う恋心が激しいのを慰めることが出来ず、ひぐらしの鳴く島蔭に宿りするでしょう。
集歌3621 和我伊能知乎 奈我刀能之麻能 小松原 伊久与乎倍弖加 可武佐備和多流
訓読 吾(あ)が命を長門の島の小松原(こまつはら)幾代(いくよ)を経てか神さびわたる
私訳 わが命を長くと思う。長門の島の小松原は、どれほどの年月でこれほど神々しくなったのか。
長門の浦より舶出し夜に月の光を仰ぎ觀て作れる歌三首
可能性として天平四年七月上旬 大使は従五位下角朝臣家主
集歌3623の歌の月は夕方から夜半前に西の空から沈みます。月齢は五日ぐらいでしょうか。奈良の京からここまでで十日の行程としますと、遣新羅使一行は前月の二十五日頃に出発したことが推定出来ます。すると、一番可能性があるのが、天平四年六月二十六日に奈良の京を出発した角朝臣家主を遣新羅大使とする一行です。ただ、七夕の日ではなかったようです。
従長門浦舶出之夜仰觀月光作歌三首
標訓 長門の浦より舶出し夜に月の光を仰ぎ觀て作れる歌三首
集歌3622 月余美乃 比可里乎伎欲美 由布奈藝尓 加古能己恵欲妣 宇良末許具可聞
訓読 月読(つくよ)みの光りを清み夕なぎに水手(かこ)の声呼び浦廻(うらま)漕ぐかも
私訳 月の光が清らかなので、夕方の凪の中を水手の声を合わせて湊の付近を漕ぐらしい。
集歌3623 山乃波尓 月可多夫氣婆 伊射里須流 安麻能等毛之備 於伎尓奈都佐布
訓読 山の端(は)に月傾けば漁りする海人(あま)の燈火(ともしび)沖になづさふ
私訳 山の端に月が傾くと漁をする海人の灯火が沖の波間に見え隠れする。
集歌3624 和礼乃未夜 欲布祢波許具登 於毛敝礼婆 於伎敝能可多尓 可治能於等須奈里
訓読 吾(あ)れのみや夜船は漕ぐと思へれば沖(おき)辺(へ)の方に楫の音すなり
私訳 我々だけが夜に船を漕ぐと思っていると、沖合に船を漕ぐ楫の音がした。