丹比真人(名闕)擬柿本朝臣人麿之意報歌一首
標訓 丹比真人(名(な)闕(か)けたり)の柿本朝臣人麿の意に擬(なぞら)へて報(こた)へたる歌一首
集歌二二六
原文 荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告
訓読 荒波に寄りくる玉を枕に置きわれこの間(ま)にありと誰か告げなむ
私訳 石見の荒波の中から手にいれた真珠を枕元に置き、私は貴女のすぐそばまで還ってきましたと、誰が貴女に告げるのでしょうか。
或本歌曰
標訓 或る本の歌に曰く
集歌二二七
原文 天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無
訓読 天(あま)離(さ)る夷(ひな)し荒野(あらの)に君を置きに思ひつつあれば生けりともなし
私訳 大和から遠く離れた荒びた田舎に貴方が行ってしまっていると思うと、私は恋しくて、そして、貴方の身が心配で生きている気持ちがしません。
左注 右一首歌作者未詳。但、古本、以此歌載於此次也。
注訓 右の一首の歌の作る者は、いまだ詳(つばび)らかならず。ただ、古き本、この歌をもちてこの次(しだい)に載す。
寧樂宮
標訓 寧樂宮(ならのみや)
和銅四年歳次辛亥、河邊宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作謌二首
標訓 和銅四年歳次辛亥、河邊宮人の姫嶋の松原に嬢子(をとめ)の屍(かばね)を見て悲嘆(かなし)びて作れる謌二首
集歌二二八
原文 妹之名 千代尓将流 姫嶋之 子松之末尓 蘿生萬代尓
訓読 妹し名は千代(ちよ)に流れむ姫島(ひめしま)し小松し末(うれ)に蘿(こけ)生(む)すまでに
私訳 貴女の名は千代に伝わり流れるでしょう。姫島の小松の枝先に苔が生えるほどに。
集歌二二九
原文 難波方 塩干勿有曽祢 沈之 妹之光儀乎 見巻苦流思母
訓読 難波潟(なにはかた)潮干(しほひ)なありそね沈みにし妹し光儀(すがた)を見まく苦しも
私訳 難波潟よ、潮よ引かないでくれ。水に沈んだ貴女の姿を見るのが辛いから。
霊龜元年歳次乙卯秋九月、志貴親王夢時作謌一首并短謌
標訓 霊龜元年歳次乙卯秋九月、志貴(しき)親王(みこ)の夢(みまか)りましし時に作れる謌一首并せて短謌
集歌二三〇
原文 梓弓 手取持而 大夫之 得物矢手狭 立向 高圓山尓 春野焼 野火登見左右 燎火乎 何如問者 玉桙之 道来人乃 泣涙 霂霂尓落者 白妙之 衣泥漬而 立留 吾尓語久 何鴨 本名唁 聞者 泣耳師所哭 語者 心曽痛 天皇之 神之御子之 御駕之 手火之光曽 幾許照而有
訓読 梓弓 手し取り持ちに 大夫(ますらを)し 得物(さつ)矢(や)手狭み 立ち向ふ 高円山(たかまとやま)に 春野焼く 野火と見るさふ 燃ゆる火を 何(い)かと問へば 玉鉾し 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白栲し 衣(ころも)ひづちに 立ち留まり 吾に語らく なにしかも もとな唁(と)ふ 聞きしば 泣(ね)のみしそ哭(な)く 語(かたら)へば 心ぞ痛き 天皇(すめらぎ)し 神し御子し 御駕(いでまし)し 手火(たひ)し光りぞ ここだ照りたる
私訳 梓弓を手に持って立派な男が得物を射る矢を脇に挟み的に立ち向かう、その言葉のひびきではないが、高円山に春の野を焼く火と思えるほどに燃える火を、何事と問うと、立派な鉾を立てる官道を来る人の泣く涙は小雨のように流せば、白栲の衣はぐっしょり濡らして立ち止まり、私に語って云うには、「どうして、訳の判らないことを尋ねる。訳を聞かれれば、声を忍んで泣いてしまう。その訳を語ると心が痛む。天皇の神の御子の御葬送の死で旅での手光の明かりです。こんなにも多くの人が手に火を持って照らしているのです」
標訓 丹比真人(名(な)闕(か)けたり)の柿本朝臣人麿の意に擬(なぞら)へて報(こた)へたる歌一首
集歌二二六
原文 荒浪尓 縁来玉乎 枕尓置 吾此間有跡 誰将告
訓読 荒波に寄りくる玉を枕に置きわれこの間(ま)にありと誰か告げなむ
私訳 石見の荒波の中から手にいれた真珠を枕元に置き、私は貴女のすぐそばまで還ってきましたと、誰が貴女に告げるのでしょうか。
或本歌曰
標訓 或る本の歌に曰く
集歌二二七
原文 天離 夷之荒野尓 君乎置而 念乍有者 生刀毛無
訓読 天(あま)離(さ)る夷(ひな)し荒野(あらの)に君を置きに思ひつつあれば生けりともなし
私訳 大和から遠く離れた荒びた田舎に貴方が行ってしまっていると思うと、私は恋しくて、そして、貴方の身が心配で生きている気持ちがしません。
左注 右一首歌作者未詳。但、古本、以此歌載於此次也。
注訓 右の一首の歌の作る者は、いまだ詳(つばび)らかならず。ただ、古き本、この歌をもちてこの次(しだい)に載す。
寧樂宮
標訓 寧樂宮(ならのみや)
和銅四年歳次辛亥、河邊宮人姫嶋松原見嬢子屍悲嘆作謌二首
標訓 和銅四年歳次辛亥、河邊宮人の姫嶋の松原に嬢子(をとめ)の屍(かばね)を見て悲嘆(かなし)びて作れる謌二首
集歌二二八
原文 妹之名 千代尓将流 姫嶋之 子松之末尓 蘿生萬代尓
訓読 妹し名は千代(ちよ)に流れむ姫島(ひめしま)し小松し末(うれ)に蘿(こけ)生(む)すまでに
私訳 貴女の名は千代に伝わり流れるでしょう。姫島の小松の枝先に苔が生えるほどに。
集歌二二九
原文 難波方 塩干勿有曽祢 沈之 妹之光儀乎 見巻苦流思母
訓読 難波潟(なにはかた)潮干(しほひ)なありそね沈みにし妹し光儀(すがた)を見まく苦しも
私訳 難波潟よ、潮よ引かないでくれ。水に沈んだ貴女の姿を見るのが辛いから。
霊龜元年歳次乙卯秋九月、志貴親王夢時作謌一首并短謌
標訓 霊龜元年歳次乙卯秋九月、志貴(しき)親王(みこ)の夢(みまか)りましし時に作れる謌一首并せて短謌
集歌二三〇
原文 梓弓 手取持而 大夫之 得物矢手狭 立向 高圓山尓 春野焼 野火登見左右 燎火乎 何如問者 玉桙之 道来人乃 泣涙 霂霂尓落者 白妙之 衣泥漬而 立留 吾尓語久 何鴨 本名唁 聞者 泣耳師所哭 語者 心曽痛 天皇之 神之御子之 御駕之 手火之光曽 幾許照而有
訓読 梓弓 手し取り持ちに 大夫(ますらを)し 得物(さつ)矢(や)手狭み 立ち向ふ 高円山(たかまとやま)に 春野焼く 野火と見るさふ 燃ゆる火を 何(い)かと問へば 玉鉾し 道来る人の 泣く涙 こさめに降れば 白栲し 衣(ころも)ひづちに 立ち留まり 吾に語らく なにしかも もとな唁(と)ふ 聞きしば 泣(ね)のみしそ哭(な)く 語(かたら)へば 心ぞ痛き 天皇(すめらぎ)し 神し御子し 御駕(いでまし)し 手火(たひ)し光りぞ ここだ照りたる
私訳 梓弓を手に持って立派な男が得物を射る矢を脇に挟み的に立ち向かう、その言葉のひびきではないが、高円山に春の野を焼く火と思えるほどに燃える火を、何事と問うと、立派な鉾を立てる官道を来る人の泣く涙は小雨のように流せば、白栲の衣はぐっしょり濡らして立ち止まり、私に語って云うには、「どうして、訳の判らないことを尋ねる。訳を聞かれれば、声を忍んで泣いてしまう。その訳を語ると心が痛む。天皇の神の御子の御葬送の死で旅での手光の明かりです。こんなにも多くの人が手に火を持って照らしているのです」