兼ねてからの念願であった、カンボジアのデジタルカラーによる写真展が決まった。
先ず、3月に公募展「視点」の作品を選び、応募したが今年は「特選」になった。
その後、6月初旬の個展「シェムリアップ州の子どもたちと」の準備が今年の一番の仕事であった。
早々に準備態勢に入ったが、エプソン5Vでのプリントが、どんな感じになるか最初から心配であった。
いくつかの各社プリント用紙をA4で試していく。
今まではすべてモノクロームを自分で伸ばしていく写真展がほとんどであったため、カラーとなると感じがつかめない・・・。
プリント用紙はどれを使うか、額装はどうするか、マットは何色にするか、考えたらそんなことで時間をかけてしまった。
自分が納得いく紙を選ぶことにした。
結局、ピクトリコの「月光」モノクロ用の紙を使用して、カラーで印刷することにした。
雑誌へのコンタクト、トークの司会、トークの流れ、どんな形にもって行くか・・・。
そう考えると、この写真も、あの写真も外せない一枚になってしまった。
一番簡単だったのは写真、一点一点につけるキャプション。
これは取材ノートをひっくり返し、結構思い出しながら楽しみながら、終わってしまった。
写真展のトークではフレンズの赤尾和美さんが飛び入り参加、いつものカンボジア撮影ツアーの参加者が準備をしてくださったので、お蔭さまで無事に終わった。
人数は入りきれないほど、おいでいただき、これも感謝、感謝で終わった。
うれしかったのは、3回も足を運んでいただいた青年がいたことでした。
私の写真展の常連になっている方、写真家の皆さん、はじめて来てくださった皆さんなど、新しい出会いの場となりました。
各写真雑誌に写真入りで紹介していただき、グラビアは雑誌側から依頼があり、うれしいことに8ページ、文章1ページの記事になった。
写真展が終わると、7月、雨季のカンボジア、シェムリアップへ取材に入った。
目的は15年経過した子どたちのその後、また新たなテーマで「ポルポト時代を知る人たち」を訪ね歩いた。
これはすでにブログで紹介させていただいた。
カンボジアから帰国後、7月末にすぐに恒例となったスナダイクマエ孤児院の絵画展がアセアンセンターではじまり、今年は私が同行する撮影ツアーの皆さんの写真展が同じ会場で開催された。
これは岩田晶子さんの作品。
孤児院は撮影ツアーの皆さんを毎回、短時間でも訪問することになっているので、いい機会をいただいた。
8月から10月にかけては、沢山の写真展を見に行った。
写真集も高価なものから、欲しかったものまで手に入れた。
JPSや現研のセミナーにはなるべく参加するようにした。
セミナーでは特に今年は「フィルム保存センター」や「動画の著作権」に参加して勉強することができた。
また自分が指導する写真クラブ「みずほ」の街歩き撮影を実行することにした。
毎月の例会と講評のほかに街歩き撮影があり、結構忙しくなってきた。
10月に入ると「カンボジア撮影ツアー」の打ち合わせなどの準備態勢に入り、11月12日から撮影ツアーははじまった。
ようやく、安曇野に行って不凍栓の処理や撮影ができたのが12月の初めであった。
月日の経つのは早いもので、あっという間の一年・・・。
知らないうちに歳ばかりを重ねて、もっと本気を出さないとと思った一年だった。
先ず、3月に公募展「視点」の作品を選び、応募したが今年は「特選」になった。
その後、6月初旬の個展「シェムリアップ州の子どもたちと」の準備が今年の一番の仕事であった。
早々に準備態勢に入ったが、エプソン5Vでのプリントが、どんな感じになるか最初から心配であった。
いくつかの各社プリント用紙をA4で試していく。
今まではすべてモノクロームを自分で伸ばしていく写真展がほとんどであったため、カラーとなると感じがつかめない・・・。
プリント用紙はどれを使うか、額装はどうするか、マットは何色にするか、考えたらそんなことで時間をかけてしまった。
自分が納得いく紙を選ぶことにした。
結局、ピクトリコの「月光」モノクロ用の紙を使用して、カラーで印刷することにした。
雑誌へのコンタクト、トークの司会、トークの流れ、どんな形にもって行くか・・・。
そう考えると、この写真も、あの写真も外せない一枚になってしまった。
一番簡単だったのは写真、一点一点につけるキャプション。
これは取材ノートをひっくり返し、結構思い出しながら楽しみながら、終わってしまった。
写真展のトークではフレンズの赤尾和美さんが飛び入り参加、いつものカンボジア撮影ツアーの参加者が準備をしてくださったので、お蔭さまで無事に終わった。
人数は入りきれないほど、おいでいただき、これも感謝、感謝で終わった。
うれしかったのは、3回も足を運んでいただいた青年がいたことでした。
私の写真展の常連になっている方、写真家の皆さん、はじめて来てくださった皆さんなど、新しい出会いの場となりました。
各写真雑誌に写真入りで紹介していただき、グラビアは雑誌側から依頼があり、うれしいことに8ページ、文章1ページの記事になった。
写真展が終わると、7月、雨季のカンボジア、シェムリアップへ取材に入った。
目的は15年経過した子どたちのその後、また新たなテーマで「ポルポト時代を知る人たち」を訪ね歩いた。
これはすでにブログで紹介させていただいた。
カンボジアから帰国後、7月末にすぐに恒例となったスナダイクマエ孤児院の絵画展がアセアンセンターではじまり、今年は私が同行する撮影ツアーの皆さんの写真展が同じ会場で開催された。
これは岩田晶子さんの作品。
孤児院は撮影ツアーの皆さんを毎回、短時間でも訪問することになっているので、いい機会をいただいた。
8月から10月にかけては、沢山の写真展を見に行った。
写真集も高価なものから、欲しかったものまで手に入れた。
JPSや現研のセミナーにはなるべく参加するようにした。
セミナーでは特に今年は「フィルム保存センター」や「動画の著作権」に参加して勉強することができた。
また自分が指導する写真クラブ「みずほ」の街歩き撮影を実行することにした。
毎月の例会と講評のほかに街歩き撮影があり、結構忙しくなってきた。
10月に入ると「カンボジア撮影ツアー」の打ち合わせなどの準備態勢に入り、11月12日から撮影ツアーははじまった。
ようやく、安曇野に行って不凍栓の処理や撮影ができたのが12月の初めであった。
月日の経つのは早いもので、あっという間の一年・・・。
知らないうちに歳ばかりを重ねて、もっと本気を出さないとと思った一年だった。