写楽爺の独り言

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紹介をメインにしています

福島旅行記最終回-リステル猪苗代(2)

2009年08月26日 | 旅行など
  リステルパーク『猪苗代ハーブ園』ホテル併設のハーブ園。
  時期が時期だけに多くの花はありませんでしたが咲いていた一部を紹介します。
  ⑦~⑫はヒマワリです。


    ※上下の小さな写真にマウスオンで拡大部に表示されます。
<「①」><「②」><「③」><「④」><「⑤」><「⑥」>
「猪苗代ハーブ園の花」
<「⑦」><「⑧」><「⑨」><「⑩」><「⑪」><「⑫」>

  孫が撮った向日葵
 

  ホテル内のイベントの一つ、フォトスタンドに押し花等で飾りつけ

     8月始めに行った福島旅行、もう夏休みも終わりが近づいてきました。
     孫の父親の墓参を兼ねての旅でしたがそれなりに楽しむ事が出来ました。
     福島旅行記も今回が最終回です。



福島旅行記-リステル猪苗代(1)

2009年08月24日 | 旅行など
  2泊目の宿は猪苗代町にある「ホテルリステル猪苗代」にしました、
  猪苗代湖と磐梯山の中間に位置するリゾート施設で冬はスキー場があり、
  他にハーブガーデンやプール・テニスコート・キャンプ場等があります。
  チョッと代金は高くなりますが高層階の部屋にしたので見晴らしは抜群でした。


  ①宿泊した「ウイングタワー」


  ②部屋からの眺めで、猪苗代湖も望めました。


  ③②番と同じ窓からですが右には磐梯山が望めます。


  ④夏休み期間中はハーブガーデンで夜間イルミネーションや花火がありました。


  ⑤イルミネーションは規模が小さくどうと言うものではありませんが、
   子供たちにとっては珍しいイベントで孫も喜んでいました。


  ⑥


  ⑦最終日はチェックアウト(12時)までホテルで遊ぶ事にして、朝一番は熱気球に乗りました、
   ロープに繋がれたままで上空高くとは行きませんが私も孫も初体験で結構楽しめました。


  ⑧頭上近くでガスが火を吹くため音と熱気に最初は孫もビックリしていましたが
   上昇する時はエレベータとは違いスーと浮き上がるので気持ちが良かったです。


  ⑨熱気球の後は孫一人でパターゴルフやチビッ子ソリ遊びなどで遊んでいました。
   ホテル前には「ハーブガーデン」もありました、あまり花は咲いていませんでしたが
   次回紹介します。



福島旅行記-会津藩校日新館(2)

2009年08月20日 | 旅行など
  福島県会津若松市にある会津藩の藩校『日新館』(現在のものは復元されたものです)
  授業風景(復元)と校舎外の写真です。
  当時の様子が人形を使って展示されていますが、白虎隊士の名が付けられていました。


  ①東塾内の廊下


  ②素読授業風景 素読とは意味を気にせず声を出してともかく読む、今で言う音読の様です


  ③天球儀を使っての天文学の学習


  ④昼休みの光景 弁当を食べる者や腕相撲や将棋で遊ぶ者が再現されています


  ⑤校舎の外には「水練水馬池」があり武具を着けての泳法や水中での馬術訓練がされました


  ⑥現在の水練水馬池には鯉が飼われていました、孫が餌を買って撒くとビックリするほど集まって来ました


  ⑦天文台 小さな高台ですがここで遠眼鏡などで星の観察などしたのでしょうか


  ⑧天文台上から見た日新館の建物群

福島旅行記-会津藩校日新館(1)

2009年08月18日 | 旅行など
  福島県会津若松市にある会津藩の藩校『日新館』(現在のものは復元されたものです)
  江戸時代も中期を過ぎ泰平のなか武士道にもゆるぎが見られる様になった事から
  文武両道を学べる学校として1803年に作られたそうです。
  会津藩士の子は10歳になると入学する決まりとなっていました。

  幕末明治維新の戊辰戦争時には閉校となり
  建物は臨時病院として使われ戦争負傷者の治療にあたったそうです。
  飯盛山で集団自害した白虎隊の少年剣士達は日新館の生徒達でした。
  

  ①日新館正面入り口に向かう階段 

  ②丁度昼頃で弓道の練習をしていた会津の男女の高校生が袴姿で出てきていました。  


  ③南門(日新館正面入り口)  


  ④日新館の『什の掟』(じゅうのおきて)最後の二つを除けば現代の少年にも声を大にして言いたい事です。
    「ならぬことは ならぬものです」この強いメッセージが凄いと感じました。

   「什とは町内の区域を「辺」という単位に分け、辺を細分して「什」という藩士の子弟のグループに分けた。
   什では「什長」というリーダーが選ばれ、什長は毎日、什の構成員の家の座敷を輪番で借りて、
   什の構成員を集めて「什の掟」を訓示した、什の掟は7ヶ条からなる。(Wikipediaより抜粋)


  ⑤戟門 南門を入るとあり、この東側に東塾が西側に西塾と呼ばれる校舎が中庭を囲む様にあります。


  ⑥寺院ではないのででしょうか?


  ⑦屋根の鬼瓦の位置にありました。


  ⑧大成殿 講堂で孔子を祀ってあります。


  ⑨大成殿の中の孔子像 日新館の教えの元は儒教であった事がうかがえます。

 
   日新館では武道だけでなく医学や天文学なども教授していたようで
   授業の様子など人形を置いて当時の様子が説明されていました。
   次回にそんな写真を紹介します。

福島旅行記-野口英世記念館

2009年08月16日 | 旅行など
 福島県耶麻郡猪苗代町にある『野口英世記念館』です。
 野口英世と言えば一歳のときに火傷をしくっ付いてしまった指を離す手術に感動して
 医学を志し世界的医学者として有名ですが、近頃の子供達には知っている子でも
 千円札の人ぐらいのようです。
 孫がこの「千円札の人」に興味を持ち図書館で伝記等野口英世の本を借りて
 読んだ事からここを見学する事にしました。
 夏休みとあって多くの観光客がいましたノートやメモを持った小学生も見受けられました。
 孫も展示室では熱心にメモを取っていました。


  誕生地碑には英世博士の遺髪が埋められているそうです。


  野口英世は明治9年に生まれ状況するまでの19年間を過ごした生家が猪苗代湖畔に保存されていて、
  隣には英世博士の生涯や研究内容などの資料が展示されています。
  昔は無かったのですがガソリンスタンドの屋根のように家保護するため被うています。


  生家は築2百年近く経つと言われますが当時の生活が偲ばれる様保存されています。


  英世博士は初め清作と言う名前でした、清作一歳半の時この囲炉裏に落ちて手に大火傷を負いました。


  博士は研究などで外国生活が長く34歳でメリー・ダージスと結婚、
  黄熱病原体の発見等世界的偉業を成し遂げ、アフリカで黄熱病の研究中に感染して亡くなりました。
  ニューヨークに葬られ墓碑には「博士は科学への献身により 人類のために生き 人類のために死せり」と
  刻まれているそうです、もちろん英語で書かれているのでしょう。


福島旅行記-あだたら高原

2009年08月13日 | 旅行など
  「あれが阿多多羅山、あのひかるのが阿武隈川」、
  「阿多多羅山の山の上に毎日出ている青い空が、智恵子のほんとの空だといふ」等
  詩人高村光太郎が詠んだ安達太良山

  安達太良山中腹にある「あだたら高原スキー場」
  ここに「あだたらエクスプレス」と言うゴンドラがあり8合目まで一気に昇ってくれます。
  山頂駅から遊歩道も整備されていて高原の花が楽します。
  今回は山頂駅周辺でチョコと写真を撮った後レストハウスでお茶をするだけの、
  ゴンドラで往復しただけでした。


  ①昇りで撮った写真 ②は下りで撮った写真 ほぼ同じ位置なのに短時間で変ってしまいます。


  ②


  ③山頂駅に着いた時の夏空、お茶をしている間に②の様になってしまいました。


  ④山頂駅周辺咲いていた花、露が真夏の太陽に輝いていました。


  ⑤


  ⑥


  ⑦山頂駅で見たトンボ、下界では中々撮れない私にも撮れましたよ。



    安達太良山と二本松市街地との中ほどに位置する『岳温泉』
    一泊目の宿を取りました。


  ⑧ホテルの部屋の窓景、宿の前は「鏡ケ池」が有り遊歩道で一周できます。


  ⑨


  ⑩朝6時頃に一人で散策に出かけましたが、朝靄でホテルの建物も霞んで見えます。


  ⑪朝靄の中それなりに雰囲気は良いのですが・・・。


  ⑫


  ⑬遊歩道脇の草に掛けられた蜘蛛の巣、フラッシュを焚いて撮りました。


福島旅行記-安達ケ原「観世寺」

2009年08月11日 | 旅行など
    二本松市安達ケ原にある天台宗真弓山『観世寺』です、
    奈良時代「阿闍梨祐慶東光坊」により開基された古刹です。
    安達ケ原を訪れた東光坊は「如意輪観音」に祈願したところ、
    観音尊像は舞い上がり白真弓で鬼婆を射殺したそうで、
    鬼婆を埋めた塚のことを「黒塚」と言うそうです。
    観世寺「宝物館」には鬼婆が使った出刃包丁などが展示されていました。


  ①観世寺入り口


  ②


  ③「白真弓如意輪観音堂」白真弓如意輪観音は秘仏で60年に一度のご開帳だそうです


  ④鬼婆が出刃包丁を洗ったと伝えられる「出刃洗の池」


  ⑤鬼婆が住んだと言われる岩屋付近


  ⑥「安堵石」誰にも明かせぬ胸の内をこの石に託すと言う聞き受けの石


  ⑦境内に咲いていたユリの花

福島旅行記-安達ケ原ふるさと村

2009年08月09日 | 旅行など
    妻と孫との3人福島旅行から無事帰宅しました、
    2年近く振り総行程約700kmの長距離ドライブでした。
    心配した天候もパラパラの雨はありましたが傘を使う事もなく、
    真夏の太陽も顔を出してまずまずの旅を終えました。
    これから暫くの間場所ごとに整理してご紹介させていただきたいと思います。


  第一回は二本松市にある『安達ケ原ふるさと村』です。
  ①武家屋敷やかつての農家などが移築されの故郷風景が偲ばれる所です


  ②


  ③「絹の家」移築された養蚕農家、工程を道具と人形で紹介されていました

  ④「武家屋敷の門」江戸末期の武家屋敷を再築し人形などで藩士と家族の生活風景が再現されています



  ⑤「五重塔」


安達太良と言えば高村光太郎「智恵子抄」の千恵子の里
で知られていますが、
「安達ケ原鬼婆伝説」でも有名で歌舞伎や謡曲などで演じら
れています。

ここの五重塔には一層の開いた扉の向こうには鬼婆の像が
鎮座していました。

  ここ「安達ケ原ふるさと村」の隣には鬼婆伝説に関わる
  『観世寺』があり、次回紹介します。


  「ふるさと村」に咲いていた花   ※小さな写真にマウスオンで拡大部に表示されます
<①><②><③><④><⑤><⑥>
「安達ケ原ふるさと村」の花

自宅の花

2009年08月03日 | 自宅での撮影(花等)
  自宅玄関横に置いてある鉢植えの花です。
  全て60mmマクロレンズで手持ちで撮りました。
  曇天で風があり小さな花のピント合わせには苦労しました。


   ※小さな写真にマウスオンで拡大部に表示されます
<①><②><③><④><⑤><⑥>
自宅で撮った花

     明日から3日間福島へ行ってきます。
     亡くなった孫の父親のお墓参りを兼ねての夏休み旅行です、
     孫の父親の故郷を散策する程度の旅です。
     長距離運転するのは1年10ヶ月ぶりでそれも不安、
     天候もスッキリしない状態が続きこれも心配です。
     Blog更新を今週一杯お休みします。