今年は日本・カンボジア友好55周年の記念の年とのこと。55年前というと1953年だからはっきりはしないがカンボジアがシアヌークを国家元首として王国として独立した年ではなかったか。それからの長い内戦も語りつくせないカンボジアの負の遺産とも言うべきものだ。1991年パリ和平以来、17年も経っているが街から一歩中に入れば、電気、清潔な水がない家々が沢山あり、貧富の差はなかなか埋まらない。戦争を知らない子供たちの表情は素朴で明るくてとても可愛い。それだけではない。忘れている日本の昔の姿が沢山ある。私をひきつけてまやまい要因なのかもしれない。
シェムリアップの一角「ティータイム」というギャラリーで「カンボジアの子供たち」4人展を行っている。
この4人展はカンボジアに長いこと通い写真を撮ってきた写真家ということで私も縁があって参加している。昨年12月には私の写真24点が展示させていただいた。昨年9月の日本での写真展のとき、藤井秀樹先生(日本写真芸術専門学校 校長)がおいでいただき、ぜひカンボジアでの写真展をと言われ、写真学校の生徒さんに運んでいただき展示できたという経過がある。縁は不思議なもので先生もカンボジアに通われて長いとのこと。写真集も出版している。
私がカンボジアへいったきっかけは遺跡撮影のツアーに参加したことが最初であった。12月の写真展も終わりひきあげねばならないので、孤児院にいったり、「ティータイム」に行ったり、また兼ねてから探していたカンボジアの音楽のCDを手に入れるため、CD屋へ行ったり、バイクの相棒とお別れの食事をしたりと一日とびまわり夕方の飛行機で帰路についた。明日朝 成田到着の予定だ。
シェムリアップの一角「ティータイム」というギャラリーで「カンボジアの子供たち」4人展を行っている。
この4人展はカンボジアに長いこと通い写真を撮ってきた写真家ということで私も縁があって参加している。昨年12月には私の写真24点が展示させていただいた。昨年9月の日本での写真展のとき、藤井秀樹先生(日本写真芸術専門学校 校長)がおいでいただき、ぜひカンボジアでの写真展をと言われ、写真学校の生徒さんに運んでいただき展示できたという経過がある。縁は不思議なもので先生もカンボジアに通われて長いとのこと。写真集も出版している。
私がカンボジアへいったきっかけは遺跡撮影のツアーに参加したことが最初であった。12月の写真展も終わりひきあげねばならないので、孤児院にいったり、「ティータイム」に行ったり、また兼ねてから探していたカンボジアの音楽のCDを手に入れるため、CD屋へ行ったり、バイクの相棒とお別れの食事をしたりと一日とびまわり夕方の飛行機で帰路についた。明日朝 成田到着の予定だ。