竹取翁と万葉集のお勉強

楽しく自由に万葉集を楽しんでいるブログです。
初めてのお人でも、それなりのお人でも、楽しめると思います。

万葉雑記 色眼鏡 二六八 今週のみそひと歌を振り返る その八八

2018年05月26日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六八 今週のみそひと歌を振り返る その八八

 今回は巻十 問答に載る四首をままに紹介します。巻十一の問答歌のように「右二首」などと云う紹介をしませんから、四首が一つの問答を組み立ていると思います。訓じと解釈は四首一組と云う考え方から組み立てています。

集歌2305 旅尚 襟解物乎 事繁三 丸宿吾為 長此夜
訓読 旅にすら紐(ひも)解(と)くものを事(こと)繁(しげ)み丸寝(まるね)ぞ吾(あ)がする長きこの夜を
私訳 旅行中でも宿れば着物の紐を解くのに、色々な事情があって着物を着たままで私は寝る。長いこの夜を。

集歌2306 四具礼零 暁月夜 紐不解 戀君跡 居益物
訓読 時雨(しぐれ)降る暁(あかとけ)月夜(つくよ)紐(ひも)解(と)かず恋ふらむ君と居(を)らましものを
私訳 時雨が降る暁の月夜に着物の紐を解かないまま、恋い焦がれる貴女と一緒にいられたらと願う。

集歌2307 於黄葉 置白露之 色葉二毛 不出跡念者 事之繁家口
訓読 黄(もみち)葉(は)し置く白露し色(いろ)葉(は)にも出(い)でじと念(おも)へば事(こと)し繁(しげ)けく
私訳 モミジの葉に置く白露が、この色付いた葉にも置くことがないようにと願うように、私の貴方への想いを世のしがらみで覆い隠されないようにと願うが、色々な障害が起きる。

集歌2308 雨零者 瀧都山川 於石觸 君之摧 情者不持
訓読 雨降れば激(たぎ)つ山川(やまかは)石(いは)し触れ君し摧(くだ)かむ情(こころ)は持たじ
私訳 雨が降ると激流になる山の川が岩に砕かれ川筋が裂けるような、貴方の私への想いを打ち砕くような心根を私は持っていません。

 四首鑑賞では順に男歌・男歌・女歌・女歌と考えています。季節は「時雨」から九月から十月です。集歌2307の「於黄葉 置白露之」の句からしますと、十月の方がふさわしいかもしれません。そのような肌寒く人恋しい季節での問答歌の交換です。
 歌が詠うように公務などでの長い期間の旅ではありません。近所への一泊二日や二泊二日のような短期での出張です。それも着替えも持たないような出張でしょうか。電話やスマートホンも無い時代ですから問答歌はその場その場での相互の歌の交換ではなく、何かがあった後で それを思い出しての歌の交換です。従いまして恋仲の女は相手の男のそのような不在を知っていたと思われます。そのような男女の関係です。
さ て、万葉集には寝るときに着物を着替えることもせず、そのままに寝る丸寝を詠った歌が六首ありますが、旅の途中の野宿でのものが三首、世のつれづれを思いそのままに寝たものが一首、そしてなにがしらの勤務でのものが二首あります。
こ の勤務かなにかの都合でのものが、集歌2305の歌であり、集歌1787の歌です。

天平元年己巳冬十二月謌一首并短謌
標訓 天平元年己巳冬十二月の歌一首并せて短謌
集歌1787 虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色色山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾歯曽戀流 妹之直香仁
訓読 現世(うつせみ)の 世し人なれば 大王(おほきみ)し 命(みこと)恐(かしこ)み 礒城嶋(しきしま)の 日本(やまと)し国の 石上(いそのかみ) 振(ふる)し里に 紐解(と)かず 丸寝(まるね)をすれば 吾が衣(き)る 服(ころも)は穢(なれ)ぬ 見るごとに 恋はまされど 色(いろ)に出(い)でば 人知りぬべみ 冬し夜し 明(あ)かしもえぬを 寝(い)も寝(ね)ずに 吾はぞ恋ふる 妹し直香(ただか)に
私訳 現世の世を生きる人なので、大王の御命令を謹んで承って、礒城嶋の大和の石上の布留の里に上着の紐を解くこともせず、ごろ寝をすると、私が着る服はよれよれになった。貴女が紐を結んだこの衣を見る度に恋心は増さるけど、表情に出せば人は知るでしょう。冬の長き夜の明かし難いのを寝るに寝られず、私は恋慕う、愛しい貴女の目に映る姿に。

反謌
集歌1788 振山従 直見渡 京二曽 寐不宿戀流 遠不有尓
訓読 布留山(ふるやま)ゆ直(ただ)に見わたす京(みやこ)にぞ寝(い)も寝(ね)ず恋ふる遠くあらなくに
私訳 石上の布留山から、直接に見渡せる奈良の京に居る、夜に寝ることも出来ずに貴女を慕う。そんなに遠くでもないのに。

集歌1789 吾妹兒之 結手師紐乎 将解八方 絶者絶十方 直二相左右二
訓読 吾妹子し結(ゆ)ひてし紐を解(と)かめやも絶えば絶ゆとも直(ただ)に逢ふさへに
私訳 私の愛しい貴女が結んだ紐を解くことがあるでしょうか。紐が切れるなら切れたとしても、直接に貴女に逢へるなら。

 歴史を記録する続日本紀に、天平元年十一月七日以降、天平二年元日までの記録は載りません。また、天平二年十一月七日から天平三年元日も記録がありません。このため、慣例によるものか、臨時によるものかを含めて集歌1787の歌が詠われた背景を推測する事が困難です。
 歌で詠われる「石上」から考えられるのが石上神社での年越の大祓での警護や使者への扈従でしょうか。朝廷からの正使たちであれば深夜に始まる儀式に参列しますから丸寝と云うことはありえませんが、幣物運搬の警護や従者ですと儀式が終わるまで待機ですから仮眠やうたた寝の状況はあるでしょう。そのような状況でしょうか。例えば、長忌寸意吉麻呂は大和歌を良く詠う奈良時代中期を代表する歌人の一人ですが、身分は初位クラスの役人と考えられています。その身分ですと警護や従者がせいぜいで儀式に参列する可能性はありません。
 先の四首に戻りますと、十月ごろの畿内への短期出張であり、恋人の女も男のそのような予定を知っていたとしますと、相嘗祭への使者への扈従でしょうか。祀りは深夜早朝から始まりますから朝廷からの使者は前々日中には神社に到着し準備を行うと思います。すると、扈従するものは奈良―飛鳥の間であれば祀り当日の午後には奈良に戻るとすると二泊二日程度での短期出張でしょうか。小者であれば往復の道中警護や弊物の運搬が主業務でしょうから、歌が示すように祀り中は待機・休憩のような状況かもしれません。

 もしここでの妄想が正しいものとしますと、今も昔も給与生活者であるサラリーマンの日常は大きくは変わらないようですし、愚痴話の様子も変わりません。歌の世界は一昔の部課長の出張に付き合わされる鞄持ちの若手社員、今ですと役職者の海外出張に同行する部下の姿と同じでしょうか。その若手社員がスマフォで連絡を取り合う恋人への愚痴とも、恋の表現とも取れるような会話と同じ風情でしょうか。
 万葉集に似た風景の歌が二組存在することは、大伴家持たちにしても似たような感情があったのでしょうか。それとも大伴家持たちを補佐したと思われ、せいぜい造酒司令(大初位上)の微官に終わったと思われる田邊史福麻呂たちの感情だったのでしょうか。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万葉雑記 色眼鏡 二六七 今週のみそひと歌を振り返る その八七

2018年05月19日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六七 今週のみそひと歌を振り返る その八七

 今回は巻十 寄花から露草の花を詠う歌を集めてみました。最初は淑女として歌を鑑賞してください。歌は推定で女性が肌を交わした男性に妻問いを願う感情で詠ったものです。

集歌2281 朝露尓 咲酢左乾垂 鴨頭草之 日斜共 可消所念
訓読 朝露に咲きす寂(さび)たる鴨頭草(つきくさ)し日くたつなへに消(け)ぬべくそ思(そ)ゆ
私訳 朝露の中に咲き、そして萎れるツユクサのように、日が傾いていくにつれ、貴方が恋しくて気持ちが萎れるように感じられます。

集歌2291 朝開 夕者消流 鴨頭草 可消戀毛 吾者為鴨
訓読 朝(あした)咲き夕(ゆうへ)は消(け)ぬる鴨頭草(つきくさ)し消(け)ぬべき恋も吾はするかも
私訳 朝に咲き、夕べにしぼむツユクサのように、儚く一日ほどの恋も私はしているのでしょうか。


 さて、以下は大人の経験ある女性・男性が読者対象です。お子様や生娘様・童貞様などには向きませんので、退場をお願いします。

 鴨頭草は万葉集特有の露草を示す植物名で、他には花が咲く時間帯から月草と云う表記があります。万葉集にはありませんが漢語・漢文では漢方薬系の鴨跖草、当て字系の月草からの着草、花色系の空草と云う表記もあります。露草の異名でまったくの由来がわからないのが、この鴨頭草と云う表記です。伝統では次の相聞和歌から鴨頭草を万葉集では露草のことと理解しています。

集歌3058 内日刺 宮庭有跡 鴨頭草之 移情 吾思名國
訓読 うち日さす宮にはあれど鴨頭草(つきくさ)のうつろふ情(こころ)吾(あ)が思はなくに
私訳 きらきらと日の射す大宮に勤めて多くの殿方と接するけども、ツユクサのように褪せやすい気持ちなど貴方に対して私は思ってもいません。

集歌3059 百尓千尓 人者雖言 月草之 移情 吾将持八方
訓読 百(もも)に千(ち)に人は言ふとも月草(つきくさ)のうつろふ情(こころ)吾(われ)持ためやも
私訳 あれやこれやと人は貴女と男たちとの関係をうわさ話にするけれど、ツユクサが褪せやすいと云うような、そんな疑いを、私が持っていましょうか。

 突然ですが、いつもの遊仙窟からの例の漢詩文を紹介します。

詠筆硯 筆硯(すずり)を詠う
硯在床頭、下官因詠筆硯曰、 硯の床頭にあり、下官の因りて筆と硯を詠いて曰く、
摧毛任便點、 毛を摧(くじ)きて便(おり)に任せて點じ、
愛色轉須磨。 色を愛して轉た須らく磨(と)ぐべし。
所以研難竟、 研(すず)りて竟(おわり)り難き所以は、
良由水太多。 良く水の太(はなは)だ多きに由る
十娘忽見鴨頭鐺子、因詠曰 十盗めのたちまちに鴨頭の鐺子を見て、因りて詠いて曰く、
嘴長非為嗍、 嘴の長きは嗍(す)はむを為すに非ずて、
項曲不由攀。 項の曲れるは攀じるに由らず。
但令脚直上、 但だ脚を直ちに上げしめば、
他自眼雙翻。 他も自(われ)も雙つの眼は翻らむ。

 漢詩で男女が会話をしています。遊仙窟の場所の設定はうら若い戦争未亡人の私邸ですが、物語の読者は遊郭で客と遊女とが交わす夜の営み前の知的会話と思って下さい。男は表面上は筆と硯を詠いますが、実際は女性の陰部や陰核への愛撫の様の予告です。女は硯に水を差す水差しの様を詠いますが、実際は愛液が溢れた女陰への性交とその体位への希望を詠います。その際どい歌でのキーワードが「鴨頭鐺子」です。少量の水をゆっくり硯に垂らす目的ですと「鶴首鐺子」ですが、ここでは頭がずんぐりし、茎が太い鴨頭と云うのが重要です。つまり、男根の比喩と云うことです。これが最初の前提です。
 次に露草の花の形は逆さに見た時、それは太ももと女陰の形をしていますから、鴨頭草は漢語の鴨跖草からと男根の比喩である鴨頭からの当て字の可能性があります。このような背景から鴨頭草の表記を使う場合、歌には性的な意味合いを持たせていると考える必要があります。
 実に大変な妄想です。変質者特有の考え方かも痴れませんが、このように考えますと、先に紹介した集歌3058の歌と集歌3059の歌で鴨頭草と月草との表記の違いとその背景の理解が容易になります。女が他の男との体の関係を噂されているがそのような関係ではないとの意味合いでの「鴨頭草」と云う表現と疑いの気持ちは雲一つ無いとの意味合いでの「月草」と云う表現です。
 斯様な変質者的な妄想が許されますと、集歌2281の歌の「朝露尓 咲酢左乾垂」は非常なる卑猥な意味合いを持つことになります。歌は、女が「朝、私の露に濡れた鴨頭はもう乾き垂れたでしょうね」と尋ね、重ねて「鴨頭への記憶が日が傾くにつれ消え薄れて行く」と詠ったことになります。漢文・漢語での比喩や歌の表記で使われる漢字での選字を推測しますとこのような鑑賞が成り立ちます。従いましてこの集歌2281の歌では「鴨頭草」の代わりに主に花が咲く時間帯に意味を持つ「月草」の表記を使ったのでは歌として意味をなさないことになります。
 集歌2291の歌の「朝開 夕者消流 鴨頭草」も同じような意味合いを持つことになります。集歌2281の歌では朝まで女性の愛液を堪能した鴨頭が乾き萎える状況を示しましたが、集歌2291の歌は女性の体に刻んだ鴨頭の行いが朝にははっきりしていたのに日が傾くにつれ薄れて行くとします。そして、女は「貴方は私の体から鴨頭の記憶を忘れさせたままにするのですか」と問います。集歌2281の歌は男の鴨頭の様子から歌を詠い、集歌2291の歌は女の鴨頭の行為から歌を詠います。しかしながら、どちらも女は貴方の鴨頭を忘れさすのかと歌を締めます。歌を贈られた男は時に次のような歌を女に返したものと思われます。

集歌2284 率尓 今毛欲見 秋芽子之 四搓二将有 妹之光儀乎
訓読 ゆくりなに今も見が欲(ほ)し秋萩ししなひにあるらむ妹し姿を
私訳 突然ですが、今も眺めて見たい。秋萩のようなあでやかでしなやかな体をしているでしょう、その貴女の姿を。

 表の解釈としては紹介したままですが、裏の意味合いでは「芽子」には女陰の比喩がありますし、四句目「四搓二将有」の「搓」には「搓、挪也」と解説し「さすり、なでる」のような意味合いがあります。また、四方(よも)には「あちらこちら。また、いたる所」との意味合いがありますから、「四搓二将有」は「女陰を余すところ無く愛撫し、二つの体を合わす」と漢字の選字からの解釈が可能となります。そして、そのような貴女の姿を見たいと云うことでしょうか。集歌2281の歌の応答歌でしたら、まず、満点の答えでしょうか。
 さらに万葉集のお約束で、男は女を丁寧に愛撫ししとどに濡れた状況にする技が求められ、女は男の技で露となる体であることがある種の決まりです。人麻呂の歌などに詠うように白い肌に束を解いた黒髪を流し男の愛撫に濡れ・溺れるのが若き女性への誉め言葉の定型です。来週に扱う歌ですが、集歌2303の歌のように長いはずの秋の夜が短いと感じるほどに出会いでは男女の愛を尽くす事が約束です。男の愛撫に反応せずに乾いた関係では万葉集の歌の世界は成り立ちません。

集歌2303 秋夜乎 長跡雖言 積西 戀盡者 短有家里
訓読 秋し夜を長しと云へど積もりにし恋を尽(つく)せば短くありけり
私訳 秋の夜を長いと人は云うが、積もりに積もった恋の思いで「恋の夜の営み」を貴方と尽くせば、秋の夜は短いものでした。

 最後に万葉集の歌は上は天皇から下は農民・遊女までの歌々を扱います。男女の和合の場所もそれぞれの身分や立場で変わります。現在のような、原則、屋内・密室ではありません。よほどの高級貴族や皇族でなければ、そのような特別な個室を持つことはできません。庶民は掘っ立て小屋のような家での集団生活です。勢い、若い男女の和合の場は屋外の野良と云うことになりますし、その出会いが夜と限定される訳でもありません。明るいお日様の下での出会いと云う場面もありうるのです。そのため、互いにどのような体の構造なのかをしっかり見知っているのです。其の点が平安時代以降の和歌の世界に登場する宮中や大貴族の邸宅で局などの個室を持つ女官や女房たちとは違うのです。
 参考に、奈良時代の庶民の朝の日常の男女の様子を紹介します。庶民といいましたが和歌が詠えるという面からしますと地方では里長級のある程度の教育を受けた階層以上です。標準的な農民階層よりも上の男とそれに付き合う女です。

集歌3440 許乃河泊尓 安佐菜安良布兒 奈礼毛安礼毛 余知乎曽母弖流 伊弖兒多婆里尓
訓読 この川に朝菜(あさな)洗ふ子汝(なれ)も吾(あれ)も同輩児(よち)をぞ持てるいで子給(たは)りに
私訳 この川にしゃがみ朝菜を洗う娘さん。お前もおれも、それぞれの分身を持っているよね。さあ、お前の(股からのぞかせている)その分身を私に使わせてくれ。

コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万葉雑記 色眼鏡 二六六 今週のみそひと歌を振り返る その八六

2018年05月12日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六六 今週のみそひと歌を振り返る その八六

 今回は巻十 寄花からの紹介です。詠う花は「朝容皃・朝皃」と云う花です。

集歌2274 展轉 戀者死友 灼然 色庭不出 朝容皃之花
訓読 展(こ)い転(まろ)び恋は死ぬともいちしろく色には出でじ朝貌(あさかほ)し花
私訳 身もだえして恋が死に隣り合わせであっても、その思いははっきりとは顔には出しません。朝顔の花のようには。

集歌2275 言出而 云忌染 朝皃乃 穂庭開不出 戀為鴨
訓読 言(こと)出でて云(い)ふしゆゆしみ朝貌(あさかほ)の穂には咲き出ぬ恋しするかも
私訳 人前で言葉に出し貴女に愛を告げるのははばかりがあるので、朝顔の花穂が開くようには、表に出せない恋をしています。

 一般的には集歌2274の歌の五句目「朝容皃之花」は「朝貌の花」と解釈し「朝顔の花」とします。同じように集歌2275の歌の三句目「朝皃乃」は「朝顔の」と解釈します。
一方、ある説では奈良時代には輸入植物となる朝顔はまだ輸入されていないため、奈良時代の「朝容皃之花」は朝顔ではなく、日本固有種のキキョウあるいはムクゲではないかと解説することもあります。ただ、歌で示す花は朝に咲く花で、昼や夕方に咲き出す花ではありません。また、花は萩と似た時期に咲く花であることが前提です。
 文末に示しましたが、キキョウやムクゲは一日で花が終わるものではありませんから、朝に咲き、夕べにしぼみ終わるという比喩には使えない花です。さらにムクゲ自身も輸入植物とされ、其の伝来は奈良時代に置きます。朝顔が輸入植物で奈良時代中期までに確実に輸入された記録が無いと云う議論では、ムクゲもまたその議論に巻き込まれます。
 朝皃をキキョウとする説では万葉集の次の集歌2104の歌を引用し、朝に咲くが夕方の方がさらに美しいのであれば朝顔は夕方にはしぼみ終わる一日花だから該当しない。だから、日本固有の秋の花であるキキョウが相応しいとします。しかしながら集歌594の歌に「暮陰草乃」と云う植物の名称がありますから集歌2104の歌の「暮陰社」の「暮陰」が植物名称では無いと決め付けることは出来ません。植物名称ですと旧暦九月に咲く朝顔と夕萱との花比較になります。其の時、朝果はキキョウであるとの傍証にはなりません。
 結局、万葉集を見渡しますと朝皃(朝容皃)がキキョウやムクゲではないかと云う説は可能性での異説でしか成り立たない事が判ります。平安時代から鎌倉時代に名前が変わったとするよりも、最初から朝顔は朝に花を開くから朝皃(朝容皃)と云う名前が付けられたとするのが妥当と考えます。

集歌2104 朝果 朝露負 咲雖云 暮陰社 咲益家礼
訓読 朝果(あさかほ)し朝露負(お)ひし咲くいへど夕陰(ゆふかげ)しこそ咲きまさりけり
私訳 朝顔は朝露を浴びて咲くと云うけれど、夕萱の花は夕暮れの光の中にこそひときわ咲き誇っている。

集歌594 吾屋戸之 暮陰草乃 白露之 消蟹本名 所念鴨
訓読 吾が屋戸(やど)し夕蔭草(ゆふかげぐさ)の白露し消(け)ぬがにもとな思ほゆるかも
私訳 私の屋敷に咲く夕萱の花の白露のように消えてしまいそうに、いたずらに寂しく思えるでしょう。

 歌はキキョウあるいはムクゲと云う知識披露をせずに、そのままに鑑賞するのが相応しいようです。
 集歌2274の歌に「灼然 色庭不出」と表記・漢字選字しますが、朝顔ですと花の色は青花と色変わりの白花ですから「灼然」には「白花」の意味合いが掛けられているのでしょうし、人の手によって種から栽培される朝顔の性質上、「色庭不出」の「庭」にはそのような朝顔の特性が込められているのかもしれません。同じように集歌2275の歌の四句目「穂庭開不出」の「庭」の選字にも同じ意味合いがあるのではないでしょうか。これを野生花のキキョウや樹木花であるムクゲでは和歌表記する漢字選字の感情とは一致しないのではないかと考えます。
 万葉集の歌は漢語と一字一音の万葉仮名と云う漢字だけで表記されていますから、鎌倉時代以降の翻訳された「漢字交じりかな歌」と云うものでの鑑賞とは違う結果が出る可能性があります。


#資料
朝顔の性質への解説:
伝統園芸植物の中でアサガオだけが種子でしか殖やすことができない一年草です。そのため、人の手で種を採り、播くということを繰り返さない限りすぐに絶えてしまう植物なのです。

朝顔の歴史への解説:
日本への到来は奈良時代末期に遣唐使がその種子を薬として持ち帰ったものが初めとされる。アサガオの種の芽になる部分には下剤の作用がある成分がたくさん含まれており、漢名では「牽牛子(けんごし)」と呼ばれ、奈良時代、平安時代には薬用植物として扱われていた。和漢三才図会には四品種が紹介されている。なお、遣唐使が初めてその種を持ち帰ったのは、奈良時代末期ではなく、平安時代であるとする説もある。この場合、古く万葉集などで「朝顔」と呼ばれているものは、本種でなく、キキョウあるいはムクゲを指しているとされる。

朝顔の歴史への解説(別説)
今から1200年ほど前の奈良時代に薬草として日本に渡来したアサガオは江戸時代までは原種の青花と、色変わりの白花しかなかったようです。


ムクゲ(槿)の解説
日本へは奈良時代に中国から渡来した。開花については白居易の詩の誤解釈から一日花との向きもある。種類として朝 花が開き、夕方にはしぼんで、また翌朝 開くものもあるが、たいていはそのまま翌日も開花し続け、一重のもので2〜3日、八重の長く咲くもので2週間くらい一輪の花を楽しめる。
白居易の詩 放言五首の「槿花一日自為栄」の句から「槿花一日の栄」「槿花一晨の栄え」「槿花一朝の夢」などのことわざが派生し、「わずか一日のはかない栄え」の意と解釈されるようになった。これを根拠に逆にムクゲの花を一日花とする文学が生まれた。ただし、詩では一日で美しい古代を代表する花を咲かせるとするが一日で散るとは詠っていない。

白氏文集 巻十五 放言五首より
泰山不要欺毫末 泰山は毫末も欺くを要せず
顔子無心羨老彭 顔子(がんし)は老彭(ろうほう)を羨む心は無し
松樹千年終是朽 松樹千年、終には是れ朽ち
槿花一日自為栄 槿花(きんか)一日、自らが栄と為す
何須戀世常憂死 何ぞ須(もち)ひん世を恋(した)ひ常に死を憂ふるを
亦莫嫌身漫厭生 亦た身を嫌(いと)ひ漫(みだ)りに生を厭ふこと莫(なか)れ
生去死来都是幻 生去死来、都(すべ)て是れ幻(まぼろし)
幻人哀楽繁何情 幻人哀楽、何ぞ情に繁(かか)る

注意:顔子は孔子の弟子で顔回とも云う。孔門十哲の一人で、随一の秀才。孔子にその将来を嘱望されたが、孔子に先立って四十歳で没した。老彭は殷の賢大夫で、一説には伝説上の仙人で長寿の代表である彭祖とも重ね合わさっているとされる。
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

万葉雑記 色眼鏡 二六五 今週のみそひと歌を振り返る その八五

2018年05月05日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六五 今週のみそひと歌を振り返る その八五

 今回は巻十 秋の相聞歌からの紹介です。歌は柿本朝臣人麻呂歌集からのもので、作歌者不明の歌ですが、今日では人麻呂本人による作歌と推定されています。

秋相聞
標題 秋の相聞
集歌2239 金山 舌日下 鳴鳥 音聞 何嘆
訓読 秋山し下日(したひ)し下(した)し鳴く鳥し声だに聞かば何か嘆かむ
私訳 秋の山の夕日の下にしきりに「私はここに居る」と高鳴く百舌鳥のように、せめて貴女の声だけでも聞けたら、どうして嘆くでしょう。
注意 初句「金山」の「金」は陰陽五行思想から「秋」と戯訓します。二句目「舌日下」の「舌」には、『說文解字註』に「百舌、鳥名。能易其舌、效百鳥之聲、故曰百舌也」の解説がありますから、三句目「鳴鳥」と関連させての「下」と「百舌」とを掛けた選字と思われます。

集歌2240 誰彼 我莫問 九月 露沾乍 君待吾
訓読 誰(たれ)し彼(か)し我(われ)しな問ひそ九月(ながつき)し露し濡れつつ君待つ吾そ
私訳 誰だろうあの人は、といって私を尋ねないで。九月の夜露に濡れながら、あの人を待っている私を。

集歌2241 秋夜 霧發渡 凡ゞ 夢見 妹形牟
訓読 秋し夜し霧立ちわたりおほほしく夢にし見つる妹し姿を
私訳 秋の夜霧が立ち渡って景色がおぼろになるように、ぼんやりだが夢の中に見た。愛しい恋人の姿を。

集歌2242 秋野 尾花末 生靡 心妹 依鴨
訓読 秋し野し尾花し末(うら)し生ひ靡き心し妹し寄りにけるかも
私訳 秋の野の尾花の穂先が鞘から伸びて開き靡くように、私の心は愛しい恋人に靡き寄ってしまったようだ。

集歌2243 秋山 霜零覆 木葉落 歳唯行 我忘八
訓読 秋山し霜降り覆ひ木し葉散り年し行くともわれ忘れめや
私訳 秋の山に霜が降り木々を覆い、木の葉も散りさって、この年も過ぎ行くとしても、私が貴女を忘れることがあるでしょうか。
右、柿本朝臣人麿之謌集出。
注訓 右は、柿本朝臣人麿の歌集に出づ。

 ここで、ある種の復習のような話をしますと、万葉集の歌の表記では大きく四つの表記スタイルに区分され、それは詩体歌(略体歌)、非詩体歌(非略体歌)、常体歌、一字一音万葉仮名歌と紹介されます。この異なる表記スタイルは近世では江戸時代 賀茂真淵によって最初に報告され、ついで明治期には関谷真可禰の『人麿考』、さらに昭和期の阿蘇瑞枝の『柿本人麻呂論考』によって世に知られるようになりました。特に阿蘇氏の『柿本人麻呂論考』は近代の万葉集学会の中で大きな反響があった出版で、この出版により万葉集での四つの異なる表記スタイルの存在が広く認知されるようになりました。なお、弊ブログでは詩体歌・非詩体歌などと称していますが、阿蘇氏はこれを略体歌・非略体歌と区分しています。名称は違いますが、示すものは同じです。

詩体歌
集歌一八九三 (人麻呂歌集 最初期:天智天皇期)
原歌 出見 向岡 本繁 開在花 不成不在
訓読 出(い)でて見る向(むこ)つし岡し本(もと)繁(しげ)し開(さ)きたる花し成らずは在らじ

非詩体歌
集歌一二九六 (人麻呂歌集 初期:天武天皇期)
原歌 今造 斑衣服 面就 吾尓所念 未服友
訓読 今造る斑(まだら)し衣服(ころも)面(おも)し就(つ)く吾(われ)にそ念(おも)ゆ未だ服(き)ずとも

常体歌
集歌二〇九 (人麻呂歌 後期:文武天皇期)
原歌 黄葉之 落去奈倍尓 玉梓之 使乎見者 相日所念
訓読 黄葉(もみちは)し落(ち)り去(ゆ)くなへに玉梓(たまずさ)し使(つかひ)を見れば逢し日そ念(も)ゆ

一字一音万葉仮名歌
集歌七九八 (山上憶良:天平元年)
原歌 伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陀飛那久尓
読下 いもかみし あふちのはなは ちりぬへし わかなくなみた いまだひなくに
訓読 妹が見し楝の花は落りぬべし吾が泣く涙未だ干なくに

 今回紹介しました歌はすべてが詩体歌で、歌には「てにをは」となる漢字を持ちません。ある種、擬似漢詩のようなスタイルをしています。
 阿蘇氏は万葉集歌表記で進化論を唱えたように、一時期は万葉集の歌の表記は詩体歌、非詩体歌、常体歌の順に進化したと考えられていました。ただ、現在では遺跡発掘からの資料などから進化論よりも流行論の方が有力のようです。つまり、詩体歌は飛鳥浄御原宮時代を中心に流行した和歌の表記スタイルのようです。逆に考えますと、今回 紹介しました歌は早くて近江大津宮時代、遅くて飛鳥浄御原宮時代に作られた歌であろうと考えられています。弊ブログでは人麻呂と隠れ妻との関係を勘案して、飛鳥浄御原宮時代前半に作られたと推定しています。ここのあたりの話は長くなりますので、別の機会に譲ります。

 さて、紹介しました歌は部立では「秋相聞」ですから、相互の歌の交換が前提となります。これを踏まえて、つぎのように歌を分類する事ができるかもしれません。ただ、歌の分類は詩体歌ですので「てにをは」を持ちませんので、解釈で採用する「てにをは」次第で歌の解釈は揺れ動きます。紹介した訓じと私訳は可能性の一つです。

女歌:集歌2239
女歌:集歌2240 末句「君待吾」
男歌:集歌2241 末句「妹形牟」
男歌:集歌2242 四句・末句「心妹 依鴨」
男歌:集歌2243

 ただ、詠い始めの集歌2239の歌については中国書籍の教養が豊かですので、いかにも男歌の感じがしますが、歌は相聞歌ですので贈られた人もまた歌の背景や言葉の意味を理解できるという相互間の認識があります。歌は相聞歌ですから、内容が高度だから男歌であろうと決め付けることは出来ないのです。逢えなくても話し声だけでも聞きたい、誘い出しの合図を聞きたいと云う感情からは女歌である可能性も十分にあります。
 また、五首目の集歌2243の歌を男歌と分類しましたが、可能性として女歌としても歌の鑑賞は成立します。さて、どうしましょうか。
 参考として、弊ブログではこの相聞歌での男女関係を里の有力者の娘と役所のような官に勤める男と想定し、女と男は女の屋敷での特別な和合をする部屋での出会いではありません。夜、男が合図の音や声を立てると、女は厠に行くふりをして家から出て来て男と屋外で和合するような関係と考えています。
 このような想定ですと、女から男へ二首歌が贈られ、その返しに男から女に三首贈られたと云うことになります。しかしながら、歌物語と云うものを考えますと、すべてが物語で人麻呂作歌と云う可能性があります。飛鳥浄御原宮時代前半、和歌で物語を創作していたのかどうか、非常に興味深い問題です。歌物語は藤原京時代には人々の間で楽しまれていますから、漢文による地文を持たない、物語のような相聞形式の歌で物語しても良いのかもしれません。

 今回は、中途半端ですが、素材を提供し、解釈は保留と云うことで・・・
コメント
  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする