写楽爺の独り言

写真好き爺の撮った写真の
紹介をメインにしています

メリークリスマス!!

2016年12月24日 | その他


いつもご訪問・コメントいただきありがとうございます。
今年もアッと言う間に時が流れ気が付けばクリスマスに大掃除の待つ師走になってしまいました。
今年後半は妻の入院と退院後を含めて家事に追われる日々で写真を撮りに行く時間が有りませんでした。
それでも何とか更新は続けてきましたが納得のいく写真を載せられなかったのが残念です、
年内の更新はこのクリスマスカードをもって終了とします

皆様にはどんなクリスマスを過ごされますでしょうか、我が家ではケーキだけは
発注してありますが・・・。
来年も時間が無いのには変わりはないと思いますが何とかBlog更新は続けて
行きたいと考えていますのでよろしくお願いいたします。

良いお年を迎えられますよう。    写楽爺


コンニャク閻魔 【東京小石川 源覚寺】

2016年12月21日 | 神社仏閣
東京文京区小石川にある『源覚寺』です。
源覚寺は寛永元年に創建された、浄土宗のご本尊は阿弥陀如の寺院ですが
通称「コンニャク閻魔」 として信仰されています。
ここの閻魔さまが「こんにゃく閻魔」と呼ばれるようになり、眼病治癒の閻魔さまとして人々の信仰を集める様になったのには訳があります。

ここの閻魔さまの右目部分は割れて黄色く濁っています。
宝暦年代のころ(1751年?1764年)、眼病を患った老婆が閻魔大王に21日間の祈願を行ったところ、夢の中に大王が現れ「願掛けの満願成就の暁には私の両目の内一つを貴方に差し上げよう」と言われたそうです。
老婆の目は治り、以来閻魔大王の右目は盲目となったとの事。


老婆は感謝のしるしとして好物の「こんにゃく」を断ち、それを供え続けたということで、閻魔堂の前には多くのコンニャクが供えられているそうです。

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 (6) 「塩地蔵」 2体で1組のお地蔵、お地蔵さまの体に塩をつけてお祈りすると
     体の同じ部分の病気が治るといわれ、「塩」ということで、お相撲さんもお参りに来るそうです


 (7)  元禄3年に鋳造された源覚寺の釣り鐘はかつてサイパンの南洋寺に送られ、
     太平洋戦争をへて平和のシンボルとして再び源覚寺に帰ってきました




慈眼院 【東京小石川】

2016年12月19日 | 神社仏閣
前回までの「伝通院」から数分の場所にある浄土宗『無量山 慈眼院』に寄りました。
「慈眼院」は伝通院塔頭寺院として1620年に創建されたそうですが本堂は昭和に
再建されたもので境内も広くはなく、町中に見かけるお寺さんと言った感じでした。
                                      撮影は12月7日
この慈眼院の境内に「沢蔵司稲荷」があります」。
伝通院の学寮(修行所)いた修行僧 沢蔵司は三年で浄土宗の奥義を極めたという
秀才でした、ある夜学寮長の夢の中に現れ「余は千代田城の内の稲荷大明神である、かねて勉強をしたいと思っていた長年の希望ここに達した。 今より元の神に帰るが長く当山を守護して恩に報いる」と告げたそうで、その話を聞いた伝通院の住職は境内に『沢蔵司稲荷』を祀ったとの事です。

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小石川『傳通院』 No2

2016年12月15日 | 神社仏閣
小石川『傳通院』No2は「 於大の方」や「千姫」の墓所と鐘楼付近の紅葉です。
都内でも紅葉は終盤で、ここでもよく見ると傷んで枯れた葉が多かったですが
建物などと撮るにはまだ綺麗に見えました。         撮影は12月7日

 (1) 都心のビル群などは遠くから眺めると墓標の様に見えてしまうこともあるのですが・・、
     空襲で焼け野原となった小石川一帯ですが墓石はそのまま健在だったそうです。
     これから100年後このビル群はキッと形を変えてしまっているでしょうが
     墓石はこのままの姿を残しているのではと思います。  


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 (3)  於大の方墓所  

 


 (4) 千姫の墓所 




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 (7) 鐘楼と本堂 


 (8)~ 鐘楼周りの紅葉  


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小石川『傳通院』 No1

2016年12月12日 | 神社仏閣
通称「小石川伝通院」と呼ばれている 『無量山 寿経寺 傳通院』
徳川家康の生母「於大の方」や二代将軍徳川秀忠の娘で豊臣秀頼に嫁いだ「千姫」等々徳川家特に女性の方が多く埋葬されているとの事。
本殿や山門など建物のほとんどは太平洋戦争時米軍の空襲により焼失、
現在の本堂・山門は昭和になって再建されたそうです。
                                 撮影は12月7日

 (1) 山門


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 (6) 勢至菩薩・法蔵地蔵尊・観世音菩薩 



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 (8)  指塚  「指圧の心は母心 押せば命の泉枠」の浪越徳治郎が創立した指圧の学校が
         隣にある縁で浪越が寄贈されたそうです 


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 (11) 本堂 


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 (14) 書院


 (15)  書家・中村素堂の書による「如是我聞」の碑
      【経典の冒頭に書かれて「このように私は聞きました」の意】


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        No1は山門から本堂の様子でしたが、
        No2では「於大の方」などの墓と鐘楼付近の紅葉・黄葉を載せようと整理中です。

浄閑寺

2016年12月09日 | 神社仏閣
東京荒川区南千住にある浄土宗『榮法山 浄閑寺』です。
1655年創建で安政の大地震の時にたくさんの新吉原の遊女が投げ込むように
葬られたことから「投込寺」と呼ばれ【生まれては苦界、死しては浄閑寺】と詠まれた、境内に「新吉原総霊塔」があります。
この他にも文豪永井荷風が良く訪れていたことから永井荷風の文学碑や噺家の
三遊亭歌笑墓や侠客濡髪長五郎墓などがありますが今回は撮りませんでした。

 (1) 本堂は昭和に火災にあい現在鉄筋コンクーリト造りの建物になっています 


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 (4) 萩原秋巌先の墓と新比翼塚


 (5) 境内に銀杏の木があります


            (6)墓石と墓石の間の通路は黄色の絨毯を敷き詰めた様になっていました  
      

    墓参りとお寺さんへの年末の挨拶を終え、小石川「伝通院」へと向かいました。
    「六義園」にしようか迷ったのですが曇り空でもあったので伝通院と近くの寺院等を撮り歩きました。
    伝通院での撮影がメインですがまだ整理が終わっていない状態で年内にはBlogアップしたいと
    は思っているのですが・・・。

庭の水滴

2016年12月07日 | 水滴
小金井公園で撮った以降まったくシャッターを切っていない日が続いています。
先月24日の雪の日に撮ったのと雨の多かった9月に撮った水滴を載せることに
しました。

        今日は妻がサークルに行くというので幸い次女が休みで予定も入っていないとの事で
        付き添いをしてくれることになりました。
        一人での行動が可能となったのでお寺さんへの年末の挨拶を兼ねて墓参りに行くこと
        にしました、折角都内に出るのでどこか寄り道をして撮影をして来たいと思っています。

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「江戸東京たてもの園」 【小金井公園】 No3

2016年12月02日 | 紅葉・黄葉
「江戸東京たてもの園」には江戸時代後期から明治大正昭和にかけて建てられた
建物を復元して下町風情を再現した通りがあります。
下町通りの風景とこれまでに載せられなかった紅葉黄葉風景を紹介します。
                                     撮影は11月16日


 (1) 正面突き当りは東京の銭湯の建物を代表する「子宝湯」、玄関には彫刻がしてあります



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