のすたる爺や

文明の果てなる地からのメッセージ

二人

2011年05月29日 | 日記・エッセイ・コラム

 90年代末、ウラジオストクには市長が二人いて互いに争っていました。どういうこと?と首をかしげてしまいますが、政治的混乱期なんてこんなものです。 

 どちらが正規の市長になるかと競った結果、電話料が無料になり、電気料も無料になり、トロリーバスや路面電車が無料になり、競争原理が働いた無秩序がうらやましい次第でした。市町村合併が取りざたされる昨今の日本、こうなってくれねぇかな~と淡い期待をしております。

 日本の政党も「民間のできることは民間に」「地方にできることは地方に」とマニフェストを掲げていますので、税務署なども競争させて納税額の安いほうを選べるなんてことにあれば嬉しい次第です。税務署の取立てが民間に委託されたら困ることになりそうですが、つい2-3年前までロシアでは政府のやることを民間が代わってやっていたこともありました。こうした政府に成り代わった民間の人々を「マフィア」と呼びます。

 一頃エリツィンの後の大統領を巡って名前のあがった人物にモスクワの市長がいましたが、ロシア人が言うにはマフィアだったとか。ロシアに行くとマフィアの定義が良くわからなくなります。政府与党と共産党でなければみんなマフィアなのかな?などと思えたりもしますが、「このあたりどうなってるの?」と聞いた所で「ニズナーユ(知らないわよ)」としか答えが返ってきません。

 ご多分に漏れず、二人いたウラジオストク市長のどちらかもしくは両方がマフィアだったようで、なんだかわからないけれど生活できているのだから難しいこと考えないでこんなものなんだろうと思っていました。

 エリツィンの後釜の大統領としてプーチンの名前が挙がり、どうもこのあたりが本命かな?と思えるようになった頃ウラジオストクに出かけて、帰りに空港のキオスクで雑誌「アガニョーク」を買って出国手続きのロビーに入りました。アガニョークの表紙にはプーチンの写真が掲載されており、係官の女性が「私たちの次の指導者!」と指さして教えてくれました。

 プーチン以降、マフィアについてはあまり耳にしなくなりまして、はたして現在のウラジオストク市長がマフィアなのか堅気なのかわかりませんが、無秩序からの脱却はあったようです。

 普段着の生活を見ていると誰が立派な人なのかわからない部分があり、以前、向こうの友人と本の市場に行ったら箒を持ってビルの中を掃除しているオバチャンがいました。通り過ぎた後友人が言うには「彼女は市会議員です。」え?と振り返って見てしまいました。

 そういえば、向こうのおっかさんのお茶のみ仲間にも現役の市会議員がいるときいていますが、みんなおせっかいで口やかましいそこら辺のオバサンたちばかりなので、どのオバサンが議員なのかわかりません。

 私の村の議員なども言われなければただの田舎のおじさんたちですから似たようなものですが、社会主義国の末期のようなもので、役場の職員は議員の子供か縁故採用ばかりですし、中身の伴わない箱物ばかり作ったもので、財政が悪化しすぎて次期村長のなり手もない状況なのでソビエト末期のようなものです。ソビエトは分割しましたが、私の村は合併で生き残りを模索しているところが違うところでしょう。

 現在のロシアでは市長に経営手腕が問われるようになりましたが、対岸の火事と笑っていられない状況が日本にもあるのではないでしょうか?二人の総理大臣と政府が争う。何かと問題の役所も二つに分けて、競争させることで負けた側についた役所はお払い箱。このくらいやらねば。

コメント
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