愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題 271 飛蓬-153 遙遠懷故郷 次韻蘇軾《澄邁駅通潮閣》

2022-07-18 09:30:52 | 漢詩を読む

蘇軾の詩に、その韻を借り(次韻し)た詩作に挑戦しています。今回は、蘇軾が政争に利あらず“島流し”とされた最果ての島・海南島から、恩赦されて帰路につく際に作った《澄邁駅通潮閣》を対象としました。想いもかけず、骨を埋める場所と覚悟していた流刑の地を離れることができ、遥か彼方に大陸の影を眼にした際の喜び・胸の高鳴りを詠っています。

 

  20160701撮影 

 

蘇軾の詩に次韻した《遠くに在りて故郷を懐う》では、舞台は、九州の遥か南の小島・喜界島である。同島ではアサギマダラとは別に、「南の島の貴婦人」と呼ばれるオオゴマダラ蝶が生息しており、その蛹の宿は黄金の佇まいである(写真)。興味を引く点は、同島は、極わずかながら、今なお、より高く、より広く と成長を続けていることである。 

 

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<漢詩および読み下し文> 

 次韻蘇軾《澄邁駅通潮閣》 遙遠懷故鄉    [上平声十三元韻] 

  蘇軾《澄邁駅通潮閣》に次韻す 遠処(トオク)に在りて故郷を懷(オモ)う 

繚乱芙蓉夢里村, 繚乱たる芙蓉 夢の村, 

胡蝶乱舞奪人魂。 胡蝶(コチョウ)の乱舞 人の魂を奪(ウバ)う。 

何奇猶長珊瑚島, 何ぞ奇なる 猶(ナ)お長(チョウ)ず 珊瑚(サンゴ)の島, 

万里顧懷行古原。 万里 顧懷(コカイ)し 古原(コゲン)を行く。 

 註] 〇繚乱:花の咲き乱れるさま;  〇芙蓉:ハイビスカスの花;  〇胡蝶:蝶; 

  〇珊瑚島:サンゴショウの島;  〇顧懷:なつかしむ。 

<現代語訳> 

 遠くに在りて故郷を懐う   

深紅のハイビスカスの花が咲き乱れる夢の村、 

色々な美しい蝶の乱舞する情景は人の心を奪う。 

興味を引くのは今なお成長を続けているという珊瑚礁の小島であり、 

遥かに離れて野原を行くと、故郷の情景が二重写しに蘇ってくるのである。 

<簡体字およびピンイン> 

 次韵苏轼「澄迈驿通潮阁」   Cìyùn Sū Shì “Chéngmài yì tōngcháo gé” 

  遥远怀故乡     Yáoyuǎn huái gùxiāng   

繚乱芙蓉梦里村, Liáo luàn fú róng mèng lǐ cūn, 

胡蝶乱舞夺人魂。 hú dié luàn wǔ duó rén hún. 

何奇犹长珊瑚岛, hé qí yóu zhǎng shānhú dǎo, 

万里顾怀行古原。 wàn lǐ gù huái xíng gǔ yuán.   

 

oooooooooooooo 

<蘇軾の詩> 

 澄邁驛通潮閣    澄邁驛の通潮閣   蘇軾   [上平声十三元韻] 

余生欲老海南村、 余生(ヨセイ) 老(オ)いんと欲(ホッス)す 海南の村 

帝遣巫陽招我魂。 帝 巫陽(フヨウ)をして我が魂(コン)を招かしむ。 

杳杳天低鶻沒処, 杳杳(ヨウヨウ)として天 低(タ)れ 鶻(コツ) 沒する処, 

青山一発是中原。 青山(セイザン)一髪(イッパツ) 是(コ)れ中原。 

 註] 〇澄邁驛:海南島の北の宿場、通潮閣はその地の楼閣; 〇帝:天帝; 

  〇巫陽:屈原の「楚辞」に登場する巫女(ミコ)の名。天帝は巫陽に、体を離れ 

  彷徨っている屈原の魂を呼び戻すよう命じた; 〇杳杳:遠くかすかなさま; 

  〇鶻:ハヤブサ; 〇中原:本来は黄河中流域を指すが、ここでは海南島に 

  対する大陸本土をさす。 

<現代語訳> 

私は、ここ海難の村で余生を過ごそうと思っていた、

だが天帝が巫女の巫陽を遣わして屈原の魂を招かせたように、私は海を越えて帰れることになった。

はるか彼方、大空が垂れ下がり海と繫がり、ハヤブサの姿の没するあたり、

髪の毛一筋ほどに見える青い山並みこそ、懐かしき中原の地だ。 

             [石川忠久 NHK文化セミナー『漢詩をよむ 蘇東坡』に拠る] 

<簡体字およびピンイン> 

 澄迈驿通潮阁   苏轼   Chéngmài yì Tōngcháo gé    Sū Shì  

余生欲老海南村, Yú shēng yù lǎo hǎinán cūn, 

帝遣巫阳招我魂。 dì qiǎn wū yáng zhāo wǒ hún. 

杳杳天低鹘没处, Yǎo yǎo tiān dī gǔ mǒ chù, 

青山一发是中原。 qīng shān yī fà shì zhōng yuán. 

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中国・宋代にあっては、海南島への流刑は死刑に次ぐ重い刑であった。すでに恵州(現広東省東南部)に左遷されていた(1094)蘇軾は、「恵州で楽しんでいる」との中央への報告があって、1097年、さらに厳しい海南島への配置換えの令が下り、同島へ渡った(蘇軾62歳)。各流刑地での生活は監視され、中央に逐一報告されていたのである。

 

海南島では、かなり厳しい生活を強いられたことは想像に難くない。しかし恵州在住の頃から、陶淵明(365~427)のすべての詩に次韻して、自らの詩を作ると言う遠大な計画を始めていて、海南島で完成させている。逆境にあってなお楽天的で、情熱を燃やすこの人士は、その資質に一層磨きを掛けていったようである。

 

1100年正月、中央で哲宗(1077~1100)が崩御、徽宗(キソウ、1082~1135)が即位し、向太后(ショウタイコウ)の摂政へと政権が替わった。新体制でまず取り組まれた政策は、新法派一辺倒の宮廷人事を改め、旧法派も起用することで新旧両派の和解を進めることであった。

 

哲宗の時代に各地に流されていた旧法派の人々は、徽宗の即位を名目にした恩赦により刑が解かれた。蘇軾(65歳)は、同年5月に廉州安置に任じられ、海南島を離れて、対岸の雷州に向かう。その赴任の途上立ち寄った海南島の澄邁驛で詠まれたのが掲詩である。

 

なお、渡海の途上に作られた律詩《六月二十日夜渡海》で、次のように結んでいる:「九死南荒吾不恨 茲游奇絶冠平生 (南方の辺地で辛酸をなめたことも恨むことはない、私の生涯でかけがえのない体験だったのだから) と。面目躍如たる発想の詩と言えようか。

 

亜熱帯域の喜界島は、年を通じて緑豊かな土地である。地球物理学は筆者の理解の外であるが、島の生い立ちを生噛りで紹介すると、次のようである。初めごく小さな島として海面上に姿を現し、以後十数万年の間、毎年約2mmの等速で隆起してきたとされている。

 

島の周囲の海岸では、サンゴ虫の生育の好条件に恵まれ、今もサンゴ虫が盛んに繁殖を続けており、海岸周縁でのサンゴ礁は、形態上薄い裾礁として分類されるものである。島の海岸周縁がすべて裾礁である点および島の隆起速度が激しい点、世界でも珍しいということである。島の最高地点・百之台(標高200m)は十二、三万年前のサンゴ礁段丘であると。

 

アサギマダラ蝶については先に触れた(閑話休題249)。今ひとつ注目の蝶“オオゴマダラ”が生息している。「南の島の貴婦人」と称される美しい蝶で、羽は白地に黒のまだら模様で、羽を広げると約15cmと比較的大柄。インドや東南アジア等の暖かい地方で生息するが、日本では喜界島が北限とされている。蛹は黄金色の豪華な宿で羽化を待つのである。

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