今日は、よいお天気です。
これからの季節は、寒さと暖かさが繰り返されて、雨が降る日もあったりで・・・
三寒四温という言葉のような気候に近づいてゆきます。
先日沖縄から来られたお客様は、「寒さを体感したくてきました。」とおっしゃっていました。
今頃の沖縄は・・・そろそろ桜が咲く頃でしょうか・・・。
今日はバレンターンデー。大切な人に、そして想いをよせる人に、心の想いを届けたいですね
あと1ヶ月で、東日本大震災から2年。
昨年7月の九州地方の大雨による豪雨水害からも7ヶ月が過ぎ、阿蘇や熊本市内でもまだまだ復旧作業中です。
被害を受けた方々は失ったものや、心に負った傷をずっと抱えながらも、前を一生懸命向いて生きています。
人には見せないたくさんの想いを抱えて・・・
テレビや新聞で取り上げられなくなると、ついつい今の自分の生活の中で忘れてしまうけれど、忘れてはならない、風化させてはいけない、
教わることや学ぶ事もたくさんあります。まだまだ自分でも出来ることがありますね。
思うことはたくさんあり、ここに書きたいこともた~~っくさんあるのですが、言葉や活字ではなかなか難しいです。
もうおととしになります。
2011年11月に、震災後初めて宮城県仙台市と石巻市の津波の被害を受けた地域を地元の方々のご案内で回らせていただき、その最後に行かせてもらったのが大川小学校さんの校舎と、現在学校を間借りしている飯野川第一小学校さんでした。
大川小学校さんは、全校児童108名のうち、74名の児童が津波に飲みこまれてしまいました。
先生方も、10名も・・・。
一緒に回ってくださった津田さんの息子さんの通っていた学校でお世話になった先生もいました。
ニュースなどで多く取り上げられている小学校ですが、それは特別ではない、日本全国の小学校、先生方、子供達、そして保護者の皆さん・・・同じだということを、実際に子供たちやお父さんお母さん、おばあちゃんとお会いして思いました。
今現在、大川小学校にいる先生方は、2011年4月に来られた先生方ですが、皆さん大川小学校の子供たちと一緒に・・・これも上手く言葉にできませんが、「普通に」日々の学校生活が送れるようにとてもがんばっていらっしゃいます。
4回おじゃましただけの私が何をここで言えるのかという気持ちですが、大切なわが子を突然うばわれてしまったお父さんお母さん、家族、親戚・・・。
これは、この地球上どこでも誰でも、いつ起きてもおかしくない出来事で、今この瞬間も大きな悲しみを抱えながら生きてゆくしかない人がいて、
「ひまわりのおか」の絵本には、そのお母さんの想いが入っています。
子供たちの笑顔が、愛情がつまっています。
悲しい出来事が起きた中で、いつも近くにいたはずの愛するわが子に、会いたい。
会いたい、抱きしめたい。話したい。
子供へ書いたお手紙を元に描かれた絵本です。
絵本の帯に書かれてある言葉
「東日本大震災で発生した大津波によって、
74人の児童の命がうばわれてしまった、宮城県石巻市の小学校。
この小さな小学校のそば、こどもたちが避難しようとしていた場所に、
わが子をなくしたお母さんたちが、ひまわりを植えはじめました。
太陽に向かってすくすくと元気に育つひまわりのすがたに、
お母さんたちはそれぞれの思いを重ねているのでした。
この本は、ひまわりを植えはじめた8人のお母さんたちの、
わが子へ宛てた手紙やお話しをもとにつくられた絵本です。」
この本を、大川小学校の教頭先生から送っていただきました。(たまたまテレビで見たので電話をしたら、直接送ってくださいました。本の印税は、捜索費用に充てられるとのことですので、ご希望の方はぜひ、手に取って読んで見てほしいです。須永博士美術館にも見本として置いてあります。)
本の中には、大川小学校さんで写真で見せていただいたお子さんたちの姿がありました。
開いたとたん、涙で読めなくなってしまったけれど、何度も何度も読んで、子供たちに読み聞かせたりしています。
実際に、須永博士が大川小学校さんへ2回お伺いした時にも、お子様をなくされたお母さんやおばあちゃんがきて下さいました。
その時にお母さん方が肩を震わせて泣かれている姿、そのお母さんをもう1人のお母さんがそっと背中をさすってあげている姿。
「まわりの人に“がんばって”と言われるけれど、がんばることがなくなっちゃったのに、なにをがんばったらいいの」
と話してくれたお母さん、娘さんの写真は、きりっとした素敵な女の子。
「今日、娘と息子も連れてきました。」と、手帳にはさんだ娘さんと息子さんの写真を見せてくれたお母さん。
「今日は来れなかったけれど、まだ見つからない息子さんをずっと探しているお父さんに“絶対にまた会える”と言葉を書いて欲しい」とお願いしてくださった、友達のお母さん。
実際に大川小学校さんへおじゃました時に、このブログで書こうと思っても、こうして文字にするのも辛くてできなかったけれど、こうして書く勇気を、須永博士の電話でもらいました。
2月10日に東京都足立区の生涯学習センターでおこなわれた「ひまわりのおか」朗読会
須永博士と奥さん、そして私の弟も行ってきました。
絵本の朗読会のあとにおこなわれた大川小学校の千葉校長先生の講演を聴いた須永博士の話を聞きました。
千葉校長先生は、昨年4月から大川小学校の校長先生になりましたが、今の4~6年生が1~3年生の時に大川小学校の教頭先生をされていたそうです。
なので、4~6年生の顔も、保護者さんも知っているのだそうです。
このことは、昨年6月におじゃました際もお聞きしておりました。
2月10日の講演では、震災当時赴任されていた小学校で被災した話や、避難していた時の話し、須永博士も電話で話しながら「胸がつまって話せないよ・・・。」という、実際の生の声を話してくださったそうです。
千葉校長先生はまず、
「私がここで話すのは、ご遺族の方には申し訳ない。
でも、伝えないとと思い、ここまできました。」
と話されたそうです。
その言葉の重さを感じます。
そして、千葉校長先生が震災当時赴任されていた小学校の話では、
「地震が起き、6mの津波がくると防災無線があり、みんなを2階へ避難させようとしていたら、“避難訓練では3階だった”という声を思い出し、3階へ避難することにした。
避難してきた車椅子の方もいて、3階まで運んでいた。
津波が来る瞬間は、ちらっと見ただけ、校庭にザワザワと津波が迫ってきていた。
避難した3階は、大丈夫だった。
小学校には、近隣の避難してきたひとも含め1200名がいて、4日間何も食べずに過ごした。
4日目に自衛隊のヘリが来て、校庭のがれきをみんなでどかし、ヘリが降りて救援物資を下ろしてくれた。
その救援物資のダンボールのガムテープに「俺達がついてるぞ」とひとつひとつに書いてあった。
それを見て、泣きました・・・。」
「救援物資が山になるほどあったけれど、3階だけでなくて、校庭にも避難している人がいる。
分けるのは、高校生大学生の若者達が手伝ってくれた。
中には少ないと不満を言う人もいたが、若者達が「平等に」と、一生懸命平等に分けてくれた。」
と、当時のことも話していたそうです。
それから1年、大川小学校の校長先生となり、昨年6月にお会いした時には
「通常通りの学校生活を送れるようにすることが目標です。」と話してくださったのですが、その「通常通り」のことをするための努力というものは、きっとまだまだ外には語れないものがたくさんあることだと私は思います。
須永博士から、ほんの少し2月10日の様子を聞いただけなので、断片的ではありますが、書かせていただきました。
須永博士も、電話口で「話しきれないよ。でも、千葉校長先生の講演を聞けて本当に良かった。みんなの前でここまで話すのは、きっと大きな覚悟のいることだし、使命感だよね。素晴らしい講演だったよ。」と、時おり声をつまらせながら教えてくれました。
私も直接お聞きしたかったです。
この日の主催は、NPO法人地域の芽生え21・手刺繍の会・NPO法人元気になろう福島
共催が足立区とのことでした。
「ひまわりのおか」朗読会、大川小学校の千葉校長先生の講演の他、「ふるさとはフクシマ 子どもたちの3.11」の朗読や歌もあったそうです。
須永博士の自宅から自転車で行ける範囲での開催ということも、これもありがたいご縁で、紹介させていただきました。
まだまだ言葉が足りませんが、今日はここまでにします。
読んでくださり、ありがとうございました。