★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

天帝の足跡踏んだら

2024-03-22 23:20:29 | 文学


厥初生民 時維姜嫄 生民如何 克禋克祀 以弗無子 履帝武敏歆 攸介攸止 載震載夙 載生載育 時維后稷

周の始祖・后稷の母親・姜嫄は、あるとき天帝の足跡を踏んで喜んだら身ごもったという。そういえば、手塚治虫の「火の鳥」黎明編というのは、猿田彦、スサノオ、(ヤマト)タケル、などがでてきて、卑弥呼なんかは、スサノオの姉貴ということになっており、火の鳥みたいな超現実的なものがでてくるわりには、最後に猿田彦の息子ができており、仇同士になりかけた夫婦が火の山で五つ子をウみ、そのなかにタケルがいたなどという、生々しい人間の生殖のドラマになっている。手塚治虫は、神話やブッタ、ナチスの伝説などのあやしいものに驚く程のリアリティを付与して人間の物語をでっち上げる天才であって、古事記や仏典の代わりに聖典にしてもよい勢いである。そこに流れているのは、個々の人間の命など軽すぎてどうでもいいという状況でしか人間の輝き(火の鳥)がでてこない、冷徹な認識である。しかし、それを本当に冷徹といえるかといえばわからない。天帝の足跡を踏んだんだ、で子どもが生まれたんだと考えることの方が普通の生活をして、因果関係に縛られている人間とっては冷徹なのである。為政者達は、こういう認識が大事だということも知っていたと思うのである。