隅の老人のミステリー読書雑感

ミステリーの読後感や、関連のドラマ・映画など。

0982.ペリカン文書

2009年04月27日 | サスペンス
ペリカン文書
THE PELICAN BRIEF
読了日 2009/4/27
著 者 ジョン・グリシャム
John Grisham
訳 者 白石朗
出版社 新潮社
形 態 文庫
ページ数 327(上)
342(下)
発行日 1995/5/1
ISBN 4-10-240905-X(上)
4-10-240906-8(下)

 

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♦♦ 映画に誘われて ♦♦
前々から読もうと思っていた本。それというのも、1994年に公開されたアラン・J・パクラ監督による映画「ペリカン文書」を先に見て、良かったので何時か原作も、と考えたのだがそれっきりになっていた。
大分前のことだから、どういった経緯で映画を観る気になったのかは忘れたが、その後ビデオや、DVDで何度か見直しており、僕の中で好きな映画の上位を占めている。実は1週間ほど前にも、以前NHKハイビジョンで放送されたものを録っておいたDVDを見たばかりで、ついに本を手に取ることになったという次第。

♦♦ 主人公は女子大生 ♦♦
著者の本は6年ほど前に、「法律事務所」をその長大さに多少辟易しながらも、ダイナミックなストーリー展開に胸躍らせながら読んだ。それにしては後が続かなかったのは、例によって僕の気まぐれからだ。
僕の知っている限りでは著者の初期の作品は次々と映像化されて(処女作「評決のとき」、法律事務所の「ザ・ファーム」、「依頼人」、「相続人」等々)本国での人気の高さを表している。
さて本書は、ダービー・ショウというロー・スクールの眉目秀麗、才気煥発の女子学生が主人公のリーガルミステリーだ。リーガルミステリーといえば、わが国でも「検察捜査」で江戸川乱歩賞を受賞して颯爽と登場した弁護士作家・中嶋博行氏がいるが、司法3部作以降目だった著作が無いのが寂しい。といったことはさておいて、このダービー・ショウなる女子学生は専攻しているゼミの教授トーマス・キャラハンと愛人関係にある。
こういったところがいかにもアメリカ的で、面白いところだ。

♦♦ 最高裁判所判事の殺害 ♦♦
映画では、冒頭、最高裁判所の判事ローゼンバーグ(ヒューム・クローニン)と、ポストの記者グランサム(デンゼル・ワシントン)の会話で始まるが、これは筋道をより一層判りやすくするための脚色で、原作では裁判官付きの主任調査官と判事の会話となっている。ここで、強烈な個性を発揮して最高裁判所を牛耳ってきたローゼンバーグの立場がアピールされる。そして、何者かによるローゼンバーグ殺害へと発展する。
ほっておいても高齢のローゼンバーグはそう長くはなかったと思われるのに何故、暗殺されたのかという疑問を、ダービー・ショウに抱かせるのだが。
テューレン大学ロースクールで教鞭をとるトーマス・キャラハン教授はローゼンバーグを支持しており、彼の死にショックを受ける。キャラハン教授の生徒であり愛人でもあるダービー・ショウは最高裁判事の暗殺の謎について調べ始める。トーマスの誘いを断り続けながら4昼夜をかけてショウは暗殺の謎についてある仮説を打ち立てた文書をまとめて、トーマスに見せる。

♦♦ トーマス・キャラハン教授、殺害 ♦♦
ローゼンバーグの死のショックから立ち直らないトーマスは、ロースクール時代の友人で、弁護士からFBI捜査官へと転身したギャビン・ヴァーヒークにショウの書いた文書を見せる。文書はヴァーヒークからFBI長官ヴォイルズの手にまで渡っていく。そして、さらに文書はヴォイルズからホワイトハウスへと流れていき、そうした流れが招いたかのように、ダービー・ショウの目の前で、恋人のトーマス・キャラハンは自動車の爆発によって殺害されたのである。ショウの文書はその中のペリカン裁判の記述から、いつしかペリカン文書と呼ばれていた。
そのペリカン文書は、ついにはホワイトハウスまでをも揺るがす事態に発展して、それを書き上げたダービー・ショウの命までもが狙われることになるのだ。

♦♦ ホワイトハウス ♦♦
ごくごく簡単に途中までの筋書きを書いたが、実際にはストーリーの展開はそれほど簡単ではない。もちろん僕は法律についても、裁判制度についても全くの素人で、ましてアメリカの裁判所の仕組みなど知ろうはずは無いのだが、そんなことは心配なくストーリーは十二分に楽しめる。
この作品の面白さは、一女子大生の調査が偶然にも企業財閥の企んだ陰謀の謎に迫ったという点にあるのだが、それにも増して隠蔽工作のために女子大生の命を狙う殺し屋たちや、FBI、CIAのオペレーターの暗躍が、不気味さを感じさせる。
高度に発達したコンピュータによる情報化社会での、あらゆる情報が―個人的な情報までもが―、一元管理される怖さがよく現れている。少し話がそれるが、そういった点をもっと極端に表したサスペンス映画に「The NET(邦題はザ・インターネット―インターネットの頭は母音だから定冠詞のTheはジと発音するのだが!?)」という娯楽作品があった。こうした映画を見ていると、一歩間違うと一個人の抹殺などいとも簡単に行われてしまうような怖さを感じる。
ところで、最高権力機関である大統領府にまで及ぶこのようなストーリーをよく書き上げるものだと感心する。いくら作り物とはいえ、否、作り物だからこそホワイトハウスの内部事情にまで及ぶストーリーは、作者に何らかの影響を及ばせるのではと余分な心配をしてしまうのだ。
しかし、そこはウォーターゲート事件の国だから、こうした話もごく自然に書けるのかもしれない。

 

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