足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

秋の気配

2022年08月29日 | 日常
 我が家のガレージの車の下に、短い一生を終えた蝉がころがっていた。
良く見ると玄関の紫陽花のところとポストのそばにも・・・。

今年は何だか夏が短かった。
今日もジージーと油蝉が鳴いているけれど、この頃ミンミン蝉が鳴くのを聞いたことがない。
子どもの頃はミンミン蝉ばかりだった気がする。
夕方になるとヒグラシの「カナカナ・・・」が妙に寂しさを誘い、それでいて一日の終わりの時間を楽しんだ。

  

   
 川沿いを歩く。
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笹本恒子さんご逝去

2022年08月28日 | 日常
写真家、桑原史成さんから笹本さんが8月15日にお亡くなりになった、と連絡がありました。
その後、新聞などでも発表が続いたが107歳であったという。
昨年まで、新聞で日常の生活を元気で送られていると拝見した気がする。

言うまでもなく、笹本さんは唯一女性ジャーナリストとして、多岐にわたり活躍された方で、1940年には日本写真協会の立ち上げ役を担い写真界では知らない人はいない。

写真展を拝見して、写真人生を途中で中断して、71歳でまた現役に復帰したという異色の女性写真家だ。
写真界のアカデミー賞と言われる「ルーシー賞」を日本人で初めて受賞されたという。

私が所属するJPS 公益社団法人 日本写真家協会では、「写真家協会賞」並びに「名取洋之助写真賞」と「笹本恒子写真賞」を設けて表彰をしてきた。
笹本恒子写真賞は、私も思いがけず2018年、第2回目で「カンボジアを撮り続けた写真集、写真展」に対しての賞をいただきました。
笹本さんは、改めて写真界に残した功績が大きいと思い出している。

その時、笹本さんにはお会いできなかったのですが、第一回目の宇井眞紀子さんのアイヌを撮り続けたときの対談を拝見して、とても品の良い方だと感じた。
食生活ではお肉もワインも好きだとか・・・。又ファッションも手作りが多くユニクロも良く買われるとか。
気取らないところも素晴らしいという印象でした。

田沼武能さんに続き、又素晴らしい写真家がこの世を去ることになり本当に寂しいが、もっと頑張れと言われているような気もする。

  
 カンボジアの子ども。             コントローク村で。


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8月の例会

2022年08月21日 | フォトクラブ
8月は私も都合がつかず、暑さもあり街歩きはの撮影会は中止となった。

例会は普段通り開催されることになり、前回、阿佐ヶ谷の街を撮影した作品や、その他の作品を持ち寄り講評することになった。
大分、街歩きになれてきたが、写真は自由に歩きながらも10人がそれぞれ目線が違っていて、それが「写真をすることの面白さ」になる。

え~、こんなところがあったの!
私はこう撮りました・・・。 などなど・・・。

また、横浜から新規に参加された人がいて、皆さんの作品を見ながらそれぞれ感想を話したりすることになった。
この暑さの中、みんな本当に頑張っているし、体調が悪い人も近くに家の庭を訪問して撮影している。
こういう時が必ずあるし、生身の人間だからいつでも健康ということではない。

写真を撮ることは長い間かかって、ご自分の人生を記録していくようなものです。
その時に自分がシャッターを押して、どんなことに感動しどんな街を歩き、どんな写真にしたのか。
それがず~と続くことが写真人生です。
みんなで、意見を出し合うことをもっと重視する会にしていきましょう。

経済優先のコロナ対策の中で、イベントが中止になることは無くなりましたが、まだまだ気を引き締めていかないとです。

杉並区主催のアート展も開催が決まっていて3年ぶりに、参加することになったので、打ち合わせもあり9月は忙しくなりそうです。

  
 葡萄の季節です。


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夏の一大事

2022年08月20日 | 日常
あれよあれよという間に、夏が終わろうとしている。
毎日、アブラゼミの賑やかな朝を迎えるが、梅雨時のような蒸し暑い湿度が体力を奪っていく感じがする。

8月の前半から我が家でも大変な事件ともいうべき出来事があった。
写真の事とは何の関係もないのですが、生きている限り家族あっての私の人生なので書くことにした。

高校野球が始まり、35度という気温なので家でくつろぐことにしていたが、家族で病人が出るとそうはいかない。
写真はさておき、ここは家族に尽くさなければと、随分と時間がかかることになった。

参考になるかもしれないので、少し書くことにした。
同居人が突然、熱を出した。こういう場合、今の時期は先ずコロナを疑うことになる。
本人はコロナになるほど出歩かないし、喉も咳も出ないし何ともないと強調している・・・。
この時点で、家じゅうのあらゆるドアの取っ手を消毒して、2階の寝室に本人を隔離し、私は別の部屋で寝ることにした。
時々、様子を見に行き熱を調べて食事を2階まで運んでいく。
階段を4段くらい上がったところでよろめき、ドドンと下まで飛び降りた、「痛い!」。向こうずねを打ち足首をひねってしまった。

昼に37.5度、夜に38度になったので、翌日はかかりつけ医院に電話、その日の夜に予約時間に病院前に行き、指示に従いPCR検査を実施、翌日に「陰性」のメールがきた。
その時点でとくべつ警戒することもなく、隔離生活は終えた。
念のため、いただいた解熱剤でしばらく様子を見ることにしたのですが、祭日や土日が入り熱が6日間も続いた。

又医院に電話したところ、大きな総合病院へタクシーで11時半に来てほしい旨、連絡があり改めてPCR検査になった。
コロナの症状も人それぞれなので、仕方がないと思いつつ、痛い足をひきずりながら(自分のことはさておき)総合病院へいった。
病院前にタクシーで到着後、電話で到着を知らせると、看護師の方が迎えに出てきて、横道を入りプレハブの個室に案内された。
当然、濃厚接触者である私は一緒に個室に入る。
個室では冷房、換気扇も充実していて、医師とはタブレット端末で診断となる。便利になったものです。
そこで改めて、検査をすると待っている間に「陰性」との事。
ホッとすると同時に「何なのか?」の疑問。
改めて血液検査、CT、尿検査、熱があるので点滴をすることになり、待合室で4時間も待つことになった。
コロナではなかったので、普通の患者と同じ待合室に待機していたのです。
どうして、こんなに混むのかと思うほど患者が多い。
とうとう痺れをきらして、「点滴をしながら4時間も待っている」とナースに訴えると、2番目に呼ばれた。
その間、2回ほど尿検査をすることになった。

結果、「尿路感染症」と診断された。
普段元気な人なのですが水はあまり飲まないので、まさかの事実とやっぱりです。
冷房を入れてどこにも出かけず、水も飲まず高校野球の観戦をしていたことによって、身体が悲鳴をあげたのです。
普段から山の友達にも良く言われていることで、登山の時も若いころから余り水を飲まないという。
そういえば、本当に水を飲まないのですが、大人のなので喉がかわけば当然、水に手が行くだろうと考えていたので私は本当にびっくりです。
様々な検査をすることになり、翌日は胃カメラと抗生物質のような薬が出た。
それから、微熱が一週間続き、ようやく普通に戻りつつあります。
更についでなので25日にお腹の超音波をして、何も出なければOKという事です。

ということで、7日に熱が出てから3週間くらいかかりました。
血液検査やCT、胃カメラでは異常なしとのこと。
あっという間の8月でした。
私はというと、痛い足をひきずりながら買い物に行くことになり、昨日ようやく接骨院へ出かけ湿布をいただきました。
レントゲンでは異常なしですが、まだ痛むようなら再来院です。

これもいい経験をしたと思いたいし、異常気象は何があるかわからないものだ。


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安曇野の野菜畑

2022年08月04日 | 安曇野
猛暑の夏。今年は天候が不順だったので、野菜たちの大きくなりすぎたりしているようだ。
以前お会いした飯沼さんちの野菜畑を訪ね、奥様に菊芋の畑を見せていただいた。菊芋は生姜の様な形だという。
初めて知ったが茎の高さが1メートルもあった。またひとつ教えていただいた。
「キュウリが豊作で捨てるほどなので持って行ってください」と沢山いただいた。
食べきれないほどでやっと背負って帰る。
漬物にしたりサラダにしたり、ステックで食べたりと色々だが、とにかく東京で食べるものとは比べ物にならないくらい味が違う。
やはり、野菜は新鮮がいちばんだ・・・。
 
  

 

  

安曇野の夏。もうコスモスも咲いていた。
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