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足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

ヤシ砂糖の村

2013年11月30日 | カンボジア
 プレダック村は人口が2000人ほどの村で、大部分が稲作で生活する。
その中の30%がヤシ砂糖をつくっている。
そのほとんどが市場へ運んだり、67号道路をバンテェアスレイ遺跡方面へ行き来する観光客に並べて売っている。
村に入るとすぐに道路にはヤシ砂糖や竹かごを売る店が並ぶ。

ヤシ砂糖の作り方は、2001年に新しい窯を作ったばかりだというヨームさんの家にうかがったのが最初であった。
この近くにはバスを止める場所がない。今回はサットさんの家にうかがうことにした。

ヤシにはオスとメスがあり、両方とも細長い花が咲く。
棒状の花を途中で切り、果汁を半日ほど竹筒の中にためていく。
1メートルもの大きな鍋にヤシの花汁を入れ、3時間から7時間まで煮詰めるというもの。
柔らかく仕上がったり、固形になるまで煮詰めたり、ヤシの丸い葉の入れ物に入れていくものと、その煮詰める程度も様々だ。

しかし、実がなるのはメスだとサットさんが教えてくれた。
「ヤシはカンボジアの国のシンボルだ。その実は使えない部分がない」・・・。
皮はスープに入れるし、種には汁が入っていて、緑のうちは種の中はやわらかく食べられるそうだ。
表面がすっかり乾燥した実は、中の果肉でゼリーを作ることができる。
時代を超えて、長いこと受け継がれてきた人々の伝統の暮らしの一部分なのである。

   
 大きな鍋がふたつ、この細い道をゆくとヤシの木が並ぶ。   竹の棒で登って行くサットさん。
鍛えられた身体で早いこと早いこと・・・。
木の下や田んぼには必ず大きな赤アリがいる。刺されると針で深く刺されたように痛い。
民衆の踊りにも出てくる「赤アリの卵を取る踊り」に代表される赤アリ。
撮影者の悲鳴がひびき、みんなびっくり・・・。特に害はない・・・。

   
 煮詰めている間、私たちはバンテアスレイ遺跡へ。    出来上がったヤシ砂糖。

   
 お母さんが早速、バケツの入れ物に。          近所のお母さんもやってきた。

   
 サットさんの子どもたち。見知らぬ人にびっくりかなあ~。   すっかり夕暮れに・・・。

 

 

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一年ぶりのアンコールワット

2013年11月29日 | カンボジア
 遺跡と村を訪ねる撮影ツアー、昨日無事に終了。
今回はすでにカンボジアを訪れたことがある方、初めての方など合わせて10名が参加。
添乗員がピースインツアーの佐々木愛さん、現地ピースインツアーガイドのパナー君。
パナー君はスナダイクマエ孤児院出身の日本語ガイドです。
彼は真っ黒な顔をして、空港に出迎えてくれました。
そして、私が村を紹介し案内するということではじまりました。

初日のアンコールワットは33度の暑さの中、説明を聞く人、私と歩く撮影組、自由に写真を撮りたい方に分かれ、集合場所、時間を決めての行動となりました。
すでに4回も来ている人もいるので、次回もこの方法になる予定。

スーリャバルマン2世によって完成し、冒険家アンリムオが亡くなった後、その冒険記によって、世界的に知られることになったアンコールワット。
1000年の風化の中で、傷みもすすみ修復の後も見られるものの、雄大な姿に魅せられた観光客がひっきりなしだ。
この頃は、アプサラオーソリティという組織で管理し、遺跡の周りに家は作らせない方法をとり、周りに住む人も制限しているようだ。
ところどころに警備の人らしい制服をした人が配置され、堀を掃除する人、芝生を刈る人が働いている。
一辺が1.6キロの堀もきれいにみえる。
以前、堀を掃除する人にきいた話では、一日10$で働いているとの事。
入場制限ができたのはいつのことだったろうか。
観光客の多さをおもえば仕方がないこと、すでに森本右近太夫の墨書もすっかり見えなくなった。
それにしても、寛永9年、江戸時代にすでに船に乗り、アンコールワットを訪れた日本人がいたことが、感慨深い思いがする。
幾多の歴史を刻んで、このような姿で世界中の人を迎えることになっているとは、スーリャバルマン2世も思いもつかなかっただろう。
いや すでに予想してのことか・・・。いつになく空想が頭をよぎる。

   
 南側、池には5つの塔が映える。      ヨーロッパ人らしいが・・・。

   
 2000年にきたとき、今は封鎖されているこの70度の階段を上った。当時ワンダラボーイと言われる少年が1$で荷物を持ってくれた。13歳の少年はガイドになりたいと夢を話してくれた。もう26歳になっている。どうしただろうか。この細い手すりで上った。

   
 ヒンドウ教の女神、デバターの胸は観光客によって磨かれている。 ガイドらしき2人。

  
 塔の先端の草は取れない、共存することになるだろう。  東側お堀、依然ここには睡蓮が一面に咲いていた。

   
 草を刈る人、袋に入れて運び豚のえさにするそうだ。  ペットボトルを集める子ども。

 

 
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撮影ツアー

2013年11月21日 | カンボジア
 このところ、朝晩が急に寒くなりました。
そんな寒い日本から30度以上になるカンボジアへの撮影ツアーがはじまります。
明日の出発を前に、夜更かししないで、体調に注意しながらこの温度差を乗り切っていきたいと思います。

撮影ツアーとしては10人という気軽さがあり、全員が何らかの形でカメラを使いこなしている方ばかりです。
大なり小なり、今の時代はコンパクトでも製品が良くなり、ミラーレス一眼にいたってはレンズ交換もできるすぐれもの・・・。

今回のツアーの添乗員はピースインツアーの佐々木愛さん、現地の日本語ガイド、運転手さん、そして私です。

ツアーの場合、時間のやりくりが一番気になるところ、何時間かその場所に滞在することで、子どもたちも最初の出会った珍しさもなくなり、いろんな行動をとってくる。
よそ行きでない、本当の子どもの姿はそんな時に出てくるでしょう。

以前、村で私がお母さんたちと話しているとき、子どもたちが木登りをはじめました。
自分のまわりの大人たちと話をしていることで安心したのでしょう。
よく見かけるのは、子どもの顔ばかりたくさん撮ってきたけれど、ただ撮っただけの表情もあり、それではだめですね。
 
   
 これは2013年4月に滞在した時の写真で、いつの間に近所から集まった子供たちが全員、カシュナッツの倒れた木に登っていました。

今回はカンボジアの人々の生活に触れて、その歴史なども聞いてみたいと思います。

昨年は米の麺(ノンバンチョック)を作る家を訪問、村の伝統舞踊の練習場、またその子たちが着飾ってお化粧して舞台で踊るところなど、盛りだくさんでした。

今年はヤシ砂糖の村、プレダック村。
船作りの村ですが、ここで酒作りをしている女性を訪ねます。
この村はスナダイクマエ孤児院の卒業生、ラーボ君の家があります。
前回、下見の時には両親に会うことができました。
ラーボ君は今は現地旅行会社の社員として立派に成長し頑張っています。
うれしいですね。
もちろん、今回もスナーダイクマエ孤児院を訪問します。
子供たちの成長がとてもはやいので、会うのが楽しみです。

そんな村々を訪問しながら、もちろん朝夕のドラマチックな光景も・・・。

帰ったら、またブログを更新していきます。

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知り合いを訪ねて

2013年11月12日 | 安曇野
 しばらく会えなかった知り合いになった農家の皆さんを訪ねて、「海ノ口」に行く事にした。
大糸線に乗り、周りの風景を見ていると、予定変更して、ここで降りようかと迷うことがある。
どこで降りても安曇野は北に行けばいくほど、魅力的になっていく。

海ノ口は無人駅だが、前よりきれいになり駅構内には訪れた人の「ひとこと」を書くノートが置いてある。
線路の左側は木崎湖、右側の東海ノ口で「崩沢」というがある。
ここには「安曇野歩歩記」に登場する可愛いおばあちゃんが住んでいる。

   
 駅から1分でこんな素朴な光景。            甘くなる日が楽しみです。

   
 漬物になる日を待っている・・・。              鈴なりの柿と土蔵。

   
 おばあちゃんは元気でしたが、昨年おじいさんが亡くなったとか。ご無沙汰で本当にごめんなさい。

   
 西海ノ口、西澤家、茅葺の吹き替えをしたとか。    野焼き・・・。

  帰るころ。 
帰りは花豆を収穫していた古谷さんを訪ねて、花豆を買って帰りました。
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安曇野晩秋

2013年11月12日 | 安曇野
 紅葉が里に下りてきて、安曇野はひと雨ごとに寒くなる。
同時に大根や野沢菜、柿、栗、豆の収穫もあり、安曇野の軒先はにぎやかになる・・・。

今回は久しぶりに「あずさ」に乗って一人旅・・・。
「あずさ」のなかで読む本は、写真家 小松健一さんの「太宰修と旅する津軽」新潮社(とんぼの本)。
時々、窓の景色が紅葉で彩られているのをちらっと確認しながら・・・。
いつものように「穂高駅」に着くとやはり風は寒く、おもわずダウンの前ボタンをかけながら2日分の食事の買い物をして、タクシーで我が家へ・・・。

今年は暑かったので、トンボの群れにまだ会えるだろうか。
この前はほとんど見えなかったが、ところによっては朝早く草木にしがみついているという情報も入ってきた。
トンボの中では一番寿命が長いアキアカネは、暑い夏は山の上ですごし、涼しくなる秋に里に下りてくる。
長いと言っても6か月なので、やはりはかない命です。

今の時期は温度差が激しいので、いつもだと霧が多く発生するのだが・・・。

ともあれ、一日目は掃除をしてから、夕方近くの田んぼにでかけた。

   
 夕方5時ごろ、草もみじがきれいだが、雲は暗く寒い。  田んぼの馬頭観音がうっすらとと浮かび上がって・・・。

明日、晴れるのを期待して・・・。

夜10時ごろ、窓の外をのぞくと霧がかかっているようだ。

 
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水俣病の写真展

2013年11月07日 | 日常
 ニコンサロン銀座で、写真家 桑原史成さんの「不知火海」の写真展が開催されています。
 11月6日(水)~19日(火)最終日15時)

半世紀にもわたる水俣病の取材を続け、その後の経過も入れながら、後世に伝えていかなければいう写真展です。
    朝日新聞一面のトップに掲載。
 写真展の記事がこのように大きく扱われるのは初めて見ました。地方によって四面だそうです。

10月には水銀に関する水俣病国際会議が熊本で開催され、日本は唯一、水銀による多くの被害者を出した国として、世界に条約の重要性を訴えなければという立場にありました。
水銀だけでなく、環境汚染が多くなっている現実をみると、どれひとつとっても世界的にも無視できないものです。
   

 昨日、写真展の受付を依頼され、10時半にニコンサロン銀座に行ってみると、開館前のギャラリーにずらりと人が列をつくっているではありませんか。
いままで、見たこともない光景だったので驚きました。
写真展でこんなに行列ができるのは見たことがありません。

モノクロ60点の展示ですが、どれも貴重な記録であり、涙する人もいるほどの写真群・・・。
銀塩プリント、プラチナシルバーでの銀塩など、新しい方法でのプリントも見ごたえがあります。

 
夜はそのまま、オープニングパーティとなり、写真界の重鎮が多数あつまり、桑原史成さんの業績をたたえての会となりました。

マスコミ、写真業界、雑誌などの皆様があつまって、にぎやかな会となりました。

貴重な記録の写真展です。
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柿の便り

2013年11月04日 | 日常
 私が柿が大好きなことを知っている奈良の友人が、今年も柿の便りをくれました。
 
大きく赤く色づいた富有柿が段ボールで送られてきました。
子どものころに、熟れた柿の甘さが好きで、わざわざ柿を放っておいたことがあります。

今頃何をしているかしら。
先日は体調がすぐれないと言っていたので、その後どうしたかしらと思い出します・・・。
こんな季節の便りの方法があっても、うれしいですね。
その人のお手紙はとてもきれいな字で、私のことを学姉と書いてくれます。
会社の写真クラブにいたころからの写真の仲間であり、古い付き合いになります。

私が写真を始めた頃、「マグナムの写真家たち」という本をいただいたことがありました。
今ではとても参考になり、知る必要のあった写真界の本でした。
「毎日必ず写真を撮る」が彼のモットーですが、なかなかできることではありません・・・。
モノクロの写真を撮っているので、私とわりあい気があって、フィルム現像の細かい知恵や自分で研究したことも教えてもらったり・・・。

この頃は写真の世界もデジタルがさらに進んで便利になりましたが、今まで多くの写真界の大先輩が築いてきた「銀塩」の素晴らしさ、芸術性の高さ、ドキュメンタリーの伝える力を忘れてはならないと思っています。

その上にたってのデジタルが、私の信条です。
ちょっと理屈っぽい話になりそうなので・・・。やめておきますね。
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神田から秋葉原

2013年11月04日 | 日常
 神田から秋葉原まで歩きながら撮影する。

2度目の神田駅周辺は・・・。
前回と同じ目線でと思うが、ちょっとおもしろい奇妙な光景があるかしら・・・。
今日は午前中は晴れ、午後の曇りだったのに午前中から雲行きがあやしく、午後2時には雨・・・。
雨なりにいい写真が撮れるかもと期待したが、今回はちょっとつまらなかった。
それにしても、秋葉原駅周辺はものすごい人、人・・・。

        神田ガード下の店の前にお地蔵様が・・・・。
 「彌留氣地蔵」と書いてありました。「難関突破」「招福開運」願望成就」「身体健全」のご利益があるとのこと。どうも「やる気」があれば何でもかなうという。「やる気」は命も根源だという。なんと贅沢なことをかなえてくれるお地蔵さんだ・・・。

   
 ガード下の番号は倉庫の番号で、こんな光景も。         きれいな絵画もあったが・・・。

      秋葉原寄りガード下。
 創業65年のやきとり屋。 地鳥を使用しているらしい。

  
 神田川を渡ると秋葉原、右 柳森神社。           ご本尊はおたぬきさんらしい・・・。
   
 線路のそばの階段を降りると駅周辺。            東西抜け道、東側交差点。 



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