菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

「科学の目」で日本の戦争を考える②

2024年04月02日 14時10分10秒 | 地方政治
「科学の目」で日本の戦争を考える②

2014年11月3日 不破哲三社研所長の講座から
 
第2部 世界に例ない体制で戦争を推進

問題3
 昭和16年12月8日、真珠湾攻撃で太平洋戦争ははじまりました。当時の首相は、東条英機です。
 東条英機首相が真珠湾攻撃の奇襲を知ったのはいつでしょうか
 予想                         
ア、作戦命令が発せられたとき(11月5日)
イ、連合艦隊が千島列島を出発したとき(11月23日)
ウ、真珠湾攻撃が行われたとき(12月8日)
エ、その他


 つづいて、次の問題4です。

問題4
今度は戦争を終わらせるときの話です。1937年(日中戦争がはじまってしばらく)7月の頃です。
閣議で、閣僚が、「どの辺で軍事行動を止めるのか」と聞きました。
 その結果、どのような答えが返ってきたのでしょうか。
予想
ア、「いつごろ」と具体的返事がかえってきた
イ、閣議では話せないとの返事がかえってきた
ウ、天皇が首相と外相だけには伝えると回答した
エ、その他
 
解答
 問題3の正解は(エ)です。これは、極東国際軍事裁判(東京裁判)で東条英機自身が証言をしています。
 「作戦計画を聞いたのは、12月2日ごろ、それも、」首相としてではなく、陸軍大臣(兼任していた)の資格で参謀総長から聞いた」と答えたのです。
 天皇を別にしても、政治の最高責任者、首相が知らなくて戦争が始まっていたなんて、だれが戦争を起こしたのでしょうか。
問題4の正解は(ウ)です。


不破氏は次のように説明しています。

 閣議である閣僚が、「だいたいどの辺で軍事行動を止めるのか」と聞いたところ、海相が「この辺だ」と答えると、陸相は、「こんなところ(閣議)でそう言っていいのか」と海相を怒鳴りつけました。 

  弱った近衛文麿首相が、天皇に、「将来の計画を立てる上で必要なものはお知らせ願いたい」と求めたところ、天皇はしばらくして、「軍部は政党出身大臣の同席する閣議では報告できないと言っている。必要なことは、天皇自身が首相と外相だけに伝える」との回答でした。 政府は戦争にノータッチということが当たりまえの体制だったのです。

問題5

 第二次世界大戦では、世界各国には、「戦争全局に戦略的責任をもった指導者がいました。

 だれだか、知っていたら名前を書いてみてください。

 アメリカ(         )

 イギリス(         )

 ソ連  (         )

 ドイツ (         )

 イタリア(         )

 日本  (         )


解答
アメリカはルーズベルト
イギリスはチャーチル
ソ連はスターリン
ドイツはヒトラー
イタリアはムッソリーニ
 では、日本は誰でしょうか。
 実は、日本にはいなかったのです。

戦争全局に責任を負う指導者が不在、
展望のないままの15年戦争

  不破哲三氏は、こう説明しています。

 法制上は天皇が絶対権限を持っていましたが、作戦を立てるのは軍首脳部で、軍は、天皇に計画を「上奏」して許可を求めます。
 天皇はそのときに「それで勝てるか」「外国を刺激しないか」などの質問や意見を言いますが、そのやり取りで戦争が進むのです。
 作戦をたてる軍そのものはどうかと陸軍と海軍は仲が悪いことは有名でした。日中戦争からの8年間に、参謀総長(陸軍の最高幹部)は4人、軍令部総長(海軍の最高幹部)は5人と、次々と交代しているのです。
 結局、15年戦争の全期間を通じて、戦争指導部にいたのは天皇だけでした。
 天皇と軍首脳部で大まかな作戦は決まっても、実際の作戦と実行は、大本営本陣に陣取る作戦参謀たちが勝手に行っていたのでした。
 

注)当時の内閣には、政党出身の大臣と軍出身の大臣がいました。軍が大臣を出すこと拒否すると、内閣が崩壊することもありました。



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「科学の目」で日本の戦争を考える①

2024年04月02日 13時43分28秒 | 地方政治
「科学の目」で日本の戦争を考える①

2014年11月3日 不破哲三社研所長の講座から 
赤旗まつりで、不破哲三氏の講演がありました。その概要が入手できましたので、「仮説実験授業の形式」で紹介いたします。私が、いくつか、問題の形式で紹介しますので、答えを考えながら、読み進めてください。

第1部『戦争の性格』
  日本共産党の不破哲三議員は、たびたび国会で、さきの大戦(昭和31年から45年までの15年戦争)について、質問してきました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
問題1 不破哲三氏は、あの戦争は、「侵略戦争であったと思うかどうかについて、田中角栄首相(1972年)に質問しました。田中首相はどのように答えたでしょうか。
予想
ア、侵略戦争であった
イ、侵略戦争ではなかった
ウ、後世の歴史家が評価する
エ、わからない
・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・
 問題2 不破哲三氏は、それから16年後、竹下首相に同じ質問をしました。田中首相と同じ答弁が返 ってきました。そこで、不破氏は角度を変えて、「ヒトラーが起こした戦争をどう思うのか」と質問しました。
竹下首相は、「この問題は学問的には、まだ、整理されていない」と答弁しました。
この国会答弁を聞いた、外国の通信社(AP通信)はどのような記事にしたでしょうか。
予想
ア、日本の首相はヒトラーの戦争を肯定した
イ、日本の首相はヒトラーの戦争を否定した
ウ、何の反応もしなかった
・・・・・・・・・・・・・・・・・

解説
問題1は、 田中首相の答弁は、「侵略戦争であったか、なかったかとのお答えは、後世、歴史家が評価するものであるという以外、お答えはできません」というものでした。ですから、答は(ウ)です。
 
問題2の答えは、(ア)です。
 16年後の竹下首相の答弁も同じ答弁を繰り返しました。
そこで、不破氏は、角度を変えて、問題2のような質問し、同じような趣旨の答弁を得たのです。
ところが、ヒトラーの戦争については、外電は、「日本の首相、ヒトラーの戦争を肯定」と打電したのです。
 また、アメリカ太平洋軍の準機関紙「スターズ・アンド・ストライプ(星条旗)」も、同様な報道をしました。
「侵略戦争かどうかの判定ができない政府は国際政治に参加する資格がない」と不破氏は述べています。

・・・・・・・・・・・・・・・
「侵略戦争」の事実は公文書(外務省発行の日本外交年表並主要文書1840年~1945年)で明らか
・・・・・・・・・・・・・・・
続いて不破氏は、外務省の公文書を引用し、政府自身が、「侵略戦争」の事実を認めていることを明らかにしています。
 
15年戦争は、3つの段階に分けられます
  • 満州事変」(1931年9月)                    満州(中国東北部)全土を占領し、かいらい国家「満州国」をつくり、全域を日本のものにしてしまいました。だれがみても明らかな侵略戦争でした。
  • 日中戦争(1937年7月)                     外務省の公式文書には、日本政府が中国側にしめした講和条件が書かれています。「満州国を正式承認すること」、「北支及内蒙」と「中支占拠地域(上海、南京など)」に「非武装地帯を設定する」。 この非武装地帯に、日本軍は「駐屯する」というのですから、日本の占領地帯ということは明らかです。
  • 大平洋戦争(1941年12月)                   開戦前の昭和40年9月に締結された日独伊三国同盟には、こう書かれています。ドイツ・イタリアは日本の「大東亜新秩序建設(大東亜の征服)」に協力する。
  それを実行に移したのが、太平洋戦争です。
・・・・・・・・・・・・・・・・
 侵略戦争の定義
 武力で領土拡大をし、外国を支配する 
 ・・・・・・・・・・・・・・・
 みなさんは、「さきの大戦」をどのような呼称で表していますか。これは、人によって意見が分かれます。
  1、太平洋戦争
  2、大東亜戦争
  3、15年戦争
  4、東アジア・太平洋戦争

 私は、「15年戦争」または、かっこ付きで、「大東亜戦争」を使っています。
・・・・・・・・・・・・・・・
 次回は、時の首相、東条英機は、12月8日の真珠湾攻撃を、「いつの時点で知らされたのか」の問題から、始まります。

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