隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

1015.天山を越えて

2009年08月12日 | 歴史ロマン
天山を越えて
読了日 2009/08/12
著 者 胡桃沢耕史
出版社 双葉社
形 態 文庫
ページ数 380
発行日 1997/11/15
ISBN 4-575-65840-5

 

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なり溜まってしまった積ん読の中の1冊。
ミステリー文学賞の老舗ともいえる日本推理作家協会賞(元は、日本探偵作家クラブ賞)の受賞作を読もうと思って、夏樹静子氏の「蒸発」、島田一男氏の「社会部記者」などと一緒に買っておいたのだが、本書だけ読む機会を失っていた。
多分タイトルから、戦争体験に絡んだ話ではないかと想像したのも、一因だろう。若い頃、著者が清水正二郎名義で、多くのセックス小説-今で言えばポルノ小説か?-を何冊か読んだこともあり、そうしたことも読もうという気が削がれていたのかもしれない。
読まなかった言い訳をくどくどあげつらっても仕方のないことだが、ようやく手に取ったのは、今が読み時と思ったからだ。

 

 

中国の西端に位置する天山山脈は地図(巻頭に地図が明記されている)で示されたた通り、タクラマカン砂漠という日本の本州部分をそっくり飲み込んでしまうかというような広い砂漠を南にした奥地である。
時代はまだ第2次世界大戦が始まる前の時代で、日本軍が無謀にも中国大陸を制覇しようとしていた昭和8年。
当時タクラマカン砂漠で勇名を馳せていたのが、馬仲英(まーちゅういん)という東干(とんかん)と呼ばれる民族の指導者であった。
日本軍の要職はこの英雄が日本で見初めた女性、犬山由利を花嫁として差し出そうとしたのだ。
日本軍が中国と戦火を交えた際に、馬仲英に後方から支援してもらおうという計画なのだ。いわば政略結婚ならぬ戦略結婚だった。

今でこそ馬鹿馬鹿しい限りと思えるが、当時の日本軍の命令は絶対的なものだった。
そんな時代に花嫁護送の一人に選ばれたのが本書の主人公、衛藤上等兵だ。顔中を髯に埋もれさせた、五月人形の鐘馗様のような姿が、将軍の目に留まったばかりに、命ぜられた役目だった。
灼熱の砂漠の行軍から、極寒の山脈を越える旅が3ヶ月も続く強行軍が、ストーリーの主だった部分を占めるのだが・・・。

 

 

語は、昭和56年(本書が書かれた当時の時代)に、衛藤良丸という71歳の老人が突然失踪したことに始まる。東京日暮里に大空襲で焼け出された都民のために、一棟四軒続きの、今で言えば都営の仮設住宅が建てられた。
その大半は老朽化のために、取り壊されて新しいコンクリート住宅に替わって行ったが、衛藤老人の住む一棟だけは、衛藤が頑として立ち退きに応ぜず、そのみすぼらしい姿をさらしていた。ある日その衛藤老人が忽然と姿を消したのだ。孫の一人が訪れて失踪がわかったのだが、残されたメモによって、自ら姿を消したことが判った。メモには「急用があって、烏魯木斉へ行く」とあった。
ストーリーの進行に伴って、このメモの文字はウルムチという地名だとわかるのだが、彼が誰に呼び出され、何のために悠に遠い地を目指すのか、衛藤老人が戦後書いた一つの小説などによって明らかにされていく。

 



物語の紹介が逆になってしまったが、若き日の衛藤老人が悠久の大地シルクロードの、過酷な旅をすることになった全貌が、彼の体験に基づいたノンフィクションのような小説に描かれるのだが、僕はこれを読んでいて、サントリーミステリー大賞受賞作の「桜子は帰ってきたか」(麗羅著 文藝春秋刊)を思い浮かべた。もちろん内容は全く違うのだが、どちらも戦中・戦後の厳しい状況の中で女性を護っての旅が描かれるという共通点があり、壮大なドラマを形成しているところに、ロマンが感じられる。

この作品を書いたのち、著者・胡桃沢氏は若き日に軍隊で同地での任務を体験したことから、シルクロード全行程の踏破を目指していたらしいが、病に倒れ、残念ながら願いは果たせず1994年この世を去った。

 

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