菊池のぶひろの議会だより

日本共産党 桜川市議会議員 菊池のぶひろの活動報告です

半藤一利著「日本のいちばん長い日 運命の8月15日」を読み出す

2021年11月30日 14時09分42秒 | 日々の雑感
 「いちばん長い日」とえば、私のアタマに浮かぶのは、中学生のとき、新宿の映画館でみた「史上最大の作戦」である。この英語名は、「ザ・ロンゲストデー」で、アメリカ軍を中心とするフランスのノルマンディー上陸作戦である。
 私とって、一番長い日は、議員になってから、黙って1日中聞いているだけの3月の「予算案提案の日」と9月の「決算案提案の日」である。

 歴史探偵を名乗る半藤一利氏の一番長い日は「1945年の8月15日、敗戦の日、終戦の日」である。私は、この本を知った日から、笠間図書館で探していたが、なかなか見つからなかった。有名な本だから、手垢がつきすぎて、廃本になったのかと諦めていました。ところが、11月28日に笠間図書館にいったところ、見つかったのです。しかも、かなり新しい、手垢がついていないものでした。
 もう一つびっくりしたのは、巻頭の挨拶文は、昭和40年で、書いた人は大宅壮一だったのです。私が読んだ本は、1995年の改訂版で、半藤一利氏が、次のように書いている。「当時はいろいろな事情で、大宅壮一編と当代一のジャーナリストの名を冠して発行された」

 とにかく、1945年8月14日正午から翌日の15日の正午までを、時間を追いながら書いている。
 全部を紹介するのはできないが、今日読んだ部分で、自分が誤解していたことを一つ紹介したい。

 敗戦を、ポツダム宣言を受け入れた戦前最後の首相は、鈴木貫太郞であった。その鈴木内閣には、阿南陸軍大臣がいた。阿南はポツダム宣言の受け入れには反対していた。しかし、陸軍大臣をやめなかった。15日の朝、自刃した。
 私は、これは知っていたが、これは、「鈴木貫太郞への反乱」であると考えていました。しかし、半藤氏はそうは見ない。
 「もし、鈴木内閣で、陸軍大臣を辞職していたら、内閣不一致で、内閣そのものが瓦解して、終戦にもって行けなかった」というのである。
 だから、15日の内閣の閣議が開かれたときの哀悼の辞はこう述べたと書いている。
 「阿南陸将は忠実に政府の策に従われた。陸軍大臣が辞表を出されたならば、わが内閣は即材に瓦解したであろう。阿南大臣が辞職されなかったので、われわれはその主目標、つまり戦争終結の目標を達成できなかった。私はそのことを陸将に深く感謝しなければならない」

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テレビで「トキワ荘の青春(市川崑監督)」をみて

2021年11月30日 07時47分25秒 | 日々の雑感
 昨晩、夜9時からはじまった「トキワ荘の青春(市川崑監督)」という映画を見てしまった。これは、豊島区にあった手塚治虫、寺田ヒロオ、藤子不二雄、石森章太郎、赤塚不二夫など多くの漫画家を生んだ、トキワ荘というアパートでの漫画家の苦闘時代を描いた、ドキュメンタリーに近い、映画であった。

 私は、子どもの頃、その中でも、寺田ヒロオの漫画、「背番号0」が好きであった。「少年マガジン」や「少年サンデー」という子供用週刊漫画誌ができる以前に、「漫画少年」という雑誌に載ったものである。
 
 その中で覚えているストーリーが一つだけある。背番号0を付けた主人公チームは、かなり強い少年野球チームであった。そこで、となり町の少年野球チームとの試合があった。ところが、相手チームが連れてきた審判が、相手チームに贔屓の審判だった。きわどいボールは、ストライクにしない、きわどいプレーは、セーフにされてしまう。
 しかし、背番号0のチームは、これにめげずに、頑張る。滑り込んで、セーフのプレイでは、アウトの宣告。しかし、相手側のボールは、クラブをこぼれていて、そのボールを指摘され、審判はアウトを取り消して、セーフになり、背番号0のチームが勝利するという物語を、なぜか、未だに覚えているのです。
 寺田ヒロオの作品は、本当に、真面目一本槍の漫画だったのです。

 映画でも、寺田ヒロオは、手塚治虫氏が、トキワ荘を去ったあと、トキワ荘にいる漫画家の卵たちの、世話役となっていたのでした。
 65年以上前の子ども時代を思い出した映画でした。

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文教厚生常任委員会開くー市立学校の統合に方針で論議

2021年11月29日 18時10分07秒 | 桜川市議会
 今日は、午後1時半から、文教厚生常任委員会が行われました。12月議会に提案される議案の事前説明があったあと、教育課長より、「市立学校の統合に向けた今後の方針(案)」の説明がありました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 【統合の方針】
●小学校区
 将来的に、複式学級になると想定される小学校の統合を優先する
●中学校区(以下、3つに再編・統合する)
①岩瀬東中学校区+岩瀬西中学校区
②真壁地区・・桃山学園区+桜川中学校区
③大和地区・・大和中学校区+桜川西IC周辺地区
 (桜川筑西IC周辺地区の児童生徒数が増加し、一定規模の維持が見込まれる場合)

統合方針・スケジュール
 当面、真壁地区を先行して統合を推進する。
 将来的に、谷貝小と樺穂小は、複式学級になると予想されている。

 桃山学園+桜川中学校区(桜川中+谷貝小+樺穂小)

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 この説明に、菊池議員は次のような意見を述べました。

 市民の方に、統合案を提案するとき、「わかりやすい案」を提案する必要がある。桜川市の人口減は著しいものがある。人数だけで、いうなら、桜川市内で、「小中一貫校1つ」でもやっていける。それほど、児童生徒数が減っている。
 一番、対処が難しいのが、「大和中、雨引小、大国小」の問題だ。これを、こんなわかりにくい表現で書くのは問題がある。中学校は、将来、岩瀬と桃山(真壁)の2つになるとして、「雨引小と大国小」をどうするのか決めないで、「桜川筑西IC周辺の児童生徒数増加」などという、市長に忖度した方針をだすのは、わかりにくくするものである。

 この意見には、委員全員が同意しました。

 これ以上は、議会全員協議会で、再度説明し、方向性を確認するとなりました。

 大和中新校舎と桃山学園新校舎は、「合併特例債」という「打ちでの小槌」が使えました。その合併特例債190億円も、新庁舎建設や図書館建設で、すでに189億5千万を使ってしまい(また、しまいつつあります)、あと、新規事業で使えるのは5千万円しか残っていません。

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学校給食の試食に参加

2021年11月29日 17時01分49秒 | 桜川市議会
 今日は、昼食は、大和庁舎の給食センターで、食べました。
以前、文教厚生常任委員会で、「生徒の食べ残しが多い」ことが話題となりました。それなら、食べてみなければ、分からないではないかということになり、今日の試食会になりました。
 給食センターに、萩原委員長、市村議員、菊池議員、谷田部議員、川股議員の5人があつまり、試食いたしました。

 
 
 私ら(川股、市村議員の70歳を超えた議員)と萩原、谷田部議員は、年代が離れすぎているので、自分の食べた給食の思出が違いすぎるのです。
 ちなみに、今日の献立は、「ごはん、牛乳、ししゃもフライ、野菜炒め、実だくさんのみそ汁」の5品でした。私は美味しくいただきました。ご飯は多すぎて残してしまいましたが、若い人には、足りなかったかもしれません。


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保坂正康著「続・昭和の怪物七つの謎」を読む

2021年11月29日 08時30分40秒 | 日々の雑感
 このところテレビがつまらない。そこで、本を読むことになる。昨日は、笠間図書館に行って、本の借り換えてきました。私は2週間毎に笠間図書館にいき、気に入った本を借り変えてきます。それは、笠間図書館の貸し出し期間2週間となっているからです。
 私は、このところ、BS・TBSで毎週放映している「もう一度近現代史」という番組を見ています。関口宏氏の司会もいいのですが、対話相手の保坂正康氏の語り口がいいのと、多くの方に取材したことを元に話すので、信頼できることです。

 昨日は、保坂正康著「続・昭和の怪物七つの謎」を借りてきて、読んで見ました。第一章は、「三島由紀夫は『自裁死』で何を訴えたのか」です。
 私が三島由紀夫の死の報道を知ったのは、教員なりたての2年目(1970年の秋)であったと記憶しています。当時、真壁高校美術室で、仲の良かった佐藤忠克先生と、「何でだろう?」と話したことを思い出します。

 保坂氏は、三島の死を「自裁死」と呼んでいます。自分を裁いて死を選んだというのです。
 近代になって、「自裁死」で社会的に影響を与えた人は、藤村操(明治36年に、『人生は不可解』の言葉を残して、日光華厳の滝で投身自殺)、芥川龍之介(今では芥川賞で有名な芥川龍之介は昭和2年、『唯、ぼんやりとした不安』の遺書をのこして、服毒自殺)、山崎晃嗣(戦後すぐ『光クラブ事件』というヤミ金融事件をおこし、『契約こそ人生の名分の』を残している。青酸カリ自殺=三島由紀夫と友人ではなかったかと、保坂は推測している)、西部邁(「もはや有意義なことはなし得ないものを自分の将来において展望し得ないというとき、人間は自死を追行しなければならないからだ」という言葉を残し、平成30年に自裁死)をあげています。
 
 この5人「自裁死」の共通点として、2点あげています。
(1)彼らは自裁死することによって、自らの死を社会化してみせた。それは日本社会の中に、一定の影響をを与えた。
(2)彼らは一語に収斂できるような思想コアを持っていた。「人生不可解」「ぼんやるした不安」「契約がすべて」「鼻をつまんで生きる」「死は私が決める」といった語が表す思想や哲学を持っている。

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