2月は撮影会が2回、コロナ禍とはいえ注意しながら街を歩く。
個人的には散歩しながら、「我が町」の川沿いを歩いて、運動不足の解消しつつ、作品作りをする。
2000年からモノクロで撮影を始めた「西新宿」、そのままになってしまった作品群は西新宿は今ではお蔵入りになっている。
写真を撮る者にあらずです。
西新宿で都市計画の中で出会ってきた何人かの皆さんとは、それぞれが引っ越しをして所在がわからなくなっている。
歴史の古い新宿は昭和の初めまで野菜畑があり、成子天神には市場が出来て野菜が並んだという。
取材中に江戸時代の陶器が発見されて、今では新宿区の資料館に収蔵されていると思う。
青梅街道沿いは置屋のあったため、そのために水子を入れた甕が見つかったこともあった。
開発前にそこの住人からは、土地を何人かの叔父と共同名義にしていたため、立ち退きの際にはすべての了解と印鑑が必要であり、その調査は見知らぬ叔父の子孫にまで及び押印が大変だったと聞いた。
まだ残る素朴な街並み。
周りはきれいなビルになり、新しいマンションが立ち並ぶ。
今回は開発が進んでいなく、まだ残る街並みを歩いた。
もう一つは2021年「浅草」新春の撮影会。
学校の授業も休校になり中止になったので、合評の時間を2月の写真室の授業として撮影会とした。
誰もいない浅草、車屋さんも暇そう、来ている人も超少なく空いている店は店主が奥で電卓をたたいている。
そんな姿にコロナが早く収束に向かい、もとに戻れるようになることを願いばかりだ。
個人的には散歩しながら、「我が町」の川沿いを歩いて、運動不足の解消しつつ、作品作りをする。
2000年からモノクロで撮影を始めた「西新宿」、そのままになってしまった作品群は西新宿は今ではお蔵入りになっている。
写真を撮る者にあらずです。
西新宿で都市計画の中で出会ってきた何人かの皆さんとは、それぞれが引っ越しをして所在がわからなくなっている。
歴史の古い新宿は昭和の初めまで野菜畑があり、成子天神には市場が出来て野菜が並んだという。
取材中に江戸時代の陶器が発見されて、今では新宿区の資料館に収蔵されていると思う。
青梅街道沿いは置屋のあったため、そのために水子を入れた甕が見つかったこともあった。
開発前にそこの住人からは、土地を何人かの叔父と共同名義にしていたため、立ち退きの際にはすべての了解と印鑑が必要であり、その調査は見知らぬ叔父の子孫にまで及び押印が大変だったと聞いた。
まだ残る素朴な街並み。
周りはきれいなビルになり、新しいマンションが立ち並ぶ。
今回は開発が進んでいなく、まだ残る街並みを歩いた。
もう一つは2021年「浅草」新春の撮影会。
学校の授業も休校になり中止になったので、合評の時間を2月の写真室の授業として撮影会とした。
誰もいない浅草、車屋さんも暇そう、来ている人も超少なく空いている店は店主が奥で電卓をたたいている。
そんな姿にコロナが早く収束に向かい、もとに戻れるようになることを願いばかりだ。