足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

自粛の中で

2020年04月22日 | 日常
 自粛中に、何をしたらよいか。自分なりに考えてみる。
新型コロナウイルスが、日本で発覚して瞬く間の4カ月であったと思う。恐怖だけではない。
どっさりと圧し掛かってきた収入減と、これから一年どうしようかという不安・・・。
家族で誰かが感染したことを考えると、医療崩壊が進みつつある今は賢く乗り切らねばならない。
言うまでもなく誰もが知っていることを再びかくつもりはないのですが、イライラすることもある。

そろそろ写真展の準備に入ろうかと思っているが、家にいるからと言ってなかなか進まない。
ある人が言っていました。
「お」の付く仕事が沢山あり、主婦も主夫も大忙し。
おはようから始まり、3度のお食事、お洗濯、お掃除、お買い物、その間に写真の整理など、etc。
古いデータの整理や、読み残しの雑誌やBookの整理、考えてみれば山のようにありますが、何故かモヤモヤとして落ち着かない。

使いたい作品の現像をし直して、16ページ~24ページの写真集を作り上げる。
  
  古い写真もあるし最近の東京街歩きまで。

またざっくりと纏めるとしたら、この期間中で雑誌をかたずけたい。
相変わらずと思いながらニッコールクラブの会報、大事な記事は切り取ってファイリングした。
ニコンで活躍している写真家の方は沢山いる。
アサヒカメラも整理したが、目からウロコの情報もある。

さて、自分の写真集はず~と前から考えていた「カンボジアのワンさんの家族」の写真選び。
私がカンボジアへ行って、初めて知り合ったのは2002年のことで、父親が地雷の被害者で2007年に死亡した。
それから、ずっとこの家族を訪ね、時には一緒に涙する日があった。
これは大きな課題だ。

写真展は一度は銀座ニコンサロンにお願いしたが、元気で飾り気のない女性たちの写真だったが選考に漏れた。
これも何を伝えたいか、そのためにはどんな写真が撮影されているかを考えると、まだまだ未熟な部分は認識している。

「カンボジアの女性たち」は2018年の「カンボジアの農村」の写真展の際に多くを出品していて、それ以外をまとめたい。
作品を選びきれなかったこと、それに見合った展示がプレゼンテーションできなかったこと、大事なことはコンセプトに沿った作品が出来なければダメだということ。
また、写真展で発表することの意味を、深く考えなければならない。
自問自答の日々が続くわけです・・・。まだ足りないまだ足りないと繰り返した分だけ満足できるものに仕上がっていく。

第三者の目線で作品選びをする、自分の思いは強くても、写真の中にその現実が出ていないことを知るべきです。

私も20年もカンボジアに関わって写真を撮ってきた。そのすべてが大きな記録になった。写真とは何かを考えるとやっぱり撮ったその時から記録になる。
当たり前のことだが、撮ってきた写真から訓練を重ねないと思っている。
写真で何をしたいのか、どう発表するかが次にやるべき仕事になる。

写真も絵画や文筆家と同じように、発表から50年、死後50年と著作権も伸びている。

コメント
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