「科学の目」で日本の戦争を考える②
2014年11月3日 不破哲三社研所長の講座から
第2部 世界に例ない体制で戦争を推進
問題3 昭和16年12月8日、真珠湾攻撃で太平洋戦争ははじまりました。当時の首相は、東条英機です。 東条英機首相が真珠湾攻撃の奇襲を知ったのはいつでしょうか 予想 ア、作戦命令が発せられたとき(11月5日) イ、連合艦隊が千島列島を出発したとき(11月23日) ウ、真珠湾攻撃が行われたとき(12月8日) エ、その他 |
つづいて、次の問題4です。
問題4 今度は戦争を終わらせるときの話です。1937年(日中戦争がはじまってしばらく)7月の頃です。 閣議で、閣僚が、「どの辺で軍事行動を止めるのか」と聞きました。 その結果、どのような答えが返ってきたのでしょうか。 予想 ア、「いつごろ」と具体的返事がかえってきた イ、閣議では話せないとの返事がかえってきた ウ、天皇が首相と外相だけには伝えると回答した エ、その他 |
解答
問題3の正解は(エ)です。これは、極東国際軍事裁判(東京裁判)で東条英機自身が証言をしています。
「作戦計画を聞いたのは、12月2日ごろ、それも、」首相としてではなく、陸軍大臣(兼任していた)の資格で参謀総長から聞いた」と答えたのです。
天皇を別にしても、政治の最高責任者、首相が知らなくて戦争が始まっていたなんて、だれが戦争を起こしたのでしょうか。
問題4の正解は(ウ)です。
不破氏は次のように説明しています。
閣議である閣僚が、「だいたいどの辺で軍事行動を止めるのか」と聞いたところ、海相が「この辺だ」と答えると、陸相は、「こんなところ(閣議)でそう言っていいのか」と海相を怒鳴りつけました。
弱った近衛文麿首相が、天皇に、「将来の計画を立てる上で必要なものはお知らせ願いたい」と求めたところ、天皇はしばらくして、「軍部は政党出身大臣の同席する閣議では報告できないと言っている。必要なことは、天皇自身が首相と外相だけに伝える」との回答でした。 政府は戦争にノータッチということが当たりまえの体制だったのです。
問題5
第二次世界大戦では、世界各国には、「戦争全局に戦略的責任をもった指導者がいました。
だれだか、知っていたら名前を書いてみてください。
アメリカ( )
イギリス( )
ソ連 ( )
ドイツ ( )
イタリア( )
日本 ( )
解答
アメリカはルーズベルト
イギリスはチャーチル
ソ連はスターリン
ドイツはヒトラー
イタリアはムッソリーニ
では、日本は誰でしょうか。
実は、日本にはいなかったのです。
戦争全局に責任を負う指導者が不在、 展望のないままの15年戦争 |
不破哲三氏は、こう説明しています。
法制上は天皇が絶対権限を持っていましたが、作戦を立てるのは軍首脳部で、軍は、天皇に計画を「上奏」して許可を求めます。
天皇はそのときに「それで勝てるか」「外国を刺激しないか」などの質問や意見を言いますが、そのやり取りで戦争が進むのです。
作戦をたてる軍そのものはどうかと陸軍と海軍は仲が悪いことは有名でした。日中戦争からの8年間に、参謀総長(陸軍の最高幹部)は4人、軍令部総長(海軍の最高幹部)は5人と、次々と交代しているのです。
結局、15年戦争の全期間を通じて、戦争指導部にいたのは天皇だけでした。
天皇と軍首脳部で大まかな作戦は決まっても、実際の作戦と実行は、大本営本陣に陣取る作戦参謀たちが勝手に行っていたのでした。
注)当時の内閣には、政党出身の大臣と軍出身の大臣がいました。軍が大臣を出すこと拒否すると、内閣が崩壊することもありました。