Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

「きたのもりのシマフクロウ」(詩:宗美津子、曲:鈴木芳子)

2017年04月09日 22時05分53秒 | 芸術作品鑑賞・博物館・講座・音楽会等
 一日中小雨模様。雨が止む時も雲が低く垂れこめ薄暗い日である。うれしいことに特段慌ただしいメールも着信せず、のんびりしている。団地の会合は13時前に終了した。
 14時からは読書三昧。読みかけの「江戸の花鳥画」(今橋理子)はかなりディープなもので読みごたえがあり、時間はかかる。
 「応仁の乱」(呉座勇一)はまもなく読了。
 「ミュシャ アール・ヌーヴォーの美神たち」(島田紀夫)は読み始めたばかり。
 この3冊を交互に読んでいた。眼が疲れたので本日はこの辺で読書は終了。先ほど「私の万葉集一」(大岡信、講談社現代新書)をひっぱり出して、昔チェックを入れて、未だに記憶にある個所を抜粋して記事にしてみた。



 パソコンで聴いているCDはグリュミオーによるヘンデルのヴァイオリンソナタ。これを聴き終ってから、学生時代の同級生が作曲し、ピアノ伴奏をしている「きたのもりのシマフクロウ」にを久しぶりに聴いている。メロディーがとても親しみやすく、軽快である。大人も楽しめる童謡だと思う。

 本日はこれにて店じまい。

大岡信「私の万葉集」から

2017年04月09日 19時52分22秒 | 読書


 大岡信の講談社現代新書の「私の万葉集」(全5巻)は記憶に残る著作である。1993年以降に発刊された本であるが、万葉集に多くの「天皇御製」があるが、中・高校のときから「天皇に仮託された歌」と教わって来た。私もそう思っていたが、この著作で歌の表現内容に踏み込んだ明確な指摘があり、とても印象説得力があると感じた。

 岡本天皇の御製(その反歌)
★山のはに あぢ群(むら)さわき 行くなれど 我はしぶしゑ 君にしあらねば
(巻四 486) 皇極(斉明)天皇
「作者名は天皇とされていますが、この野趣に富んだ恋歌は、もともと民謡だったものが天皇の作に仮託されたのでしょう。その理由は、そうした方が歌に伝説的あるいは物語的背景を想定しやすくなるからだと考えられます。庶民の歌で、そのようにして歴史的伝承の舞台に装いあらたに登場することができたものは多かったでしょう。‥この歌の孤独な女ごころの表現など、その好例です。」

 額田王(ぬかたのおおきみ)、近江天皇(あふみのすめらみこと)を思(しの)ひて作る歌
★君待つと 我が恋ひ居(を)れば 我がやどの 簾動かし 秋の風吹く
(巻四 488) 額田王
「はたしてこれは額田王の真作なのか、ということです。大伴一族が大陸先進文化にぞっこん惚れこんでいた人々であること、そしてこの巻四は、大伴家の蔭が色濃く落ちている巻であることを考えると、この歌は、額田王と天智天皇の関係に想を得て、大伴家の誰かが創作したものかもしれないということが、ひとつの可能性として考えられるのではなかろうか‥。‥この歌が初期万葉時代のものというにしてはあまりにも優美繊細に可憐な女心をうたっているのが、私にはかねがね不思議でならなかったのです。‥額田王の他の歌から得られるイメージとは、どうもかけ離れていいる‥。」


 学問的な研究成果と詩人としての解釈・批評の架け橋をこの論考から私は感じた。今でも忘れられない著作である。結構鉛筆で傍線が書き込まれていて、丹念に読んでいたことが思い出された。

音楽CDの再生装置が壊れた模様

2017年04月09日 17時20分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 CDの再生装置が壊れてしまったようだ。昨晩からCDをトレイに入れても、CDを認識しなくなった。2日前にもCDの再生に雑音が入るようになっていた。昨晩トレイに入れた再生しようとしたが、CDが回転しない。そのうちに「NO DISC」の標示がでるようになった。他のCD5枚ほどで試みたが、いづれも同じであった。
 CDを回転させるモーターがダメになったことと、雑音がひどくなたことから、駆動系と読み込みの二重の不具合が想定される。ラジオ放送は引き続き聴ける。機器の背面を見ると2008年製となっている。9年目である。これが壊れるとはまったく想定していなかった。
 現在はパソコンを使ってヨゼフ・スークによるヘンデルの「ヴァイオリン尊た集作品1」を聴いているが、パソコン内蔵のスピーカーでは何とも情けない音である。贅沢といわれれば贅沢なのだが、あまりに差があり過ぎる。以前はイヤホン端子を使って別のスピーカーに接続していたが、部屋を配線が横断するので邪魔でやめてしまった。それはしたくない。
 明日にでも家電量販店で修理の可能性と新規購入の比較をしてみたい。いづれにしてもお金の算段をしなくてはいけない。すぐには購入できないのがかなしい。

 しかしいい音で聴けなくなると、無性に聴きたくなるという子どものような駄々っ子になってしまう。

内田秀子句集「朱い線」から

2017年04月09日 10時25分34秒 | 俳句・短歌・詩等関連
 朝から小雨、横浜では強風注意報。昨日から出ていた濃霧注意報は9時過ぎに解除になったが、みなとみらい地区の高層ビルは今も霧に隠れてしまっている。
 本日は朝から午後にかけて団地の管理組合の会合が続けてある。2年間時間を取られると思うと、気分が落ちこむ。

 内田秀子句集「朱い線」の、2012年から2013年の句をおさめた「ダイヤモンドダスト」から好きな句をいくつか。

★啓蟄のかおが乗り降りエレベーター
★ポケットから取りいだしたる余寒かな
★白い布ひろげて畳む暮の秋
★むつかしい薬のなまえ冬の水
★太虚とはこのような空冬立てり
★目薬を注して遠のく青野かな
★昼深く頬に疲れの男雛
★ダイヤモンドダスト一喝してわらう
★従容として月光のひきがえる

 独特の若々しい句から、私自信もそうであってほしい豊かな老境らしい句まで多彩である。第3句の「白い布」の句、明るい温かな陽射しを感じている。第6句、目薬を注して近づくのでは遠のくとは、とびっくりしたが、視野が広く景全体が見えるようになったのだろうか。第7句、女雛ではなく男雛である。さもありなん、と思う。男である私はあんなところにずっと座ってられない。ちょっとユーモア。第9句、写実の先にご自身の投影が色濃い。