万葉雑記 色眼鏡 二九十 今週のみそひと歌を振り返る その一一〇
巻十二の巻頭二三首は人麻呂歌集に載る歌で、今週では集歌2852の歌から集歌2863の歌までが該当します。掲載した歌全部ではありませんが弊ブログの好みで今週は人麻呂歌集の歌を改めて鑑賞したいと思います。
再度、鑑賞します歌は弊ブログと一般的なものとでの訓じが違うものを取り上げます。その相違点は歌に付けた「注意」に示す通りですが、もう少し、与太話をしてみようと思います。
集歌2853 真珠眼 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真珠(またま)まな遠(をち)をし兼ねし思へこそ一重(ひとへ)し衣(ころも)一人着て寝(ぬ)れ
私訳 美しい珠のような目で遠くを見るように、心を凝らして貴方を想い、一枚の衣を独りで掛けて夜を寝ます。
注意 原文の「真珠眼」の「眼」は、一般に「服」の誤字として「真珠つく」と訓みますが、ここでは原文のままに訓んでいます。
集歌2857 菅根之 惻隠ゞゞ 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 菅(すが)し根し惻(いた)み隠(こも)るる照れる日し乾(ひ)めや吾が袖妹し逢はずして
私訳 菅の根が甚くこもる(=たくさんに大地に隠れている)。その言葉のひびきではないが、惻くこもる(=ひどく気持ちがふさぐ)。さて、照る太陽の日で乾くでしょうか。涙に濡れた私の袖は。貴女に逢わないでいて。
注意 二句目「惻隠ゞゞ」は一般に伝統訓として「ねもころごろに」と訓じますが、弊ブログは原歌表記のままに訓じます。なお、伊藤博氏も解説するように漢語の「惻隠」と大和言葉「ねもころごろ」は意味合いが違いますので、時に上二句を枕詞と扱い、意訳を省略します。
集歌2863 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀
訓読 浅葉野(あさはの)し立ち神(かむ)さぶる菅し根し惻(いた)隠(こ)も誰(た)がゆゑ吾(あ)が恋ひざらむ
私訳 浅葉野に立ち古びてしまった菅の根が甚くこもる(=酷く隠れて見えない)、その言葉のひびきではないが、惻くこもる(=ひどく心が沈む)。誰のせいでしょうか、私は貴女との恋の行為が出来ません。
注意 原歌四句目「惻隠誰故」は一般に伝統訓として「ねもころたがゆえ」と訓じます。ただし、前後の句の語感と大和言葉「ねんごろ」の語感とは一致しませんので、時に「根も頃」のような根の長さの形容のような解説をします。
万葉集では「服」という漢字は全部で四五か所に使われていて「つく」と訓じる例は集歌2853の歌の初句「真珠眼」を「真珠服」に校訂したものだけです。一般には「ころも」「き(る)」「ふく」などと訓じます。「眼」を誤記説から「服」に校訂し、さらに「つく」と訓じるのは異例ですし、弊ブログではその訓じ根拠を見つけられていません。伊藤博氏は「萬葉集 釋注」で伝統の訓字と意訳について少しふれ違和感を示していますが深追いはしていません。一方、中西進氏は初句から二句目を「ま珠つく緒」と解釈し、珠を貫き繋ぐ紐として「服」と云う漢字を解釈しています。両氏とも伝統を守る立場からの発展解釈です。
万葉集 全訳注原文付
集歌2853 真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真珠つく遠(をち)をしかねて思へこそ一重衣を一人着て寝(ぬ)れ
意訳 真珠をつなぐ長い緒、そうした未来をこそ心に描けば、今は一重の衣を一人着て寝ることだ。
参考に
萬葉集 釋注
集歌2853 真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真玉つくをちをし兼ねて思へこそ一重の衣ひとり着て寝れ
意訳 先々のことを今からよくよく考えてはあなたのことを思っているからこそ、私は、薄い一重の着物を、独りさびしく着てねているのに。
ついで、集歌2857の歌と集歌2863の歌は弊ブログで何度も取り上げています「惻隠」という漢字表記とその伝統的な訓じ・意訳解釈へのいちゃもんです。伊藤博氏は「萬葉集 釋注」で
第二句「ねもころごろに」にあたられた「惻隠ゞゞ」は。『孟子』(公孫丑上)に「今人乍見儒子将入於井、皆有怵惕惻隠之心」などとある著名な辞句によって知られる文字。11ニ三九三や下のニ八六三にも見られ、「人麻呂歌集」に限って用いられている。哀れみ傷むというのが原義で、ここは、甚だしくよくよくと思われるほどにの意であてられているものと思われる。
と解説しています。
古語に「懇(ねむこ)ろ」という言葉があり、中世での意は「親身になるさま、親しいさま」とします。語源として「ねむころ」は「ねもころ」であり「ね(根)+も+ころ(凝ろ)」ではあったとします。つまり、意は「互いの心根を絡み合うさま」から「気心の知れた親しい仲、親密な仲」と説明します。
当然、大陸で「惻隠」の意味を他人の児が井戸に落ちて溺れそうになった時、それを助けようと思う気持ちと解説するものと、互いの心根が絡み合うさまとは全くに違います。藤原京時代から奈良時代、漢語は大陸の言葉として解釈する時代ですし、一般的な社会流通の言葉ではない柿本人麻呂独特な用字で惻隠=根も凝ろだったでしょうか。伊藤博氏と同様にはなはだ疑問です。
弊ブログは素人の建設作業員の与太話ですから斯様な素人疑問を提示できますが、伊藤博氏や中西進氏では難しい立場です。鎌倉以来の伝統にいちゃもんを付け、伝統訓じと解釈を卓袱台返しをするわけにもいきません。
参考に
萬葉集 釋注
集歌2857 菅根之 惻隠ゞゞ 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 管の根のねもころごろに照る日にも干めや我が袖妹に逢はずして
意訳 隅々までじりじり照りつける日射しにさえも乾くことなどあるものではない。涙に濡れた私の袖は。あの子に逢えもしないで。
集歌2863 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀
訓読 淺葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰がゆゑ我が恋ひなくに
意訳 淺葉野に古さびて生い立っている菅の根のように、こんなにねんごろに、私は他のどなたがもとで恋い焦がれているわけではありませんのに。
おまけとして、集歌2863の歌は「惻隠」を「ねんごろ」と訓じるところから語調とすると女歌だとして解釈するのが多数派です。ただし、佐佐木氏はその『評釈』でこの歌の四句五句目には力強いさがあるから男歌と解釈します。確かに原歌表記からしますと非常に男らしい表記となっています。対して、弊ブログは「惻隠」の用字と解釈から男歌とします。
斯様に、歌の解釈は難しいのですが、素人遊びができる余地もありますし、面白いところです。
巻十二の巻頭二三首は人麻呂歌集に載る歌で、今週では集歌2852の歌から集歌2863の歌までが該当します。掲載した歌全部ではありませんが弊ブログの好みで今週は人麻呂歌集の歌を改めて鑑賞したいと思います。
再度、鑑賞します歌は弊ブログと一般的なものとでの訓じが違うものを取り上げます。その相違点は歌に付けた「注意」に示す通りですが、もう少し、与太話をしてみようと思います。
集歌2853 真珠眼 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真珠(またま)まな遠(をち)をし兼ねし思へこそ一重(ひとへ)し衣(ころも)一人着て寝(ぬ)れ
私訳 美しい珠のような目で遠くを見るように、心を凝らして貴方を想い、一枚の衣を独りで掛けて夜を寝ます。
注意 原文の「真珠眼」の「眼」は、一般に「服」の誤字として「真珠つく」と訓みますが、ここでは原文のままに訓んでいます。
集歌2857 菅根之 惻隠ゞゞ 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 菅(すが)し根し惻(いた)み隠(こも)るる照れる日し乾(ひ)めや吾が袖妹し逢はずして
私訳 菅の根が甚くこもる(=たくさんに大地に隠れている)。その言葉のひびきではないが、惻くこもる(=ひどく気持ちがふさぐ)。さて、照る太陽の日で乾くでしょうか。涙に濡れた私の袖は。貴女に逢わないでいて。
注意 二句目「惻隠ゞゞ」は一般に伝統訓として「ねもころごろに」と訓じますが、弊ブログは原歌表記のままに訓じます。なお、伊藤博氏も解説するように漢語の「惻隠」と大和言葉「ねもころごろ」は意味合いが違いますので、時に上二句を枕詞と扱い、意訳を省略します。
集歌2863 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀
訓読 浅葉野(あさはの)し立ち神(かむ)さぶる菅し根し惻(いた)隠(こ)も誰(た)がゆゑ吾(あ)が恋ひざらむ
私訳 浅葉野に立ち古びてしまった菅の根が甚くこもる(=酷く隠れて見えない)、その言葉のひびきではないが、惻くこもる(=ひどく心が沈む)。誰のせいでしょうか、私は貴女との恋の行為が出来ません。
注意 原歌四句目「惻隠誰故」は一般に伝統訓として「ねもころたがゆえ」と訓じます。ただし、前後の句の語感と大和言葉「ねんごろ」の語感とは一致しませんので、時に「根も頃」のような根の長さの形容のような解説をします。
万葉集では「服」という漢字は全部で四五か所に使われていて「つく」と訓じる例は集歌2853の歌の初句「真珠眼」を「真珠服」に校訂したものだけです。一般には「ころも」「き(る)」「ふく」などと訓じます。「眼」を誤記説から「服」に校訂し、さらに「つく」と訓じるのは異例ですし、弊ブログではその訓じ根拠を見つけられていません。伊藤博氏は「萬葉集 釋注」で伝統の訓字と意訳について少しふれ違和感を示していますが深追いはしていません。一方、中西進氏は初句から二句目を「ま珠つく緒」と解釈し、珠を貫き繋ぐ紐として「服」と云う漢字を解釈しています。両氏とも伝統を守る立場からの発展解釈です。
万葉集 全訳注原文付
集歌2853 真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真珠つく遠(をち)をしかねて思へこそ一重衣を一人着て寝(ぬ)れ
意訳 真珠をつなぐ長い緒、そうした未来をこそ心に描けば、今は一重の衣を一人着て寝ることだ。
参考に
萬葉集 釋注
集歌2853 真珠服 遠兼 念 一重衣 一人服寐
訓読 真玉つくをちをし兼ねて思へこそ一重の衣ひとり着て寝れ
意訳 先々のことを今からよくよく考えてはあなたのことを思っているからこそ、私は、薄い一重の着物を、独りさびしく着てねているのに。
ついで、集歌2857の歌と集歌2863の歌は弊ブログで何度も取り上げています「惻隠」という漢字表記とその伝統的な訓じ・意訳解釈へのいちゃもんです。伊藤博氏は「萬葉集 釋注」で
第二句「ねもころごろに」にあたられた「惻隠ゞゞ」は。『孟子』(公孫丑上)に「今人乍見儒子将入於井、皆有怵惕惻隠之心」などとある著名な辞句によって知られる文字。11ニ三九三や下のニ八六三にも見られ、「人麻呂歌集」に限って用いられている。哀れみ傷むというのが原義で、ここは、甚だしくよくよくと思われるほどにの意であてられているものと思われる。
と解説しています。
古語に「懇(ねむこ)ろ」という言葉があり、中世での意は「親身になるさま、親しいさま」とします。語源として「ねむころ」は「ねもころ」であり「ね(根)+も+ころ(凝ろ)」ではあったとします。つまり、意は「互いの心根を絡み合うさま」から「気心の知れた親しい仲、親密な仲」と説明します。
当然、大陸で「惻隠」の意味を他人の児が井戸に落ちて溺れそうになった時、それを助けようと思う気持ちと解説するものと、互いの心根が絡み合うさまとは全くに違います。藤原京時代から奈良時代、漢語は大陸の言葉として解釈する時代ですし、一般的な社会流通の言葉ではない柿本人麻呂独特な用字で惻隠=根も凝ろだったでしょうか。伊藤博氏と同様にはなはだ疑問です。
弊ブログは素人の建設作業員の与太話ですから斯様な素人疑問を提示できますが、伊藤博氏や中西進氏では難しい立場です。鎌倉以来の伝統にいちゃもんを付け、伝統訓じと解釈を卓袱台返しをするわけにもいきません。
参考に
萬葉集 釋注
集歌2857 菅根之 惻隠ゞゞ 照日 乾哉吾袖 於妹不相為
訓読 管の根のねもころごろに照る日にも干めや我が袖妹に逢はずして
意訳 隅々までじりじり照りつける日射しにさえも乾くことなどあるものではない。涙に濡れた私の袖は。あの子に逢えもしないで。
集歌2863 淺葉野 立神古 菅根 惻隠誰故 吾不戀
訓読 淺葉野に立ち神さぶる菅の根のねもころ誰がゆゑ我が恋ひなくに
意訳 淺葉野に古さびて生い立っている菅の根のように、こんなにねんごろに、私は他のどなたがもとで恋い焦がれているわけではありませんのに。
おまけとして、集歌2863の歌は「惻隠」を「ねんごろ」と訓じるところから語調とすると女歌だとして解釈するのが多数派です。ただし、佐佐木氏はその『評釈』でこの歌の四句五句目には力強いさがあるから男歌と解釈します。確かに原歌表記からしますと非常に男らしい表記となっています。対して、弊ブログは「惻隠」の用字と解釈から男歌とします。
斯様に、歌の解釈は難しいのですが、素人遊びができる余地もありますし、面白いところです。