足立君江 写真ライフ

ー東京の街・安曇野・カンボジア撮影記ー

   

ついに最終日

2015年09月04日 | カンボジア
 大雨に会った日もあったが、多くの子どもたちに会い、内戦を経験した老人たちにも会うことができた貴重な時間であった。
ポルポトの軍隊が暮らしていたプノン・ボク村は、後に政府軍の家族が暮らしているという場所なので行くことにした。クーレン山脈を右に見ながら遠出もしてみた。
途中で雨季に備えヤシの葉で屋根を作っているお婆さんにあったが、ポルポト時代に夫は連れて行かれたまま帰ってこなかったと話してくれた。
今回はそういうお年寄りにも何人かお会いすることができた。

   
 遠くにクーレン山脈が見え、水豊かで大きな湖があったり、緑ゆたかなカンボジアがそこには広がっていた。

途中の村で、バッテリーを使い超高速でCDを回し、ドラマを観ていた家族にも会ったのだが、CDが裸のまま目にも止まらぬ速さで、回っている様が圧巻だった。
映し出されたドラマを子どもたちは真剣そのもので見入っている。

   

開発は街から村へが常とう手段だが、観光都市シェムリアップでは、そこそこのホテルやレストランが立ち並び、かつてはここが内戦の激戦地であったことを忘れそうだ。
ホテルや食事なども観光客が行きやすい町になってきている。

子どもたちの学校に行く姿や、特にサッカーやバレーボールに興じる姿をみると、スポーツに興味が出てきているのだとホッとうれしくなる。

   
 村のあちこちで塾が盛んで、かならず民家の一角を利用している。

また、村の田んぼでは農耕機が導入されていて、鍬で一振りづつ耕す大変さから解放されているところもあった。

一方、発展すればするほど、貧富の差が広がるばかりに思える部分もある・・・。

そして、国が抱えている問題があちこちでくすぶっていて、頂点に達しているようにも見える。

一つ目は
ようやく、学校に行くことになった子どもたちも、年齢が大きくなると一家の大事な働き手として学校も休みがちになり、ついに、そのまま来なくなってしまう子もいるということ。
中学や高校が近くに少ない・・・。

2つ目は
土地の問題です。シェムリアップ川周辺の立ち退きを迫られた人たちは、わずかな金額でウエアクマイ村に移動したが、働く場所もなく田んぼや畑もないので何もできない。街に働きに行きたくても、かなり距離があるという問題もある。

  立ち退きを迫られた人に、用意されたが場所。

  
 引っ越してきたが仕事がない。   プレハブの家を建てて暮らしている人もいる。
 
韓国のNGOがトイレと場所だけ整理して、一家に7×15メートルの一角が割り当てられた。
ここに住んでいる家族の姿がないということは、住処を構える人がいないということか。
プレハブの家に住んでいる人もいるが、電気は通っていない。
「田んぼも畑もないので、何もすることがない。」と話していた。

吹きさらしの場所なので、先日は40件が竜巻の被害にあったとのことで、踏んだり蹴ったりだ・・・。

まだまだ住んでいる土地が、個々に登録されて権利証などがないため、人々は不安だという。

3つ目は
母子家庭、父子家庭、貧困層など、一家の中心になる父親が日雇いの労働者が多い。
人身売買につながる要素がある。

4つ目は
豚や牛の値段を政府が基準を設けないため、タイやベトナムから大量に輸入すると、すぐ値が下がってしまい、そこには政治の力は何もない。

以上、今回もこんな話を私が村の人から聞いた2015年のカンボジア取材であった・・・。

ここまで、ながいながいカンボジアの話を読んでいただき、ありがとうございました。

また、書きたいことが出てきたら更新していきますので、よろしくお願いします。


コメント
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