Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

花見は来週に持ち越し

2017年04月01日 23時09分55秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜の4月1日の最高気温は15時半の8.8℃となっている。気象庁のHPでは「もっとも寒い時期を下回る」と記されていた。平年値よりも7℃ほど低い気温らしい。
 横浜での桜の開花は3月25日であったから、もう8日間も一分咲き、二分咲きが続いている。火曜日以降気温が17℃を超える予報が出ているので、その頃に一気に開花が進んでして散り始めると思われる。来週の8日(土)、9日(日)にはさらに気温があがり、見頃というよりは散り頃なのではないか。またそれも美しい。

 毎年の墓参りを兼ねた花見をいつにするか、予定を立てるのが難しい。

井上光晴詩集から「岸壁派の小説書き」

2017年04月01日 22時21分16秒 | 読書
 本日読んだ詩は「井上光晴詩集」から「岸壁派の小説書き」(1956.1)。

 岸壁派の小説書き

おれは岸壁派だ
おれは狼のような姿勢をした
鉄の漁船を愛す

おれはその時
陸橋の方に折れまがった
防衛道路の陥没した地点に
立っていた
(防衛道路は陥没する
 埋立地は陥没する、と
 おれはひとりごとをいった)
おれはそこからまだ埋立てられぬ
埋立地の
コンクリート枠の突堤を
海の方に歩きだし
女は滑るからといって
魚市場の引込線を横切って
遠廻りした

雪と雨と波が
心臓のきれっばしのような音をたてて
吹きしぶく暗い午後の岸壁に
おれは黙って女がくるのを待っていた
ひとりになりたい
ひとりになりたいと考えながら

本当におれはひとりになりたい
俺は女を限りなく愛しているが
いまはひとりで
荒々しいものが欲しいのだ
冷たいけぶるような港をみつめながら
おれはつくづく小説が書きたいと思う
泡立つ海を衝いて低く低く飛ぶ
焦茶の海鳥がおれの抒情だ
おれは岸壁派というものを
こしらえねばならん

女は遅い
きっと小便をしているのだ
やがては海に投じられる
鉄の鉤のついたコンクリート石に
つったちながら
おれはいまから
シシリー島の山賊のような
復讐の物語をきずきあげよう


 高野斗志美は「井上光晴詩論」で「岸壁派の小説書き」は、「佐世保をはなれ、上京し、小説に向かって出発しようとする井上光晴の状況を伝える私詩であるけれども、〈俺の抒情だ〉という〈焦茶の海島〉に習作されている‥」と記している。
 もうひとつ井上光晴のいう抒情とは、次のような激しいものである。このような激しい抒情に圧倒された20代前半の私が思い出される。

 島

壊滅しないものがあるだろう
闘う風が
星の光のない夜が
ある黄色い海のほとりに
憎しみを込めた泥炭が
百尺も火を吹き上げる
そういう島があるだろう

 (「重いS港」所収の「島」(1950.7))より



花見は中止

2017年04月01日 20時15分21秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 寒いので、冬に着る防水仕様のコートを着て出かけた。
 退職者会の花見を弘明寺公園で開催する予定が、11時の段階で中止。小雨があがらなかった。近くの居酒屋におおぜいで駆け込んだ。2時間楽しく飲んで2500円と美味しく、安く過ごすことができた。
 居酒屋から出てみるとまだほんの少し雨が落ちていた。大岡川沿いの二分咲きほどの桜の木の前で記念撮影をして終了。
 団地の花見は明日に延期となっていた。

 ようやく酔いが覚めて起床。

 レインアイよこはまを見ると神奈川県内ではほとんどの区域で雨はあがっている。雨の区域はわずかながら東へと流れていった。

花見の掛け持ち

2017年04月01日 09時05分26秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 横浜はとても寒く感じる朝、まだ雨が降っている。時間雨量5ミリに満たない雨である。

 昨晩は久しぶりにブラームスの交響曲第1番をFMで聴いた。東京交響楽団で指揮はジョナサン・ノット。昨年の10月の演奏であった。ブラームスを聴くといつもホッとする。

 本日は朝から組合の会館に出向いて若干の作業をしてから、退職者会の花見に出かける。午後からは団地の花見にも駆けつけることにしている。そもそも花見の掛け持ちなど、花見というものの性格からあり得ない概念であろう。そんなことはしたくないのだが‥。しかも寒い上に雨がばらつく可能性も高い。

 1月初めの風邪、左ひざの捻挫、2月になって坐骨神経痛の悪化、3月は疣の切除と慌ただしいうちに、今年はあっという間に3カ月がたった。時間がはやく過ぎるという感覚を久しぶりに味わったような気がしている。