古徳云、竹影掃階塵不動、月輪穿沼水無痕。
吾儒云、水流任急境常静、花落雖頻意自閑。
人常持此意、以応事接物、身心何等自在。
古徳云う、「竹影、堦を掃うも塵動かず、月輪、沼を穿つも、水に痕なし」と。
吾が儒云う、「水流、急に任せて、境常に静かに、花落つること頻りなりと雖ども、意自ずからなり」と。
人、常に此の意を持して、以て事に応じ物に接せば、身心何等の自在ぞ。
「ものに当たってものに触れず」
古えの名僧は、「竹の影が階段に映り、そこを掃き払うようにしても、階段の塵は少しも動かず、
月の光が池の水を衝き破っているように映っているが、水に月の痕跡を残すことはない」と言っている。
また、我が儒者は、「水の流れは激しいが、その激しい水の流れに任せ切っていれば、
その境地はいつも静かであり、また、花がしきりに落ちて万物は変化して止まないけれども、
その自然の様子を見ている心は、自ずとゆったりしている」と言っている。
人はいつも、この様な気持ちを持って物事に当たったり人に接したりしていれば、
何と身も心も自由自在であることか。
口を開けば如何にも見識深きっぽく、聞きづらい、嫌なことばかし言う者はどこにでもいるでしょう。
静かに退いて行くのがいいですよ。
そして自分は、良いことが言えないのなら、黙っている。関わったところで身体に悪いですもん。