竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉集 集歌2906から集歌2910まで

2022年02月28日 | 新訓 万葉集
集歌2906 他國尓 結婚尓行而 大刀之緒毛 未解者 左夜曽明家流
訓読 他国(ひとくに)に結婚(よばひ)に行きて大刀(たち)し緒もいまだ解(と)かねばさ夜(よ)ぞ明けにける
私訳 他国に娘を求婚に行って、(その娘と同衾するために)太刀を腰に添う紐の緒も未だに解かないのに、夜が明けてしまった。

集歌2907 大夫之 聴神毛 今者無 戀之奴尓 吾者可死
訓読 大夫(ますらを)し聴(きき)し心も今は無み恋し奴(やつこ)に吾は死ぬべし
私訳 人に立派な男子と呼ばれるのを聴いた、その身も心も、今はありません。貴女への恋の奴隷として、私は死ぬでしょう。

集歌2908 常如是 戀者辛苦 暫毛 心安目六 事計為与
訓読 常(つね)かくし恋(こ)ふれば苦し暫(しまし)くも心休めむ事(こと)計(はか)りせよ
私訳 いつもこのように恋をしていると心が切ない。しばらくの間だけでも気持ちを静めたい。何か、恋心を静めるような手立てを考えてください。

集歌2909 凡尓 吾之念者 人妻尓 有云妹尓 戀管有米也
訓読 おほろかに吾し思はば人妻にありといふ妹に恋ひつつあらめや
私訳 いい加減に私が貴女を恋い焦がれているならば、貴女は「貴方の自由にならない女よ」と云う、そんな貴女に恋い焦がれるでしょうか。
注意 原文の「人妻」は、知識階級は妻問い婚であるとの時代認識を前提として、「他の特定の男と一家を持つ女」の意味合いではなく、「私」と「人」との関係での「貴方と一家を持たない女=貴方の思い通りにならない女」と解釈しています。

集歌2910 心者 千重百重 思有杼 人目乎多見 妹尓不相可母
訓読 心には千重(ちへ)し百重(ももへ)し思へれど人目を多(おほ)み妹に逢はぬかも
私訳 心の底には、貴女を千重にも百重にも恋い慕うが、人目が多いので、それで愛しい貴女に逢えないのでしょう。

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墨子 巻一 所染(原文・読み下し・現代語訳)

2022年02月27日 | 新解釈 墨子 現代語訳文付
墨子 巻一 所染(原文・読み下し・現代語訳)
「諸氏百家 中国哲学書電子化計画」準拠

《所染》:原文
子墨子言、見染絲者而歎曰、染於蒼則蒼、染於黄則黄。所入者變、其色亦變。五入必而已、則為五色矣。故染不可不慎也。
非獨染絲然也、國亦有染。舜染於許由、伯陽、禹染於皋陶、伯益、湯染於伊尹、仲虺、武王染於太公、周公。此四王者所染當、故王天下、立為天子、功名蔽天地。挙天下之仁義顯人、必稱此四王者。
夏桀染於干辛、推哆、殷紂染於崇侯、悪来、厲王染於厲公長父、栄夷終、幽王染於傅公夷、蔡公穀。此四王者所染不當、故國殘身死、為天下僇。挙天下不義辱人、必稱此四王者。
齊桓染於管仲、鮑叔、晋文染於舅犯、高偃、楚莊染於孫叔、沈尹、呉闔閭染於伍員、文義、越句踐染於范蠡大夫種。此五君者所染當、故霸諸侯、功名傅於後世。范吉射染於長柳朔、王勝、中行寅染於籍秦、高彊、呉夫差染於王孫雒、太宰嚭、知伯搖染於智國、張武、中山尚染於魏義、偃長、宋康染於唐鞅、佃不禮。此六君者所染不當、故國家殘亡、身為刑戮、宗廟破滅、絕無後類、君臣離散、民人流亡。挙天下之貪暴苛擾者、必稱此六君也。
凡君之所以安者、何也。以其行理也、行理性於染當。故善為君者、労於論人、而佚於治官。不能為君者、傷形費神、愁心労意、然國逾危、身逾辱。此六君者、非不重其國、愛其身也、以不知要故也。不知要者、所染不當也。非獨國有染也、士亦有染。其友皆好仁義、淳謹畏令、則家日益、身日安、名日栄、處官得其理矣、則段干木、禽子、傅説之徒是也。其友皆好矜奮、創作比周、則家日損、身日危、名日辱、處官失其理矣、則子西、易牙、豎刀之徒是也。詩曰、必擇所堪。必謹所堪者、此之謂也。

字典を使用するときに注意すべき文字
佚、忽也、又隱遁也。 忽、忘也、又滅也。の意あり。
堪、勝也、可也。猶湛也。 まさる、できる。時に、ひたる、の意あり。


《所染》:読み下し
子墨子の言く、絲(いと)を染める者を見て而(しかる)に歎(たん)じて曰く、蒼(あお)に染むれば則ち蒼、黄(き)に染むれば則ち黄。入る所のものの變ずれば、其の色も亦た變(か)はる。五を入れば必ず而(しかる)に已(しかたな)く、則ち五色と為る。故に染(そ)むるは慎(つつし)まざる可からずなり。
獨り絲を染むることのみ然るに非ずなり、國も亦た染むること有り。舜は許由(きょいう)、伯陽(はくよう)に染(し)み、禹は皋陶(こうえう)、伯益(はくえき)に染(し)み、湯は伊尹(いいん)、仲虺(ちゅうき)に染(し)み、武王は太公(たいこう)、周公(しゅうこう)に染(そ)む。此の四王のものは染(そ)むる所に當(あた)り、故に天下に王となり、立ちて天子と為り、功名は天地を蔽(おお)う。天下の仁義(じんぎ)顯人(けんじん)を舉(あ)ぐるときは、必ず此の四王の者を稱(とな)ふ。
夏の桀は干辛(かんしん)、推哆(すいし)に染(し)み、殷の紂は崇侯(すうこう)、悪来(あくらい)に染(し)み、厲王は厲公(れいこう)長父(ちょうほ)、榮(えい)夷終(いしゅう)に染(し)み、幽王は傅公(ふこう)夷(い)、蔡公(さいこう)穀(こく)に染(そ)む。此の四王のものは染(そ)むる所に當(あた)らずして、故に國は殘(ざん)せられ身は死して、天下の僇(りく)と為る。天下の不義(ふぎ)辱人(じょくにん)を舉(あ)ぐるときは、必ず此の四王の者を稱(とな)ふ。齊の桓は管仲(かんちゅう)、鮑叔(ほうしゅく)に染(し)み、晋の文は舅犯(きゅうはん)、高偃(こうえん)に染(し)み、楚の莊は孫叔(そんしゅく)、沈尹(しんいん)に染(し)み、呉の闔閭(こうりょ)は伍員(ごうん)、文義(ぶんぎ)に染(し)み、越の句踐(こうせん)は范蠡(はんれい)大夫(たいふ)種(しょう)に染(そ)む。此の五君の者は染(そ)むる所に當(あた)り、故に諸侯に霸(は)となり、功名は後世に傅(つ)たはる。范(はん)吉射(きつせつ)は長柳(ちょうりゅう)朔(さく)、王胜(おうせい)に染(し)み、中行(ちゅうこう)寅(いん)は籍秦(せきしん)、高剛(こうごう)に染み、呉(ご)夫差(ふさ)は王孫雒(おうそんらく)、太宰嚭(たいさいひ)に染(し)み、知伯(ちはく)搖(よう)は智國(ちこく)、張武(ちょうぶ)に染(し)み、中山(ちゅうざん)尚(しょう)は魏義(ぎぎ)、偃長(えんちょう)に染(し)み、宋康(そうこう)は唐鞅(とうおう)、佃不禮(でんふれい)に染(そ)む。此の六君の者は染(そ)むる所に當(あた)らずして、故に國家は殘亡し、身は刑戮(けいりく)と為し、宗廟は破滅し、絶へて後類(こうるい)無く、君臣は離散し、民人は流亡す。天下の貪暴(たんぼう)苛擾(かぜう)なる者を舉ぐるときは、必ず此の六君を稱(とな)へる。
凡そ君の安(やす)むずる所以(ゆえん)のものは、何ぞや。其の行(こう)の理(り)を以ってなし、行の理の染むるに當(あた)るは性(さが)なり。故に善く君(くん)為(た)る者は、人を論ずるを労(うれ)ひ、而(しかる)に官を治むるを佚(わす)る。君(くん)為(た)ること能はざる者は、形(ありさま)を傷(いた)み神(かみ)に費(ついや)し、心に愁(うれ)ひ意に労(ろう)す、然れども國は逾(いよいよ)危(あや)うく、身は逾(いよいよ)辱(はずかし)めらる。此の六君の者は、其の國を重んじ、其の身を愛せざるに非ずなり、要(よう)を知らざるを以っての故なり。要を知らざる者は、染むる所に當(あた)らざるなり。獨り國のみ染(そ)むるに有るに非(あら)ざるにして、士も亦た染(そ)むるは有り。其の友の皆は仁義(じんぎ)を好み、淳謹(じゅんきん)にして令を畏(おそ)れれば、則ち家は日に益し、身も日に安く、名は日に榮え、官に處(しょ)して其の理(り)を得む、則ち段干(だんかん)木(ぼく)、禽子(きんし)、傅説(ふせつ)の徒(やから)は是なり。其の友の皆は矜奮(きょうふん)を好み、創作(そうさく)比周(ひしゅう)すれば、則ち家は日に損じ、身は日に危うく、名は日に辱(はずかし)められ、官に處すれば其の理を失ふ、則ち子西(しせい)、易牙(えきが)、豎刀(じゅとう)の徒(やから)は是なり。詩に曰く、必ず堪(まさ)る所を擇(えら)ぶ。必ず堪(まさ)る所を謹(つつ)しむは、此の謂(いはれ)なり。


《所染》:現代語訳
「子墨子が言われたことがあり、糸を染める者を見て、ため息を漏らし嘆じて言われたことには、『青に染めると糸は青に、黄色に染めれば糸は黄色になる。糸を染めるために入れる染料の容器を変えれば、その糸の色もまた変わる。糸を五つの染料の容器に入れれば、糸の思いとは関係なく、五つの色となる。だから、糸を染めるには慎重でなくてはいけない。』と。
ただ、糸を染めることだけがそうなのではない、国もまた染まること(=感化されること)がある。舜王は許由と伯陽とに染み、禹王は皋陶と伯益とに染み、湯王は伊尹と仲虺とに染み、武王は太公と周公とに染まった。この四人の王を染めたものは染めた人物が当を得ていて、それで天下の王となり、立って天子となり、功名は天地を覆った。天下の仁義の明らかな人を挙げるときは、必ずこの四人の王の者の名を称える。
夏朝の桀王は干辛と推哆とに染み、殷朝の紂王は崇侯と悪来とに染み、厲王は厲公の長父と榮の夷終とに染み、幽王は傅公夷と蔡公穀とに染まった。この四人の王を染めたものは染めた人物が当を得ておらず、そのために国は戦いに敗残し、わが身は殺されて、天下の恥辱となった。天下の不義理で恥辱の人の名を挙げるときは、必ずこの四人の王の者の名を称える。齊国の桓王は管仲と鮑叔とに染み、晋国の文王は舅犯と高偃とに染み、楚国の莊王は孫叔と沈尹とに染み、呉国の闔閭公は伍員と文義とに染み、越国の句踐王は范蠡大夫種に染まった。この五人の君の者を染めたものは染めた人物が当を得ており、そのために諸侯に覇者となり、功名は後世に伝わった。范吉射は長柳朔と王胜とに染み、中行寅は籍秦と高剛に染み、呉夫差は王孫雒と太宰嚭とに染み、知伯搖は智國と張武とに染み、中山尚は魏義と偃長とに染み、宋康は唐鞅と佃不禮に染まった。この六人の君の者を染めたものは染めた人物が当を得ておらず、そのために國家は滅亡し、わが身は死刑となり、宗廟は破滅され、子孫は断絶し、君臣は離散し、民人は流亡した。天下の貪欲で暴虐で過酷で人心を乱す者の名を挙げるときは、必ずこの六人の君の名を称える。
およそ君主が安泰である理由は、何だろうか。その行動は道理をもって行い、行動が道理に染まることが当を得ているかどうかは、君主の性格である。そのために立派な君主と為る者は人物を見定めることに苦労するが、しかしながら見定め登用した官僚たちを管理・監視することには専念しない。君主に相応しくない者は見たままの有り様に心を痛ませ、神を祀ることに精神を費やし、心に愁いを持ち、人の意見を取り上げることに苦労するが、それでも国はますます危うくなり、わが身はますます辱められる。あの辱められた六人の君は、その国を大切にし、その身を愛しまなかったのではない、物事の要諦を知らなかったためなのだ。物事の要諦を知らない者は、染まることに当を得ていないのである。ただ、国だけが染まることに当を得るのではない、士もまた染まることに当を得ることはある。その友人の皆は仁義を好み、恭順で謹厳な性格で君主の命令を畏れれば、その士の家は日に日に富は増し、その身も日に日に安らかになり、名声は日に日に良くなり評判は上がり、官僚になっては官の為すべき道理に適う、ちょうど、段干木、禽子、傅説らの人たちがこのような士の姿である。他方、その友人の皆は地位におごることを好み尊大な姿で、自分勝手に創作比周の振る舞いをすれば、その士の家は日に日に富を損じ、その身は日に日に危うく、名声は日に日に悪評に辱められ、官僚になっては官の為すべき道理を失う。ちょうど、子西、易牙、豎刀らの人たちがこのような士の姿である。詩に『必ずまさるところを択び、必ずまさるところを慎む。』と言うのは、このことを言ったのである。」と。

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万葉集 集歌2901から集歌2905まで

2022年02月25日 | 新訓 万葉集
集歌2901 赤根指 日之暮去者 為便乎無三 千遍嘆而 戀乍曽居
訓読 茜(あかね)さす日し暮れゆけばすべを無(な)み千遍(ちたび)嘆きて恋ひつつぞ居(を)る
私訳 茜色に空が染まり夕日が暮れ行けば、どうして良いのか判らずに、千遍も独り身のこの境遇を嘆いて貴方に恋い焦がれて過ごしています。

集歌2902 吾戀者 夜晝不別 百重成 情之念者 甚為便無
訓読 吾が恋は夜昼(よるひる)別(わ)かず百重(ももへ)なす情(こころ)し念(おも)へばいたも術(すべ)なし
私訳 私の恋心は夜となく昼となく時を別かつことなく、幾重にも心から貴女に恋い焦がれると、まったく、どうして良いのか判らない。

集歌2903 五十殿寸太 薄寸眉根乎 徒 令掻管 不相人可母
訓読 いとのきて薄き眉根(まよね)をいたづらし掻(か)かしめつつも逢はぬ人かも
私訳 特別に薄く描いた眉根を、むなしく掻かせても、貴方は逢いにやって来ない、そんな人なのでしょうか。

集歌2904 戀々而 後裳将相常 名草漏 心四無者 五十寸手有目八面
訓読 恋ひ恋ひて後(のち)も逢はむと慰(なぐさ)もる心しなくは生(い)きてあらめやも
私訳 「互いに恋い焦がれ、再び、きっと、逢えるでしょう」と自分を慰める。そのような気持ちがなければ、私はどうして生きていけるでしょうか。

集歌2905 幾 不生有命乎 戀管曽 吾者氣衝 人尓不所知
訓読 いくばくも生けらじ命を恋ひつつぞ吾は息(いき)づく人に知らえず
私訳 どれほども生きられない命でもって、恋い焦がれています。私はため息をつく。私が恋する、その人に気付かれずに。
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万葉集 集歌2896から集歌2900まで

2022年02月24日 | 新訓 万葉集
集歌2896 歌方毛 曰管毛有鹿 吾有者 地庭不落 空消生
訓読 うたがたも云ひつつもあるか吾ならば地(つち)には落(ふ)らず空し消(け)なまし
私訳 そう、むやみやたらに、しゃべっているのですね。私なら相手に向かって愚痴を語らず、独りで空に向かって愚痴をはらしますよ。

集歌2897 何 日之時可毛 吾妹子之 裳引之容儀 朝尓食尓将見
訓読 如何(いか)ならむ日し時にかも吾妹子し裳(も)引(ひき)し姿朝(あさ)に日(け)に見む
私訳 どのような日の、いつの時でしょうか。私の愛しい貴女が女になる「裳着の祝い」の姿をその朝に、その日に見たいものです。
注意 夕刻に妻問うならば、女性は白栲の衣の姿です。ここでは朝から日中にかけて儀礼での裳着の姿ですから、成女式である「裳着の祝い」と解釈しています。

集歌2898 獨居而 戀者辛苦 玉手次 不懸将忘 言量欲
訓読 ひとり居(ゐ)て恋ふるは苦し玉襷(たまたすき)懸(か)けず忘れむ言(こと)量(はか)りもが
私訳 ただ独りで暮らしていて、恋い焦がれるのは辛い。玉襷を懸ける、その言葉ではないが、常欠けずに(いつでも)恋を忘れる、そのような呪いの言葉を探したいものです。
注意 原文の「言量」を、一般の「事計」と言葉を変えて解釈するものとは違うとしています。それで、解釈が違います。

集歌2899 中々二 黙然毛有申尾 小豆無 相見始而毛 吾者戀香
訓読 なかなかに黙然(もだ)もあらましをあづきなく相(あひ)見(み)始(そ)めても吾は恋ふるか
私訳 いっそのことに、何もしなければ良かったが、厄介なことに、貴女と抱き合う仲になっても私は恋い焦がれています。

集歌2900 吾妹子之 咲眉引 面影 懸而本名 所念可毛
訓読 吾妹子し笑(ゑ)まひ眉引(まよひ)き面影しかかりてもとな念(おも)ほゆるかも
私訳 私の愛しい貴女の微笑み、引き眉の面影が気にかかり、気もそぞろに恋い慕っています。
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万葉集 集歌2891から集歌2895まで

2022年02月23日 | 新訓 万葉集
集歌2891 荒玉之 年緒長 如此戀者 信吾命 全有目八面
訓読 あらたまし年し緒長くかく恋ひばまこと吾が命(いのち)全(また)くあらめやも
私訳 年の霊(気根)が改まる、その年月が紐の緒のように長いように、長くこのように恋い焦がれると、本当に、私の命は全うすることがあるでしょうか。

集歌2892 思遣 為便乃田時毛 吾者無 不相數多 月之經去者
訓読 思ひ遣(や)るすべのたどきも吾(われ)は無(な)み逢はずてまねく月し経ぬれば
私訳 この想いを貴方に伝え遣る方法や伝手も、私にはありません。逢えないままで、多くの月日が経って行ったので。

集歌2893 朝去而 暮者来座 君故尓 忌々久毛吾者 歎鶴鴨
訓読 朝(あさ)去(い)にて夕(ゆふへ)は来(き)ます君ゆゑにゆゆしくも吾は嘆きつるかも
私訳 朝に帰っていっても、夕べには、きっと、やっていらっしゃる、そのような貴方のために、慎むべきなのですが、私は待つ身を嘆きました。

集歌2894 従聞 物乎念者 我胸者 破而摧而 鋒心無
訓読 聞きしより物を思へば我が胸は破(わ)れて砕けて利心(とごころ)もなし
私訳 貴女の噂を聞くだけで想像を膨らませて恋い慕うと、私の気持ちは張り裂け砕けて、言い寄る想いも失くしました。

集歌2895 人言乎 繁三言痛三 我妹子二 去月従 未相可母
訓読 人言(ひとこと)を繁(しげ)み言痛(こちた)み我妹子に去(い)にし月よりいまだ逢はぬかも
私訳 人の噂話をうっとうしく、煩わしく思い、私の愛しい貴女に、先月から、まだ、逢ってはいませんねえ。

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