社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社会民主党 中央規律委員 野崎靖仁、55歳。
日々の思いを綴ります。
 



延辺州の紹介映像


恒例の「困ったときの朝鮮族ネタ」です。

中国の朝鮮族に関するニュースポータルサイト「朝鮮族ネット」に
このような記事が掲載されていました。

[社会] 朱徳海生平展示館、正式開館

2019明東端午文化祝祭が7日、龍井市智新鎮明東村と勝地村で同時に幕を開けた中、
朱徳海旧家で有名な勝地村では朱徳海生平展示館開館式が開催された。
朱徳海は延辺朝鮮族自治州初期の主な指導者であり、
中国朝鮮族の傑出した代表人物のうちの一人だ。

紹介によればこの日、開館式を開いた朱徳海生平展示館は、7つの部分に分かれ、
朱徳海の一生を入れた写真と朱徳海州長が生前に直接使っていた食器などを展示して、
何十年間も中国人民の解放と延辺朝鮮族自治州の建設および発展に尽くした
朱徳海の重大な貢献を記録した。

朱徳海生平展示館は、文物を交流して展示する斬新なプラットホームとしてだけでなく、
優秀な伝統歴史文化を保護して伝承する重要な担い手でもある。
これは龍井市智新鎮の文化事業が専業化、規範化、普及の道に進んでいることを象徴する。

開館式には、朱徳海州長の長女・呉基渉女史をはじめとする彼の親戚が席を共にした。

(吉林新聞 2019年6月7日)


<[社会] 朱徳海生平展示館、正式開館>
(朝鮮族ネット 2019年6月4日)
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/news17/190607-2.htm



朱徳海のプロフィールを「朝鮮族ネット」の記事から引用します。

朱徳海は1911年3月に生まれ、本名は呉基渉。1929年に革命に参加し、
1949年3月に中共延辺地委書記、4月に延辺大学校長、5月に延辺公署専員を兼任し、
1952年9月、延辺朝鮮民族自治区主席に就任した。
1954年9月に中共吉林省委常務委員、省政府副省長を歴任、
1955年に中共延辺州委第一書記兼延辺朝鮮族自治州州長 に任命された。
1956年9月、中国共産党第8次全国代表大会で中共中央候補委員に当選した。
朱徳海は延辺の初代州長として、延辺自治州を設立させ、
諸般事業を軌道に乗せるための基盤を作った最大の功労者の一人であり、
今日の朝鮮族の政治、経済、文化、教育、スポーツなど諸般の事業の基礎を作るという、
この上なく大きな功労を立てた。

しかし文化大革命の時期、凄惨な政治的迫害を受けて、
やむを得ず1967年 4月に延辺を去り、1972年7月3日、武漢で無念のうちに生涯を終えた。
朱徳海の名誉は '四人組'が粉砕された後、中共中央によって回復され、
中共中央は彼の歴史的功績を充分に肯定してくれた。


<[社会] 故・朱徳海の遺骨、延辺に帰還>
(朝鮮族ネット 2008年9月18日)
http://www.searchnavi.com/~hp/chosenzoku/news6/080918-3.htm

日本ではあまり知られていない朱徳海ですが、
彼の生涯について、もっと知りたくなりました。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )