社民党 京都府連合 野崎靖仁 副主席語録
社民党 京都府連合 政審会長・幹事長(近畿ブロック協議会副議長) 野崎靖仁、48歳。
日々の思いを綴ります。
 



東京・代々木上原にあるモスク(イスラム教の礼拝所)、
東京ジャーミイ」に行きました。

東京メトロ/小田急線の代々木上原駅を出て西へ行くと、
ミナレット(尖塔)が見えてきます。



木で上の方が隠れているので、モスクではあっても目立たないようになっています。



近づくと、モスクであることがわかるのですが。



見上げると、オスマン様式の美しいモスクです。



東京ジャーミイにはトルコ文化センターが併設されており、
一般の見学者にも開放されています。



この日は金曜日だったので、一般の見学は14時から。

午後から社民党の全国幹事長会議があるので、午前中に来ていました。

なので、内部の見学はできませんでした。



外の階段から2階の礼拝堂の前まで行きました。

工事中だったので近寄りがたい雰囲気でした。



次に来るときは、内部を見学したいものです。



イスラム教 モスクでの礼拝の様子(東京ジャーミー) - TOKYO CAMII & TURKISH CULTURE CENTER


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火除天満宮社からさらに下がると、
市比賣(いちひめ)神社が見えてきました。



御祭神は、次の五柱。すべて女神様です。

多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)
市寸嶋比賣命(いちきしまひめのみこと)
多岐都比賣命(たぎつひめのみこと)
神大市比賣命(かみおおいちひめのみこと)
下光比賣命 (したてるひめのみこと)

女神様だけが祀られているので、
女人守護・女人厄除けの神社として知られています。



当社のご創建は、桓武天皇の御代延暦十四年(七九五年)に、
京都の左右両市場の守護神として、
当時の左大臣藤原冬嗣公が両市社領内の堀川の西、
七条の北(現在の西本願寺)に坊弐町をかこい、
勅を奉じて勧請された社と伝わる。
天正十九年(一五九一年)豊臣秀吉の時代、現在の地に移転鎮座されました。

平安時代、当社境内は平安京唯一の官営市場であり、
全国から産物が集められ貴族から庶民にいたるまで多くの人々で賑わっていました。
平安京の官営左右両市の守護社として創建され、
現在でも京都中央市場の守り神として
市場市有地のほぼ中央に位置する場所にご分社が祀られています。
元は堀川の七条にありましたが、豊臣秀吉の時代に現在の地に移されました。

以来、商いの祖神とされ、現在も分社として
「市比賣社・市姫社」が全国に祀られています。
昭和二年、日本で初めての公設市場として中央卸市場が開設された折、
構内に御分社「市姫神社」が創建されました。
当社は総本宮として現在でも多くの人々の信仰を集めています。

(市比賣神社公式サイトより)



参拝客は女性ばかりで、男性を見たのは神職のみ。

男子たる私も女から生まれた身。

女から生まれたのでマクベスは倒せませんが、
お参りをしても罰は当たらないでしょう。

Macbeth's Vision (dream)- 1971 Roman Polanski film


市場の守り神様でもあるので、
スーパーデパートをしている私にも無縁ではないでしょう。

まあ、たまたま通りがかったのでなければ、
オッサン一人でお参りに来ることもないでしょうけど。

これも何かのご縁。そう思って参拝しました。



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四条通りから寺町通りを下がると、
火除天満宮社があります。



天満宮なので、御祭神は菅原道真公。

1579年、九州での兵乱を逃れるため、
一人の老神官が大宰府より菅原道真の像を背負って京都に入り、
六角通周辺に祀ったのが始まりとされます。



1587年、烏丸二条の龍池に織田信長・信忠の菩提を弔うために創建された
「大雲院」の鎮守社として迎えられ、豊臣秀吉のいわゆる「町割り」政策によって、
1597年、大雲院とともにこの地へ遷座されました。



1864年の蛤御門の変では、
一条通りから七条の東本願寺のあたりまでが焼失したそうですが、
この一帯だけは類焼を免れました。

そこで、学問と火除の神として信仰を集めています。



境内には牛の像があるのですが、牛の像といえばバアル神を連想してしまいます。

「牛頭天王=スサノオ」を祀る祇園神社の総本山、
八坂神社が京都にはあるので、京都はバアル神の都、
と言ってもいいのかもしれません。

しかしヤラベアムはその心のうちに言った、「国は今ダビデの家にもどるであろう。
もしこの民がエルサレムにある主の宮に犠牲をささげるために上るならば、
この民の心はユダの王である彼らの主君レハベアムに帰り、
わたしを殺して、ユダの王レハベアムに帰るであろう」。

そこで王は相談して、二つの金の子牛を造り、民に言った、
「あなたがたはもはやエルサレムに上るには、およばない。
イスラエルよ、あなたがたをエジプトの国から導き上ったあなたがたの神を見よ」。

そして彼は一つをベテルにすえ、一つをダンに置いた。
この事は罪となった。民がベテルへ行って一つを礼拝し、
ダンへ行って一つを礼拝したからである。

彼はまた高き所に家を造り、レビの子孫でない一般の民を祭司に任命した。
またヤラベアムはユダで行う祭と同じ祭を八月の十五日に定め、そして祭壇に上った。
彼はベテルでそのように行い、彼が造った子牛に犠牲をささげた。
また自分の造った高き所の祭司をベテルに立てた。

こうして彼はベテルに造った祭壇に八月の十五日に上った。
これは彼が自分で勝手に考えついた月であった。
そして彼はイスラエルの人々のために祭を定め、祭壇に上って香をたいた。

(旧約聖書「列王記」上 12章26節~33節)

話がオカルトっぽくなりそうなので、この辺でやめておきましょう。



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本経寺で祖父母の墓参りを済ませた後、
近くにあるお社に参拝しました。



「小栗栖八幡宮」です。



八幡様なので、御祭神は応神天皇、仲哀天皇、神功皇后の三柱です。



手水舎はあるのですが、水が流れていなかったので、
手と口を清めることができませんでした。



武内宿禰の裔である紀興道が男山八幡宮の分霊を勧請して建立したそうです。
武内宿禰は祀られていません。



本殿に参拝。



参拝後、1~3回本殿の周りをまわるよう指示されていたので、
3回まわりました。「ワン」とは言いませんでしたが。



ついつい「南無八幡大菩薩」と唱えてしまいました。



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半年の厄を払う「夏越の祓」。

京都伏見の御香宮神社で「茅ノ輪神事」が行われた翌日、
参拝に行きました。





まだ茅の輪が残っているかと思ったのですが…



すでに撤去された後でした。



茅の輪はくぐれませんでしたが、
人形に穢れを移して奉納したので、
茅の輪のお守りを授かりました。



いつものように、御香宮内東照宮に参拝。




東照大権現(徳川家康)の御加護がありますように。



また、境内にある豊国神社にも参拝。



豊国大明神(豊臣秀吉)の御加護がありますように。



続いて、京都銀行の裏手にある毘沙門天の祠に参拝。




伏見区役所の近くにある金札宮にも参拝。



祭神は天太玉命ですが、えびすさんで有名な神社です。




金札宮の正面にあるのが大黒寺。



名前の通り、ご本尊は大黒天です。



境内には平成13年に掘った井戸から出てきた
「金運清水」がありました。甘露甘露。



帰りに大手筋商店街のからくり時計「おやかまっさん」を見ました。







さて、今年の後半は、どうなるでしょうか?

旧暦だとまだ6月なので、水無月を食べても問題ないか…

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ひさしぶりに後崇光院の伏見松林院陵を参拝しました。



伏見の大手筋商店街から徒歩数分。
住宅地の中にある陵です。



「後崇光院」「後崇光太上天皇」とは、
現在の皇室と旧皇族の祖先である伏見宮貞成親王のことです。

後崇光院 ごすこういん

1372-1456 室町時代の尊称天皇。
応安5=建徳3年3月25日生まれ。栄仁(よしひと)親王の第2王子。
母は三条治子。崇光天皇の孫。40歳で元服し,伏見宮家第3代をついだのが45歳。
応永32年54歳で親王となるが,後小松上皇と称光天皇父子の間で皇位継承問題がおき出家。
称光天皇の死で長男彦仁(ひこひと)が即位(後花園天皇)したため,
文安4年太上天皇の尊号をうけたが,翌年辞退した。康正(こうしょう)2年8月29日死去。85歳。
墓所は伏見松林院陵(ふしみのしょうりんいんのみささぎ)(京都市伏見区)。
諱(いみな)は貞成(さだふさ)。法名は道欽。著作に「椿葉記」,日記に「看聞(かんもん)御記」。
(講談社 デジタル版 日本人名大辞典+Plus)




後崇光院の御製を紹介します。

今よりや伏見の花になれてみん都の春も思ひわすれて

伏見山昔のあとにすむならばみしよにかへれ宿の月影

伏見山むかしの跡は名のみしてあれまくをしき代々の古郷




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大和大学の仕事があるため、大阪の吹田に行きました。

JR吹田駅の近くをぶらぶらしていると、鳥居が目に入りました。

吹田大宮 高浜神社です。



御祭神は、下記の通りです。

神様のワンストップ・サービスです。

素戔嗚尊(スサノオノミコト)
天照大神(アマテラスオオミカミ)、
春日大神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)
住吉大神(底筒男命、中筒男命、表筒男命)
白山大神(菊理姫大神)
大国主命(大黒さん)
事代主命(恵比寿さん)、
宇賀御魂大神(お稲荷さん)
菅原道真公(天神さん)
石上大神(布留御魂大神)
豊受姫大神
奥津彦大神と奥津姫大神(三宝荒神さん)
吹田連の祖神
火明命・天香山命



手水舎で手と口を清めて本殿へ。



一回の参拝でたくさんのご利益がありそうです。



境内には御神木「鶴の松」がありました。



吹田の氏神様にご挨拶をして、仕事に向かいます。



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梅田から難波へ歩く途中、難波神社の前を通りました。



反正天皇が仁徳天皇を祭神として創建されたとのこと。

秀吉の時代に現在地に遷座。第二次大戦で全焼したものを再建したそうです。



まずは手水舎で手と口を清め、本殿へ。



本殿には仁徳天皇と素戔嗚尊が祀られています。



摂社の博労稲荷神社にも参拝。まあ、普通のお稲荷さんです。



末社には金刀比羅神社があります。

もともとは神仏習合の金毘羅大権現だったと思うのですが。



また、末社には十四柱相殿神社があります。

末社を併合して十四柱を祀るようになったそうです。



天照大神と豊受姫がセットで祀られているのは普通です。

応神天皇は八幡様ですね。



春日神に猿田彦は有名ですね。
ミヅハノメは水の神様、カグツチは火の神様です。



天神さまに楠公、秀吉に家康も祀られています。
まあ、お得というか何というか…



仁徳天皇といえば聖帝として知られますが…

仁徳天皇 民のかまどにみる聖帝物語


「聖帝」といえば、やはりこの人でしょう。

聖帝サウザー「退かぬ!媚びぬ!省みぬ!」


臣靖仁、誠惶誠恐、頓首頓首、死罪死罪、謹言。



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醍醐中央図書館からの帰り、
天穂日命神社の前を通ったので、参拝することにしました。

京都市営地下鉄東西線石田(いしだ)駅の近く、
京都市立石田(いしだ)小学校の東隣にあります。

万葉集の和歌の名所である石田(いわた)の杜にあり、
石田社(いわたのやしろ)とも呼ばれています。



祭神は天穗日命。

天穂日命
あめのほひのみこと

国譲り神話のなかに出てくる神。
天照大神(あまてらすおおみかみ)と須佐之男命(すさのおのみこと)が
誓約(うけい)をした際、天照大神の珠(たま)から生まれた五男神のなかの一神。
出雲(いずも)の国譲りのとき、第一の使者として派遣されたが、
大国主神(おおくにぬしのかみ)に媚(こ)びへつらって、
3年間復命しなかったという(『古事記』)。
しかし、『出雲国造神賀詞(いずものくにのみやつこのかむよごと)』では
復命したとある。出雲国造らの祖神。
天忍穂耳命(あめのおしほみみのみこと)などと同じように、
稲穂の神という意であろう。
「日」が太陽の意とすれば、太陽の光の恵みによって、
稲の穂が豊かに実ることを神格化したものであろう。[守屋俊彦]

小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)


石田の地名が、この地の出雲系氏族の石田君一族に由来するならば、
出雲国造らの祖神である天穂日命が祀られていて不思議ではありません。

『出雲国造神賀詞』では経津主神とともに地上を平定したと記されており、
私の守護神である経津主神との御縁かな、と思いました。

とりあえずご挨拶をして帰路に就きました。



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本当に久しぶりに乃木神社に行きました。



私にとって乃木神社とは、東京ではなく京都伏見の乃木神社です。

伏見桃山陵(明治天皇陵)の南に位置します。
正面に私の通っていた桃山小学校があります。

明治大帝の御遺言で伏見桃山後に御陵がつくられました。
平安京に遷都した桓武天皇陵の近くでもあります。

持明院統の嫡流で現在の皇室の直接の祖先である
後崇光院(伏見宮貞成親王)の御陵も伏見桃山にあります。

いちおう南朝が正統とされていますが、現在の皇室は北朝の末裔になります。

せめて御陵は京都に戻りたい、という明治大帝のご遺志かもしれませんが、
伏見桃山後に陵墓を定めたのは意味深いものです。

さて、乃木神社ですが、乃木希典大将を祀る神社です。

私が乃木希典であります


ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

乃木希典
のぎまれすけ

[生]嘉永2(1849).11.11. 江戸
[没]1912.9.13. 東京

陸軍軍人。長州の支藩である長府藩士乃木希次の三男。

藩の集童場で文武を修業。江戸幕府の長州征伐のとき,
長府藩士で組織された報国隊に加わり,砲兵隊員として戦闘に参加。
戊辰 (ぼしん) 戦争にも加わり,明治1 (1868) 年 10月報国隊読書掛となった。

その後京都に赴き,陸兵練兵教官などを務めたあと,
同4年東京に出て新御親兵隊の陸軍少佐に任官。
1875年小倉の歩兵第 14連隊長心得。萩の乱や西南戦争に参加したが,
西南戦争では,軍旗を敵の手に奪われた。

1878年8月鹿児島県出身の湯地定基の娘静子と結婚。
1883年東京鎮台参謀長,1885年少将,歩兵第 11旅団長。
1886~88年ドイツに留学。日清戦争では歩兵第1旅団長,また第2師団長として参加。
1896~98年まで台湾総督。 1904年日露戦争勃発時には休職中であったが,
留守近衛師団長として召集され,同年5月第3軍司令官として旅順を攻略。同年大将。

1907年学習院院長。明治天皇崩御後,大葬の日に東京の自宅で夫人静子とともに殉死。
当時の国軍の最高峰として「海軍の東郷,陸軍の乃木」と並び称された。

水師営の会見


大将の胸像とツーショット。

48歳にもなって、何をやってるんでしょう…



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社民党全国代表者会議の会場である星陵会館に行く前に、
日枝神社に参拝しました。



赤坂見附から裏参道へ向かいます。

アパホテルだ…




裏参道の大鳥居に到着。



前からこのエスカレーターに乗りたかったので、
さっそく乗ってみることにしました。



エスカレーターの次に、またエスカレーターが。



その次にも、さらにエスカレーターが。



手水舎で口と手を清め、神門に向かいます。



神門をくぐって社殿へ。



無事に参拝を済ませました。




表参道の男坂を通って外に出ます。





山王鳥居の前にアパホテルの建設用地がありました。

またアパホテルか…



太田道灌が江戸城築城の際に、
川越日枝神社を勧請したのが由来とされる山王日枝神社。

江戸の産土神にご挨拶をさせていただきました。



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お金がないので伏見中央図書館で本を借りて読むことに。

その前に、恒例の御香宮内東照宮に参拝。
(ブログの仕様が変わって写真が大きくなりました)




伏見中央図書館から伏見区役所のあたりをぶらり。

金札宮に立ち寄りました。



ご祭神は天太玉命。



恵比寿さまも祀られています。



金札宮のすぐそばに大黒寺があります。

ご本尊は大黒天です。そのまんま。



京都銀行の裏手というか、わかりにくいところに小さな祠があります。

毘沙門天が祀られていた法性寺の跡地です。

まあ、いちおう毘沙門天ということで。



とりあえず近場で恵比寿、大黒、毘沙門天は回れます。

中書島の弁天さん(長建寺)までは徒歩十数分。

弁天、福禄寿、寿老人、布袋さまは自転車で回るしかないですね。

伏見七福神めぐりは、気候の良い時に半日仕事で行くのがいいでしょう。

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裏寺町蛸薬師にある正覚寺に行きました。



どう見てもファッションビルですが、間違いなく正覚寺です。



昭和40年に本堂が火災で焼失。平成元年に現在のビルになったそうです。

5階建てで5階が本堂、4階から2階までが貸しビル、1階には白蛇弁財天が祀られています。



伏見城の赤門が移設されたことで「赤門さん」と呼ばれています。



赤門をくぐると「白蛇弁財天」と書かれた提灯が。



1階の奥には弁天堂があり、
弘法大師作と伝えられる白蛇弁財天が祀られています。



先斗町が近いので花街の人々の信仰が篤いとか。



前を通るとお参りをしていますが、ご利益があるのでしょうか?



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年末の京都河原町をぶらり。

四条河原町の交差点で、聖書の一節のプラカードを立てて
録音メッセージを流している集団を見ました。

この時期限定なのでしょうか?



河原町通りから蛸薬師通りを東へ進むと、
岬神社にたどりつきました。

坂本龍馬暗殺の地「近江屋」跡から東に直進したところです。



室町時代に建立された岬神社が江戸時代に土佐藩邸内に遷座し、
「土佐稲荷」と呼ばれるようになりました。



土佐といえば坂本龍馬。

と、いうことで境内にはキツネと並んで龍馬像が。



初代の龍馬像は参拝者に削り取られて無残な姿になっていましたが、
現在では再建されています。

記念に削り取ることのなきように。



西へ歩けば近江屋、東へ歩けば土佐藩邸跡があり、
土佐藩邸と目と鼻の先で龍馬が暗殺されたことが分かります。

年末に歴史を感じたひとときでした。



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今日は一日オフだったので、
御香宮内東照宮に参拝しました。



いつものことですが、御香宮神社の境内にある東照宮。
瓦には葵の御門が刻まれています。



小さいながらも、本殿はちゃんと東照宮になっています。




東照大権現よ、ご照覧あれ。



そして、伏見大手筋献血ルームで
成分献血を行いました。



年末年始の献血の予約のお願いがあったので、
1月2日の午後に献血の予約を入れました。



御香宮内東照宮に初詣をした後に、
2017年の初献血を行う予定です。



鬼が笑いそうですが、もうそんな時期なんですね。

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