せっけい日和

MKデザインスタジオ一級建築士事務所柿本美樹枝のブログです。設計者として、生活者として、多用な視点で綴っています。

奇跡の10年を振り返って、母のこと。

2022年08月01日 | ワークライフハッピー


ブログの更新が滞りました。
この数ヶ月、心の余裕がありませんでした。

本日は、個人的なことを綴ります。

6月の母の入院、全能放射治療、
7月に退院したのも束の間、
ホスピスへ入院して2週間で、
母は、この世を旅立ちました。

コロナ禍のなか、
病院への入院では面会ができないからと
主治医から、ホスピスを勧められました。

面会は、1日ひとり15分までという厳しい条件でしたが
30分くらいは居させてもらい、
父と兄弟でリレー方式で見舞いました。

なんとか、最後の兄弟が面会できる頃まで
意識があったでしょうか。

母の大好きないわさきちひろのイラストTシャツ
以前お土産にプレゼントしたものを、最後は着ていました。



叔母から「母に会いたい」の連絡をもらって、
いつ行ったら良いかの相談で、1日でも早く!と伝え
遠方から、来てもらったその日の面会の直後に、
息を引き取りました。

叔母も生前の母に会え、母も言葉は発せられずとも
気配を感じ取ったことでしょう。

家族、それぞれ一人づつでしたが
母と最後のお別れが、できたのは良かったです。
ホスピスを勧めてくださった主治医にも感謝です。

ここ数ヶ月は、母との電話、そして、別れの際は
必ず「またね」というようにしてきました。

「バイバイ」では、もう会えなくなるような気がして。

私のと直接の最後の会話は、
『頭が痛く、入浴できないので、
体を拭いてほしい』でした。

ホスピスで、除菌シートで
手が届く範囲で、体を拭くと、眠ってしまいました。

その後、電話で何回かやりとりするうちに
「覚悟した」「しておいて」と、息も絶え絶え
言うようになり、、、、

あの時が話せたのは最後だろうと、
私も心づもりをしていたので
「またね」と切ったものの、、、

もう声を聞くことはないだろうと、予感しました。

肺がんステージ4から10年の生存。
奇跡としか言いようがありません。

様々な抗がん剤の治療。
食事改善。
適度な運動と脳トレ、そして心の持ちよう。

全てを、母と共に見直し、実行してきました。
いろいろなメニューを作ったなぁ。
魂の在り方まで、話をしたなぁ。

おかげで、健康おたくになった私です。

医学的には、5年の生存で
寛解と同じ価値があるのだとか。

そして、長生きできた一番は、
やはり家族の力だったと思います。

孫の10年の成長がみる、それを励みに
闘病生活を送ってきました。

治療は副作用で、何度も中断して、最後は、
薬ももう効かず。

痛みが広がるのに耐えながらの日常生活でした。
本当に、よく頑張ったと思います。

「がんも大人しくしとらなんよ。
母体が死んだら、あんたも死ぬけんね!」(熊本弁)

と、自分自身のがん細胞に話しかけるようになり
食事も文句ばかりだったのが、
深く感謝して食べるようになり
その姿は、まさに、最後の方は菩薩のようでした。

ある意味、悟ったんですね!
母にとっては、治療と闘病が業だったのかもしれません。

家族葬では、葬儀屋さんとてもよくしていただきました。



通夜では、母と兄弟と孫と、そばで寝ました。


これから納骨や死後の手続きなど
気が抜けませんが、お盆休みには、
ゆっくりじっくりと母との思い出を振り返ろうと思います。

これまで、お世話になってきた病院関係、
地域ケアの関係のみなさま
そして、家族のように心配してサポートしてくださった
地域の方々。

本当にお世話になりました。

母も幸せでした。
きっと、今頃、天上で
ご先祖との再会を果たしていることでしょう。



良き生を、生き切りました。

産み育ててくれたことに感謝して。
そして、いろいろな知恵を授けてくれてありがとう。

私も、母に劣らず、精一杯、
自分の生を生き切るつもりです。