足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

小児病院のイベント

2009年03月31日 | 日常
 横浜JICAにおいて、カンボジアの小児病院の10周年記念の報告会があった。長い間、この病院ともかかわりを持ってきた。1日350名の患者であふれ、医師や看護師のカンボジア人の教育施設も備えた病院で、NPOとして成功をしているひとつではと思っている。
 立ち上げたのは一人の写真家、彼は写真家として決して奢りをもってはいけない、写真展も小さな会場でもいいんじゃないか、まず発表することが大事だといってくれた。また、「先生」という私の呼びかけに「先生」と言えるのは医者か学校の先生だけだから、先輩とか名前で呼んでください、と言われた。
沢山の人間としての教訓を学んだ日であった。
次回のイベントでは小児病院にかかわってきた写真家の写真展もすることになった。どうなるかわからないが私も参加させてもらえそうだ。
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水俣病の記事

2009年03月28日 | 日常
 先日、新聞に水俣病で癒えることのない病とたたかっている人が、今でもたくさんいることが記事になっていた。ニコンサロンで小柴さんの写真展を見たばかりなので興味をもった。公害と認定されてから53年が経っているとのこと。政府は改たな法案をだしているとの記事であった。何年も苦しむ人や胎児性の患者の人々にとっては、重大なことで、すべての人を救ってもらいたい。
企業責任を明らかにしない、また命を大切にしないような政府の法案は、老後の私らの医療にもその姿勢は響いてくる。
病院不足や医師や看護師不足などのように・・・。
日本が高度成長期に起きた水銀を垂れ流しにした企業の責任は改めて重大と言えるのでは・・・。
 原因は別になるが、カンボジアでは今、ヒ素の問題が出ている。これは同じ健康を害する病だが、こちらは地層に含まれる鉱物のなかにあるもので、避けようがない。井戸水などに含まれて飲んだ地域の人々が病気になっているとのこと。
それにしても、カンボジアのような発展途上国において、開発によって人々が犠牲になり、病がひろがっていったらどうなってしまうかと。先進国の公害に学ぶべきではと願うばかりだ。
 カンボジアでは森林伐採によって、魚の漁獲量が減ったり、バイオ燃料の工場が建設され、すでに付近の住民が健康被害を訴えている。
そんなこともあることを考えながら、村の写真も撮らなければと思う今日この頃です。
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桜酒を

2009年03月26日 | 日常
 先日、友人と久しぶりにいつも行く店で食事をした。桜の時期になり「桜酒」と名ずけられた日本酒を飲んだ。ほんのりと桜の香りがして、桜の花が入っていて身体が温まる気がした。この店は荻窪の線路際の「武田や」というところで、静かな店で大人の雰囲気がただよっている。料理がいつもおいしくて、フグの時期にはフグ酒がおいしい。女友達とはいつも来る店のひとつだ。
 そこで偶然、子供の保育園の園長夫妻にであった。今は子どもたちは成長してしまって縁が無くなってしまい、保育園も昔に閉園している。
懐かしさで話がはずんで、あの頃はこうだった、ああだったと子育ての頃に戻った夕べであった。わが街も大分変ってしまい、店もたたむ人や息子が後を継ぐ人もいる。そんな時代だから、この街を愛してきた私としては写真で残したいと考えている。
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カンボジア講演会

2009年03月23日 | 日常
 「カンボジア はたらく子どもたち」の講演をした。会場は区の施設なので、それほど大きな会場ではない。準備は充分にしたつもりであったが、プロジェクターが前回と違ったこととパソコンとの接続が上手くいかず、その道のプロが接続したのに開始時間が大幅に遅れてしまった。話す内容も途中から、スキップしながら時間、5分前に終了した。
 それでカンボジアがどんな国で、どうしてインドやタイではなくてカンボジアなのか。便利な日本から、なぜ今不便なカンボジアなのか、そこで働きながら笑顔で生きる子どもたちを語ることができた。
また、花粉症が治っていたのに、会場に着いてからマイクを持って話しているうちに鼻が詰まってきて最悪の状態になった。終わってみると、カンボジアを解ってもらうことに少しは貢献できたのではとおもっている。その上写真集が多少売れて、カンボジアグッズの販売も少しだができたことを「良し」としなければなるまい。
 肩の荷がふっと下りた感じで、今日は長いこと会えなかった友人と心から笑える話でもしようかと思っている。
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雑誌の取材で

2009年03月21日 | 日常
 昨年、12月にある雑誌のグラビアにカンボジアの子どもの写真が8ページで掲載された。その編集の人に写真集を一冊、宣伝のため送っておいた。ひょんなことから女性誌の取材がはいり、カメラを肩にかけた雑誌記者と会うことができた。
あとで考えたらおかしいくらいであったが、思っていることの半分も話せなかった。内容は「会いたくなって」と言うコーナーで4ページくらいでしょうか。料理人や作家や写真家などが登場する。なにもわからないということは一つ一つが勉強になる。どんな機会でも病気ででもないかぎり受けることにしている。
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親しい友人が天国へ

2009年03月20日 | 日常
 今年の年賀状に、親しくしていた写真の友人から身体を壊したと近況がつづられていた。手術をしたことが書いてあり、気にしていたのだが、まもなく親族の方から連絡があり、私はしばらく立ち直ることが出来なかった。
 とにかく、会いたいと思っていたのに、なんでそんなに急いで逝ってしまうの・・・。と「すぐ会っておけば良かった」と悔やまれた。
別の女友達とも話したばかりで、普段から、そう思っていたのに会えなかったことが、なんだか悪いことをしたような心残りとなってしばらく続いてしまった。
元気かなと心配だったら、すぐ電話なりメールなりと、しみじみと思った。
この世に生をうけて必ず死はやってくる。それまでにやり残したことはないだろうかと思うとだれもが満足して死ねないし、死を決めることはできない。年齢とともに実感がわくことになる。
 やさしい人であった。花の写真が好きだった。
今日は久しぶりにブログに向かって、いつまでも更新しなかったので、ちょっとしめっぽいブログになってしまったが、共感できる人もいると思うから・・・。
そう 元気いっぱいの私ばかりではないよ。
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土門 拳 写真展へ

2009年03月08日 | 日常
 早く行こうと思いながら、今頃になってしまったが、土門拳の「生誕100年の記念写真展」を見に行った。かなりの人出であったが、改めてじっくりと見ることができた。日本にこんな素晴らしい写真家がいたのだと、あらためて感慨深いものがあった。
戦中戦後、激動の45年間を記録し続け後半は風景の桜や花も撮っている。
写真はほんとうにその人の個性が出るものとだと思い、その力強さに感動、感激!!。中間に筑豊の人々と「るみえちゃんとさゆりちゃん」の姉妹の展示があったが思わずあふれた涙はカンボジアの子どもたちと重ねたからだろうか。
今まで写真展で泣いたことは一度もなかったかもしれない。それも力強い弥勒菩薩の仏の姿を見た後だったからだろうか。これほどまでに人々の暮らしを撮り、室生寺の木像に目を向け、風貌を撮り、文楽を撮り、筑豊を撮り、古寺巡礼で日本の美を撮り続けている。最初は画家になりたかったという彼は不自由になった手をかかえ左手で絵を描き続けている。また筑豊の子どもたちと手をつなぎ道を歩いている写真があった。がめついくらいの風貌が優しく見えたのが不思議であった。多くの人に写真リアリズムを説いた写真家であった。
とにかくその力強さに元気が出てきて頑張らねばと充実した時間であった。
 その後、ロバート・キャパと親交があり、マグナムの会員であった写真家、ワーナー・ビジョフの写真展も見に行った。1951年から1年間、戦後の日本の写真であった。
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今日は雨

2009年03月06日 | 日常
 3月に入り今日はうっとうしいような雨になった。暖房をつけないでパソコンの前にすわると、足もとから寒さが身体を這うようにあがってくる。
 写真集が発表されてから、雑誌の取材がはいり、講演の依頼が入ってきた。
何をどう準備すればよいのかわからないが、プロジェクターを投影する準備もはじめなければと、あれこれ考えている。
それにしても、カンボジアの孤児院に持っていった20冊がもう無くなったようだ。カンパも含めて販売を依頼したのだが順調な滑り出しだ。しかし私が販売できるのは100冊までであとは書店販売となる。ジュンク堂はまだまだ残っているようだ。皆さんよろしくお願いします。
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写真展へ

2009年03月03日 | 日常
 新宿ニコンサロンで小柴一良写真展「水俣」を見に行った。桑原先生が撮り続けた水俣病を彼は長い間、封印してきた。なぜ、ここにきて発表したか。私は2008年に彼が撮影した写真のなかに、まだまだ水俣病が終わっていない現実をみることができた。日本人の心のなかには60年経ち保障もある程度結果が出ているなかで、忘れ去られようとしている水俣の現実だ。写真の持つ力の大きさをつくづく感じた写真展であった。オープニングパーティは彼を中心とするささやかなパーティであったが、彼の人柄にふれて過ごしたひとときであった。桑原先生は土門拳が撮影したルミエちゃんの写真をはじめ、炭鉱の人々を封印してきた。しかし写真集として、今発表している。なんだか共通する写真家の姿勢を感じた日であった。
 写真展は3月9日(月)まで。 このあと、大阪ニコンでも展示の予定。
土門 拳の写真展は3月8日(日)まで。
 日本橋三越本店7回ギャラリーで開かれてる。
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東京写真月刊準備

2009年03月02日 | 日常
 2009年東京写真月刊の準備がはじまった。これは日本写真協会が毎年、写真文化の向上のために、5月6月初めを中心に行っているイベントである。その中には「著名な方の写真展」や「写真コンテスト」や「1000人の写真展」、アジアの写真家たちはマレーシアの写真家たちの写真展が行われる。今年の日本の写真家たちのテーマは「旅」のようです。
各ギャラリーに情報が入っているのでご覧ください。
 先日は早速コンテスト受付も終わり、選定のための準備で一日お手伝いをしてきた。たくさんの方の応募があり、選者の先生方が仕事をしやすくするため、名前を隠し番号をつけていく。何日間も作業が続くので実行委員の皆さんの活躍の場となる。一日終って感じたことは、とにかく写真は毎日撮り続けることの大事さかな。
私はいま、初心に帰る必要があるということだ。
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