ボクの奥さん

ボクの奥さんは、甲斐よしひろさんの大ファン。そんな彼女との生活をお話したいと思います。

機関紙BEATNIK(Vol.6)その4

2016-09-23 12:21:00 | 日記
甲斐バンドのお三方それぞれの自己紹介風「対談」に続いて
この号では、ツアーメンバーでいらっしゃる
前島良彦さんのインタビューが掲載されてます

前の機関紙シリーズ(笑)の際に
井出情児さんのインタビューをご紹介しましたが
時期的には、この号の方が先ですし
甲斐バンドとの出会いも前島さんの方が早いんですよね

前島さんは「小学生時代から、ケンカっ早く
一度言い出したら、頑としてキカナイ少年だった
その性格が高じて、まず高校退学」

「全校生徒ボウズ刈りの校則」により
「明日までに断髪セヨ」とのお達しが下り
「三分に刈って、おまけに床屋が気をきかせ耳元のスソまで刈り上げた翌日

[耳元まで刈り上げたということは
またそのまま髪を伸ばすつもりだということだ]と言いがかりをつけられ

教師が平身低頭で自宅に謝りに来たのをヨソに
退学に基づく積立金の返済を要求
その金を持って、千葉の海へ魂の洗濯に出かけた」らしい(笑)

「かといって、そうそうブラブラしている訳にもいかない
兄貴は?と見れば、何やら金を貰って旅行して歩く楽しそうな仕事

[それなら俺も]と頼んだら
[弟と同じ職場で仕事するのはイヤだ]と、一度は断られたものの
兄の働く[東京舞台照明]が
株式会社にするために人員を増やすことになって

[よし、今だ!金を貰って旅に行くのだ]
照明のシの字よりも先に、まずその魅力にとりつかれ(笑)
[兄貴とは絶対同じ現場には行かない]という条件付きで入社した

舞台照明といえば芝居に相場が決まっていた時代
[照明をやるなら芝居を知れ]の社長の一声で、まずは俳優座へ…
行った途端、スポットライトの椅子に座らされて
[上手から出て来る人を捕まえろ](笑)

必死にスポットを操って2ヶ月…
続いて[明治座に行け]とのお達し
大劇場の芝居になると、同じものが何日も続く
同じ所に何日も通って、何日も同じことをやる

[学校という所に毎日通うのさえイヤだったくらいだから
何でもいいから会社に戻してくれって懇願しましたよ]」と前島さん(笑)

「同じことをやるってのが、どうもダメなんですね
1ヶ月通うと、もうその場所にいることさえヤになっちゃう
だって、毎日変化があった方が楽しくて良いでしょ」と話されていて

今思うと、甲斐さんとは出会うべくして出会われた(笑)という感じだけど
甲斐さんって「旅行会社(笑)」にお勤めだったんですよね(笑)

ともあれ「照明よりも何よりも
毎日ドキドキワクワク過ごすことに重点を置いて、3年…
[照明の現場は芸術性よりも、どれだけ早く仕事をこなせるかという
職人仕事だから、そういうの得意だったんです

上手と下手で同じ照明の仕込みをするのに、絶対負けたくない
早くやった方が勝ちってのは俺向きの仕事だなと思って]

早くて確実な仕事をこなすようになるが
納得が行かなければ、3日に開けずケンカする
ハッキリ自分の筋を通す姿勢を
会社組織は快く受け入れはしなかった

同年輩の、同期入社の誰よりも仕事が出来るにも関わらず
人を使うチーフの仕事が廻って来ない
入社5年目には、しかるべき学校を卒業した後輩が入って来て
やがては、彼らに使われる羽目になってしまう

[正直、この時期が一番辛い時期だったと思う
反面、後から考えると、この時に人の使い方や仕事のさせ方を
使われて逆に随分覚えましたね

この頃は、毎日ヤメてやると思っていて
もう戻らないつもりで1ヶ月ほど海に行ったり…でも、親に口説かれてね
その時は、取りあえず思いとどまりました]

入社して8年…ふと海外の音楽のステージに目を向けてみると
ステージに[色]がついている
1968年当時の歌謡ショーといえば
上からライトが当たっていれば、それでヨシという時代だ
[芝居の舞台照明]の世界に、音楽が加わろうとしていた

やがて、東京舞台照明にも当然その波はやって来た
しかし、ウサン臭いような、芸術的でなさそうな
予算もあまりなさそうな音楽のステージ照明など
誰も引き受けたがらない(苦笑)

そこで、前島氏が登場する
[芝居がそれほど好きじゃなかったし
その頃の音楽のステージでやる照明といえば
出て来た歌手をスポットで追いかける程度のモノ
追いかけるピンスポだけは自信があったんです]

音楽の照明は、仕事の出来る一匹狼…前島氏にうってつけだった
予算の関係から、ツアーに同行できる照明は1人
後は、現地のホールスタッフやアルバイトを使って
その会場にあるだけの機材で、照明プランを立てなければならない

[照明の作り方を一番勉強したのがこの頃ですね
今から考えると、ウソのように楽な仕事でしたが…]

各地のホールで照明機材を揃えてあるのは、ごくわずかだった
ホールに着いて、天井を眺めたら
100Wの電球が4つブラ下がってるだけ
他は客席に2つのスポットがあるだけ…がザラだった

[東京からサブを1人連れて行かなければ無理だ]と
マネージャーに進言しても
[照明プランは実現させて欲しいが、人を増やす予算はない]と言われ

渋々ツアーに出たものの、ホールが雇ったアルバイトにピンスポを任せたら
途中でライトが点いたり消えたりの大わらわ(汗)
マネージャー氏が飛んで来て[何とかしてくれ]と泣きつく

ステージの全体照明を操るコンソールの前で
ヒヤヒヤしながらも動く訳には行かない
やむを得ず、ピンスポなしの全体照明のみで何とかその場は切り抜け
結局、翌日からはサブを呼んでツアーへ…(苦笑)

ただ、このツアーを機に、照明プランに必要なサブが
ツアーに同行する体制に変わって行った」んだとか…

「日本の音楽ステージ照明の第一人者」前島さんのスタートは
道なき道を切り開くことから始まったようです
コメント
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