足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

モノクロのプリント

2018年11月04日 | 日常
 12月の写真展に向け、そろそろ写真のプリントをして展示できるように準備をはじめなければならない。

デジタル全盛期になり、更にミラーレスが親しみやすくなった時代に、今までのリバーサルの写真やフィルムのモノクロはどう活かしていくかが問われる時代になった。

私はデジタルカメラで撮るようになったのは、他の写真家の皆さんとは違い大分遅いかもしれません。
ミラーレスも最初はリコー、次はSonyNEX、オリンパスOM1 MarkⅡ、遂にニコンZ7へと進化して、SDカードもXQDと進んできた。
写真展も変化してきて、大判の写真の展示が多くなった。
では、私はどうするかと考えるとき、分相応のA3ノビか、A2位のサイズにしようかと考えています。
今でも額に入って昔ながらの展示が好きだという思いがどこかにある。

今までの写真展は暗室に籠ったり、インクジェットでプリントしてきたが、今回は迷ってしまった。

白黒のフィルムからのダイレクトなプリントか。
ラムダプリントにするか。
インクジェットでイルフォードやハーレミューレのペーパーを使用してバライタ調でプリントするか。

それぞれ特徴があることが今回はじめて具体的に違いを見ることが出来た。
モノクロのフィルムを3種類程、それぞれにプリントしてもらった。
出来上がりを見たとき、一見違いがわからないように思ったが、やはりみんな違っていた。
プリント代も非常にに高く、今後も写真展をしていくことを考えると、自分でどうにかしなければならないと考えてしまった。

最近Nikonで発売になったES-2を遂に手に入れた。
フィルムをデジタライズする方法で、ちょうどマクロレンズ60ミリもあり、安く手に入ったので使うことにした。
試行錯誤しながら、そのデータを利用してプリント依頼をすることにした。
詳しくはネットで調べてみると良いと思います。
デジタルカメラの前にES-2を付け、60ミリのマクロを使ってフィルム本体を撮影します。

ISO感度は100、絞り優先F8、AF、中央部重点測光、窓の太陽光で撮影してみた。
撮影後、フォトショップでグレースケールでカラー情報を消して、反転させ保存してライトルームで修正をしていく。
もしかして、やり方が違うかもしれないが、業者の方は使えそうだということになった。
最近ようやく目途がついて、11月6日からのカンボジアへ心置きなく行くことが出来ます。
コメント

写真集をつくる

2018年10月11日 | 日常
 暑い夏が終わって、秋が来た。当たり前の季節だが、今年は特に早すぎる。

ブログの更新も遅れてしまい、見ていただく人はあきれていることでしょう。
写真の友人が、毎日、一行でもいいし一枚でもいいから投稿したらと助言をくださった。
しかししかし、「Facebook」もあるので、両方は難しい。
両方を充実して投稿している人もいるので、私は怠慢ということになる。

夏の間、暑かったので外出を避け、2Lの写真のプリントを広げて、写真集を作る準備に明け暮れた。
3月と6月に出かけたカンボジアの現像、そしてテーマ別に分類することからはじめた。

その合間に毎月入ってくる仕事もしていかなければならない。フォトクラブや女性教室、街歩きも入ってくる。

今回は農村の近年の写真集で、特に私が通い続けた家族、話を聞いた人たち、農村の黙々とはたらく人々、などなど・・・。
一口に言ったらこういうことだが、山のようにある。
先ず、暮らしを中心に田んぼ関係、生きていくための食の魚捕り、ポルポト時代を知る人々、子どもたち、現金収入を得るための副業、イベントなどに分類してみた。

  

カンボジアらしい写真集になればと、部屋中に出したりひっこめたりと繰り返し、自分なりに126ページの写真集の仮本を作ってみた。
A4両面印刷の用紙を使用してのプリントだ。
今回も編集を現研の英伸三先生にお願いしたいのだが、丸投げと言うわけにはいかない。
先生は中国での「上海国際写真展」を控えており、その他、忙し過ぎる日々ですが、やっぱりお力をお借りすることになった。
デザインはブックデザイナーの滝川淳さん。
印刷は印書簡の高柳さんになると思っています。

今まで、子どもたちを中心の写真展、写真集を出版してきたが、子どもたちを通じて家族を知り、村の生活を取材してきた。
それは私に生きるための勇気を与えてくれたし、写真を通じて生かされてきた気がする。
カンボジア関係は、これからはポルポト時代を知る人を集めて、写真集にすること、また「ある家族の記録」を考えている。
死ぬまでにできるだろうか。


コメント

タ・コルさんと

2018年07月28日 | カンボジア
      タ・コルさんを訪ねたとき、大きなしゃもじの様な器を作っていた。

      これは祭りの時や結婚式、大勢の人が集まるときに使用するのだそうです。

材料は木材だというが、カンボジアには木の種類も多いため、このような木もあるのだろう。

   矢印で前の画面に戻る。

手つきも顔つきも違っているが、真剣だということが伝わってくる。
暑いので風通しの良い部屋で一人で暮らしているが、隣には娘夫婦が住んでいる。

カンボジアではお歳寄りの名前の前に「ター」という言葉をつける。
「コル爺さん」という愛称の意味だとか・・・。
コル爺さんの家はシアヌーク時代に作られた瓦屋根が今も使われていた。
大きな水のボトルがあって、自分で作ったというウチワが置かれていた。

  
 
腕相撲の時にコル爺さんは、私の肘が痛いからと板の間の上にクロマー(綿の布)を広げてくれた。
ちょっとよれよれの布だったけれど、精いっぱいの素晴らしい心使いにうれしくなった。

  

元気でいてほしいな!

今度会える時も、真っ黒に日焼けした手と握手しよう。

コメント

104歳のタ・コルさんに会いに

2018年07月07日 | カンボジア
 6月になりどうしても行きたいところがあって、カンボジアへ出かけた。

今回は一週間ほどだが、収獲があり嬉しい。

一日目から104歳になるタ・コルさんを訪ねた。
親戚の家でチマキを作って、家の増築祝いをしていた時に出会ったお爺さんであった。

104歳だというから、日本軍がカンボジアに入った第二次世界大戦の終戦近く1944年頃を知っていた。
カンボジアはフランスの統治下にあり、日本軍はインドシナ半島制圧作戦でアジアの国を侵略してビルマに(現在のミャンマー)にいたころだろうか。
フランスに植民地化されたカンボジアは、日本軍が来たとき助けが来てくれたと思ったという。
しかし、間もなく1945年、第二次世界大戦も終戦となり、カンボジアは1953年にフランスから独立した。

コル爺さんは、日本人と腕相撲をしたという。
日本人が「歩くバンテアスレイ」という意味は、それは「バンテアスレイへ行く」という意味だったという。
「すみません〇×***」と訳が分からないが、ちらほらと言葉を覚えていた。
推測すると、軍人であったのではないだろうか。

今回、コル爺さんに挑戦して、私も腕相撲をしてみたが、とにかく強い力の持ち主で見事に負けてしまった。
毎日、籠作りや、気の柄の先につけるカップを削っているという。
祭りや戒律の日の行事に使う鍋の汁をすくうものだという。

細かい仕事や、力で刃物を使うことが、頭の働きも変えていると思った。
まだまだ 聞きたいことがある。
内戦が終わってから、何年も経ち、親戚中がもう死んだと思っていたら、ある日ひょっこりと帰ってきた。
どこで何をしていたのか、誰も聞かないという。
なぜなら、みんなわかっているから・・・。
コル爺さんはポルポト時代は竹で籠を作っていたと言っているが、それ以上は聞くことができない。

帰ってきて一度病気になって、親戚や子どもたちは棺桶を用意したが、元気になったという。
私はとても興味があり、また会いに来ることを約束した。

コメント

笹本恒子写真賞を受賞

2018年06月22日 | 日常
    6月15日(金)に記者会見があり「笹本恒子写真賞」の発表が行われた。

 この賞はJPSが平成28年に創設し、昨年はアイヌの人々を25年間撮り続け、今も人々に寄り添って活動を続ける「宇井眞紀子」さんが受賞された。

今回の私の受賞理由は、「18年余りにわたって、カンボジアの農村地帯を訪ね、戦乱で荒廃した村で目を輝かしながら働く子どもたちの、未来に希望を託す姿に感動してまとめた一連の写真集、写真展での優れた表現に対して」の受賞となっている。

改めて、お世話になった皆様に感謝しなければならない。
2000年にカンボジアに入り、とうとう18年間通ったことになる。

帰国すると待っていたのは大量のモノクロのフィルムの現像作業、べた焼き、プリント・・・。だった。
最初は「何をすべきか、何ができるか。」
「写真とは何か、テーマは何か、写真の力を信じてみよう」と堂々巡りを繰り返した。
   
当たり前のように働いていたカンボジアの子どもたち、お母さんたちやお婆ちゃんたちのことが思い返された。
子どもたちは、厳しい条件の中で、ひょうひょうとして、なぜか人を引き付ける明るさがあった。
女性たちは飾り気がなく、野菜作りや予防接種、HIV、デング熱の話があると、いつも集まるのは女性たちでした。
子どもたちを通じて内戦後の様々な家庭事情を取材することが出来た。
知り合いになった子が、人身売買の犠牲になったり、捨てられていた子や、亡くなった子ども、タイ国境沿いへ移転した子も居た。
15歳で遠くの遺跡へ働きにいった子もいて、親は「もう大人だから帰ってこない」と言った。
行くたびに沢山の出来事に会ったことが、カンボジアへ行く原動力になった気がする。



多くのNGOやNPO法人などの団体の援助が必要な国であったが、唯一 1997年に、NPO法人フレンズ・ウイズアウト・ア・ボーダーによって設立した「アンコール小児病院」は、2013年にカンボジアの医師や看護師によって運営されるようになった。
2001年頃、出来たばかりの孤児院に訪れ、また病院の待合室での母子との出会いが村へ行くきっかけになった。


 義肢センターの親子。 障害を持った子どもたちやポリオの子どもたちを連れて、集まってくる。

シェムリアップの街は2009年頃、初めて信号が設置されたが誰も守る人はいなく、2012年になってもまだ認識されていない状態だった。
最近では、信号に秒数が表示され、整然と通行ができるようになったが、車やバイクも増えたため事故も多くなった。
シェムリアップの街は観光客であふれているが、村はまだまだこれからだ。

あの大虐殺の首謀者であったポルポト政権が終焉をむかえ、約40年近く経った。
人口が1600万人になり内戦後生まれた20歳から40歳代が活躍する時代になったが、充分な教育がなされていないことが、今後の課題になっていくと思う。

私はモノクロを勉強をするため、2001年に現代写真研究所の26期を終了した。
その後も所長である英伸三先生に、写真集など何かとお世話になりました。

コメント

また地震だ

2018年06月19日 | 日常
 先日、群馬を中心とした地震があった。その前は千葉方面。

今回は阪神方面が震度6弱とは・・・。
日本列島は地震帯の上にあるが、どうにかして早めに気づく方法はないだろうか。
これは誰もが思うことに違いない。
今はどこで発生するかわからない地震に対して、今までの経験で備えるしかないのだろう。

火を消す、倒れそうな物の傍には寄らない、備えるものはとキリがないが、経験が人々に知恵を与え、準備を考えさせてくれるかもしれない。
とは言っても今回も犠牲者や倒壊した家屋が多く出たことは、同じことが繰り返されては困る。

個人的にできることは何か、公的に政府がするべきことは何か、列車、道路、水道、ガスが復旧すれば、支援物資も届くだろう。

昨日の帰宅困難者の行列を見たとき、あの時と同じだと思いだした。
3・11の震災の時は、私は半蔵門のJCIIビルで仕事中だった。
地震が来たとき、とにかく家族のことが脳裏に浮かび、連絡が取れないことにハラハラした時間であった。
少し落ち着いてJCIIビルを出発したのが午後4時過ぎであった。
途中の道路は車が渋滞して、救急車も通れない。
四ツ谷、新宿と歩き青梅街道を歩いて歩いて6時間。
途中の小さな店で運動靴を買ってハイヒールから履き替えた。
コンビニで何か買おうと思ったが、すでに何もなくポツンと残っていた大福を一つ買って「ありがたや~」と食べて又歩いた。

家に着いたのは夜の9時半を回っていた。

何事もなかったが、実は動かない方が良かったという。
伝言ダイヤルもあるし、様子を見て行動をとることが大事なことだ。
経験を活かして、次回はもう少し落ち着いて行動できる気がする。

今回、犠牲になった方のご冥福を祈り、被害を受けた皆さんが早く普段の生活に戻れるよう協力していきたいと思う。
コメント

スナーダイ・クマエ孤児院の絵画展&写真展

2018年06月13日 | カンボジア
     「スナーダイ・クマエ孤児院絵画展2018」&「カンボジア写真展」が今年も準備されています。

      恒例となったこのイベントは、10年間続き、私も同時に写真展を開催してきました。
      今年は10周年記念として、新しい絵画、バナナペーパーによる商品、車谷さんの音楽イベントが計画されています。

      思い返せば、カンボジアの孤児院を最初に訪れたのが2000年、それ以来18年も付き合いが続いている。
      経営するメアス博子さんには、頭が下がる思いだが、ゼロから始めた彼女の功績は本当に大きい。
      子どもたちは成長して、すでに社会人として立派に巣立った子もいるが、途中で家族のもとへ帰った子や亡くなった子もいる。
      内戦後、沢山の事情と歴史を背負いながら、ここまできたことを考えると、私もカンボジアの孤児院や子どもたちや人々と、人生を共にしてきた気がする。

今年の絵画展の日程は 

日 時  7月6日(金)、8日(日)、9日(月)、7日の土曜日休館


場 所  日本アセアンセンター  地下鉄 虎ノ門駅 A4出口から1分

子どもたちの絵画と共にお待ちしています。

その前に、ちょっと調べることがあり、カンボジアへ出かけてきます。

日程は 6月27日~7月4日まで。

5日は午後から飾りつけだから、だれか手伝ってくれるとうれしいです。
コメント

カンボジアのお年寄り

2018年05月03日 | カンボジア
 2004年ごろ、プレダック村でヨームさんと言うヤシ砂糖を作る人に出会った。
彼は2001年に新しい窯を作り、直径1メートルの鍋にヤシの汁を煮詰めていた。
椰子の細長い棒状の花を途中で切り、半日竹筒に吊るす。溜まった花汁はヤシの木から外して、窯で7時間くらいに詰める。
自然の材料を使い砂糖を復活させた地場産業の走りかもしれない。
その時、ヨームさんのご両親が、村で一番の年寄りで72歳だと案内された。
二人の坊さんを呼んで、「今までさんざん悪いことをしてきたから、死後の安泰を願う」と話してくれた。
翌年にはお爺さんが先に亡くなり、6か月後にお婆ちゃんも逝ってしまった。
その時、私はもっと話を聞いておけばよかったと後悔した。

ここ2,3年、カンボジアの村のお年寄りを私は訪ねることにした。
なぜかというと、今再び、同じ内戦時代が訪れて、「物が言えない民、物言わない民」が社会現象として感じられるからだ。
内戦時代はどんなことを経験してきたのか、時代が変わり今なら話せることがあるのではないかと・・・。

まだまだ元気なお婆ちゃんやお爺さんが多い。
お年寄りは60歳を迎えると、皆お寺に奉公に入り沢山の供物を備える。死後の安泰を願っている。

一人暮らしのお婆ちゃんは、政府軍の兵士であった夫が「どこかで生きている」と思っている。
政府から死亡と言う何の知らせもないからだという。
「時代が変わったから、今はもうその知らせは来ないよ」と言いたいが、それだけは言えない。

サイサンボーさんは、家族が公務員で親戚も含めて20人殺されたが、まだ子供だったので姉妹で逃げろ逃げろと言われて逃げて暮らした。

チリュウ村のソッさんは、行くときには米は山積にあり、牛も10頭も全部置いていったが、帰ってきたら何もなく、家もなかった。
村から村へ田植え、収獲と集団で移動してただただ働いた。規則を破ると罰が与えられ同じことを繰り返すと処刑された。
今でもポルポト時代に着ていた黒い作業着を持っていて、時々、田んぼ行くときに黒の作業着に鍬を担いでバイクに乗って出かけている。

「Kプラン」と言うベトナム軍との内戦がひどく、その時に地雷にあった人は、ポルポト時代の方が良かったという人もいた。

2016年には「一ノ瀬泰造」を良く知る2人のお婆ちゃんにであった。
昔からプレダック村に住んでいて、クメールルージュに村が占領されたとき、今の場所に越してきたという。

内戦後、ゼロからの出発であったカンボジアの農村が、移転を繰り返しながらも定住の地を確保して、内戦前から作っていた籠作りやハンモック作りをするようになったのは2010年以降に思える。

書いてあったことではなく、聞いた話でもなく、どんな小さな出来事でもカンボジアの人々に直接お話を聞くことが私の取材のやり方なので、楽しくもあるのです。


コメント

村の市場

2018年04月05日 | カンボジア
     目的の村へ行く前に、ふっと立ち寄った村の市場。
     6号線を西バライ方面へ走りると、右側に大きな市場がある。
     左右に分かれた道の右はローンカウ村で籠作りのシーエムさんの家になる。
     左方面はタトー村で、船作りの村やボーク村方面になる。

右側の大きな市場は、昔ながらの井戸が残っていた。聞いてみると古代から使われてきた井戸だという。

   
今でも水が滾々と湧き出して、市場の人々が使っているという。
驚いたことに、狭い場所で人ひとりやっと通れる路地が左右にあって、井戸のある場所だけポカンと空いている感じだ。
朝早かったので、右側に洋服屋らしい店は空いていなく、すぐそばで野菜や魚を売る店が並び、反対側には素朴な美容院があった。
さすがに水豊かなカンボジアだ・・・。

市場で手に入らないものはないほど発展してきた。
私は市場のおばちゃんたちに会うことが楽しみで、そこには花や野菜を売りに来る近隣の農家の人が集まってくる。

もう一つはシェムリアップから4キロほど川沿いを走った場所にあるポー村の市場。
壊れそうな橋がかかっていて、今回は足だけのマネキンに、洋服を売る男性が脱がせたり履かせたりしていて、市場の外は面白い光景に会う。

   
昨年、ムルウの葉と石灰を売っていたお婆ちゃんと偶然に会うことが出来て、その時は魚を買って帰るところだった。
壊れそうな自転車に乗っていて、挨拶した時、私のことを覚えていてくれたので、家まで行きたかったが約束があり別の村へ急いだ。

帰る日に街の近く、プサルー(新しい市場)へ買い物に行った。
ここは撮影ツアーの皆さんも必ず立ち寄る場所です。

コメント

104歳のおじいさん

2018年04月04日 | カンボジア
      バンテェアスレイへの67号道路を行くと、ヤシ砂糖を作る人や籠を売る人たちが道端に並んでいる。
      観光客や街へ向かう大荷物を運ぶ車も多いので、私もバイクの彼に「事故に気を付けて」と声をかける。

      それでも今年はなぜか通りが静かに感じる。
      クナー村は私の最初の写真集に登場する知り合いの子どもたちが住んでいるが、もう青年になっているだろう。

直径70センチほどの籠の中にバナナの葉を敷き詰めて、チマキを作って入れていた家族に出会った。
62歳だというお父さんが、楕円形に曲がった鎌でバナナの葉を四角に切っていた。
チマキは家を増築したので親類縁者が集まり、2日間かけてお祝いをするのだという。
女性たちがもち米の中に小豆のような豆を入れて、パアウという植物の葉で巻き大きな鍋で蒸している。
色々話を聞いているうちに、カンボジアで「ポルポト時代を生きてきた人の話を聞いている」というと、すぐそこに104歳になる人がいるという。

 

早速、連れて行ってもらった。
鎌のようなもので、竹を削っていた。
104歳、タコルさん、今は病気もなく元気だという。
内戦時代の話を聞くと、「突然連れていかれた、籠作りをする仕事であった」
子どもは15人いたが、今は4人が亡くなった。孫は数えきれない・・・。と話す。
家族はバラバラになったが、内戦後、ここに集まってきた。
子どもたちは皆な父親は亡くなったと思っていたら、ある日、突然、帰ってきた。

私はこの人の人生を知りたくなった。
またすぐにカンボジアへ出かけなければならない。

1992年には最初の奥さんは死亡、自分が病気の時はもう死ぬと思って、親戚中が棺桶を用意していたが元気になったという。
ポルポト時代には魚取りの竹籠「コロン・ラ・トライ」を作っていたという。
             「かご 入れる 魚 」の意味。 規則が厳しかったという。
 

104歳まで生きてきた間に、どれだけの時代を重ねてきたであろうか。

まさに時代に翻弄された一市民、一農民の姿があった。
コメント

プノンボクへ

2018年03月31日 | カンボジア
      プノンボクと言う村は、小さな山があってポルポトの兵士はそこに逃げ込んがと言うことを聞いたことがあった。
      最初のガイドと2004年ごろ行ったときは、カンボジアには珍しく土壁の家があり、そこに素朴な手作りの地図の看板が板で造られていた。
      2016年に村で出会った地図は、プレダック村の35歳になる村長が、ここまでは村の敷地であるという地図を模造紙に手書きで作っていて感動したことがあった。
      そんな地図があったプノンボクだが、今回は入り口がプレダック村の近くからバイクで入っていった。
   
  4メートルの道幅を行くと、道路の両側にまばらに家が続いている。
途中、バンテェアスレイ地区、タエー村というところで、椰子の葉を揃え編みこんで壁や屋根に使う作業をしている家族に出会った。
年老いた両親と娘が二人、孫が二人いたが、60歳だというお父さんは12人の子どもがいたが、4人が亡くなったという。
今は孫が16人もいるのだという。

   

早速、ポルポト時代に何をしていたか聞いてみた。
ヘインチョウーイさんという方で、ポルポト時代は農民であった。
その頃、自分はスラスランに好きな女性がいたが、ポルポトの組織で用意してくれた女性と結婚した。
自分はイケメンであったと言ってニコニコと・・・。そうでもないなと思いつつ、「うんうん」と頷いた。
親や妹とはバラバラになり、どこに働いているのかわからなかったが、親と妹を将来にわたって面倒を見てくれると言われ、組織が用意した今の奥さんと結婚したという。
女性グループと男性グループに分かれていたが、自分はイケメンだから女性たちがうわさをして、いつも注目されていた。
しかし、礼儀正しく規則を守らないと告発され殺された。

  

目の前で好きな人がいたという話を聞いても奥さんは平然とヤシの葉を編んでいた。
そばで子どもたちが笑っていたが、自慢そうに話す姿に、何かを背負いつつも時代が変化してきていることを感じる。

現在、村にはフンセン首相と人民党のヘンサムリンの看板が目立っているが、2018年7月の選挙では野党が解党になった現在、再び自由のない時代が訪れることが予想されている。
村人たちはそんなことをどう思っているのか知りたいが、今は政治の話はタブーになっている。

コメント

カンボジアから帰国

2018年03月25日 | カンボジア
 3月初めから出かけたカンボジアですが、今回は本当に暑い日々でした。
まだ寒い日本から突然34度~37度の世界へ突入し、暑さに強い私ですが2日目でダウン寸前。
でもそんなことも言っていられなく、しっかり取材を続けてきました。

初日はトンレサップの近くのハス畑に行き、経営する何人かの人々に「このハス畑はいつから誰が何のためにはじめることになったのか」と事情を訊いて、長い間通いながら知らなかったことが沢山あったことに気が付いた。
4400$でハス畑を借り、蓮根は採らないという。理由は蓮根になるまでの期間が長いこと、採取する人がいないことなどでした。
カンボジアは95%が仏教で、イスラム教やキリスト教なども内戦前から存在していたようだが、多くの僧侶がポルポト時代に農業の為の作業に就いたようだ。
村の人々はヒンドウ教の良いところと仏教の良いところを両方をとって様々な行事をしている模様だ。
月に3回から4回、決められた戒律の日には蓮の花が使われ、特にバイサイと呼ばれる飾り物には「ハスの蕾」が欠かせない。
  
  
ハス畑に行くと、まだこれからきれいな花をつけるであろう「蕾」が刈り取られている。
4~5本で2000リエル(約55円程度)で売られていた。
  

同時に「ハスの実」も売られている。子どもたちがトンレサップ湖にいく観光客に山にして販売していた。
食べてみると少し甘いが、野性的な青臭い風味でなかなか美味。

ハスが人々にとって、仏教の教えにとって果たす役割は何なのか、長い内戦で苦しんできた人々にどんな影響を与えているのか・・・。
写真学校で手に入れた写真集、藤井梵さんの「芬陀利華」-ふんだりけー を思い出しながら写真を撮った。
その本の中にー「ふんだりけ」とは、サンスクリット語でブンダリーカの写音、白蓮華の意である。
蓮華は汚泥中にありて清浄の花を開く仏花」とあった。
カンボジアの言語もサンスクリット語で、人々が仏教にすがる思いや蓮の花を奉りごとに利用するのもうなずける。

初日はホテイアオイを利用してハンモックやバックを作る人々に会いに行ったが、小さな池にピンクの睡蓮の花も満開であった。
 

前回撮らせていただいた写真を届けながら、また新しい写真を撮る・・・。
コメント

ブルーレディオ・ドットコム

2018年02月20日 | 日常
   写真展が終わり、ほっとしている日々ですが、今回ラジオ出演が決まりました。

   インターネットラジオですが、写真家 熊谷正さんに「美・日本写真」という番組のなかで、紹介していただきました。

    

   沢山の写真家が様々な話をしていますが、私はもちろんカンボジアの写真を紹介しながら話をしています。
   どんな取材をしてきたのか、一枚の写真の中にどんな話が込められているか、またどうして17年間もカンボジアに通ったのか、などなど・・・。

 フェイスブックをしていない方も聞くことが出来ます。

 今回の放送は2月20日 20時から次回は27日、20時からです。
お時間のある方は覗いてみてください。

http://www.blue-radio.com/program/bjapan/
 
コメント

写真展終了

2018年02月09日 | カンボジア
 写真展「カンボジア農村」-暮らしの音が吹き抜けるー 2月に入り1日~7日という日程でしたが、お陰様で大盛況で終了しました。
寒い中、足をお運びいただいた皆様に心よりお礼を申し上げます。

会期中、毎回のように開催するトークイベントですが、今回はカンボジア在住のフォトジャーナリスト、高橋智史さんを迎え、現在のカンボジアの現状をお話ししていただいた。
集まった皆さんも思いのほか、中央政権が野党へ行っている数々の弾圧に驚いたようでした。
知ることはとても大事なことで、参加したツアー参加者の皆さんもフォトクラブの皆さんも、その他カンボジア大好きという方も、現地でNGOで活躍している方も大いに盛り上がった会となりました。
トークが終了した後も、なかなか会場を後にする人がいなく、話し込む人で賑わっていました。

  
 オープニングパーティでJPS同期入会の皆さんと  ツアー参加者の皆さんと

 
 高橋さんとトーク

  
 会場の様子

お手伝いいただいた皆様、ありがとうございました。
感謝! 

コメント

もうすぐ写真展

2018年01月28日 | カンボジア
 寒い毎日が続いています。
    こんなに寒い冬は、東京では珍しく何年ぶりでしょうか。
    寒い時には、暑いカンボジアが恋しくなりますね。
    今は乾季なので、30度を超えていることでしょう。
 
   

写真展の準備に追われ、とうとう後、数日後になりました。
プリントしてから展示と一部パネルなので、いつものように展示業者さんとの打ち合わせ。
終わるとキャプションを作成。
ハレパネに張り付けて切り、結構、神経使います。
文章がおかしいと、またプリントをし直して張りなおして、カッターで切る。

私の場合、結構手作りが多く、かなり慣れてきたものの、一番気を遣うのは、どの写真を展示するかの部分です。
迷いましたが、自分で決める以外にありません。

1日は初日ですが、3日のギャラリートークでは、カンボジア大好き、行きたい人、行ってきた人、知りたい人も含めて、飛び入り歓迎で進めたいと思い、今からドキドキワクワクです。

皆様のお越しをお待ちしております。

先日来、インフルエンザB形にかかり、生姜ハチミツ、ニンニクで体力を作ってきましたが、まだ本調子ではなく困ったものです。
今年はA型、B型、同時に流行っているとかで、何年ぶりでしょうか。
鬼の攪乱でしょうか。
コメント