菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

葛飾区議選挙の1票差当選無効の裁決について

2018年02月22日 18時14分26秒 | 桜川市

 昨年11月行われた葛飾区議選挙(定数40)で、最下位当選者と次点者の差は1票であった。

 当選 40位 大森ゆきこ
 次点 41位 会田ひろさだ

 そこで、次点者は、大森有希子さんの得票に「無効票があった」として、異議申立てをした。
 ところが、葛飾区選管は、全票を再点検せず、棄却した。
 会田さんは、都選管に審査を申し立てた。
 
 都選管は「全票を点検」したところ、「大森ひでこ」と「大森ようこ」の2票が、大森さんの「有効票とされていたこと」に対し、「別姓同名」票として無効票と判断し。2票の無効票があったので、当選を無効として、「会田さんが当選」との判断をした。

 大森さんは、東京高裁に訴えるとしているから、これは、まだ確定していないので、はっきりしたことは言えない。

 ここで問題になるのは、「同姓別名」の票、つまり「大森ひでこ」「大森ようこ」と書いた紙を、「大森さんの票」と見なしてはいけないのかと言うことです。
 
 私も何回も、開票立会人をしてきた経験から言うと、区選管事務局長が言うように、「慎重に審査し、『可能な限り無効票を減らす努力をしてきた。その部分で都選管との解釈の相違』があったことは大変残念」との発言には、同情を禁じ得ない。

 そもそも、投票用紙に、「きちんとした字」で「正確に書いてある」ものは90%くらいしかない。私も、開票立会人の立場から、「できるだけ無効票を少なくしたい」という立場から、「大森姓が1人」であれば、姓が合っていれば、名前はちがっても「有効票」にするように、立会人に話し合っている。
 都選管の杓子定規の判定には、粛然としないものを感じる。

 

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榎戸和也氏の「桜川市長選無効の訴え」 県選管棄却の詳細

2018年02月19日 16時39分46秒 | 桜川市

 2月17日茨城新聞にベタ記事で、「桜川市長選で当選無効審査申し立て棄却」の記事が出ていました。今朝、県選管に電話をいれ、この資料提供を求めたところ、詳しい内容は、県まできて「閲覧」して欲しいが、「新聞社に送った資料なら提供できる」との話となり、桜川市選管に送っていただき、入手することができました。その要旨を紹介いたします。

 「平成29年10月22日執行の桜川市長選挙における「選挙の効力」及び「当選無効」に関する審査の申し立てに対する裁決について


 審査の申し立ての趣旨及び採決の主な内容
 
 申立人 榎戸和也(候補者)
 
 申立ての趣旨 
  1.桜川市長選挙は無効
  2.当当選人大塚秀喜の当選は無効

 申立ての理由
  1.当選人陣営関係者において、虚偽事項の公表や選挙の自由妨害等の違法行為があった。
  2.桜川市長選挙立候補予定者公開討論会を撮影した動画について申立人の発言部分等が加工・編集されてSNSに掲載された。
  3.桜川選管等において選挙に自由公正原則の阻害行為があった。
  4.上記1~3より、選挙人全般の自由な判断による投票行為が妨げられた。
  5.当選無効の原因を形式的手続き的瑕疵に限定した桜川市選管の決定は誤りである。最高裁判例では、当選無効の判断においても、選挙人全般の自由な判断による投票が妨げられた場合には、選挙自体を無効とする余地がある旨認めている。

 裁決の主な内容
  1.違法行為により刑事訴追を受けた者はなく、申立人が主張する行為よりも、選挙の自由公正の原則が著しく阻害された事実を示す根拠もない。
  2.意図的に申立人の発言をその意図と異なる発言として伝えようとしたものといえず、加工・編集された動画がSNSに掲載されたことをもって選挙の自由公正の原則を著しく阻害されたものといえない。
  3.桜川市選管等の対応に管理執行上の問題や違法があったとはいえず、選挙の自由公正の原則が著しく阻害されたとはいえない。
  4.選挙人全般の自由な判断による投票が妨げられる特段に事態があったことを裏付ける具体的根拠はない。
  5.申立人が引用する判例は、違法行為のために選挙人全般の自由な判断による投票が妨げられる特段の事態があったことをもって当選無効の事由を認めたものではない。

 結論
  選挙無効及び当選無効の申立てをいずれも棄却する。

 ※裁決に不服がある場合、裁決書の交付の日から30日以内に県選管を被告として東京高裁に訴訟を提起することができる。
 この期間内に訴訟の提起がない場合は、県選管の裁決の効力が確定する。


 


       

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板倉聖宣氏は、以前から「原子論的葬式を盛大に」と考えていた④

2018年02月17日 10時14分33秒 | 桜川市

 私が死んだら、一時は仮説実験授業研究会が困ることがあるかも知れません。しかし、とにかく私は死んだのです。ですから仮説実験授業や〈たのしい授業〉の宣伝と普及にその死を利用しない手はないでしょう。仮説社や仮説実験授業研究会として、私が死んだことを最大限利用して宣伝などしてくださるようお願いします。少なくとも、「この世には〈原子論葬〉というものがあるのだ」ということを世の中に知らしめるには、とてもいい機会になるはずです。私は「死んでもシメタ」と思って死ぬのですから。よろしくお願いします。

 葬式のときは、従来の各宗教の葬式を思い起こさせるものはできるだけは排除する代わりに、祭壇などに「原子模型類をたくさん並べてくださるといい」と思います。その準備は、葬式の準備を担当してくださる人びとが行うだけでなく、広く参加してくださる方々にも呼びかけて、大量に集めると寂しくないと思います。

 それらの分子模型は、葬儀のとき、遺体と一緒に燃やしてしまうことは避けて、持ち帰りたい人に渡すようにしてください。原子論教育を広めるために利用して欲しいのです。
 それに、本当の原子は、焼き場の火ぐらいでは不滅であるはずではありませんか。

 注)この文章は、2007年に5月に書かれています。板倉氏が、最初の脳梗塞の発作がおき、一ヶ月入院した年に書いたものです。
 逝去される10年前にかかれていたことに、今更ながらびっくりしています。
 祭壇は、板倉先生が書かれた本が、机の上に、2メートル以上、本棚に並べるように並べられいました。もちろん、分子模型もいくつかあったのですが、「あふれるほど」とはなりませんでした。
 とにかく、10年も前に書かれた文書通りの、葬儀であったことは確かです。

 





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板倉聖宣氏は、以前から「原子論的葬式を盛大に」と考えていた③

2018年02月17日 09時21分59秒 | 桜川市

 葬式のときには、故人である私とどのように付き合ってきたか、ということを話し合ってくださると、生前私がやってきた仕事を私の死後生かすのに有効的だと思うので、そういう話し合いをする機会をつくってください。場合によっては、その話し合いの機会を半年後、一年後、二年後などに改めて設けてくださってもいいと思います。

 葬儀の当日には、私の書いた「死んだらどうなるか」のパンフレットを配布するほかに、参会者の方々が、〈生前の私のビデオ〉などを見られるようにしてくださるといいと思います。私の気に入りそうな音楽、たとえば、ガリレオの父の弟の作曲した音楽やフランクリンが発明したグラスハーモニカ用にモーツアルトやベートーベンが作曲した音楽のCDなどをかけると、にぎやかになっていいと思います。「葬式なんだから、にぎやかにするのは不謹慎だ」という配慮は無用です。

 注)葬儀では、「死んだらどうなるか」のパンフレットも配られましたし、ビデオも放映されました。しかし、音楽は、伊藤さんとう音楽のセミプロが、ギターで生演奏をしていました。みんなで歌った「千の風になって」も、その方の伴奏でした。


 もしかすると、私はこれまでの仮説実験授業の発展を邪魔してきたかも知れないのです。「死んでもシメタ」というのは、この場合にも成立すると考えてください。
 ただ、仮説実験授業の受業書については、私がいなくなっても、文部科学省の指導要領準拠や検定教科書に準拠したものばかりが普及することがないように配慮してください。

 そういう世俗の権威とは独立に研究会の人々が〈本当に教えるに値する〉と思える受業書を作成し、普及してくださるようにお願いします。これまでの文部科学省や検定教科書は、〈本当に教えるに値する〉教材は何かということはほとんど真面目に研究してこなかった来なかったので、そんなものに準拠した受業書では、子どもやその他の人びとの本当の学習意欲を呼び起こすのは困難だと思うからです。

 注)板倉氏は、国立教育研究所に勤務しながら、堂々と、学習指導要領を批判してきた方です。仮説実験授業研究会でつくっている「受業書」は、多くの人が授業にかけて検証すみのものです。ところが、文部科学省の学習指導要領は、できてから、「教員は学習指導要領を研究しろ」というのです。教科書の作成順序が逆なのです。このことは、「学習指導要領の研究会」で、私がいくら指摘しても、茨城県の教育委員会の人は「キョトン」とするだけでした。
 
 3回で終わる予定でしたが、まだ全部を、書き切れませんでしたので、もう一回続けます。


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板倉聖宣氏は、以前から「原子論的葬式を盛大に」と考えていた③

2018年02月17日 09時21分59秒 | 桜川市

 葬式のときには、故人である私とどのように付き合ってきたか、ということを話し合ってくださると、生前私がやってきた仕事を私の死後生かすのに有効的だと思うので、そういう話し合いをする機会をつくってください。場合によっては、その話し合いの機会を半年後、一年後、二年後などに改めて設けてくださってもいいと思います。

 葬儀の当日には、私の書いた「死んだらどうなるか」のパンフレットを配布するほかに、参会者の方々が、〈生前の私のビデオ〉などを見られるようにしてくださるといいと思います。私の気に入りそうな音楽、たとえば、ガリレオの父の弟の作曲した音楽やフランクリンが発明したグラスハーモニカ用にモーツアルトやベートーベンが作曲した音楽のCDなどをかけると、にぎやかになっていいと思います。「葬式なんだから、にぎやかにするのは不謹慎だ」という配慮は無用です。

 注)葬儀では、「死んだらどうなるか」のパンフレットも配られましたし、ビデオも放映されました。しかし、音楽は、伊藤さんとう音楽のセミプロが、ギターで生演奏をしていました。みんなで歌った「千の風になって」も、その方の伴奏でした。


 もしかすると、私はこれまでの仮説実験授業の発展を邪魔してきたかも知れないのです。「死んでもシメタ」というのは、この場合にも成立すると考えてください。
 ただ、仮説実験授業の受業書については、私がいなくなっても、文部科学省の指導要領準拠や検定教科書に準拠したものばかりが普及することがないように配慮してください。

 そういう世俗の権威とは独立に研究会の人々が〈本当に教えるに値する〉と思える受業書を作成し、普及してくださるようにお願いします。これまでの文部科学省や検定教科書は、〈本当に教えるに値する〉教材は何かということはほとんど真面目に研究してこなかった来なかったので、そんなものに準拠した受業書では、子どもやその他の人びとの本当の学習意欲を呼び起こすのは困難だと思うからです。

 注)板倉氏は、国立教育研究所に勤務しながら、堂々と、学習指導要領を批判してきた方です。仮説実験授業研究会でつくっている「受業書」は、多くの人が授業にかけて検証すみのものです。ところが、文部科学省の学習指導要領は、できてから、「教員は学習指導要領を研究しろ」というのです。教科書の作成順序が逆なのです。このことは、「学習指導要領の研究会」で、私がいくら指摘しても、茨城県の教育委員会の人は「キョトン」とするだけでした。
 
 3回で終わる予定でしたが、まだ全部を、書き切れませんでしたので、もう一回続けます。


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