愉しむ漢詩

漢詩をあるテーマ、例えば、”お酒”で切って読んでいく。又は作るのに挑戦する。”愉しむ漢詩”を目指します。

閑話休題43 ドラマの中の漢詩28 『宮廷女官―若曦』-16

2017-07-08 14:13:52 | 漢詩を読む
ドラマ『宮廷女官―若曦』の話題に戻ります。ドラマは進んで、九人の皇子たちの帝位争いが表面化し、その構図がほぼ明らかになりました(第7話)。

現皇太子は、幼少時より彼の優れた才が皇帝の意に叶い、皇帝から最も恩愛の情を受けている皇子です。皇太子として指名された所以でしょう。ただ他の皇子たちは理解しているとは言え、納得しているかは問題のようです。

皇太子は、その地位や皇帝の‘思し召し’を笠に着て、やや身勝手な行動をとることが多々あるようです。今回、他国からの朝貢品に勝手に手を付けた廉で、さる大臣から上奏がなされて、審議の対象とされます。

皇帝は、皇子たちが居並ぶ審議の中で“断”を下します。「朝貢品の件だが、不届き者が皇太子の名を騙って不正を働いたことが判明した。その者はすでに刑部で身柄は押さえられた」と。

対して、皇太子は、「疑いを晴らして頂き、感謝いたします。」………「この度の事は、私にとっても学ぶことが多くありました。私を問責した大臣たちこそ真の忠臣であり、国の柱と言えるでしょう。権力に怯むことなく声を挙げてくれたのですから。」

皇帝は、意を得たり と、「“東海は百の川を収めるほど懐が深く、五岳の山は高けれど塵を拒まず”。そちの度量の広さは国や民にとっても喜ばしいことである。本件を上奏した大臣も一級格上げする」と、一件落着!

しかし、その直後の皇子たちの言動から、上記の審議は、各人腹に一物を持ちながらの“茶番劇”であったことが明らかになります。ドラマの進行を念頭に見て行くと、この審議の段階を経て、視聴者に帝位争いの構図を提示したことにほかなりません。

その構図とは、第八皇子が旗印をやや鮮明にしていて、第九、十及び十四皇子が仲間である。また第四皇子は非常に慎重な姿勢を貫いていて、第十三皇子が仲間である。以後ドラマの展開で帝位争いの核となるのは、皇太子、第四皇子及び第八皇子と言えます。

ところで、先に皇帝が述べた“東海は……、五岳の山は……”は、曹植(192~232)作の詩:「當欲遊南山行」の一部です。この詩については、原文、読み下し文及び現代語訳を含めて、末尾に挙げました。

ここで、作者曹植について触れます。曹植は、三国時代、魏王・曹操(155~220)の三男で、長子には曹丕(187~226、文帝)がいる。これら父子三人は、ともに詩文の才も勝れていて、当時(後漢)の年号から、「建安の3曹」と呼ばれている。

後世、謝霊運(385~433)は、「天下の詩の才の全体を1石と すると、8斗は曹植、1斗は自分、残りの1斗を他の詩人が受け持っている」と言って、曹植の才を“八斗の才”と褒めていたと伝えられている。

曹植の優れた詩才故に、やはり詩人であった曹操の寵愛は一層深かったようです。さらに曹植は、戦場で青年時代を送っており、“詩文で名を残すことより、戦で武勲を挙げ、社稷に尽くすことこそ本望だ”と語っていた由。曹操の胸の内では後継者として思い描いていた時期があったのではないでしょうか。

例に漏れず、兄曹丕との後継者争いがあった。しかし当事者同士よりも、それぞれの側近者たちの権力闘争の面が強かったようです。曹操の死後、曹丕は後漢・献帝より禅譲を受け、文帝となります(220)。

文帝は、以後、曹植の側近を次々と誅殺していきます。一方、曹植自身も、死去するまで侯または王として各地に転々と転封されていきます。

文学の世界では、これまで“辞賦”と呼ばれる、詩と散文との中間にあるような様式が主流であった。建安の頃から新しい詩型の五言詩が次第に作られ、整えられていき、主流となっていく。曹植はその表現技法をさらに深化させたとされている。今回、取り上げられている詩も五言詩である。

この詩が何時頃、如何なる状況下で詠まれた詩か、筆者は、仔細に調べていません。スケールが大きく鷹揚に、しかし人に諭すような風である。各地を転々と転封されている中で、自分を登用するように訴えている風に見えます。

翻って、ドラマ中、皇子たちの帝位争いが表面化する中で、この詩が引用されたことは、やはり時宜を得たことであると言えようか。

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當欲遊南山行          曹植
--當(マサ)に南山に遊ばんと欲す

東海廣且深,由卑下百川。
--東海は廣く且(カ)つ深し,由(ヨ)って百川に卑下(ヒゲ)す。

五嶽雖高大,不逆垢與塵。
--五嶽は高大なりと雖(イエド)も,垢(アカ)と塵に逆(サカ)らわず。

良木不十圍,洪條無所因。
--良木は十圍(ジュウイ)なくんば,洪條(コウジョウ)因(ヨ)る所なからん。

長者能博愛,天下寄其身。
--長者は能(ヨ)く博愛し,天下は其の身を寄す。

大匠無棄材,船車用不均。
--大匠(ダイショウ)は材を棄(ス)つるなく,船車用いること均(ヒトシ)からず。

錐刀各異能,何所獨卻前。
--錐(キリ)と刀各々異能あり,卻(カエ)って何所(ドコ)ぞ獨り前む。

嘉善而矜愚,大聖亦同然。
--善を嘉(ヨミ)し而(シカ)して愚(グ)に矜(ツツシ)む,大聖も亦(マタ)同じく然(シカリ)。

仁者各壽考,四坐咸萬年。
--仁者は各々壽(ジュ)を考え,四坐(シザ)は咸(ミナ) 萬年を思う。

註]
南山:西安の南東にある山、古来、詩によく詠まれた
行:楽曲、うた;または古詩の詩体の一つ
東海:中国東方の海域の東シナ海
卑下:多くの川より低いところに位置する
五嶽:中国で古来、崇拝された五つの霊山。泰山、華山、衝山、恒山及び嵩山
圍:両手の親指と人差し指を開いて輪を作った太さをいう単位
洪條:木の大きな枝
嘉:よしとして褒め讃える
愚:(旧)自分の謙称で、相手に対してへりくだった言い方
壽:“存在する年限”の意味があり、ここでは寿命が有限であることをいう
万年:非常に長い年代、永久

<現代語訳>
将に南山で遊ぶ
東海は、広くまた深くて、数多くの川が注ぎ込むのを許している。
五岳は、高くまた雄大であるが、塵や埃さえも拒むことがない。
良い樹木とは言え、太さが十‘圍’ほどなければ、大きな枝は生じてこないのだ。
長者は、寛く人を愛する故に、世の人々が身を寄せてくるのである。
優れた技の匠は、資材を無駄に捨てることはなく、船や車を造るのに異なる材料を使い分けている。
錐と刀にはそれぞれ独自な能力があって、その能力を活かす形で利用されていく。
善の行いを良しとして己を慎み深くする、大聖人もまた然りである。
仁徳を備えた人は、寿命に限界があることを悟っているが、周りの者は皆、永遠ならんと欲している。

追記]
・第1~4句は、‘寛容さ’を表す名言警句として語られるようです。
・前回取り上げた嵆康の「幽憤の詩」は、四言詩で、“辞賦”の範疇に当たるでしょう。
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