須永博士美術館スタッフブログ

熊本県阿蘇郡小国町にある、須永博士美術館。スタッフ佐藤から様々な情報をお伝えします。

石巻にて、講演会の感想(飛翔閣様にて)

2012年06月17日 | 石巻にて
2012年6月6日、石巻市の「飛翔閣」さんにて、須永博士講演会が開催されました。



前回3月10日にあとりえDaDaさんにて行われました講演会に、飛翔閣の伏見さんがお越し下さったのがきっかけで、今回も実現しました。

伏見さんとの出逢いは、昨年11月18日に石巻へ行った際に、昼食へ連れて行っていただいた時からです。

伏見さんとの出逢い

いつかここへ、須永博士を連れてきたい、伏見さんと須永博士が出逢ったら、どんなことになるのだろう・・・なんて思っていたら、やっぱりすごかったです。



パワーとパワー、笑顔と笑顔、元気と元気のぶつかり合いで、おもしろいほどでした

「前世では兄弟だったんではないか・・・もしかしたら双子の・・・」と思えてしまうほど、思考が同じだったり、目指すもの、人のしあわせ観など共通することがたくさんありました。

3月10日に書いた詩

「苦しむのは

ここまで…

哀しむのは

ここまで…

つらい心は

ここまで…

いまから わたし

“復活”です

“人生の決戦”です

2012年3月10日」

この詩を、「うん、うん、そうだ。」と、とても共感してくださったのも伏見さんです。

「うん、うん、

そうだ

もうそろそろ、いいじゃないか。

今日をくぎりに、前へ行こう!

今まで我慢してきた。

自粛してきた。

だけど、もうそろそろ、

がんばろう!元気だそう!」

この言葉の中に、どれだけの苦労があったのでしょうか・・・私たちには計り知れませんが、でも、そんな思いを重ねてきた震災を経験した方々が希望を持って前に進もうとがんばっている姿を知ることができました。

「震災により、肉親を失いました。落ち着きを取り戻しながら、さみしさがかえって倍増しています。今日の講演を聞き、出逢った全ての人に寄り添い、力を与えてくださる方がいらっしゃると感動しました。」

「くじけそうな気持ちをふるいたたせてくれました。」

「友人を亡くしました。震災時は無我夢中で友人を探しました。泥にまみれ、冷たい水に入りました。その時はそれだけで精一杯でしたが、今1年になり、かえって友人の事がすごく傷となり、心が痛み、何を見ても涙が出ます。人間って生きていて幸せなのか、共に亡くなった方がよかったのか、分からなくなる時があります。

・・・・・こんな辛い経験は、いったいどんな意味があったのか?でも、自分で先を切り開いて行かなければ何も進まないことを、今回の講演で感じさせられました。」

3月に皆様からいただいた講演会の感想文です。

そして、今回の講演が、飛翔閣さんの多大なご協力により実現し、前回来てくださった方との再会もあり、今回が初めてという方も多くいらっしゃいました。

ほんの数ヶ月ですが、またこうして会えたことに、胸が熱くなりました。

「須永先生、石巻に来て下さってありがとうございました。

『信じる心 強い気持ち』

震災で揺らぎそうになったけど、人間の芯って、簡単には崩れないと

学ぶことができました。

先生の詩は、後押ししてくれます。

これからもお体を大切に、楽しいお話しを聞かせて下さい。」

「生きていくことは とてもたいへんなことだと

初めて思いました。

つらく かなしいことが たくさんあるのだと

知りました。

でも 生きていかなければいけません。

今日、心が洗われたように思います。

少し 強くなったように思います。

ありがとうございました。」

と、今回いただいた感想に書いて下さっていました。

・・・続きます。




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飛翔閣さんでの出逢い・・・須永博士の詩集

2012年06月14日 | 石巻にて






2012年6月6日、石巻の「飛翔閣」さんにて、須永博士の講演会を行いました。

会場で、集中しながら詩を書いていると、その様子を見ていた女性が、詩を書き終えてから話しかけてこられました。
バックから取り出し、須永博士に渡したのは詩集「ひとりぼっちの愛の詩」の15集でした。





「娘にプレゼントしてもらった詩集なんです。流されたんですけど、瓦礫の中から見つけました。他にもあったのですが、見つかったのはこの1冊だけです・・・。」と。





「濡れてしまったからね・・乾かしたんだけど、開けないページもあるんです。

でも、大切な詩集で、この1年もこの中の詩で、ほんとうに助けられてきたんです。」

大切な詩集を見せて頂きました。



1983年8月29日と書かれてあります。29年前!!娘さんのくみさんからのプレゼントで、今くみさんは、看護師さんとして働いているのだそうです。
今回、たまたま須永博士が石巻に来ることを知り、とっても楽しみにしてくださっていたそうでした。ありがたいです。







そして、たった1冊みつかった須永博士の詩集。くっついてしまって、ページが写ってしまったりしていますが、でもその中の詩は、生きていました。




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募金のご報告

2012年06月14日 | 石巻にて
昨年から、須永博士美術館に置かせていただいている募金箱・・・

昨年の夏は、石巻市の貞山小学校さんへ、ハンカチを購入して送らせて頂きました。



昨年8月のご報告

皆様からのお気持ちを、ただ送金するだけでない方法を・・・と考え、このような形にさせていただきました。

次は、今年3月、あとりえDaDaさんにお渡ししました。三浦さんも大変喜んでいただき、「石巻に新しい仮面ラーダー像を作ろうと募金をしているんです。それに寄付させて頂きます。」との事でした。



そして今回は、開成第11団地 北集会所の管理人さんに、お渡ししてきました。





このように、集会所に皆さんが集まった時のお茶代などにしてくださるとありがたいですね。

引き続き、須永博士美術館に募金箱は置いてありますので、皆様のお気持ちをまた、お届けしたいと思います

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熊本に帰ります(*^_^*)

2012年06月11日 | 石巻にて
6月3日、熊本を出発してから、仙台~石巻へ

そして、今日熊本に帰ります。

今日は、17時10分羽田空港発熊本空港行きで、小国に帰りつくのは、21時過ぎになるかな…。

今年3月に、震災後初めて須永博士が石巻に行ってから、2回目の訪問となりました。

前回と違って感じたのが、
「1年が過ぎたから…」というお言葉を、何人もの方からお聞きしたことです。
1年というくぎりを、皆さん大きく受け止めていらっしゃいました。

須永博士は、今日も皆様を思い、詩を書いていました。

帰ってから、私もまたスタートです。

心に、皆様のことをずっと思いながら、日々一生懸命に過ごしてゆかなければと思っています。

では、また石巻での様子や詩は、熊本に帰ってから続きます。
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石巻で書いた詩

2012年06月10日 | 石巻にて
石巻で、今回書いた詩を紹介します。

まずは、6月5日、石巻市立貞山小学校さんにて、黒板に書いた詩です。







「もう一度

うまれかわろう

うまれかわって

会いにきて

あの日のあなたの

笑顔を

もう一度

見せて下さい

もう一度

あの 楽しかった

日にもどろう

石巻は

もう一度

うまれかわります

あの日以上の

すてきな町にします

なります

さぁ あなた

“一致団結”

いまから はじめます

はじまります」

そして翌日6月6日、飛翔閣さんにて講演会をおこないました。

準備風景

講演の様子①

講演の様子②

講演の様子③

講演前の須永博士の心を書いた詩です。



「大きな地震が

東北を 宮城県を

石巻市をおそいました。

あの日から 1年3ヶ月、

皆さんは復活を

心に耐え生きてきました。

旅の詩人 須永博士は

皆さんに生きる力を

少しでも与えることができればと、

再度、石巻に来ました。

旅で出逢った

感動のはなしを

語りつくします。

はじめます。」

そして、講演会中に、松竹のおかみさんに贈った詩です。
おかみさんは、なんと須永博士と同じ小学校出身の幼馴染です。昭和41年に石巻出身のご主人と東京で出逢い結婚。依頼、石巻の旅館「阿部新」さんのおかみとして歩んで来られました。旅館を廃業し、創作料理ダイニング 松竹として新しいスタートを始めたばかりの時に被災し、建物は使えなくなってしまったそうです。

でも今、息子さんががんばっていらっしゃることをお聞きしました。

石巻マルシェ

夏には、花火大会が開催される日に合わせて、阿部新旅館跡地の壁面をスクリーンにして、映画上映をしようと計画もされているそうです。

今回は息子さんにはお会いできなかったのですが、おかみさんに書いた詩です。

「やるしかない

前へ 前へ

生きるしかない

夢をめざして

生きるしかない

阿部美枝

わが道をゆく」

※また、写真も追加しますね。

 それでは、まだまだたくさんありますが、続きはまた・・・。

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特別授業

2012年06月10日 | 石巻にて
今回の石巻、ラストの訪問先は、今年3月にも訪問させていただき、卒業を控えていた6年生の皆さんにお話しさせていただいた小学校でした。

6年生の皆さんからいただいたお便り

その小学校のお名前は、これまで紹介しておりませんでしたが、今回お名前を出してもいいと許可をいただきました

石巻市立大川小学校さんへ、行かせていただきました。

このご縁は、昨年11月に、震災後初めて石巻に来て、東北の皆様に須永博士のカレンダーをお届けしたいと東京ギャラリーの安藤と一緒に来た時、最後の訪問先が大川小学校さんでした。


昨年11月18日、1日で石巻市の南浜、門脇、女川町~雄勝を通り、大川小学校さんがあった場所へ行かせて頂きました。

言葉にはできません。

今も、犠牲になられた方々を思うと、ご家族を思うと、ただただ涙がこぼれてしまいます。

その中で、今、大川小学校の子供たちは、校長先生を中心に、元気いっぱい、笑顔いっぱいでがんばっています。

先生も、「全国からたくさんのご支援をいただき、私たちにお返しできることは、“子供たち、みんな元気です!!”と、伝えることです。」とおっしゃっていました。

先日行われた運動会も、みんな一生懸命にがんばったんですよと教えて下さいました。

前回は、6年生の皆さんだけでしたが、今回は全校児童全員にお話をさせていただきました。

旅のお話し、須永博士がひとりぼっちだった人生から、好きなことを続けて、詩を書いて旅をしていること、今こうしてみんなに会えたこと・・・

その中から、大川小学校のみんなに言いたいことは、

「大川小学校のみんなは、すてきなひとになります。

やれない・・・ではなく、やれる!!ぜったいやる!!という気持ちで生きていってください。

22人のみんな、だれにもまけない

げんきで生きていってください。」

と言葉を贈りました。

大川小学校さんの今年のスローガン

「みんな なかよく 全力投球

勇気・元気・やる気

チーム大川」

素敵ですね!!

この団結で、みなさん元気いっぱい!仲良く日々を積み重ねていってほしいです。

昨年11月の出逢いから、何度も何度も教頭先生とお話をさせてもらう中で、私は最初の出逢いから、「この先生が大川小学校の教頭先生でいてくださるということは、本当に選ばれてきたんだろうなぁ。」と思っていました。教頭先生は、謙虚な方で、そんなことは無いとおっしゃっていますが、私は、適任で、本当に素晴らしいと思います。

昨年1年間は、本当に本当に大変な1年間だったと思います。これからも。でも、でも、これからはもっともっと子供たちが元気に、普通の姿になるようにと他の先生方も全員、学校を良くするために、子供たちを守るために、成長させてゆくために、“全力投球!”の日々だと思います。

講演をした、音楽室に児童の皆さんが入ってきたとき、と~~っっても元気な声で「こんにちは!!」と皆さんが挨拶してくださいました。

1年生から6年生まで、みんなで一致団結

すてきな皆さんでした。

その子供さんたちを支える先生方、そして大川の保護者さんたち、地域の方々、今も捜索を続けている方々、ご遺族の方々もみんなでこれからも乗り越えて、前へ前へと、ゆっくりとでもいいから歩んでいく道のり・・・

外部の私がここでこうして書かせていただく立場ではありませんが、これを読んでくださった方々が、ひとりでも「大川小学校のみなさん、がんばっているんだ。」と思ってくださったらありがたいです。

そうじゃない部分も、こう書いていて、「違う!」という部分もあるかもしれません。

思いも、願いも、状況も、心も、みんな違う現実を、一言では表せませんが、それでも、みなさんがんばっています。

書かせていただいて、本当にありがとうございました。

校長先生、教頭先生、大川小学校の皆様、またご連絡させていただきます






支援のかたち・・・今思うことで、前回に石巻へ行った時の私の気持ちを書かせていただきました。

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今、思うこと

2012年06月10日 | 石巻にて















雄勝公民館の上に乗ってしまっていたバスは、下ろされていました。



震災後、3回目となった石巻です。

5日間の滞在中、予定していた四ヶ所へ須永博士が行かせていただき、たくさんの方々とお話しができました。皆様のこれまでをお聞きすると、本当に大変な思いをされながらも、この1年「一歩づつ前に」の言葉通りの日々を過ごしてこられていること、

「今は、笑ってすごせています。皆さんの応援のおかげです。」

「崩れ落ちてなんていられない。立て直してゆかなければ。」

「1年前は、下向いて歩いていたけれど、今は上向いて歩いてますよ。」

「国や行政はあてにならん。民間がこんなにがんばっている。ボランティアの皆さんの志はすごい。」

「元の家があった場所に、また家を建てたい人もいるんだ。

自然災害は、絶対にくるんだから、防げないんだから、

高い堤防を作るより、海沿いに家を建ててはいけないと制限するより、鉄筋コンクリートの避難ビルを作って上に備蓄倉庫を作り、食料や毛布を置き、地震が来たらまず、“逃げる”こと。それの方が大切だ。

皆さんにも言いたい。まず、逃げてください。自分の命を守ってください。」


まだまだ、たくさんのことをお聞きして、私の頭の中で皆さんの声が響いています。

皆さんお一人お一人の今、そのことを思うと

「自分たちにできることが、まだまだあるんじゃないか、皆さんが、前を向いて上を向いて歩いている姿を、必死に努力している姿を、もっとたくさんの方々に知ってもらいたい。」

と思いますし、

被災された方々が、大切な人を亡くされた方々が、今も心にある思いを聞かせていただき、

ここで、どう伝えたらいいのかも考えています。

わたしたちは、ほんの数日の滞在ですが、皆様は毎日毎日、そしてこれからの道のりをずっとずっと歩んでいくんですからね…。

石巻だけじゃない、たくさんたくさんの、1人1人の皆様が…。

昨年11月、今年3月、そして今回と、聞こえて来た声が変わりました。

変わらないこともありますが、変わっていることがある。

当然のことだと思いますよね。

「今、欲しいものは何ですか?」と聞いても、皆さんそれぞれだと思います。

欲しいもの、必要なもの、やりたいこと、

言いたいこと、

悔しいこと、悲しいこと、
がんばっていること、

それぞれが違うから、その人その人に寄り添い、声を聞き、動ける人が動く、そんなネットワークを作っている方々もいました。その方々も被災されている中で、笑顔を絶やさずにがんばっておられる姿にも感動でした。

………続きます。
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準備中です!

2012年06月08日 | 石巻にて


小学校の皆さんにお話しが始まるまで、あと1時間です(*^_^*)
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開成11団地 北集会所にて

2012年06月08日 | 石巻にて




昨日は、石巻市の仮設住宅 開成11団地にある集会所に、須永博士がおじゃまさせていただきました。

なにができるのか、須永博士がここに来させていただけたことに感謝して、精一杯できることをしようと思い、向かいました。

到着した須永博士は、畳の上でひとり、しばらくの間、集中していました。


管理人さんの許可をいただきながら、10:30スタートに向けて、朝8時ごろからおじゃまして作品を飾る準備をしていると、数人のお母さん方が来られ、須永博士にコーヒーを入れてくださいました。

その輪に加わり、談話しながらの時間がとても貴重な時間となり、私たちもいろいろなことを考えさせられたり、教わったりしました。





がれきの中から、須永博士の詩集を探し出したという男性にもお逢いでき、



旦那様とお子様を亡くされたお母さん。
列に並んでいたのに、
「もう私は1年経って、笑えているから大丈夫。」と、遠慮されていたところをお友達が
「今までがんばってきたんじゃない、書いてもらえばいい。」
と背中を押してくださり、須永博士の目の前に座り、詩を書かせていただきました。

・・・

また、詩など紹介したいのですが、またこれから、お呼びいただいている小学校へ向かいます。

続きはまた、書かせていただきます。





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