万葉雑記 色眼鏡 二六八 今週のみそひと歌を振り返る その八八
今回は巻十 問答に載る四首をままに紹介します。巻十一の問答歌のように「右二首」などと云う紹介をしませんから、四首が一つの問答を組み立ていると思います。訓じと解釈は四首一組と云う考え方から組み立てています。
集歌2305 旅尚 襟解物乎 事繁三 丸宿吾為 長此夜
訓読 旅にすら紐(ひも)解(と)くものを事(こと)繁(しげ)み丸寝(まるね)ぞ吾(あ)がする長きこの夜を
私訳 旅行中でも宿れば着物の紐を解くのに、色々な事情があって着物を着たままで私は寝る。長いこの夜を。
集歌2306 四具礼零 暁月夜 紐不解 戀君跡 居益物
訓読 時雨(しぐれ)降る暁(あかとけ)月夜(つくよ)紐(ひも)解(と)かず恋ふらむ君と居(を)らましものを
私訳 時雨が降る暁の月夜に着物の紐を解かないまま、恋い焦がれる貴女と一緒にいられたらと願う。
集歌2307 於黄葉 置白露之 色葉二毛 不出跡念者 事之繁家口
訓読 黄(もみち)葉(は)し置く白露し色(いろ)葉(は)にも出(い)でじと念(おも)へば事(こと)し繁(しげ)けく
私訳 モミジの葉に置く白露が、この色付いた葉にも置くことがないようにと願うように、私の貴方への想いを世のしがらみで覆い隠されないようにと願うが、色々な障害が起きる。
集歌2308 雨零者 瀧都山川 於石觸 君之摧 情者不持
訓読 雨降れば激(たぎ)つ山川(やまかは)石(いは)し触れ君し摧(くだ)かむ情(こころ)は持たじ
私訳 雨が降ると激流になる山の川が岩に砕かれ川筋が裂けるような、貴方の私への想いを打ち砕くような心根を私は持っていません。
四首鑑賞では順に男歌・男歌・女歌・女歌と考えています。季節は「時雨」から九月から十月です。集歌2307の「於黄葉 置白露之」の句からしますと、十月の方がふさわしいかもしれません。そのような肌寒く人恋しい季節での問答歌の交換です。
歌が詠うように公務などでの長い期間の旅ではありません。近所への一泊二日や二泊二日のような短期での出張です。それも着替えも持たないような出張でしょうか。電話やスマートホンも無い時代ですから問答歌はその場その場での相互の歌の交換ではなく、何かがあった後で それを思い出しての歌の交換です。従いまして恋仲の女は相手の男のそのような不在を知っていたと思われます。そのような男女の関係です。
さ て、万葉集には寝るときに着物を着替えることもせず、そのままに寝る丸寝を詠った歌が六首ありますが、旅の途中の野宿でのものが三首、世のつれづれを思いそのままに寝たものが一首、そしてなにがしらの勤務でのものが二首あります。
こ の勤務かなにかの都合でのものが、集歌2305の歌であり、集歌1787の歌です。
天平元年己巳冬十二月謌一首并短謌
標訓 天平元年己巳冬十二月の歌一首并せて短謌
集歌1787 虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色色山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾歯曽戀流 妹之直香仁
訓読 現世(うつせみ)の 世し人なれば 大王(おほきみ)し 命(みこと)恐(かしこ)み 礒城嶋(しきしま)の 日本(やまと)し国の 石上(いそのかみ) 振(ふる)し里に 紐解(と)かず 丸寝(まるね)をすれば 吾が衣(き)る 服(ころも)は穢(なれ)ぬ 見るごとに 恋はまされど 色(いろ)に出(い)でば 人知りぬべみ 冬し夜し 明(あ)かしもえぬを 寝(い)も寝(ね)ずに 吾はぞ恋ふる 妹し直香(ただか)に
私訳 現世の世を生きる人なので、大王の御命令を謹んで承って、礒城嶋の大和の石上の布留の里に上着の紐を解くこともせず、ごろ寝をすると、私が着る服はよれよれになった。貴女が紐を結んだこの衣を見る度に恋心は増さるけど、表情に出せば人は知るでしょう。冬の長き夜の明かし難いのを寝るに寝られず、私は恋慕う、愛しい貴女の目に映る姿に。
反謌
集歌1788 振山従 直見渡 京二曽 寐不宿戀流 遠不有尓
訓読 布留山(ふるやま)ゆ直(ただ)に見わたす京(みやこ)にぞ寝(い)も寝(ね)ず恋ふる遠くあらなくに
私訳 石上の布留山から、直接に見渡せる奈良の京に居る、夜に寝ることも出来ずに貴女を慕う。そんなに遠くでもないのに。
集歌1789 吾妹兒之 結手師紐乎 将解八方 絶者絶十方 直二相左右二
訓読 吾妹子し結(ゆ)ひてし紐を解(と)かめやも絶えば絶ゆとも直(ただ)に逢ふさへに
私訳 私の愛しい貴女が結んだ紐を解くことがあるでしょうか。紐が切れるなら切れたとしても、直接に貴女に逢へるなら。
歴史を記録する続日本紀に、天平元年十一月七日以降、天平二年元日までの記録は載りません。また、天平二年十一月七日から天平三年元日も記録がありません。このため、慣例によるものか、臨時によるものかを含めて集歌1787の歌が詠われた背景を推測する事が困難です。
歌で詠われる「石上」から考えられるのが石上神社での年越の大祓での警護や使者への扈従でしょうか。朝廷からの正使たちであれば深夜に始まる儀式に参列しますから丸寝と云うことはありえませんが、幣物運搬の警護や従者ですと儀式が終わるまで待機ですから仮眠やうたた寝の状況はあるでしょう。そのような状況でしょうか。例えば、長忌寸意吉麻呂は大和歌を良く詠う奈良時代中期を代表する歌人の一人ですが、身分は初位クラスの役人と考えられています。その身分ですと警護や従者がせいぜいで儀式に参列する可能性はありません。
先の四首に戻りますと、十月ごろの畿内への短期出張であり、恋人の女も男のそのような予定を知っていたとしますと、相嘗祭への使者への扈従でしょうか。祀りは深夜早朝から始まりますから朝廷からの使者は前々日中には神社に到着し準備を行うと思います。すると、扈従するものは奈良―飛鳥の間であれば祀り当日の午後には奈良に戻るとすると二泊二日程度での短期出張でしょうか。小者であれば往復の道中警護や弊物の運搬が主業務でしょうから、歌が示すように祀り中は待機・休憩のような状況かもしれません。
もしここでの妄想が正しいものとしますと、今も昔も給与生活者であるサラリーマンの日常は大きくは変わらないようですし、愚痴話の様子も変わりません。歌の世界は一昔の部課長の出張に付き合わされる鞄持ちの若手社員、今ですと役職者の海外出張に同行する部下の姿と同じでしょうか。その若手社員がスマフォで連絡を取り合う恋人への愚痴とも、恋の表現とも取れるような会話と同じ風情でしょうか。
万葉集に似た風景の歌が二組存在することは、大伴家持たちにしても似たような感情があったのでしょうか。それとも大伴家持たちを補佐したと思われ、せいぜい造酒司令(大初位上)の微官に終わったと思われる田邊史福麻呂たちの感情だったのでしょうか。
今回は巻十 問答に載る四首をままに紹介します。巻十一の問答歌のように「右二首」などと云う紹介をしませんから、四首が一つの問答を組み立ていると思います。訓じと解釈は四首一組と云う考え方から組み立てています。
集歌2305 旅尚 襟解物乎 事繁三 丸宿吾為 長此夜
訓読 旅にすら紐(ひも)解(と)くものを事(こと)繁(しげ)み丸寝(まるね)ぞ吾(あ)がする長きこの夜を
私訳 旅行中でも宿れば着物の紐を解くのに、色々な事情があって着物を着たままで私は寝る。長いこの夜を。
集歌2306 四具礼零 暁月夜 紐不解 戀君跡 居益物
訓読 時雨(しぐれ)降る暁(あかとけ)月夜(つくよ)紐(ひも)解(と)かず恋ふらむ君と居(を)らましものを
私訳 時雨が降る暁の月夜に着物の紐を解かないまま、恋い焦がれる貴女と一緒にいられたらと願う。
集歌2307 於黄葉 置白露之 色葉二毛 不出跡念者 事之繁家口
訓読 黄(もみち)葉(は)し置く白露し色(いろ)葉(は)にも出(い)でじと念(おも)へば事(こと)し繁(しげ)けく
私訳 モミジの葉に置く白露が、この色付いた葉にも置くことがないようにと願うように、私の貴方への想いを世のしがらみで覆い隠されないようにと願うが、色々な障害が起きる。
集歌2308 雨零者 瀧都山川 於石觸 君之摧 情者不持
訓読 雨降れば激(たぎ)つ山川(やまかは)石(いは)し触れ君し摧(くだ)かむ情(こころ)は持たじ
私訳 雨が降ると激流になる山の川が岩に砕かれ川筋が裂けるような、貴方の私への想いを打ち砕くような心根を私は持っていません。
四首鑑賞では順に男歌・男歌・女歌・女歌と考えています。季節は「時雨」から九月から十月です。集歌2307の「於黄葉 置白露之」の句からしますと、十月の方がふさわしいかもしれません。そのような肌寒く人恋しい季節での問答歌の交換です。
歌が詠うように公務などでの長い期間の旅ではありません。近所への一泊二日や二泊二日のような短期での出張です。それも着替えも持たないような出張でしょうか。電話やスマートホンも無い時代ですから問答歌はその場その場での相互の歌の交換ではなく、何かがあった後で それを思い出しての歌の交換です。従いまして恋仲の女は相手の男のそのような不在を知っていたと思われます。そのような男女の関係です。
さ て、万葉集には寝るときに着物を着替えることもせず、そのままに寝る丸寝を詠った歌が六首ありますが、旅の途中の野宿でのものが三首、世のつれづれを思いそのままに寝たものが一首、そしてなにがしらの勤務でのものが二首あります。
こ の勤務かなにかの都合でのものが、集歌2305の歌であり、集歌1787の歌です。
天平元年己巳冬十二月謌一首并短謌
標訓 天平元年己巳冬十二月の歌一首并せて短謌
集歌1787 虚蝉乃 世人有者 大王之 御命恐弥 礒城嶋能 日本國乃 石上 振里尓 紐不解 丸寐乎為者 吾衣有 服者奈礼奴 毎見 戀者雖益 色色山上復有山者 一可知美 冬夜之 明毛不得呼 五十母不宿二 吾歯曽戀流 妹之直香仁
訓読 現世(うつせみ)の 世し人なれば 大王(おほきみ)し 命(みこと)恐(かしこ)み 礒城嶋(しきしま)の 日本(やまと)し国の 石上(いそのかみ) 振(ふる)し里に 紐解(と)かず 丸寝(まるね)をすれば 吾が衣(き)る 服(ころも)は穢(なれ)ぬ 見るごとに 恋はまされど 色(いろ)に出(い)でば 人知りぬべみ 冬し夜し 明(あ)かしもえぬを 寝(い)も寝(ね)ずに 吾はぞ恋ふる 妹し直香(ただか)に
私訳 現世の世を生きる人なので、大王の御命令を謹んで承って、礒城嶋の大和の石上の布留の里に上着の紐を解くこともせず、ごろ寝をすると、私が着る服はよれよれになった。貴女が紐を結んだこの衣を見る度に恋心は増さるけど、表情に出せば人は知るでしょう。冬の長き夜の明かし難いのを寝るに寝られず、私は恋慕う、愛しい貴女の目に映る姿に。
反謌
集歌1788 振山従 直見渡 京二曽 寐不宿戀流 遠不有尓
訓読 布留山(ふるやま)ゆ直(ただ)に見わたす京(みやこ)にぞ寝(い)も寝(ね)ず恋ふる遠くあらなくに
私訳 石上の布留山から、直接に見渡せる奈良の京に居る、夜に寝ることも出来ずに貴女を慕う。そんなに遠くでもないのに。
集歌1789 吾妹兒之 結手師紐乎 将解八方 絶者絶十方 直二相左右二
訓読 吾妹子し結(ゆ)ひてし紐を解(と)かめやも絶えば絶ゆとも直(ただ)に逢ふさへに
私訳 私の愛しい貴女が結んだ紐を解くことがあるでしょうか。紐が切れるなら切れたとしても、直接に貴女に逢へるなら。
歴史を記録する続日本紀に、天平元年十一月七日以降、天平二年元日までの記録は載りません。また、天平二年十一月七日から天平三年元日も記録がありません。このため、慣例によるものか、臨時によるものかを含めて集歌1787の歌が詠われた背景を推測する事が困難です。
歌で詠われる「石上」から考えられるのが石上神社での年越の大祓での警護や使者への扈従でしょうか。朝廷からの正使たちであれば深夜に始まる儀式に参列しますから丸寝と云うことはありえませんが、幣物運搬の警護や従者ですと儀式が終わるまで待機ですから仮眠やうたた寝の状況はあるでしょう。そのような状況でしょうか。例えば、長忌寸意吉麻呂は大和歌を良く詠う奈良時代中期を代表する歌人の一人ですが、身分は初位クラスの役人と考えられています。その身分ですと警護や従者がせいぜいで儀式に参列する可能性はありません。
先の四首に戻りますと、十月ごろの畿内への短期出張であり、恋人の女も男のそのような予定を知っていたとしますと、相嘗祭への使者への扈従でしょうか。祀りは深夜早朝から始まりますから朝廷からの使者は前々日中には神社に到着し準備を行うと思います。すると、扈従するものは奈良―飛鳥の間であれば祀り当日の午後には奈良に戻るとすると二泊二日程度での短期出張でしょうか。小者であれば往復の道中警護や弊物の運搬が主業務でしょうから、歌が示すように祀り中は待機・休憩のような状況かもしれません。
もしここでの妄想が正しいものとしますと、今も昔も給与生活者であるサラリーマンの日常は大きくは変わらないようですし、愚痴話の様子も変わりません。歌の世界は一昔の部課長の出張に付き合わされる鞄持ちの若手社員、今ですと役職者の海外出張に同行する部下の姿と同じでしょうか。その若手社員がスマフォで連絡を取り合う恋人への愚痴とも、恋の表現とも取れるような会話と同じ風情でしょうか。
万葉集に似た風景の歌が二組存在することは、大伴家持たちにしても似たような感情があったのでしょうか。それとも大伴家持たちを補佐したと思われ、せいぜい造酒司令(大初位上)の微官に終わったと思われる田邊史福麻呂たちの感情だったのでしょうか。