竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二九十 今週のみそひと歌を振り返る その一一〇

2018年10月27日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二九十 今週のみそひと歌を振り返る その一一〇

 巻十二の巻頭二三首は人麻呂歌集に載る歌で、今週では集歌2852の歌から集歌2863の歌までが該当します。掲載した歌全部ではありませんが弊ブログの好みで今週は人麻呂歌集の歌を改めて鑑賞したいと思います。
 再度、鑑賞します歌は弊ブログと一般的なものとでの訓じが違うものを取り上げます。その相違点は歌に付けた「注意」に示す通りですが、もう少し、与太話をしてみようと思います。

集歌2853 真珠眼 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真珠(またま)まな遠(をち)をし兼ねし思へこそ一重(ひとへ)し衣(ころも)一人着て寝(ぬ)れ
私訳 美しい珠のような目で遠くを見るように、心を凝らして貴方を想い、一枚の衣を独りで掛けて夜を寝ます。
注意 原文の「真珠眼」の「眼」は、一般に「服」の誤字として「真珠つく」と訓みますが、ここでは原文のままに訓んでいます。

集歌2857 菅根之 惻隠ゞゞ 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 菅(すが)し根し惻(いた)み隠(こも)るる照れる日し乾(ひ)めや吾が袖妹し逢はずして
私訳 菅の根が甚くこもる(=たくさんに大地に隠れている)。その言葉のひびきではないが、惻くこもる(=ひどく気持ちがふさぐ)。さて、照る太陽の日で乾くでしょうか。涙に濡れた私の袖は。貴女に逢わないでいて。
注意 二句目「惻隠ゞゞ」は一般に伝統訓として「ねもころごろに」と訓じますが、弊ブログは原歌表記のままに訓じます。なお、伊藤博氏も解説するように漢語の「惻隠」と大和言葉「ねもころごろ」は意味合いが違いますので、時に上二句を枕詞と扱い、意訳を省略します。

集歌2863 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀
訓読 浅葉野(あさはの)し立ち神(かむ)さぶる菅し根し惻(いた)隠(こ)も誰(た)がゆゑ吾(あ)が恋ひざらむ
私訳 浅葉野に立ち古びてしまった菅の根が甚くこもる(=酷く隠れて見えない)、その言葉のひびきではないが、惻くこもる(=ひどく心が沈む)。誰のせいでしょうか、私は貴女との恋の行為が出来ません。
注意 原歌四句目「惻隠誰故」は一般に伝統訓として「ねもころたがゆえ」と訓じます。ただし、前後の句の語感と大和言葉「ねんごろ」の語感とは一致しませんので、時に「根も頃」のような根の長さの形容のような解説をします。

 万葉集では「服」という漢字は全部で四五か所に使われていて「つく」と訓じる例は集歌2853の歌の初句「真珠眼」を「真珠服」に校訂したものだけです。一般には「ころも」「き(る)」「ふく」などと訓じます。「眼」を誤記説から「服」に校訂し、さらに「つく」と訓じるのは異例ですし、弊ブログではその訓じ根拠を見つけられていません。伊藤博氏は「萬葉集 釋注」で伝統の訓字と意訳について少しふれ違和感を示していますが深追いはしていません。一方、中西進氏は初句から二句目を「ま珠つく緒」と解釈し、珠を貫き繋ぐ紐として「服」と云う漢字を解釈しています。両氏とも伝統を守る立場からの発展解釈です。

万葉集 全訳注原文付
集歌2853 真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真珠つく遠(をち)をしかねて思へこそ一重衣を一人着て寝(ぬ)れ
意訳 真珠をつなぐ長い緒、そうした未来をこそ心に描けば、今は一重の衣を一人着て寝ることだ。

参考に
萬葉集 釋注
集歌2853 真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真玉つくをちをし兼ねて思へこそ一重の衣ひとり着て寝れ
意訳 先々のことを今からよくよく考えてはあなたのことを思っているからこそ、私は、薄い一重の着物を、独りさびしく着てねているのに。

 ついで、集歌2857の歌と集歌2863の歌は弊ブログで何度も取り上げています「惻隠」という漢字表記とその伝統的な訓じ・意訳解釈へのいちゃもんです。伊藤博氏は「萬葉集 釋注」で

第二句「ねもころごろに」にあたられた「惻隠ゞゞ」は。『孟子』(公孫丑上)に「今人乍見儒子将入於井、皆有怵惕惻隠之心」などとある著名な辞句によって知られる文字。11ニ三九三や下のニ八六三にも見られ、「人麻呂歌集」に限って用いられている。哀れみ傷むというのが原義で、ここは、甚だしくよくよくと思われるほどにの意であてられているものと思われる。

と解説しています。
 古語に「懇(ねむこ)ろ」という言葉があり、中世での意は「親身になるさま、親しいさま」とします。語源として「ねむころ」は「ねもころ」であり「ね(根)+も+ころ(凝ろ)」ではあったとします。つまり、意は「互いの心根を絡み合うさま」から「気心の知れた親しい仲、親密な仲」と説明します。
当然、大陸で「惻隠」の意味を他人の児が井戸に落ちて溺れそうになった時、それを助けようと思う気持ちと解説するものと、互いの心根が絡み合うさまとは全くに違います。藤原京時代から奈良時代、漢語は大陸の言葉として解釈する時代ですし、一般的な社会流通の言葉ではない柿本人麻呂独特な用字で惻隠=根も凝ろだったでしょうか。伊藤博氏と同様にはなはだ疑問です。
 弊ブログは素人の建設作業員の与太話ですから斯様な素人疑問を提示できますが、伊藤博氏や中西進氏では難しい立場です。鎌倉以来の伝統にいちゃもんを付け、伝統訓じと解釈を卓袱台返しをするわけにもいきません。

参考に
萬葉集 釋注
集歌2857 菅根之 惻隠ゞゞ 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 管の根のねもころごろに照る日にも干めや我が袖妹に逢はずして
意訳 隅々までじりじり照りつける日射しにさえも乾くことなどあるものではない。涙に濡れた私の袖は。あの子に逢えもしないで。

集歌2863 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀
訓読 淺葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰がゆゑ我が恋ひなくに
意訳 淺葉野に古さびて生い立っている菅の根のように、こんなにねんごろに、私は他のどなたがもとで恋い焦がれているわけではありませんのに。

 おまけとして、集歌2863の歌は「惻隠」を「ねんごろ」と訓じるところから語調とすると女歌だとして解釈するのが多数派です。ただし、佐佐木氏はその『評釈』でこの歌の四句五句目には力強いさがあるから男歌と解釈します。確かに原歌表記からしますと非常に男らしい表記となっています。対して、弊ブログは「惻隠」の用字と解釈から男歌とします。
 斯様に、歌の解釈は難しいのですが、素人遊びができる余地もありますし、面白いところです。
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万葉雑記 色眼鏡 二八九 今週のみそひと歌を振り返る その一〇九

2018年10月20日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二八九 今週のみそひと歌を振り返る その一〇九

 巻十一に載る歌は色々な短歌を集め、分類した風情がありますので、週末に改めて鑑賞して記事にすることが難しいところです。ただ、機械的に毎週末にその週の鑑賞を取りまとめていますので、今週もまったくに内容が無いことをご容赦を願います。

 さて、次の歌五首は、宮中の宴会で詠われた即興の問答歌と見ています。万葉集の部立と配置からしますと、集歌2826の歌と集歌2827の歌が二首相聞で問答歌に部立され、集歌2828の歌以下三首が譬喩歌に部立されるものです。その三首の内、最初の二首は二首相聞であり「寄衣喩思」と左注が付けられ、最後の集歌2830の歌は単独で「寄弓喩思」と注記されています。つまり、本来ですと三つのグループでそれぞれに鑑賞すべきものとなります。

集歌2826 如是為乍 有名草目手 玉緒之 絶而別者 為便可無
訓読 かくしつつあり慰(なぐ)めて玉し緒し絶えに別ればすべなかるべし
私訳 このように振る舞って、縒りが戻ることもあろうかとずっと気持ちを慰めて来たが、玉の紐の緒が切れるように二人の仲が切れてしまえば、なんとも遣る瀬無いでしょう。

集歌2827 紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念
訓読 紅(くれなゐ)し花にしあらば衣手(ころもて)に染(そ)めつけ持ちに行くべく思ほゆ
私訳 貴女が紅花の花であったなら、私の下着の袖に染め付けて身に着けていたいと思います。

集歌2828 紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨
訓読 紅(くれなゐ)し濃(こ)染(そめ)の衣(きぬ)を下し着(き)ば人し見らくににほひ出でむかも
私訳 貴女の紅色に濃く染めた衣を下に着たら、人が私の姿をじっと見つめる時に、その下着の色が透けて見えるでしょうか。(=関係が人に気付かれること)

集歌2829 衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有
訓読 衣(ころも)しも多くあらなむ取り替へに着ればや君し面(おも)忘れにあり
私訳 下着と云っても、それをたくさん持っているからでしょうか。後朝の別れに下着を取り換えて着た貴方ですが、その相手の女性の面影(=交換した下着の色;私の好みは濃染の紅ではないことの暗示)を忘れていますよ。

集歌2830 梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意
訓読 梓(あづさ)弓(ゆみ)弓束(ゆつか)巻き易(か)へ中見さし更し引くとも君しまにまに
私訳 梓の弓、その古びた弓束を新しく巻き易え矢ごろの印をつけ、再び、弓を引くように、愛人を替えた後に、再び貴方が私の気を引いたとしても、それは、貴方のお気に召すまま。

 万葉集を流れで鑑賞しますと、これら五首はなにかしら連動する雰囲気がありますが、部立や左注などを大切にしますと、これら五首は二首、二首、一首と区分して鑑賞すべきものとなります。弊ブログは素人の自由な鑑賞で遊んでいますから、世の縛りがありません。そこが与太が与太である由縁です。
 部立区分を示しませんと、集歌2827の歌と集歌2828の歌は、一見、関係性がありそうですが、万葉集の研究的には部立から全くに関係がない、別々のものです。ただ、伊藤博氏もその萬葉集釋注では、歌の内容からしてこれらの歌の配置と選択は偶然なのかと疑問を示されています。詠い様からしますと、直接的には集歌2826の歌と集歌2827の歌との二首相聞問答よりも、集歌2827の歌と集歌2828の歌の方が強い関係を感じさせます。
 なお、ここで示した五首の鑑賞は弊ブログ独特のもので標準的なものとは趣が違います。標準訓じと解釈を「万葉集全訳注原文付 中西進氏」のものを以下に紹介します。

集歌2826 如是為乍 有名草目手 玉緒之 絶而別者 為便可無
訓読 かくしつつあり慰(なぐ)めて玉の緒の絶えに別ればすべなかるべし
意訳 このようにしつつ、心を慰めて別れてしまったなら、せんすべもありません。

集歌2827 紅 花西有者 衣袖尓 染著持而 可行所念
訓読 紅(くれなゐ)の花にしあらば衣手(ころもて)に染(そ)めつけ持ちに行くべく思ほゆ
意訳 あなたが紅の花だったら、衣の袖に染めつけて持っていこうと思われます。
右二首

譬喩
集歌2828 紅之 深染乃衣乎 下著者 人之見久尓 仁寳比将出鴨
訓読 紅(くれなゐ)の濃(こ)染(そめ)の衣(きぬ)を下に着(き)ば人の見らくににほひ出でむかも
意訳 紅色に濃く染めた衣を下に着たら、人が見る時に、映り出るだろうかなあ。

集歌2829 衣霜 多在南 取易而 著者也君之 面忘而有
訓読 衣(ころも)しも多くあらなむ取り易へて着ればや君が面(おも)忘れたる
意訳 あなたは着物を多く持ちすぎているのでしょう。あれこれ取りかえて着ているので、私の顔を忘れているのでしょうか。
右二首、寄衣喩思

集歌2830 梓弓 弓束巻易 中見刺 更雖引 君之随意
訓読 梓(あづさ)弓(ゆみ)弓束(ゆつか)巻きかへ中見さし更に引くとも君がまにまに
意訳 梓弓の弓束の皮を新しくとりかえて、他に視線を送ってはまた引きそうにする。どうなさろうともお心のままです。
右一首、寄弓喩思

 ここでは中西進氏の方を紹介しましたが、歌意鑑賞では伊藤博氏もほぼ中西氏と同等です。伝統の解釈からはみ出るところではありません。そのためか、伊藤氏は集歌2830の歌を「寄弓喩思」の左注の要請に照らしたとき、伝統解釈では難解で消化不良と指摘しています。この標準的なものは部立や左注から、それぞれを区分し三つのグループに分けて成立しています。そこが素人の弊ブログとは立場が違います。

 今回は弊ブログの解釈だけに寄っていますから、紹介しました歌五首が強く関係を持ちます。
 言葉の解説で妻問ひの朝の別れを「きぬぎぬのわかれ」と称しますが、平安時代以降は「後朝の別れ」と表記し、奈良時代では「衣衣の別れ」と表記したとします。奈良時代、妻問ひの時、互いの下着を掛布団のように使い、別れの朝、再開を誓って互いの下着を交換したと解説します。ところが、時代が下り平安時代になると妻問われる女性側で寝具一式を用意するようになり、下着の交換と云う風習が薄れ、そこから「きぬぎぬのわかれ」に「後朝の別れ」と云う表記を当てるようになったとします。つまり、古今和歌集以降の和歌で和歌を研究した人と万葉集時代の風俗を想像して和歌を鑑賞する素人では、歌に見る景色が違うのです。そのためっ集歌2828の歌や集歌2829の歌に示す「衣」の感じ方が大きく違ってくることになります。弊ブログでは下着そのものですから、当然、素肌を寄せ合った仲が前提です。他方、伝統ではそのような感覚が薄いのではないでしょうか。
 さて、集歌2826の歌を、妻問った先の女に、あちらこちらに女を作り、自分にご無沙汰していた男に対して「もう、ここに通うな」と告げられた場面としますと、未練がある男は本来なら交換して持ち帰る女の下着が貰えず、自分の下着を着て帰ります。ここで未練と言い訳が出て、集歌2827の歌で自分の白い下着をお前が来ている紅色の色に染めたい=お前を連れて帰りたいとしたのでしょう。それで問答歌二首です。弊ブログはご無沙汰していた女への言い訳と取っていますから、そのため集歌2828の歌への繋がるのです。
ただ、これらの歌は宮中か、大貴族の屋敷での歌遊びでのものです。時代として、若い娘が男との共寝のための独立した部屋を持ち、下着に紅染の衣を身に纏うことは皇族・王族級の身分の娘でなければ不可能です。ある種の夢物語なのです。集歌2828の歌に示す「紅之深染乃衣」もまた、律令制度が厳格に実行され、また、密告も否定できない当時としては現実ではありえない染色された衣です。「紅之深染」は「禁色」であり親王級の皇族の色ですから、普段の色ではありません。ただし、そこには親王に妻問われる女と云う夢物語があります。ある種、光源氏が多くの娘たちと恋をし、その娘たちに着物を贈った姿に似た、夢物語の世界です。
 なお参考として集歌2829の歌と集歌2830の歌の詠う景色は同じです。集歌2829の歌では女性の好みの肌着の色を忘れ、間違えた男への甘い恨みですし、集歌2830の歌は頻繁に弓の握り皮を交換する様に妻問ふ女性を変える様を暗示させていますが、でも、どうしても貴方が私を射貫きたいのなら身を任せますという、これも甘い恨みです。
 建前上、これらの歌は別々に鑑賞すべき部立になっていますが、斯様に鑑賞態度を変えますとそれぞれの歌は連携してきます。ただ、弊ブログの鑑賞態度からしますと、このような部立となったのか、理解できません。反って、弊ブログでの鑑賞が見当違いであり、正しく鑑賞出来ていないためなのでしょう。言い訳ですが、斯様な鑑賞も可能なことをご理解ください。
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万葉雑記 色眼鏡 二八八 今週のみそひと歌を振り返る その一〇八

2018年10月13日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二八八 今週のみそひと歌を振り返る その一〇八

 今週は真澄鏡(まそかがみ)という言葉に遊びます。今週に取り上げました歌では真澄鏡の表記ではなく、犬馬鏡と真十鏡とで表現されています。真十鏡の方は澄(そ)を十(そ)と同音字で表現しているために判りやすい表記ですが、犬馬鏡は戯訓表記のために判り難いものとなっています。

集歌2810 音耳乎 聞而哉戀 犬馬鏡 目直相而 戀巻裳太口
訓読 音(おと)のみを聞きにや恋ひむ真澄鏡(まそかがみ)目し直(ただ)逢(あ)ひに恋ひまくもいたく
私訳 噂だけを聞くだけで恋い慕っていましょう。でも、願うと見たいものを見せてくれる真澄鏡の中に姿を見て、面影だけ恋していても辛い。

集歌2811 此言乎 聞跡乎 真十鏡 照月夜裳 闇耳見
訓読 この言(こと)を聞かむとや真澄鏡(まそかがみ)照れる月夜(つくよ)も闇(やみ)のみし見つ
私訳 私のこの願いを聞かなかったのか。願うと見たいものを見せてくれる真澄鏡よ。照り輝く月夜の明かりにも鏡の中は闇のまま。

 さて、万葉集には犬馬鏡に類似する表現を持つ歌があります。集歌2645の歌では「追馬喚犬二」と表記し「そま に」と訓じ、集歌3324の歌では「喚犬追馬 鏡」と表記し「まそ かがみ」と訓じます。

集歌2645 宮材引 泉之追馬喚犬二 立民乃 息時無 戀度可聞
訓読 宮材(みやき)引く泉し杣(そま)に立つ民(たみ)の息(やす)む時も無く恋ひわたるかも
私訳 宮殿の木材を引き出す木津川の杣山に立ち働く民が休むことがないように、私は止むことなく、貴女に恋い焦がれています。

集歌3324 挂纒毛 文恐 藤原 王都志弥美尓 人下 満雖有 君下 大座常 徃向 羊緒長 仕来 君之御門乎 如天 仰而見乍 雖畏 思憑而 何時可聞 日足座而 十五月之 多田波思家武登 吾思 皇子命者 春避者 殖槻於之 遠人 待之下道湯 登之而 國見所遊 九月之 四具礼之秋者 大殿之 砌志美弥尓 露負而 靡芽子乎 珠多次 懸而所偲 三雪零 冬朝者 刺楊 根張梓矣 御手二 所取賜而 所遊 我王矣 烟立 春日暮 喚犬追馬鏡 雖見不飽者 万歳 如是霜欲得常 大船之 憑有時尓 涙言 目鴨迷 大殿矣 振放見者 白細布 餝奉而 内日刺 宮舎人方 (一云、 者) 雪穂 麻衣服者 夢鴨 現前鴨跡 雲入夜之 迷間 朝裳吉 城於道従 角障經 石村乎見乍 神葬 々奉者 徃道之 田付叨不知 雖思 印手無見 雖歎 奥香乎無見 御袖 徃觸之松矣 言不問 木雖在 荒玉之 立月毎 天原 振放見管 珠手次 懸而思名 雖恐有
訓読 かけまくも あやに恐(かしこ)し 藤原の 王都(みやこ)しみみに 人はしも 満ちてあれども 君はしも 大(おほひ)に坐(いま)せど 行き向ふ 年の緒長く 仕(つか)へ来(こ)し 君の御門(みかど)を 天のごと 仰ぎて見つつ 畏(かしこ)けど 思ひ頼みて いつしかも 日足らしまして 望月の 満(たたは)しけむと 吾が思(も)へる 皇子の命(みこと)は 春されば 植(うゑ)槻(つき)が上の 遠つ人 松の下道ゆ 登らして 国見遊ばし 九月(ながつき)の 時雨(しぐれ)の秋は 大殿の 砌(みぎり)しみみに 露負(お)ひて 靡ける萩を 玉たすき 懸けて偲(しの)はし み雪降る 冬の朝(あした)は 刺楊(さしやなぎ) 根張り梓を 大御手(おほみて)に 取らし賜ひて 遊ばしし 我が王(おほきみ)を 烟(けぶり)立つ 春の日を暮らし 真澄鏡(まそかがみ) 見れど飽かねば 万歳(よろづよ)に かくしもがもと 大船の 頼める時に 泣く吾(わ)れ 目かも迷へる 大殿を 振り放け見れば 白栲に 飾りまつりて うち日さす 宮の舎人(とねり)も (一云 はく、は) 栲(たへ)の穂(ほ)の 麻衣(あさぎぬ)着れば 夢かも 現(うつつ)かもと 曇り夜の 迷(まと)へる間(ほと)に 麻裳(あさも)よし 城上(きのへ)の道ゆ 角(つの)さはふ 磐余(いはれ)を見つつ 神葬(かみはふ)り 葬(はふ)り奉(まつ)れば 行く道の たづきを知らに 思へども 験(しるし)を無(な)み 嘆けども 奥処(おくか)をなみ 大御袖(おほみそで) 行き触れし松を 言問(ことと)はぬ 木にはありとも あらたまの 立つ月ごとに 天(あま)の原 振り放け見つつ 玉(たま)襷(たすき) 懸けて偲(しの)はな 畏(かしこ)くあれども
私訳 言葉に表すのもとても恐れ多い藤原の宮は王都として多くの人々で満ちていて、貴い御方はたくさんいらっしゃるが、去り来る年月を長くお仕えして来た、貴い貴方の宮殿を天空を見るように仰ぎ見ながら、恐れ多いことではありますが、貴い貴方を思いお頼り申し上げて、いつごろには成長なされて満月のように満ちたりなされるのでしょうと私が思っていた皇子の尊は、春になると植槻のほとりの、遠くに出かけた人を待つ松の下道を通って山にお登りになって国見をなされて、九月の時雨の秋には御殿の砌に一面に露が着いて、風に靡く萩の花を玉のたすきのように紐に貫いて飾って秋をお楽しみになり、美しい雪が降る冬の朝には挿し木の楊の根が張るように弦を張った梓弓を御手にお持ちになられて的当てを為された我々の王を、民のかまどに煙が立ち、春霞の春の一日を穏やかに過ごし、願うものを見せると云う真澄鏡を見ていても飽きることがないと、万代にまでこのようにあるでしょうと、大船のように頼もしく思っていた時に、泣いている私。その私の目も間違ったのでしょうか、御殿を振り返って見ると、葬送の白栲に飾り付けられて、日の射し込む御殿に仕える舎人も栲の立派な麻衣を着ているので、夢でしょうか、現実でしょうかと、曇った夜に道を迷うように戸惑っている間に、麻の裳が良い城上の道を通って、でこぼこ道の磐余の里を横に見ながら、貴い貴方を神として葬送を行い申し上げると、今後の生き方を知らないので、貴方を思ってみてもどうしようもなく、それを嘆いてみても、御姿はない。貴方の立派な御袖が行き触れた松を名残として、言葉を語らぬ木ではあるが、あら魂の月が代わるたびに、貴方が登られた天の原を仰ぎ見上げて、玉のたすきを懸けて偲びましょう。恐れ多くはあるが。

 標準的に「馬」という漢字は敏馬の表記では「うねめ」、対馬の表記では「つしま」と訓じますが、万葉集中で「追馬」や「犬馬」と表記したときの訓じ「そ」は特別なものになります。そのため、戯訓「そ」の解説では集歌3451の歌を紹介して、馬を追い立てる、追いやるときの掛け声として「そ」と云うものを解説します。

集歌3451 左奈都良能 乎可尓安波麻伎 可奈之伎我 古麻波多具等毛 和波素登毛波自
訓読 左奈都良(さなつら)の岡に粟蒔き愛(かな)しきが駒は食(た)ぐとも吾(わ)はそと追(も)はじ
私訳 左奈都良の丘に粟を蒔き、それをいとしいあの人の駒が食べたとしても、私はしっしと追い払いません。

 ただし、末句「和波素登毛波自」は漢字交じり平仮名表記では「吾は外(そと)追(も)はじ(私は柵の外まで追い払わない)」とも解釈・訓じることが出来ますから、集歌3451の歌を以って追馬や馬を「そ」と戯訓する根拠とすることは一方的です。他方、古語語源的に、「せく=狭(せ)く」からの派生語で追い立てる様や急を要する様は「せく=追(せ)く」であり、ここから、古語大和言葉「せく=追く」に漢語「追馬」を当てたのかもしれません。私家版 和語辞典では逆に追い立てる掛け声を「そ」とし、そこから古語「せく=狭(せ)く」が生まれたのではないかとも考察します。なお、大声で動物を追い立てるとき、発声で「そ」という言葉は掛け声として云いにくいのではないでしょうか。
 次に「喚犬」を「ま」と訓じることについて、現代では由来が不明のため犬を呼び寄せる掛け声が「ま、ま」であったとします。ただ、これは万葉集での伝統訓じ以外に根拠を持ちません。同様なものとして万葉集に載る表記「喚鶏」を現代では「つつ」と戯訓しますが、これは鶏を西日本古語ではトトと呼ぶことに由来するとします。言葉ではそれぞれの時代における発声と聞こえ方に相違があり、同じ「tutu」と云う表記でも、古代は「ツツ」と発音していたとし、近世では「トト」とします。その鶏をトトと呼ぶのは古語語源で庭を駆けまわる様が「疾(と)っ、疾(と)っ」であったことから呼ばれたと云う説もあります。
 もう少し、
 現在、神社入口の守りとして狛犬を左右に対で安置します。一般には狛犬は想像の動物「獅子」をあらわしたものと解説しますが、漢唐時代、宮殿入口や陵墓に魔除けの犬(置物)を配置したとし、これを狛犬や拒魔犬と称したようです。その漢唐時代、犬は大きさで犬と狗に区分し、また、役割で田犬、吠犬、食犬の三つに区分したとします。狛犬や拒魔犬はこの吠犬の代表的な役割を示すのかもしれません。つまり、重要な行事の前に不吉なことを避けるために犬を喚び寄せたのでしょう。大和では動物の犬ではありませんが、南方の隼人を宮中警備に配備し、重要行事などではその隼人が真似て吠える「犬鳴き声」を魔除けとなしたとします。可能性ですが、「喚犬」を「ま」と戯訓する背景には、この拒魔犬や隼人犬声の風習があったかもしれません。同じような戯訓で「牛鳴」を「む」と訓じますが、これは『説文解字』で「牟、牛鳴也」と解説するところから来たものとされています。直接、鳴き声からの戯訓ではないとの説が有力ですので、大陸由来の知識人の洒落です。

集歌2839 如是為哉 猶八成牛鳴 大荒木之 浮田之社之 標尓不有尓
訓読 かくしてやなほやは成(な)らむ大(おほ)荒木(あらき)し浮田(うきた)し社(もり)し標(しめ)にあらなくに
私訳 どうしてこのような(=貴女に直接、恋を告げることなく見守る)ことになったのでしょうか。私は、大荒木にある神聖な浮田の社を守る結界を示す標でもないのに。


 すでに「喚犬」、「追馬」、「喚鶏」、「牛鳴」は、それぞれ伝統として戯訓として「ま」、「そ」、「つつ」、「む」と訓じますが、正確な由来は歴史の闇の中です。
 今回、色々と遊びましたが戯訓訓じ以外は、まったくの与太話です。弊ブログ以外での解説も同程度のものですから、それはそれで同じレベルに立つ安心した弊ブログの与太話であり、酔論です。
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万葉雑記 色眼鏡 二八七 今週のみそひと歌を振り返る その一〇七

2018年10月06日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二八七 今週のみそひと歌を振り返る その一〇七

 今週は集歌2801の歌までですが、区分では集歌2807の歌までは「寄物陳思歌」に部立される歌です。
 こうしたとき、気になる歌を拾い揚げ、その歌に遊びたいと思います。

集歌2780 紫之 名高乃浦之 靡藻之 情者妹尓 因西鬼乎
訓読 紫(むらさき)し名高(なだか)の浦し靡き藻し心は妹に寄りにしものを
私訳 高貴な色として名高い紫の、その名高の入り江で波に靡く藻のように、私の寄せる心は愛しい貴女に靡き寄ってしまいました。

集歌2782 左寐蟹齒 孰共毛宿常 奥藻之 名延之君之 言待吾乎
訓読 さ寝(に)蟹(かに)は誰れとも寝(ね)めど沖つ藻し靡きし君し言(こと)待つ吾(われ)を
私訳 磯の蟹は皆が寄り添い誰とも共に夜を過ごすが、それとは違い、沖に生える藻のように心が靡いた貴方の愛の誓いを待つ私を(知っていますか、貴方)。

集歌2784 隠庭 戀而死鞆 三苑原之 鶏冠草花乃 色二出目八目
訓読 隠(こも)りには恋ひに死すとも御苑(みその)生(ふ)し鶏冠草(かへる)し花の色に出(い)めやめ
私訳 恋の想いを隠したままで恋い焦がれて死んでしまっても、庭園の朱に色づく草紅葉のように、貴方を恋い焦がれるその想いをはっきりと顔色に出すことはありません。

集歌2786 山振之 尓保敝流妹之 翼酢色乃 赤裳之為形 夢所見管
訓読 山吹しにほへる妹し朱華色(はねづいろ)の赤裳(あかも)し姿夢(いめ)そ見えつつ
私訳 山吹のように彩る愛しい貴女が朱華色の赤い裳を着けた、その姿を夢に見ています。

 何気に紹介しましたが、集歌2780の歌の二句目「名高乃浦之」をどのように解釈するかで歌意は変わると考えます。名高は確かに地名ではありますが、一方、三句目の「靡藻」を修飾する言葉としますと、紫の衣を見つける身分(=天皇・皇后に代表される皇族)、その身分(名)が高いと云う意味合いとなります。その時、「情者妹」は高貴な身分の貴女と解釈すべき女性となりますから、紀国の鄙の女性ではなくなります。
 次に集歌2782の歌の初句「左寐蟹齒」の扱い寄っては海辺での歌か、大和の里での歌か、その歌意は大きく変わります。一般には「さ寝がには」と訓じ、蟹齒は音字であり程度を示す接続語と解釈します。弊ブログは意訳に示すように「寐」、「蟹」は漢語と扱っています。そして、さらに「左寐」に「さわ」の訛りを見ますと沢蟹のさ寝蟹と云う解釈が生まれてきます。この解釈では歌は折口信夫が示す高貴な旅人(まれひと)に里の娘を馳走に出す風習下でのものとなります。高貴な旅人が求めたのではありませんが、貴人に相応しい娘が選抜され貴人の夜床で待っていての歌と云う雰囲気です。これも単なる里娘の景色とは違うことになります。
 集歌2784の歌は三句目「三苑原之」の言葉からしても宮中の奥庭の様子を背景にした歌です。そのため初句「隠庭」に掛詞の様相があります。鶏冠草を弊ブログでは「かへる」と訓じていますが、一般には輸入鑑賞植物の「韓藍=ケイトウ」と解釈します。これら歌の全景は宮中奥庭があります。
 最後に集歌2786の歌の三句目と四句目「翼酢色乃赤裳之為形」に注目しますと、歌の句は「朱華色の赤裳し姿」と訓じますから、官位官服規定に従うと歌で詠う対象の女性は皇族・諸王か、四位格以上の臣民の直娘か、官女となります。それも第一正装の雰囲気がありますから、なんらかの儀式の場面です。年齢的に四位以上の官女は恋歌の対象になりにくいとしますと、宮に生活する皇族・諸王の娘でしょうか、それとも裳着の儀式での四位格以上の臣民の娘でしょうか。斯様に背景が想像させられる歌となります。

 与太話を示してきましたが、これら歌は宮中や有力貴族のサロンで詠われたような雰囲気を持つ歌々であり、旅先などでのものではないようです。このような関係で詠われた歌が宮中歌所のような部署に残り、万葉集の編纂時に採歌されたのであろうと想像します。
 なお、弊ブログは素人の趣味が基準です。そのため、訓じや意訳が標準的なものを踏襲していませんので、時に解釈が大きく違います。与太話はこの素人の与太が下となっていますので、そこをよろしく判断ください。
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