のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

DINKS

2008年05月14日 | 日記・エッセイ・コラム

 バブルの頃DINKS(Double Income No Kids)と言う言葉がもてはやされました。つまり夫婦共稼ぎで子供を持たない生き方で、子供に手間隙かけるより夫婦でリッチに生きていこうとと言うようなライフスタイルです。

 人様の生き方なのでとやかく言う気はありませんが、これでけっこうコンサバティブなものですから、「今までなら決して人前で口にできないような生き方を横文字に置き換えたら言えるようになった奇妙な現象」を疑問に思ったものです。

 少なからず「人との関わり」には、その相手の自由のいくばくかを拘束し、また同様に、こちらの自由を提供することによって成り立つ部分があると思いますが、その際たるものが「家庭」や「夫婦」ではなかろうか?

 DINKSでは、夫婦や家庭から泥臭さが消えて洗練されたように見える反面、人間関係が別の価値観でつながっているような気分がありました。

 結婚していないと一人前として認められない気配は現在の社会でも感じられますが、DINKS夫婦はお互い自由(勝手)でいられて、形式上、社会的にも認められると言うこと以外には、家賃の高いアパートでも夫婦で折半して住めるなどの経済的な理由が多かった気がしました。

 子供を持たないことによって家庭の束縛やわずらわしい部分を上手に責任逃れして、おいしい部分だけをつまみ食いすると、DINKSは理想の形になるのでしょうか?

 DINKS以降、厄介者扱いにされてしまった子供が逆襲している昨今の少年犯罪。と、見るのは考えすぎでしょうか?

 家庭生活のい経済が関わらないことはありませんが、それが中心で家庭が二の次と言うのもおかしな話ですし、ライフスタイルのために子供が振り回されると言うのもおかしな話です。考え方としては子供は授かるもので、作るものではないと思いますが・・・

 目先の情欲に惑わされて「やっちゃった!」「できちゃった!」と、不道徳なカップルの方が、案外、生き物として正道を歩んでいるようにも思えます。

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紅一点

2008年05月13日 | 日記・エッセイ・コラム

 万緑叢中紅一点 (万緑のそうちゅうに紅一点)  動人春色不須多 (人を動かすに春色多くを用いず)

 王安石という宋の時代の「石榴詩」の一説です。一面緑の草原に赤い花が一つだけ咲いている。これだけのことで春の景色は人を感動させてしまう。と言う詩です。紅一点の「紅」はザクロの赤い花だったようです。

080513  子供の頃近所にあったザクロの木に咲く花が白かったので、個人的にはザクロの花は白い花の方が印象に強かったのですが、一般的には赤い花が親しまれているようです。

 日本のザクロはたぶん中国から渡来したものでしょうが、元々は中国の原産ではなく、ペルシャ(今のイラン)のザクロス山脈を中心に地中海からヒマラヤにかけて分布していた樹木です。

 寒さに強い樹木だといわれていますが、ハルビン界隈で見かけた事はありません。秋になるとザクロの果実を市場などで見かけることがあります。

080513a  ザクロの身の中には小さな身がたくさん入っているので、たくさんの子供に恵まれる縁起物だろうと思っていましたが、あながち根拠のない話ではないそうです。

 ザクロには女性ホルモンのエストロゲンが含まれているそうで、エストロゲンは卵胞ホルモンと言って卵巣の卵胞を調整するホルモンです。エストロゲンが少なくなってくると女性なら更年期障害や閉経、男性なら髪の毛が薄くなるなどの症状が出てきます。

 ロシアでは冷え症に効くとかで、ザクロの実をジュースにしたりジャムにして保存しています。

 子供を食らう鬼子母神に仏様がザクロを与えて「子供を食べたくなったらザクロの実を食べて子供を食べた気持ちになりなさい」と諭し、それ以降鬼子母神は子供の守り神になったと言う話がありますが、それが転じてザクロは人の肉の味がすると言われるようになり、あまり食べたくない果物になってしまった気もします。

 人を食ったことをやらかしても人を食べた事はないので、はたして人の肉があんなに酸っぱいものかわかりませんが、ザクロの実を食べたあとには口の中が真っ赤になり、さも血のりのついたものを食べたようにも見えなくありません。

 鬼子母神の話が根底にあるためなのか、口の中が赤くなるからそう思うのか、はたまたエストロゲンの効能が本能に訴えるのか、ザクロを食べる女性の姿が妙に艶かしく思えるときがあります。

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リンゴの花

2008年05月12日 | 日記・エッセイ・コラム

 ♪リンゴの花ほころび~♪と始まるソビエト歌謡のカチューシャは、原曲も「リンゴと梨の花が咲いていた」と歌われています。
 梨の花のほうがリンゴより少し早く咲くと思いましたが、季節的には今頃でしょう。
 カチューシャは第二次大戦中に戦意高揚のために作られた歌の一つで、国をも守る青年に恋人のカチューシャ(エカテリーナ)から手紙が届き、愛する人のために青年は戦う決心を増すといった内容。
 戦後日本ならGHQの取り締まりの対象になった歌かもしれませんが、一応ソビエトは戦勝国でしたし、シベリア抑留から帰ってきた日本人によってもたらされて歌声喫茶を中心に日本に広まった歌です。

 リンゴや梨は日本でもポピュラーな果物で果樹園も多いものの、花を見る機会など少ないのではないでしょうか?
 桜と同じバラ科の樹木で、美しい花を咲かせます。梨は凛としてまぶしいほどの純白の花、リンゴは柔らかい白から淡いピンクを含んだ艶っぽい花を咲かせます。
080512  アイルランド民謡で、日本でも戦前から歌われていた「ロンドンデリーの歌」の原曲は「リンゴの花になりたい」で、リンゴの花になってあなたの胸を飾りたいというラブソングです。それが、別の歌詞が付「ダニーボーイ」になると、出征する息子を見送る母の歌になってしまいました。

 およそ戦争とは程遠い柔らかな花なのに、不遇なリンゴの花。

080512a  リンゴが日本で栽培されるようになって歴史が浅いこともありますが、リンゴの「花」が歌われている日本の歌は?と思い返すと、美空ひばりの「リンゴ追分」くらいしか思い当たりません。

 戦後日本復興の応援歌のような「リンゴの歌」は、赤いリンゴにくちびるよせて、とリンゴの実のことでしょうし、白秋の「初恋」も秋のリンゴ畑が舞台。

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薬師際

2008年05月11日 | 日記・エッセイ・コラム

080510a 春の薬師祭です。

 3月3日のザル観音から始まる村の祭りも、湯宿の薬師祭あたりが最後になります。

 こうした地域の祭りも考えてみると面白いもので、それぞれの集落でその対象が観音様や熊野権現、日枝神社など神道系のものから仏教系のものまで様々です。

080510b  湯宿区は薬師ゆかりの地なので修験道の法院様が来ての御祭りになります。

 護摩壇で護摩をたく儀式も元々はイランの拝火教(ゾロアスター教)の影響といわれていますが、ゾロアスター教徒言えば善神と悪神の概念をはじめてもたらした宗教といわれています。

 

080510c  閻魔様と青面金剛が並んでいる山の中の野仏。

 閻魔様を祭っていることも面白いことですが、何かの目的がなければこうした石仏を祭ることも無いので、古の人たちとの知恵比べも楽しみです。

 

080510d  源氏ゆかりの八幡様。

 霧の中から見目麗しい静御前の霊が現れて手招きするのでついていったら「これは異なこと!」と法院様が気付き、印を切ったら尻尾が二股に分かれたキツネが出てきて、気がつくと眼前に崖が・・・危うく転落するところであった。

 ということにしましょう!と口裏を合わせたのは、この後道を間違えて山の中をしばしさまよってしまいました。

080510e  地区の行事も、考えてみると宗教がらみの行事が多く、春祭り秋祭りは薬師様、夏の祇園は神道で、初頭には大黒様のお札販売、正月の顔合わせも柏手打って、どんど焼きではダルマやお札を炊き火にくべて・・・

 住民として宗教的なことを意識することもなく、恒例のイベントを過ごしていますが、気がついて見ると何気に日常生活の一角に宗教行事がちりばめられていました。

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双頭の鷲

2008年05月10日 | 日記・エッセイ・コラム

 大統領を退いたプーチンが、今度は首相としてクレムリンに鎮座する。メドベージャフはプーチンの傀儡?なんか嫌な時代になるような思いがしていますが、「プーチンがいるから大丈夫!」とプーチンシンパの友人は安心しきっています。
 「強いロシアであって欲しい。」「ロシアは強くなければならない!」と「強い」ことも魅力の一つなんでしょうが、一頃の混乱期を経て安定、成長してきた昨今、「もう日本なんて相手じゃない」と言う雰囲気が日に日に強くなっているような気がします。

 どこかの国のように「日本から学ぶことは無い」なんて言い出すと、ほどなく下降線をたどるようになりますが、そのうちロシアも言い出すんじゃなかろうか?という段階に入ってきた感があります。

 上ったり下ったり、繰り返しが時代ですが、浮かれてきたときが頂点で、そこから落ちるのはたやすいものです。
 保険問題や税金問題など見ていると、日本はまた底に落ちて、これから這い出す時期に来ているのかな?と思いますが、「自信」と「驕り」を取り違えるととんでもないことになるものです。

 それにしても、そろそろプーチンスタイルから時代が変わる頃だと思うのだけれど、ロシア市民の選択は正しかったのだろうか?とこれからの先行きを懸念しています。

 ロシアのシンボルは双頭の鷲ですが、その鷲は背中合わせで別の方向を向いています。今度の双頭の鷲は向かい合っているので、どうなることやら5年後が気になります。

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元カノ

2008年05月09日 | 日記・エッセイ・コラム

 「元カレ」「元カノ」昔の恋人こことなんでしょうが、はばかることなくあからさまに言えるご時勢です。

 最近職場が変わったウラジオストクの友人の同僚に「元カノ」がいるそうで、もちろん現在では双方別の家庭を持っているものの、「気分的に楽ではない。」そうです。

 例えば街中で「元カノ」にばったり会った時など、思い出が浄化されているものですから、驚くと共になんとなく誇らしい気分にもなりますが、日々同じ職場で顔を合わせるとなると心中穏やかでなかろうことは想像できます。
 「未練」というのでしょうが、こうした「情」は女性より男性のほうが強いもので、どこまで冷静にいられるだろうか?

 「元カレ」「元カノ」について聞くのも厳禁なら、語ることもタブーが暗黙のマナーなので、よそよそしく振舞うしかありませんが、日露カップルに限らず、日中カップルなども夫に対する監視の目は強いようで、特に日本女性との談笑は要注意。「どんな関係だったの?」と鋭き切り込まれす。
 やきもちを焼かれないように気を使うことも甲斐性なのかも。

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陳さん

2008年05月08日 | 日記・エッセイ・コラム

 「陳」は中国的な姓ですが、四川や広東・福建などの南のほうに多い姓で、北京まで来るとあまり見かけない姓です。黒龍江省はじめ東北三省は山東省や河北省など北京近辺から移り住んだ人が多いので「陳」と言う姓はほとんど見かけません。

 確か、アグネス・チャンの結婚前の本名も「陳」で「陳 美齢」と言う名前だったと記憶しています。ホンコンでは良く見かける姓です。

 ハルビンでは一人だけ陳さんと言う知り合いがいました。やはり南のほうの出身で毛沢東時代にわけありでハルビンまで流れてきた人だそうです。聞き取りにくい癖のある言葉を喋るので、元々東北出身ではない事はハルビン人らすぐにわかると西郷ドンが言っていました。

 ホラ吹き陳さんと私は呼んでいましたが、漢方薬の販売をしていました。やはり胡散臭い漢方薬などはホンコン近辺からやってくるようです。説明書に書かれている漢字が簡体字ではなく繁体字で、ホンコン向けか台湾向けに作っているのかもしれません。さらに、日本語に似た言葉も書かれていますので「日本人も良く買っていくので日本語の使用説明書が入っている」と肌荒れに効く塗り薬の説明書を読めば

 「こわな 驚さ!すぐになおこ!」きっと、これは驚き!すぐになおった!と言いたいんだろうなと説明書を作った人の意図を汲みながらも「危なそうな薬だな」とついつい買ってしまいました。期待にこたえて塗ってみたら肌荒れしました。

 オットセイのチンチンが精力剤と言うのはなどましなほうで、チベットのユキヒョウの骨だとか、雲南の毒蛇の粉とか本物かどうかもわからない変なものばかり勧めてくるので困ったもんでした。そんないかがわしいものいらないと断ると、凛とした顔になり右手の拳をグイと突き出し、なぜかここだけ日本語で「タツ!タツ!」おまえさんの興味は結局そこだけか?とあきれたものです。

 60歳過ぎて脂ぎった妙にエネルギッシュなおじさんで、南の出身を思わせる色の黒さと、てかてか光った頭がそれとなく好き物を思わせていました。

 陳さんの勧める漢方薬で身の安全がありそうなものは朝鮮人参くらいしかなく、安く分けてくれるので何回か朝鮮人参を買って帰りました。

 多様な漢方薬と太極拳で不死身の肉体を作り上げ、頭でレンガは割れる、矛で突いても突き通せない強靭な肉体、テレビに出て来る怪しげな仙人のようなおじさんで、120歳までこの世にいて人々を導いたあと、雲に乗って須弥山に昇って仙人になると申しておりました。

 5年前、アパートから通りに自転車で出てきたところをフォルクスワーゲン・ジェッタのタクシーに跳ね飛ばされ、強靭な肉体もあえなく砕け、仙人になる60年前に死んでしまいました。

 自転車なんて世俗的なものに乗らずに雲に乗って出かければ、ドイツの工業力に殺されることもなかったのに。

 こういうおじさんだったので、中国では珍しく子供に見放され、もちろん奥さんにも見放されひとりで生活していたそうですが、あと腐れないいい死に方をしたようにも思えますし、面白い人間がいなくなって寂しくもあります。

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リラ

2008年05月07日 | 日記・エッセイ・コラム

080505  我が家の玄関前に植えたライラックの花が咲きました。
 ライラックは通常4枚の花びらを持ちますが、まれに5枚の花びらを持つものがあり、これは幸福が訪れる印なのだとか。

 小学校二年生のときですが、朝の校庭掃除で草むしりをしていると四葉のクローバーを発見しました。「これはラッキー!」と手を延ばしたらマムシに噛まれたことがありました。
 幸い命に関わる問題にもならず、その晩は血清の影響もあって体がだるかったものの、翌朝は起きられたので、弁当を作って学校に行くと「今日はいいから帰って寝ていろ」と帰宅させられました。学校に来てすぐ帰るのもなんだからと、途中の道端で弁当を食べながら、なぜかこのとき「四葉のクローバーの幸福がこれだったんだ!」と感じていました。
 今にしてみれば不幸の根源だったような気もしますが、物事考えようです。

 話はライラックに戻りますが、英語名のライラックという名前よりフランス語名のリラのほうがノスタルジックで馴染みが多いかもしれません。
 宝塚歌劇団でお馴染みの「すみれの花咲く頃」の原曲はフランスのシャンソンで「リラの花咲く頃」。今頃の季節のラブソングです。

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きょうよう

2008年05月06日 | 日記・エッセイ・コラム

 「教養は死んだか」(PHP新書・加地伸行著)という本を読み始めています。”はじめに”の冒頭から興味ある話が始まっております。

 私も以前から感じていたのですが、日本と中国では「あの人は教養がある」という言い方の意味合いについて微妙な違いがあるように思えました。

  この本によると、日本においての「教養」とは<知識的>な意味合いを示していて、茶華道や神社参拝など日常から離れた<作法>や毛筆で書をたしなめるなど<伝統的技術>なども含むのだそうです。

 これに対して中国のいう「教養」は<人格的>で(道徳的に立派な人)という意味合いなのだそうです。「教養」というのは「教え育てる」ことで、知識の習得とともに<しつける>ということが重視されます。「教養のある人」は最大の賛美なのですが、すぐれた人徳をも持ち合わせた人はそう多くはいませんので、安易に使える言葉ではないようです。

 知識量の多さを示す日本的な意味合いの「教養」は「博学」というのだそうです。本来、知識を習得することによって人格も形成されていくものでしたが、知識形成と人格形成が別途のものとなってしまったのが昨今です。

 東北アジアにおいて知識とは儒教などの古典知識を意味していたそうですが、言われてみると面白い分岐点を思い出しました。江戸時代後期に日本では新井白石や本居宣長らが儒教の陽明学や朱子学について学び、どちらがすぐれているか論議をしておりました。日本では儒教ではなく儒学になり、武家人たちの「知識」になったのですが、大陸や半島では儒教(確か朱子学の方だったと思います)として生活に深く入り込んでしまったがために、押し寄せる西洋化の波に乗り遅れたという皮肉な結果と、19世紀から20世紀にかけての混乱に巻き込まれていきます。

 時代の分岐点では「教養」を「知識」の枠にとどめていた日本は幸いしたのですが、人と同様、国も成長するとともに人格を問われるようになります。蓄えた知識(あるいは経済)をどう使うか問われるようになったのは成長の証でしょう。

 今日的な「知識」に関しては圧倒的に情報量に差のある日本と中国関係ですが、情報を選び思考し咀嚼することが重要なので、感覚や感性が問われます。

 知識と人格が見事に分離してしまった日本ですが、人格について評価のものさしがないことが今のシステムになじめないところでしょう。知識は言葉なくしてありえません。物を思考することも言葉で思考しなければなりません。すぐれた理論をうちたてようとしても言葉が違えば伝えることさえできません。対して人格は言葉にあらわせないものですから、立居振舞などで感じ取ってもらえるものです。外国との異文化コミュニケーションは人格のぶつかりあいです。信頼は実はあいまいなもので、人柄と人柄に芽生えるのであって、紙の上に書けるような約束ではありません。誰しもそのあいまいなもののために努力していることだろうと思います。

 学ぶことよりも学んだことを暮らしに繁栄させたり、自分を育めるように心がけてはいるのですが、脂肪となって腹の周りにまとわりついて役に立たないのが現状です。

 私事の予断となりますが、この本の中で「仰げば尊し」の歌詞について触れています。2番の歌詞に「身を立て、名をあげ、やよ、はげめよ」について、この歌詞は「立身・揚名」という「考経」の一節から用いた言葉だと説いています。(立身行道、揚名於後世、以顕父母、考之終也)「身を立つるには道を行い、名を後世に揚げ、以って父母を顕すには、考の終わりなり」。「立身」というのは出世することではなく「立派な人間に磨き上げる」ことなのだそうです。

 磨き上げてすぐれた人格を育み、後世に名を残すような人間となっても、父母をいたわり敬うことが「考」のもっとも大切なことです。と、私なりに解釈しています。

 小学生の頃卒業式の練習で「やよ、はげめよ」のフレーズを「嫌よ、禿げるの」と替え歌にして、ぶん殴られたことがあります。そのときの先生に、「先生の恩など忘れてもかまわないが、この言葉がこの歌の中で一番大切なのだ。」と、散々怒られました。なるほど確かにそうだとこの歳になってわかりましたが、仰げば尊い人はすでに墓の中に入ってしまっており、誉めてもらうこともできません。

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ヒメマス

2008年05月05日 | 日記・エッセイ・コラム

080504e  前日、釣ろうと狙ったものの軽くあしらわれたヒメマスの焼き魚定食。2800円。ちなみに外人さんは2800円のヒメマス定食で、私は800円のカレーライス。

 ヒメマスはベニザケの陸封型で、海に出て行くとベニザケになって寿司飯の上に乗っかります。
 食べるものが無いから海に出るのか?海から追われて川に生息するようになったのかわかりませんが、同じ魚から二通りの生活を選ぶ種が出てくるのも生き物の知恵です。

 ちなみに、ヤマメの降海型がサクラマスで、アメマスの陸封型がイワナ。ロシアではシマーと呼んでヤマメが川釣りの対象として有名です。

 もしかしたらこのヒメマスだって海へ降りてベニザケになり、ベーリング海あたりをうろうろしていたのかもしれません。
080504ab_2  最近は個人で鯉のぼりを立てられる環境が少なくなったり、こうした風習が薄れたこともありますが、家で眠っている鯉のぼりを集めて一斉に飾るイベントも多くなりました。これはこれで見栄えがあります。
 今と比べて生活に余裕がなかった時代に、年に一度のイベントのためにこうした鯉のぼりを買っていたのですから、案外昔のほうが子育てに力を入れていたのかもしれません。その部、現代では塾やらなんやらと小出しに予算をつぎ込んでいるのでしょうか?

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日光襲撃

2008年05月04日 | 日記・エッセイ・コラム

080504  毎度おなじみの仲間達と日光方面に出かけてきました。
 連休での混雑は予想していましたが、今月に入ってのガソリンの値上げで、例年よりも観光客が少ない気がしました。

 ロープウェイで日光白根の2000m地帯に上りました。
 酒豪のアレクサンドル氏は例によって生ビールを飲みましたが、「このビールは効く!」と顔が真っ赤になり様子がおかしい。標高2000mの高所の影響だろうか?
080504a  最近はロシアでもアルペンスキーが主流になっているようですが、スキーの基本は歩くノルディックスタイル。
 「この森の中にはトラはいないのか?」以前同じことをセルゲイ君にも聞かれた事があります。
 「日本ではあなたみたいな酔っ払いをトラと言うんだよ。」と教えると、「何で酔っ払いがトラなんだ?クマのほうが似合っていないか?」と不思議そうな顔をしていました。
 嫌な予感はしていたのですが、初めて雪に触れるシリア人二人は大はしゃぎで、雪の上を転がって大喜びしていましたが、春の雪は湿っています。服がびしょぬれになっていました。

080504b_2   栃木県側に移動して中禅寺湖から華厳の滝に行きました。

 アレクサンドル氏に「シベリアでは珍しくも無い光景だろう?」と問うと、「これほど整備されていないし、ゴミ一つ落ちていない環境作りに感心した。」と誉めていました。確かに、日本人よりはるかに森や野外での楽しみ方を知っているロシア人ですが、人々が集まる森に焚き火の後やゴミが散らかっているのをよく見かけました。

080504c  ヤシオツツジが咲いていました。我が家の界隈では連休明けに咲く花ですから、こちらよりも温かいようです。
 ガイジン軍団は「サクラ!」と大声で歓声を上げていましたが、他の観光客の視線が恥ずかしかったです。
 中禅寺湖から戻って湯元温泉に向かう途中、戦場ヶ原の茶屋で一休みしていると、4-5歳の子供を連れだ20代の夫婦が「戦場ヶ原って何の戦争があったの?」「徳川と豊臣が決戦をしたところだろう!」「あ!それ学校で習った。」
080504f ”関が原だろう!まずい、とんでもない勘違いしているぞ”と唖然としつつも、日本語がわからない外人さんたちでよかった。

 別のテーブルにいた年配の夫婦が、「赤城の神様と男体山の神様が大蛇と大ムカデになって戦った伝説の場所だよ。」と教えていました。

湯元湖ではフライフィッシングに挑戦しましたが、何も釣れませんでした。
080504g  足湯で、お湯に硫酸が含まれていると言うと「足が溶けることは無いのか?」「日本人なら大丈夫だけど・・・君たちは・・・」
 おっかなびっくり足を入れていましたが、「これは快感だ!」とお気に入り。
 硫黄泉特有のぬるぬるした感触が面白かったようです。
 ノボシビルスクもウラジオストク同様、たびたびお湯の供給がストップするようで、地面から勝手にお湯が湧き出ているのが「うらやましい」そうです。カムチャッカに行けば同じような温泉が多々ありますが、「カムチャッカに住むくらいなら日本のほうがマシだ!」そうです。
080504h  こういうところではしゃぐのは外国人の子供も同じというより、昨今の日本の子供より豪快ですから、尻餅はつくわ、服がびちゃびちゃになるわで、”洗濯しても匂いが落ちないぞ”。

 大陸なら人を寄せ付けない大自然ですが、日本では都市からそう遠くないところに存在しています。

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アルコール

2008年05月03日 | 日記・エッセイ・コラム

 硫化水素ガスによる心中・自殺事件が頻発しているようで、自分たちだけならまだしも、関係ない人たちの健康にまで影響を及ぼす毒ガスをばらまくに等しい、身勝手極まりない行為。硫化水素ガスが蔓延した建物にも良くない影響が考えられます。
 立つ鳥後を濁さず。人生の最後くらい人様の役に立てといいたいです。

 ソビエト崩壊直後の混乱期に、アレクサンドル氏の親しい友人はお決まりのようにアルコールにおぼれ、最後は妄想に悩まされるようになり、壁に何度も頭を撃ちつけて自殺してしまったそうです。
 真面目で好青年だったそうですが、歯車が狂い人生が予期せぬ方向に動き出したら、それに耐えられるほどの強さはなかったようです。
 何とか立ち直らせようと、友人たちも心を痛めていたそうですが、それ以前に自分たちが生きていくことに精一杯で、それが悔しいそうです。
 「死んだ人はそれでおしまいだけど、生きている人はそれを生涯忘れることができない。」
080502

  こうした事件をきっかけにアルコールをやめるならまだしも、この時代からアルコールを飲み始めたというのですから、ひねくれているというのか、娑婆をなめているというのか。

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マージャン

2008年05月02日 | 日記・エッセイ・コラム

080502a  マージャンというゲームをやったことが無いので何が面白いのかわかりませんが、役所勤めの頃、研修という名の宴会旅行で上司たちが旅館の部屋でマージャンに興じていました。
 上司の一人がトイレに行くので「代わりに流しておいてくれ」と言われ、要は、順番が来て手にとったパイをそのまま出せばよいだけの作業をおおせつかって、言われるままにしていたら、リンシャンカイホーとか言うパイを振り込んでしまったようで、歓声が沸きあがりました。
 良かったね、そりゃおめでとう!と私も一緒に喜んでいましたが、トイレから帰ってきた上司は顔面蒼白。もち金の大半を失ってしまったようで、ショックで口も聞いてもらえなくなりました。
 どうもこの遊びは自分に合いそうも無いと、その後も手をつけていません。

 夕方、同様にマージャンを知らない知人の家に顔を出したら、マージャンパイをもらってきたがどうやって遊ぶのかわから無いというので、トランプの神経衰弱をマージャンパイでやったら数が多いので大変なゲームになりました。

 中国発祥のゲームのようですが、日本のマージャンはルールが違うそうです。

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値上げ

2008年05月01日 | 日記・エッセイ・コラム

 昨日、値上がりする前に燃料を満タンにしようとスタンドに向かったら、同じことを考えた人たちで一帯が大渋滞。
 在庫があるうちは今までの価格で売ると言っていたので、明日にしようと、今朝給油に行ったら「在庫がなくなりました」と張り紙があり、25円上がっていました。まあ、人生なんてこんなものさ、と突然の値上げの「お詫びの」ティッシュボックスをもらいました。

 原油高騰の波及効果で穀物が値上がりして、世界各地で穀物やパンの配給のために並んでいる人たちがいるご時世、「あるだけマシ」と我慢の一文字。

 ガソリンスタンドの給油渋滞など1970年代のオイルショック以来の光景ですが、あの時代は国を挙げてエネルギー消費を抑えることで苦境を乗り越えようとしていたので、政策でガソリンスタンドが日曜は営業を休み、観光地など打撃を受けました。テレビも深夜放送がなくなりましたが、日本国民は耐えていました。現在ならクレームが飛び交うこと間違いないでしょう。

 昨夜の給油渋滞で、「早くしろ」と怒鳴っていた男性がいました。クルマから降りてスタンドに行って「みんな待っているんだ!」と威張っていましたが、そんなことをしたところで早くなるわけでもありませんし、自分の自己満足どころか他の人たちにも不快感を与えるだけで、こんな時に「みんな」なんて使ってもらうのも心外です。自分が辛抱できないだけじゃないか?あまりにもこの人が不愉快だったので、給油を諦めて帰りました。
 この男性があれだけ威張って、順番待ちして給油していたら「恥」だと思うのだけれど、それを覚悟で怒鳴り込んでいたのだろうか?

 今回のことに限らず、他の人たちの声を代弁してクレームをつけるならまだしも、自分の我侭を通すことに「他の人たちの要望」を盾に大声を上げ男たちが多くなった気がします。
 それも、安全なところで、弱い立場の人たちに威張って自分のウサ晴らしをしているだけで、なんともやっていることが女々しい英雄が多くなったと感じます。

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