コロナ禍の中で、戦後75年目の夏を迎え、夏は終わろうとしている。
8月の終戦の日、様々なTV番組が放映され、改めて戦争が人類の滅亡への道だとやるせない思いがした。
番組の一つ一つ挙げればきりがないが、唯一、被爆国である日本がやらなければならないことを再認識しなければならない。
世界的に進んでいる核兵器を全面禁止する「核兵器禁止条約」に日本がなぜ調印できないのか不思議で仕方がない。
戦争の番組では、沖縄の「マラリア戦争」は、聞いてはいるものの詳細を初めて知ることができた。
今、観光客が多い「波照間島」のきれいな海だが、第二次世界大戦でこんなことがあった。
この島の住民が集団で「西表島」へ強制疎開することになり、渡った先で村民の98%がマラリアに罹患して3人に1人が命を失ったということだ。
南風見田(はえみだ)の浜には、当時の人が刻んだ石碑「忘勿石(ワスレナ) ハテルマ シキナ」が残っているとか。
故郷を追われ病気になり、どんな気持ちだったのか涙があふれてくる。
今、その時を語れる人が生きていることが、奇跡のようなできごとなのだと初めて知った。
当時は小学校低学年であったとか・・・。
沖縄県史、研究者によると沖縄諸島では全部で10000名がマラリアで亡くなったという悲劇。
余談になるが、カンボジアの村を訪問した際に、2人のマラリア患者にお会いしたことがあった。
ハマダラカという蚊に刺されることで罹患し、直接伝染することはないが罹患した人の血を吸った蚊が、更に刺すことで罹患していく。
恐ろしいと思い、蚊を恐れた時期があった。
この頃はカンボジアも町はきれいになったが、不衛生の蚊は少ないものの村ではまだまだ警戒が必要だ。
写真界に関係したNHKの「焼き場に立つ少年」の番組では、写真を撮影した記録係のアメリカ兵のことや、この一枚の記録写真を様々な検証を行い、長崎のどの地域か、また写真のカラー化で少年の目に現れた被爆らしい跡などがわかってきた。
この写真は小学校4年生くらいの少年が、死んでしまった弟を背負い焼き場に立ち尽くす姿だった。
その後その少年は生きたのか亡くなったのか不明のままとのことだ。
改めていついかなる時も記録に繋がる写真を残す事の重要性を感じた。
写真とは何か、改めて「記録」であるということです。
そして、伝えるためのひとつの手段です。
マスコミの報道も、また来年もその次の年も、未来永劫に伝え続けて欲しいものです。
私の街歩きも開発が進む東京の、結果的にひとつの記録になればと思う。
8月の終戦の日、様々なTV番組が放映され、改めて戦争が人類の滅亡への道だとやるせない思いがした。
番組の一つ一つ挙げればきりがないが、唯一、被爆国である日本がやらなければならないことを再認識しなければならない。
世界的に進んでいる核兵器を全面禁止する「核兵器禁止条約」に日本がなぜ調印できないのか不思議で仕方がない。
戦争の番組では、沖縄の「マラリア戦争」は、聞いてはいるものの詳細を初めて知ることができた。
今、観光客が多い「波照間島」のきれいな海だが、第二次世界大戦でこんなことがあった。
この島の住民が集団で「西表島」へ強制疎開することになり、渡った先で村民の98%がマラリアに罹患して3人に1人が命を失ったということだ。
南風見田(はえみだ)の浜には、当時の人が刻んだ石碑「忘勿石(ワスレナ) ハテルマ シキナ」が残っているとか。
故郷を追われ病気になり、どんな気持ちだったのか涙があふれてくる。
今、その時を語れる人が生きていることが、奇跡のようなできごとなのだと初めて知った。
当時は小学校低学年であったとか・・・。
沖縄県史、研究者によると沖縄諸島では全部で10000名がマラリアで亡くなったという悲劇。
余談になるが、カンボジアの村を訪問した際に、2人のマラリア患者にお会いしたことがあった。
ハマダラカという蚊に刺されることで罹患し、直接伝染することはないが罹患した人の血を吸った蚊が、更に刺すことで罹患していく。
恐ろしいと思い、蚊を恐れた時期があった。
この頃はカンボジアも町はきれいになったが、不衛生の蚊は少ないものの村ではまだまだ警戒が必要だ。
写真界に関係したNHKの「焼き場に立つ少年」の番組では、写真を撮影した記録係のアメリカ兵のことや、この一枚の記録写真を様々な検証を行い、長崎のどの地域か、また写真のカラー化で少年の目に現れた被爆らしい跡などがわかってきた。
この写真は小学校4年生くらいの少年が、死んでしまった弟を背負い焼き場に立ち尽くす姿だった。
その後その少年は生きたのか亡くなったのか不明のままとのことだ。
改めていついかなる時も記録に繋がる写真を残す事の重要性を感じた。
写真とは何か、改めて「記録」であるということです。
そして、伝えるためのひとつの手段です。
マスコミの報道も、また来年もその次の年も、未来永劫に伝え続けて欲しいものです。
私の街歩きも開発が進む東京の、結果的にひとつの記録になればと思う。