カンボジアの村では、携帯電話を持てる人はわずかで、町周辺の若者の間では当たり前だが、村に入ればそうはいかない。
私が行くところのほとんどは、携帯を持つ人が少なく、持っていても日本と違って、料金分しか使用ができない。
私は最初に5ドルで携帯とカードを手に入れたが、一年以内に更に料金を継ぎ足さないと使えなくなり、番号が変わってしまう。
今日の予定は6月に予約してきたローンカウ村の籠作りのシーエムさんの家だ。
それでも、撮影ツアーの皆さんを連れて行くとなると、なるべく迷惑がかからないように現地ガイドに電話か訪問して説明をしてもらわなければならない。
村の人に何か月も前に予約をしても、仕事が入ったり忘れることもある。シーエムさんからは3日くらい前に連絡をと言われていた。
シーエムさんの家ではいつも「カンボジアが大好きであること」を話した。
日本には無いであろう暮らしの工夫、籠つくりをもっと知りたい、カンボジアを日本の皆さんに紹介したい。
そして写真でカンボジアを見ていただくことで、豊か過ぎる日本の現状を「これでいいのか、無駄はないのか、工夫が必要では?」などと感じていただけたらと思っている。
確かにカンボジアはいまだに後発発展途上国だけど、このままの状態が良いわけではないし続くはずはないが・・・。
そんな中でシーエムさんの家に着くと、もう近所のお父さんたちが、民族楽器を持って演奏の準備をしていた。
お正月や結婚式など、お祝いの時も「スコー」「太鼓」「ターケー」などの楽器で演奏をする。
そのうちに、近所の村人が大人も子どもも集まってきた。
最初の写真集のシーエムさんの娘は、もう立派なお母さんになっていた。
2冊目に表紙になった少年は、15歳で働きに出てもう帰ってこないと言われたが、少年の母親に会うことができた。
演奏がはじまると突然、5,6歳の女の子が飛び入りで踊りを踊りだす。
するとお父さんや他の子どもたちも一緒に踊りだした。
私もシーエムさんと一緒に踊りの輪に中に加わった。
ひと段落すると、撮影に参加された皆さんは楽器を弾かせてもらう人も出てきて、雰囲気も盛り上がる。
カンボジアの大人も子どもも、生活に工夫がみられる。子どもたちの発想は豊かだ。
川では魚を取るだけではない、水浴びをして、自転車まで川に乗り入れて洗う。
道具がなければ、何か見つければよい・・・。
そう思うと、すべての生活の中で間に合わなかったり失敗をした時には、「どうすれば良いか」が先ず頭に浮かぶことになる。
その繰り返しは、生きていくうえで必要で簡単なことだけど、なかなかできない。
物があふれた日本の中では工夫することが難しいと思うようになっている。
私自身にも言えることだが、無かったら買えばよい、たいしたお金じゃないし・・・なんてね。
カンボジアの村で、昔に帰ったような心の安らぎを覚え、飾り気のない気分になれるのは、実は私なのだと思ったりする。
クロバイリエルではいつもの家族のところに短時間立ち寄り、予定していたプレダック村へ。
36歳になる村長さんの家に行き、ヤシ砂糖作りのヨームさんの家に寄った。
そこから親戚のヤシ砂糖を作りながら販売をする人たちに会って、まだ暖かいヤシ砂糖をみんなで食べた。
人口が2000人ほどの村だが30%は副業をしている。
プレダック村ヤシ砂糖作り。 チリュウ村、夕方アヒルが道路を横切って大移動。
いつもうかがうソッさんの家族と写真を撮った。 その日の夕方は、ハス畑の夕景を狙った。
あまり 雨期で見事な光景とは言えなかったが、薄暮のハス畑は素晴らしかった。
トンンレサップで獲れたネズミを焼く人がいたりと、これも暮らしの一部になっている。
私が行くところのほとんどは、携帯を持つ人が少なく、持っていても日本と違って、料金分しか使用ができない。
私は最初に5ドルで携帯とカードを手に入れたが、一年以内に更に料金を継ぎ足さないと使えなくなり、番号が変わってしまう。
今日の予定は6月に予約してきたローンカウ村の籠作りのシーエムさんの家だ。
それでも、撮影ツアーの皆さんを連れて行くとなると、なるべく迷惑がかからないように現地ガイドに電話か訪問して説明をしてもらわなければならない。
村の人に何か月も前に予約をしても、仕事が入ったり忘れることもある。シーエムさんからは3日くらい前に連絡をと言われていた。
シーエムさんの家ではいつも「カンボジアが大好きであること」を話した。
日本には無いであろう暮らしの工夫、籠つくりをもっと知りたい、カンボジアを日本の皆さんに紹介したい。
そして写真でカンボジアを見ていただくことで、豊か過ぎる日本の現状を「これでいいのか、無駄はないのか、工夫が必要では?」などと感じていただけたらと思っている。
確かにカンボジアはいまだに後発発展途上国だけど、このままの状態が良いわけではないし続くはずはないが・・・。
そんな中でシーエムさんの家に着くと、もう近所のお父さんたちが、民族楽器を持って演奏の準備をしていた。
お正月や結婚式など、お祝いの時も「スコー」「太鼓」「ターケー」などの楽器で演奏をする。
そのうちに、近所の村人が大人も子どもも集まってきた。
最初の写真集のシーエムさんの娘は、もう立派なお母さんになっていた。
2冊目に表紙になった少年は、15歳で働きに出てもう帰ってこないと言われたが、少年の母親に会うことができた。
演奏がはじまると突然、5,6歳の女の子が飛び入りで踊りを踊りだす。
するとお父さんや他の子どもたちも一緒に踊りだした。
私もシーエムさんと一緒に踊りの輪に中に加わった。
ひと段落すると、撮影に参加された皆さんは楽器を弾かせてもらう人も出てきて、雰囲気も盛り上がる。
カンボジアの大人も子どもも、生活に工夫がみられる。子どもたちの発想は豊かだ。
川では魚を取るだけではない、水浴びをして、自転車まで川に乗り入れて洗う。
道具がなければ、何か見つければよい・・・。
そう思うと、すべての生活の中で間に合わなかったり失敗をした時には、「どうすれば良いか」が先ず頭に浮かぶことになる。
その繰り返しは、生きていくうえで必要で簡単なことだけど、なかなかできない。
物があふれた日本の中では工夫することが難しいと思うようになっている。
私自身にも言えることだが、無かったら買えばよい、たいしたお金じゃないし・・・なんてね。
カンボジアの村で、昔に帰ったような心の安らぎを覚え、飾り気のない気分になれるのは、実は私なのだと思ったりする。
クロバイリエルではいつもの家族のところに短時間立ち寄り、予定していたプレダック村へ。
36歳になる村長さんの家に行き、ヤシ砂糖作りのヨームさんの家に寄った。
そこから親戚のヤシ砂糖を作りながら販売をする人たちに会って、まだ暖かいヤシ砂糖をみんなで食べた。
人口が2000人ほどの村だが30%は副業をしている。
プレダック村ヤシ砂糖作り。 チリュウ村、夕方アヒルが道路を横切って大移動。
いつもうかがうソッさんの家族と写真を撮った。 その日の夕方は、ハス畑の夕景を狙った。
あまり 雨期で見事な光景とは言えなかったが、薄暮のハス畑は素晴らしかった。
トンンレサップで獲れたネズミを焼く人がいたりと、これも暮らしの一部になっている。