Fsの独り言・つぶやき

1951年生。2012年3月定年、仕事を退く。俳句、写真、美術館巡り、クラシック音楽等自由気儘に綴る。労組退職者会役員。

アッツザクラ

2010年02月14日 14時57分05秒 | 日記風&ささやかな思索・批評
 昨日までの寒さも和らぎ、のどかな日和。午後からは雲が多くなってきた。本日は私はまったくの休養日。
 先週購入した鮮やかな赤のアッツザクラが私の部屋で咲いている。南アフリカ原産のロドヒポキシスという学名があるようだ。砂礫地に咲く強いユリ科の植物。4月以降に咲く。すっと伸びた葉、6枚の花弁、しかしおしべ・めしべは見えない。
 「玉砕」のさきがけとされた日本兵約2400名と米兵600名という戦争の犠牲者を出した、アリューシャン列島の島。その島の名と鎮魂のために名づけられ、戦中の1943(昭和43)に山野草を扱う店で売り出されたものらしい。ものこの話が本当なら、店主はどのような思いでこの花を売り出したのだろう。鎮魂にふさわしい赤の色であることは確かだ。
 さて以下は、かなりの強引な飛躍と思いつつの雑感をちょいと‥。
 「玉砕」ということばを思い出し、偏狭で野蛮で横暴極まりない国家思想の犠牲者は、戦後65年たっても、戦争を清算しきれていない「日本」という国をどうながめているだろうか、と考えた。本当に日本という国は再生したのだろうか。いつもこの言葉を問い続けたいものだ。
 たとえば、白村江の敗北以来中国の襲来におびえつつ、王権の強化を図った兄=天智から王位を奪取し、強力な王権をめざした天武による天皇制の確立以来の「帰化」と言う言葉が、あの戦争を経てもまだ、現代まで日本の国籍法を縛っている。
 民主党の政権、発足したばかりだがここまで手をつけることができるか、長期的な展望をもって対処してもらいたいものだ。「官僚」批判という「民意」におもねってこればかりを追っていけば、「官僚」を人身御供にした政治でしかない。
 「帰化」という言葉の流通も、「死刑」世論の高まりも、「異質なものに対する隔離」「意識の外においておきたい」という「民意」に沿ったものである。これらは決して「官僚」だけが支えてきたものではない。都合のいいときだけ「民意」をかざした「官僚」批判で自らを責任の範囲の外に置こうとする「民意」もある。
 「民意」をどのようにしていくのか、民主党が問われている。民主党を支える議員、党員の質が問われている。そして戦後65年を経て、「民意」の質も鋭く問われている。政治が小選挙区制になってますますゴシップ化し、芸能化し、「民意」に左右されやすくなっている。
 政治過程が透明になり、「素人は黙っていろ」的な時代はこの20年ほどでかなり良くはなったが、しかしマイナスの弊害も多くなっている。どのように変わっていくのが、変えていくのか、そしてこれをどのような目線で感心をもって見つめていくのか。
 唐突なようだが、「民意」という隠れ蓑を装いながら、「国家のために」という規範が市民社会に大きく圧し掛かってくる恐ろしさを、最近は感じているのは私だけだろうか。
 小泉純一郎の強引な手法と自らの政治結果への無責任は、中田横浜市長、橋下大阪府知事などへそのまま引き継がれている。石原都知事も。彼らを支えているのは、残念ながら「民意」という名の選挙の圧倒的な得票である。
 またまた唐突だが‥、「坂の上の雲」がNHKで放映され話題となったが、あの明治以来の流れの必然的な結果として朝鮮・中国・アジアへの侵略や偏狭な国家主義がまかりとおり、1945年までの大殺戮戦争にいたったことに思い至りたいものだ。