今年も残り少ない日になりました。
コロナ禍で写真が思うように撮れない、又は自由に取材することが出来ないとか、色々と考えさせられる年でした。
写真だけでなく、絵画や音楽なども含めて楽しむことが後回しにしていないだろうか。
写真は撮れないのではなく、様々な理由をつけて撮らないということになるのだと思います。
撮れないのではなく、今日は楽しむという事にして歩いてみたらどうだろうか。
運動不足解消になるし、閉じこもるのは決していい状態ではないですね。
皆な素晴らしいカメラを持っているし、楽しむ気持ちで歩くのもいいでしょう。
思いがけない出会いがあったり、あ~そうだったのかと気づくこともある。
私はこう思います。写真を撮ることによって街の移り変わりがわかり、暮らしがわかり、その結果、人間て面白いなと思えてくる。
だから、写真は撮らなければ話にならないし撮ることでしか楽しさは伝わってこない。
今年は写真界にとって重要な写真家 田沼武能さんがあの世へ旅立たれた。
私にとってはあまりにも近寄りがたい方であったが、街や人々の暮らしを撮っていた第一人者であった。
世界の子どもたちや、東京の武蔵野などもあり、私もカンボジアの子どもを撮っているので興味深く尊敬していたひとりであった。
「過去は撮ることは出来ない」とよく言われた。
ではどうするのかと言えば「今」を撮ることです。
それから「もっと前に出てどんどん撮りなさい」という言葉を思い出しています。
これはある写真家のパーティで、リコーのカメラで遠慮しながら撮っていた時でした。
ついこの間、自分の住む街を歩いてきた。
近衛邸公園がなくなっていたり、定点観測していた桜もすっかり冬の装いであった。
川沿いをしばらく歩くと沢山の出来事に出会う楽しさがある。
コロナ禍で写真が思うように撮れない、又は自由に取材することが出来ないとか、色々と考えさせられる年でした。
写真だけでなく、絵画や音楽なども含めて楽しむことが後回しにしていないだろうか。
写真は撮れないのではなく、様々な理由をつけて撮らないということになるのだと思います。
撮れないのではなく、今日は楽しむという事にして歩いてみたらどうだろうか。
運動不足解消になるし、閉じこもるのは決していい状態ではないですね。
皆な素晴らしいカメラを持っているし、楽しむ気持ちで歩くのもいいでしょう。
思いがけない出会いがあったり、あ~そうだったのかと気づくこともある。
私はこう思います。写真を撮ることによって街の移り変わりがわかり、暮らしがわかり、その結果、人間て面白いなと思えてくる。
だから、写真は撮らなければ話にならないし撮ることでしか楽しさは伝わってこない。
今年は写真界にとって重要な写真家 田沼武能さんがあの世へ旅立たれた。
私にとってはあまりにも近寄りがたい方であったが、街や人々の暮らしを撮っていた第一人者であった。
世界の子どもたちや、東京の武蔵野などもあり、私もカンボジアの子どもを撮っているので興味深く尊敬していたひとりであった。
「過去は撮ることは出来ない」とよく言われた。
ではどうするのかと言えば「今」を撮ることです。
それから「もっと前に出てどんどん撮りなさい」という言葉を思い出しています。
これはある写真家のパーティで、リコーのカメラで遠慮しながら撮っていた時でした。
ついこの間、自分の住む街を歩いてきた。
近衛邸公園がなくなっていたり、定点観測していた桜もすっかり冬の装いであった。
川沿いをしばらく歩くと沢山の出来事に出会う楽しさがある。