Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

そろそろウォーキングを再開したいが‥

2017年04月13日 23時20分17秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 本日は二日続けて買い物に付き合った。本日は特に重いものはなく、どちらかというと家に引きこもっているわけにもいかず、ついて行ったといったほうが正しい。
 日かげでは寒いが、日が当たっている分にはぽかぽかと気持ちのいい陽気であった。そろそろ本格的なウォーキングを再開したくなってきた。妻は「まだ時期尚早」と言っているが、昨年末からそろそろ4ヶ月も運動から遠ざかっている。
 坐骨神経痛の症状はほぼなくなっている。むろん腰痛体操はちゃんと継続している。軽く歩いている途中で痛みが出て、つらい思いをすることはなくなった。明日からボチボチと‥。

「私の万葉集」(大岡信)から -4-

2017年04月13日 22時54分18秒 | 読書
 萬葉集巻十五から。前々回は巻十五の前半の遣新羅使関係の歌の始めを見たが、今回は後半。この後半は「恋をしたばかりに男が硫罪人とならねばならなかった男女の、悲しみを互いに分かち合う恋の贈答歌で構成されている」。歌の数は63首。そのうち男(中臣朝臣宅守(やかもり))が40首、女(狭野弟上娘子(さののおとがみをとめ))が23首。数の上では宅守の方が多いが、思いのほうは娘子のほうが思いは激しい。どちらかというと男は押され気味の感じがする。
 大岡信は「娘子の直情、宅守の逡巡、好対照をなしている」と記しています。ということで、今回は女のほうの歌だけを取り上げてみる。

3723 あしひきの 山路超えむと する君を 心に待ちて 安けくもなし
3724 君が行く 道の長手を 繰(く)り畳(たた)ね 焼き滅ぼむ 天(あめ)の火もがも


 男は越前に配流となり、その別れに際しての贈答歌で、最初の4首が娘子、続く4首が宅守の歌である。

 3723は「アシヒキノ山路を超えて越前まで行こうとするあなたを、心に抱きしめて、私は不安でなりません
 3724は「あなたが行く、配所への長い道、その道をくるくると手繰り寄せ、折り畳んで焼き滅ぼしてくれるであろう天の火よ、どうかあれを焼き尽くしておくれ

 3724は何とも激しく大胆な表現である。口調もまたいい。大岡信は「万葉集のなかでも最も有名な絶勝のひとつ」と記している。一度聴いたら、眼にしたら忘れることのできない表現である。
 私はこの「私の万葉集」を読んで初めてこの贈答歌の魅力を知った。ここまで大胆に言われたとしたら、私の性格からするとちょっと引いてしまうが、それを受け止めようとする宅守はなかなか誠実であるともいえる。後に阿倍仲麻呂の乱に連座して、「除名」されたという。資材ではなかったようだが、復帰は出来なかったのではないか。身の振り方、世の中をうまくわたっていくことに関しては不器用で、しかし使えた人に対しては誠実だったのではないか、というのが、私の勝手な推測である。
 娘子の歌にはさらに

3750 天地(あめつち)の 底(そこ)ひの裏に 我(あ)がごとく 君に恋ふらむ 人はさねあらじ
3753 逢はむ日の 形見にせよと たわやめの 思ひ乱れて 縫へる衣そ
3774 我が背子が 帰り来まさむ 時のため 命残さむ 忘れたまふな


 3750は「天地の底の裏まで探したところで、私ほどにあなたを恋している女は、どこにもいないでしょう
 3753は「再び逢う日までの形見にしていただきたいと、かよわい女が、思い乱れて一心に縫った衣なのです、これは
 3774は「あなたがお帰りになる時のために、私の命を残しておきましょう。決してお忘れにならないで

 宅守は翌年には赦免され、帰京したらしい。一年間の別れの割には激しい情熱的な思いが連ねられていると思われる。また帰郷したのちの二人の仲がどうなったかは、万葉集には記されていない。
 この巻十五は大伴家持の編纂といわれている。ひょっとしたら家持の創作の手も入っているかもしれない。実際の事件はあり、実際に歌も詠まれていたかもしれないが、家持の手直し、表現の整理もあったかもしれない。しかしこのような激しい、女の歌の基本までは手を加えていないと私は想像している。

論理と倫理はどこに‥

2017年04月13日 19時21分07秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 日本の政治の腐敗と劣化、無責任が底なしに進み、為政者は開き直って平然としている。論理と倫理がどこかに消えてなくなっている。
 日本を取り巻く国際社会では、北朝鮮に対しての軍事圧力が具体化し、空母カールビンソン派遣、横田にグローバルホーク配備、ミサイル迎撃を米関係国へ通達、那覇軍港に特殊部隊支援船Cチャンピオン寄港、海上自衛隊護衛艦数隻がカールビンソンと合流し、米、軍事行動の可能性を日中両国に伝達、北朝鮮、米関連施設へ核攻撃を表明とますます戦争が露出してきている。

 「戦前回帰はあたらない」とはどこかの国の政府の中枢の人間の言だが、状況は日中戦争にのめり込んでいく日本の社会そのものにも見えてくる。むろん80数年前と現在の社会の様相は違うかもしれない。しかし80数年前の国民も、「まさか戦争がさらに身近になるとは‥」「後戻りは何時でもできる」と思っていたことは間違いはない。
 戦争とは、後戻りが出来ないものであり、途中でやめることがいかに困難であるか、そして戦後の復興がいかに大変で数十年の歳月がないと立ち直れないことは、有史以来の教訓である。そんなことを学ぼうとしない人間が政治の主流を占めること、それに追随して「自ら考えること」「想像すること」を止めた人間が極めて声高であるという現状、絶望的状況が蔓延している。
 国内の貧富の格差が拡大し、政治が腐敗し、力あるものに媚びへつらう風潮が横行し、人々の不満が本来の元凶に向かわずに他者・多文化への非寛容とヘイトに向かい、身近にいる弱いものへ不満をぶつける。政権は国内政治が行き詰ると論理ならざる論理で人をけむに巻き、外交で対立を煽ることで延命をはかる。

 力あるものに追随して、社会的弱者を罵倒することで、自らの存在を常に正当化するということは、私は小学校の頃から厭うべきこととして教わってきた。1950年代の日本の社会そのものが、そのような風潮であったと思う。私はそのような社会で育てられたことが、今ではとても嬉しい。良かったと感謝している。それは明治維新以来の脱亜入欧の果てに他のアジア諸国を劣ったものとして認識する思考、強者=正義という思考、国家があってこそ社会の安定と個人の幸福が保証されるという思考から一歩抜け出した思想である。
 戦後の社会のもっともよかった点は何か、と問われれば私はこの思想だと思う。これを踏まえなければ、どんな政治思想もダメなんだと思う。しかし戦後70数年、国家の論理をのり越える思想や実践、戦後の保守政治の思想をのり越える具体的な政治理念は残念ながら対抗軸を失って構築できなかったと思っている。個の努力、営為に解消されてしまった。
 これからどのように政治が進行するのか、社会が向っていくのか、前途はとても暗い。手をあげて情けなくバンザイはするつもりはない。どんなに厚顔無恥な政治思想が蔓延し、その力を見せつけられようと、有効な対抗軸がないならばこれまでのようにできることを地道に繰り返すしかない。嫌なことは嫌、理不尽なことには従わない、を言い続けるしかない。

 生きるにはパンは必要であるが、パンのみに生きるにはあらず、である。


西洋美術館の概要

2017年04月13日 10時48分02秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
         

 藝大美術館の手前にある国立西洋美術館で「公式ガイドブック」(840円)なるものと、「館内の案内」リーフレット、「ル・コルビュジエの建築作品」という世界遺産登録された美術館の建築の解説パンフレットを手に入れてきた。
 西洋美術館の建築物そのものについての知識が無いので、これを機会に多少なりとも頭に入れておきたい。覚えていられるかどうかはあやしいが‥。
 また収蔵作品の概略もそういえばまとまっては読んでいなかったので、「公式ガイドブック」に目をとおしておきたい。
 すでに頭の中に入っていることもあるが、知らないこともかなりありそうだ。
 人に説明をするなどということは多分ないが、自分の知識としては整理をしておきたい。