Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

色の名前

2010年06月21日 20時41分19秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 「俳句と歴史的仮名遣い」を受けて、次のような素敵なメールを友人からいただいた。

 “「○○い」のような色を表現する形容詞は四語のみshiro kuro aka ao のみが日本語の「基本色彩語」とされています。色を言葉で表現する「色彩語」と何かに例えて表現する「色名」がありますが、色名は「世につれ、時代や地域、文化」の違いで様々に変化し、興味深いものです。少し前の伝統工芸の職人ならば、客に「ピンクのが欲しい」と言われても「日本人なら鴇色ッて言ってくれ!」と文句が返ってきました。
 全国の小中学校対象の色名実態調査では(40年近く前)赤と黄の間の色名呼称は「橙」より「オレンジ」が使われており、小中学生はほとんどオレンジ、先生の半数弱が橙だったと聞いております。(学習指導要領改訂時に提言したとのこと)「橙」を「だいだい」と呼べる大学生も一人いるかどうかで、「お正月の御供え餅の上にあるもの」と説明しても大学生は「オレンジ」「ミカン」としか理解してないのが現状です。縁起担ぎで先祖「代々」子子孫孫から「ダイダイ」を乗せていると説明しても、中々理解してもらえない状況です。
 鴇は大空を羽ばたいている姿の、太陽に透けた風切り羽の「鴇色」の美しさが理由で絶滅したとも言われているのに、呼び名まで「撫子」の英名 pink に滅ぼされてしまった、という話しがしたくなり「歴史的仮名遣い」に絡めて書きました。”

 そう「俳句は伝統芸術だから歴史的仮名遣いでなければならない」という人々の多くは、私からすると枝葉末節な使い方にこだわりながら、大切なところを忘れていないだろうか。季語に載せられている言葉をそれこそ習い事を諳んじるように覚えることにエネルギーを費やし、その一方で大切な季節感をあらわすことを忘れ、季語以外の言葉遣いに無神経になっている「芸事」としての「俳句」になっていないだろうか。
 たとえば、月の満ち欠けによる小望月、望月、十六夜、立待月、居待月、臥待月、二十日月などの言葉、雲や空の様子の言葉、色の言葉、花の言葉などなど、一昔前はベストセラーとなったカラー写真の本があった。季語として、あるいは教養として知ることは悪くない。しかしそれ以上に、季節感をもって使い切ること、現代の言葉の中に無理なく自然に生かし、再び定着させようとするささやかな努力、これに私も心しよう。
 同時に、時代とともに忘れ去られ、死語となる語も当然ある。江戸の町並みや明治の文明開化時代の季節感と、現代の季節感は違う。あたらしい季節感をもった言葉も当然生まれてくる。季節感に関係ない言葉の死滅と誕生も当然ある。語感の変化もある。ここも当然わきまえて綴っているつもりだ。
 麦酒でなくビール、燕尾服でなくタキシードという言葉の持つ語感からするとすべてが翻訳語でなければならないわけではないが、しかしもともとある和語が廃れるのはさびしいものがある。
 私は右よりの政治的言語による「日本の伝統」なんてもは鼻から信用していないが、左翼の特許であった機能主義的な芸術論も信用していない。スターリニストの「民族論」「伝統芸能論」なども、もってのほかである。しかし万葉集以降の詩歌をはじめ、あらゆる芸術、技術に興味があるし好きである。自分の中に取り込みたいと思っていることだけは表明しておきたい。

俳句と歴史的仮名遣い(2)

2010年06月21日 19時19分31秒 | 俳句・短歌・詩等関連
(前日の続き)

 ある大きな俳句誌の主宰の巻頭句に
・雀見ずもう巣作りの頃なれど
・七重の塔の跡なし木瓜の花
など7句が並んでいた。
 まず、最初の句、「もう」は江戸時代は「もは」ではなかったろうか。明治時代にどうだっかはしらないが‥。また「見ず」という用法・語感は戦後のものではないか。
 また「七重」、歴史的仮名遣いにこだわるならば、読み方も「ななえ」にこだわるべきであると思う。日本語としても「イ」音の唇の緊張は緩みがたであるので、「五重(ごじゅう)」はあっても「七重」は「しちじゅう」はなじまない。市井では多くやまとことば本来の「ななえ」というのが日本語の自然の流れであったはずだ。これを日本語として読みにくい「しちじゅう」と読ませる語感の方が、韻文作者としておかしい。
 しかも「きゅうり」は「黄瓜」からきている。市井の言葉として「木瓜」が流通していたのであり、市井の言葉として統一するなら「ななえ」であり「木瓜」である。「しちじゅう」にこだわるなら「黄瓜」であるはずだ。
 私は、「投句は歴史的仮名遣いで」とことわっている俳句誌だからここまでこだわって批判してみた。これがそうでなければ、そのまま読み飛ばしていたと思う。特に違和を感じても、問題にすべきことではないと思うから。
 しかし歴史的仮名遣いにこだわるならば、語の使い方・語感もどこかに定点を設けてそこに設定すべきであると考える。そうなると現代の句は作れないことになる。あえて、あるいは無意識に現在の句をつくれば、そこで新旧の語句が、理由なく混在した不思議な俳句になる。歴史的仮名遣いだけに神経をすり減らした俳句がならぶ結社誌の会員欄を見ると、古い語と現在の語が、根拠なく意味の上だけで混在してしまっている。
 現在語を基本として、古い語をアクセントとして使う場合に作者の気持ちで歴史的仮名遣いを使うようにすれば、もっと自由な俳句の世界が開けるのではないだろうかと思う。
 新聞の投稿欄を見ていると、短歌の方が余程いきいきとしなやかに、現代の言葉をたくみに使い、そして現代を活写している。
 それでも私は俳句が好きだ。575という短い中に、余韻と広がりをどう持たせるか、対象物の目に付いたところや感動したところをどう的確に細部まで写し取るか、こういう俳句の醍醐味が好きだ。
 「芭蕉に戻れ」といわれた江戸中期は、言葉の変化は今ほど著しくなく、なおかつ、低俗・猥雑に俳諧が出した時代のスローガンであった。子規は、虚子は、俳句をその時代の言葉と書き方で革新した。俳句は、新しい時代の新しい言葉でつくるべきものではないだろうか。