★さちゅりこん――渡邊史郎と縦塗横抹

世界が矛盾的自己同一的形成として、現在において過去と未来とが一となるという時、我々は反省的である。(西田幾多郎)

移動

2024-03-06 23:51:15 | 思想


今予將試以汝遷,安定厥邦。汝不憂朕心之攸困,乃咸大不宣乃心,欽念以忱動予一人。爾惟自鞠自苦,若乘舟,汝弗濟,臭厥載。爾忱不屬,惟胥以沈。不其或稽,自怒曷瘳?汝不謀長以思乃災,汝誕勸憂。今其有今罔後,汝何生在上?今予命汝,一無起穢以自臭,恐人倚乃身,迂乃心。

遷都をするというの大変なことであるが、必要なことでもあった。もちろん災害を避けるとかいろんな現実的意味はあるのだが、根本的に、王の力、いまなら政治家の力量とは、人とものを物理的に動かす力であって、これがないと、下々は理屈を理解しようとはしないからであった。人間は理屈を屁理屈として言う。しかし、物が動いたりすると理屈は原理として感じられるのだ。いまでも、すぐ何かをおっ立てようとする人たちがいるのは、かかる事情だけは認識しているからである。しかしもう世界はものをしっかり堅めてつくる文明を発達させてしまった。どちらかというと、有機物より鉱物を使う文明である。かくして、人びとはあまりにヨコには動かないのでタテに動こうとする。

住めば都と言うが、わたくしは、いまでも自分を移動させることは重要だとは思う。しかし、それはキャリアアップとか受験とかみたいな学校的な邪悪な目的につられがちではあるから、もうその重要性は失効しているかも知れない。たぶん本質的にはわれわれはどこまでも定住にむかって突き進んでいるのである。もはや精神しか頼るところはない。

わたくしなんか、受験勉強不足とただの頭の悪さで浪人したが、結局その二つの要素は持続して、――結局浪人先の名古屋で結果的にしてたのは、本屋で楽しそうな本をみつけて読みまくるだけの、大学の授業の予習。いや違う。むしろやっていたのは既に今の仕事だった。若い頃はまだ弁証法がありうるからいい。いまは反から合に往くときに逝きかねない。それはともかく、結局、わたしは、中学校あたりから学校に行きながら行っている感じがしない解離状態にあって、ある意味、実質、中学中退で仕事をやってる気がする。こういう人はわたしの同業者には多いはずで、だから、大学をあくまで学校と捉えている人たちの気持ちがわからない傾向があるとおもう。で、わからないからちゃんと考えてもいなくて、放置してしまっていたわけだが、もうそうもいっていられない、精神的中学中退の労働者として大学生をとりあえず弾圧することに決めました。

勝新太郎は無頼だとかいうイメージが崩壊する「鬼の棲む館」は、元妻の高峰秀子と愛人の新珠三千代の戦いがすごい映画であるが、新たな女をめざし、貴族から夜盗に変容する勝新太郎や、煩悩を断とうと出家した佐藤慶に対して、おんなたちは頑として自分のあり方から動こうとしない。はたしてわたくしは、動く方の側なのであろうか、動かない側の方なのであろうか。